第16話 夜の町

「…ありえないっ!なんであのペンダントをこの女が付けてるのよ!」


 朝食を食べているところに遅れてあくびをしながら階段を降りてきたジェシカの首に、ペンダントがかかっているのがリリィにバレた。


「まあ、魔獣に止めを刺したのはジェシカだし良いかなと…」


「貴族に売るって話だったから諦めたのに、よりにもよってこの女に渡すなんて…!」


 途端に顔を赤くして怒り始めたリリィに必死に言い訳をしたが、沸騰した怒りが冷める様子はない。


 リリィもペンダントを欲しそうにしていた事を完全に失念していた。

 ジェシカには売るまで隠しておくようお願いするべきだったが、逃げられてしまった上脳内で突如開催された反省会に勤しんでしまい、そこまで気が回らなかった。


「ジェシカ、渡しておいて悪いんだけど昨日はいらなそうだったし、こいつにやってくれよそのペンダント」


 俺の頼みを聞いたジェシカはクルクルと角の飾りの先端を指で触ると、いたずらな笑みを浮かべた。


「絶対に嫌だ。いいだろリリィ。俺が昨日貰ったんだ」


「なんですって~~~!!」


 煽られて遂に爆発してしまったリリィの銀髪が猫の様に逆立っている。

 そこまで欲しかったなら、最初からそう言って欲しい。


 しかし、リリィにも謝りたいと言ってしおらしくしていた昨日のジェシカの面影は全くない。

 寧ろ怒るリリィをおもちゃにして楽しんでいるのを見るに、もう精神面は落ち着いているようだ。


「肩は大丈夫か?」


「ああ、おかげで絶好調だ。道中は俺に任せろ」


「信頼してるよ、剛剣」


 俺がそう呼ぶとジェシカは少しムッとして、俺たちと同じテーブルに座った。

 店員に注文を済ませると、彼女は俺の方に視線を戻す。


「ユータ、お前はもう友達みたいなもんだろ。ちゃんと名前で呼べよ」


「………! わかったよ、ジェシカ!」


 目を輝かせた俺がそう呼び直すと、ジェシカも満足そうにしている。

 かっこいいと思い一回通り名で呼んでみたかったのだが、どうやらこれが最後の機会になってしまったようだ。


 しかし、突然二人目の友達ができてしまいそれどころではなく、テーブルの下でガッツポーズが止まらない。

 俺が喜んでいるのを見たリリィは、尚更不服そうに唇を尖らせた。


「なんであんたが私たちのテーブルに座るのよ」


「別にいいだろ?ツンケンしないで仲良くしようぜリリィ」


「人の首に刃物突きつけておいて何なのこの女…!」


 手をひらひらと振り返されたリリィが血管を浮かべながらツッコミに回っている。

 珍しい光景だ。


 自分勝手さで言えばリリィもかなりのものだが、ジェシカの方も飛び抜けて豪放な性格をしている。

 なんともろくでもないパーティーになってしまった。


 それでも、あれだけ魔法使いに拒否反応を示していたジェシカがリリィを受け入れてくれたようで、かなり気が楽になったのも事実だ。


「しかしほんと変な奴らだよなお前等は。中央の魔法使いはもっと偉そうにしてるぜ」


 ジェシカは品位など気にする様子も無く、運ばれてきた肉料理の骨を噛みながら口を動かしている。

 朝から骨付き肉とはこいつも胃袋が強い。

 横を見ればリリィが山のように積まれたサラダを頬張っており、朝の食事風景とは思えない状況だ。


「何を威張れることがあるって言うのよ。ゴリラみたいなあんたと比べて、か弱い乙女である代わりに魔法が使えるってだけでしょ。一長一短よ」


 リリィの返事には明らかに言い方に棘があったが確かにその通りだ。

 能力の種類には差があれど、相対的な価値は基本的に努力と経験の差でしかない。


 そこに大きな差が生まれるのは決まって特別な障害を乗り越えて殻を破る事に成功した場合か禁忌を犯した時だけだ。


 ジェシカの積み重ねてきた努力と経験、そしてそこから表れる自信を見れば、一般的な魔法使いよりも頼りになることは明白だった。


「それでも自由度の高さで魔法に軍配が上がることは俺だって認めてるんだぜ?」


「対複数や魔獣相手ならそうなのかもしれない。ただ、一対一の殺し合いに限っては身体能力が最強の武器だ。展開速度に限界がある魔法単体では強者に対して決定打になり辛い」


 ジェシカは食い下がったが、俺は確信を持って反論を述べる。


 ステナの一番の武器は鎌に纏わせた魔法ではなく、間違いなく人並み外れた身体能力だった。

 ガルダさん程の魔法使いでも後手を取らざるを得なかった大きな要因だ。


「魔法が使える方が人生楽なのは事実だろ…やっぱ変な奴らだ」


 ジェシカは言葉とは裏腹に少しの笑いを頬に溜めていた。

 この様子であれば、ある程度何を言っても昨日のように馬車の中で脅されずに済むだろう。


「そういえば、お前等はなんで中央に向かってるんだよ?」


 ジェシカの問いを聞いたリリィが判断を仰ぐため俺に目配せする。

 俺は正直に話すか少し迷ったが、傭兵の中で名が広まっている彼女なら何か知っていることがあるかもしれないと思い、俺は素直に質問に答えることにした。


「数年前現われたって噂の伝説の賢者に会うためにアシュガルドへ向かってるんだ」


「伝説の賢者ねえ…そんな胡散臭い奴に会って何がしたいんだよ」


 ジェシカは自分が質問しておいて、俺が答えると興味がなさそうにフォークでぐりぐりと料理を突いている。


「万能の薬を探しているんだが手掛かりが全くなくてな。治療できないような怪我を一瞬で治せるって噂の賢者に話を聞きたいんだ。ジェシカも何か知らないか?」


「悪いが万能の薬なんて都合のいい物聞いたこともないな。…ただ賢者って奴なら最近獣伐区の中で噂になってるぞ」


「噂?」


 俺が眉を顰めるとジェシカは周りを見渡してから俺たちにだけ聞こえるよう声を抑えた。


「…その賢者って奴を崇める宗教団体がギルドの傭兵やならず者に声をかけてまわっているらしい。まだ問題が起こっているわけじゃないが、気味の悪い連中だ」


「何が目的なんだ…?」


 ジェシカの言った宗教団体が愛されし者のことであるならば少しおかしい話だ。

 転移者の集団であるはずの愛されし者が何故この大陸で生まれた人間、それも資金面のメリットが少ない獣伐区の人間に声をかけているのだろうか。


「馬車の準備ができたぞ」


 俺が悩んでいると馭者がテーブルに集まっていた俺たちを呼びにきた。

 後から来たジェシカの料理はまだ少し残っている。


「今のうちにこの女を置いていくのはどうかしら」


「まあまあ」


 俺たちはなんだかんだジェシカの食事が終わるのを待ってから、一緒に馬車に乗り込んだ。



 ◇



 以降の旅は順調だった。

 特別珍しい魔獣が現れることもなく、襲い掛かってきた魔獣は怪我の影響を全く感じさせない動きでジェシカがあっさりと討伐し、移動して日が落ちると村に寄って宿泊する。


 変わったことと言えば、毎晩のように酒に酔ったジェシカが部屋に訪れ、俺に絡んできた事くらいだ。


 俺は面倒な振りをしてあしらってはいたものの、元いた世界では夜が賑やかだった事など無かったため、実はほんの少しだけ嬉しかった。


 そして、予定通り九日目の日暮れに中央付近の町に辿り着いた。


「あれがジェシカの言っていた壁か」


 元いた世界と比べ建物の背が低いため、北を見ると中央を囲む大きな壁が嫌でも視界に入ってくる。

 余所者の俺でさえ、無機質な灰色の壁に拒絶されている感覚が間違いなくあった。


 このあたりの住人はあれが視界に入る生活に疲れてしまわないのだろうか。


「美味しいご飯が私を待ってるわ!」


 景色などには目もくれず全速力で宿の中に飛び込むリリィの様子を見ていると、料理の価値が高まり無性に腹が減ってしまう。


 壁の重苦しさを忘れて腹を鳴らした俺は、彼女に続いて宿に入ろうとすると、後ろからジェシカに肩を組まれた。


「なあ、たまには酒を浴びてえよな」


 ジェシカの問いより先に、どうしてもそこにある柔らかさが気になってしまうが必死に目を背ける。

 距離感の近い奴だ。


「お前はいつも酒浴びて寝てるだろ…」


「そうだよな、たらふく飲みたいよな」


 話が通じない。

 俺の反論は完全に無視されてしまった。


「いや、俺は飲んだこともないし飲みたいわけでもないんだが」


「まあまあそう言うなって。毎晩部屋に籠ってるのもつまんねえだろ?」


「………!」


 反論を繰り返していた俺は、ジェシカの言葉を聞いて息を飲んだ。

 回りくどい言い方をしている彼女が何を言いたいのかやっと察しがついた俺は、人生初の経験の予感に身震いする。


「もしかして、夜の町に…!?」


「いや、そうだけどよ…。なんでそんなにそわそわしてんだ?」


 何を隠そう深夜の病院を全力で駆けずり回るという特殊な経験を除いて、夜に友人と出かけたことなど一度も無い。

 俺は情けないことに武者震いが止まらなかったが、極力態度を繕って返事をした。


「仕方ないな、付き合ってやるよ」


「俺が誘ってるんだ、当たり前だろ」


 ジェシカは当たり前と言い切った割には嬉しそうに笑顔を浮かべていた。

 俺たちは、夜の町に向かって並んで歩いた。



 ◇



 町の中心に近づくに連れ、漂う娯楽の匂いに浮足立ってしまう。

 

 周りを眺めるとある程度人の動きを感じるが、メドカルテのような活気づいた明るさはない。

 それでも立ち並ぶダークムーディーな店の数々には好奇心が擽られ、自分の胸が高鳴っていくのが分かる。

 すれ違う人々の目が輝いていたのは、きっとネオンの光の反射だけが理由ではなかった。


「どこか当てがあるのか?」


「実は行ってみたい場所があるんだ。高い酒が置いてある」


「お前の飲み方で高い酒は無理だろ」


 俺の指摘を聞いたジェシカはニヤリと歯を見せる。


「俺じゃなくてお前が飲むんだよ。どうせ大して飲めねえだろうしな」


「なるほど」


 酒自体に興味が無かったとはいえ、いざ飲むと決まれば少しだけ心が躍ってしまう。

 高揚を表情に出さないように気を付けながらジェシカの横を暫く歩くと、寂れた区画にポツリと立った雰囲気のあるバーに辿り着いた。


「ここだ。いい感じだろ?」


「確かにいい感じだが…いい感じ過ぎないか?」


「ビビるなよ、男だろ」


 ジェシカに促され恐る恐る重々しい鉄の扉に触れようとすると、扉が向こうから押し開けられた。


「失礼」


 店の中からゆらりと顔を出した黒いローブを纏った男が、背後に数人の戦士を引き連れて店を出た。


 ローブの男が落ち着いた声で俺たちに一言挨拶をすると、そのまま集団は町へと消えていく。

 獣伐区で魔法使いと戦士が仲良く飲んでいるとは珍しい。


 集団の姿が見えなくなると、ジェシカが俺に耳を貸すよう合図してきた。


「…多分例の宗教団体の信徒だ。俺の知り合いも黒いローブの男にありがたい話をされたらしい」


「ありがたい話って?」


「神に等しい存在である偉大な賢者と賢者に選ばれし五人の転移者が、獣伐区の不幸な民草を救ってくれる、とかいう無責任に幸せな話だ」


 ジェシカが頭の上で両手を合わせて馬鹿にし始めたのを見るに、俺と同じく宗教はあまり好かないらしい。


「転移者って余所者として差別されてるよな?そんな相手に救われたい奴が居るのか?」


「それがな、今壁の外では転移者の評価が高まっているんだ」


 ジェシカの返答に耳を傾けながら扉を開けると、子気味良いドアベルの音がする。


 店内は薄暗く艶やかな雰囲気になっており、飾られているアンティークな品々の陰影が更に空間を深いものにしている。

 こういった場所に慣れない俺は、敷き詰められた深紅の絨毯を見ているだけでも酔ってしまいそうだった。


 不相応な空気に気圧された俺とは対称的に、ジェシカが堂々とカウンターに座ったのを見て、俺も急ぎ足で彼女の横の席に着く。


「大人っぽい酒。二人分」


「かしこまりました」


 ジェシカの簡素な注文を聞いたバーテンダーは、何の文句も言わずに躊躇なく酒を作り始めている。

 酒を振る姿、グラスに酒を流し込む動きはきびきびとしており、所作を見ているだけで素人には真似できない事なのだろうと理解させられてしまう。

 

「凄いな」


 プロの仕事ぶりに感心していた俺の横で、ジェシカがカウンターに頬杖を突いて話を再開する。


「二年くらい前に壁の中に忍び込んだ転移者が大暴れしたんだと。一人で王城に突っ込んで衛兵を数十人と国王に選ばれた最高位の魔法使いを五人も殺したらしい」


「…なるほど、天才魔法使い達を殺した犯罪者が、壁の外では英雄扱いってわけか」


 俺の言葉にジェシカは無言で頷く。

 話が本当のことであるならば、もはや壁の中と外で敵対する隣国の様だ。


「捕まった転移者には二年間拷問の後斬首という重い判決が下されたがな。中央に行けばあと一か月かそこらで公開ギロチンが見られるぜ」


 ジェシカが話し終えると、丁度カウンターに酒が置かれた。

 絨毯の色に似た重い赤色をしたショートカクテルだ。


 バーテンダーがカクテルを作っている様子の美しさも相まって芸術品の様に見えてしまい、俺はグラスを触る事ですら気後れしていた。


「乾杯」


 ジェシカがグラスを持ってこちらを見ている。

 よく見ると、彼女のオレンジ色の瞳は普段よりも少しだけ潤んでおり、手もわずかに震えていた。

 どうやらこの大きく背伸びした一時に緊張しているのは、俺だけではなかったらしい。


「…乾杯」


 グラスを優しく突き合わせるとジェシカは宝物のようにグラスを眺め、そして決意したかのように一気にカクテルを飲み干した。


 首の角度を戻した彼女は、一瞬で空になったそれを不満気に見つめている。


「感想は?」


「全然足りねえ」


「ハハハ!」


 ジェシカの感想を聞きながら酒に口を付けなくて良かった。

 噴出して高そうな絨毯を汚してしまっていただろう。

 いや、きっとこの酒の色なら目立たないだろうし、それもよかったかもしれない。


「笑い過ぎだ!お前も飲め!」


 声を出して笑ったおかげで気が楽になった俺は、ジェシカに言われた通りカクテルグラスに口を付ける。


「…美味しい」


 グラスの縁に塗られたレモンと砂糖、またカクテルの中にあるベリーの甘さが酒の香りと織り交ざっている。


 ジェシカはこの繊細な味を理解して飲んでいるのだろうか。

 想像するだけでまた笑いが込み上げてきてしまう。

 

「何が面白いんだよ」


「いや、初めての酒がジェシカとで良かったと思ってさ」


「…そりゃよかったな」


 俺が本心で胡麻化すと、ジェシカはそっぽを向いてしまった。


「こんなに美味しいなら他の酒も頼んでみたいな。色々ちょっとづつ味見させてくれよ」


「なら今度はあの偉そうな酒にしようぜ!今日を忘れられない日にしてやる!」


 ジェシカの気も緩んだのだろう、大胆な宣言をする彼女の表情には天真爛漫さが戻っていた。

 しかし、解けた緊張は怒声によって強引に引き戻される。


「俺の好きな酒だけは絶対に切らすなって言ったよなァ!?」


 声の方を見るとカウンターの一番奥でバーテンダーが襟首を掴み上げられていた。


 二メートル程の長身、オールバックの青い髪、サングラスに尖った歯、黒いスーツと迫力のある姿をした男の乱暴な振る舞いに怯えて、客は全員黙り込んでいる。


「ヘマした馬鹿のためにクソつまんねえクソ田舎に来て、好きな酒を飲むことすら叶わない。こんな不幸な俺が可哀そうだとは思わねえのかよォ!」


「がはッ…!」


 持ち上げられていたバーテンダーがいとも簡単にバックバーに叩きつけられた。

 綺麗に並んでいた酒瓶が落下し、無残に割れていく。

 ジェシカが指差したバックバーの中央に鎮座する巨大なボトルも、一際大きな音を立てて粉々になってしまった。


 瞬間、完全に男に支配されていた空間を、唸るように吹き飛んだカウンターチェアが豪快に切り裂いた。

 ジェシカの右足によって弾丸のように撃ち出されたそれは、男の頭部に向かって一直線に突き刺さる。


「……あァ?」


 しかし、驚くことに男は左腕を盾にして致命傷を防ぐことに成功していた。

 それでも激しい衝撃に破壊された前腕は、青黒く折れ曲がっている。


「…おい、カマキリ野郎」


 むこうを向いて口を開いたジェシカの表情は見えないが、彼女の感情は噴き出した殺気が物語っている。

 後ろに纏まって垂れる赤い髪は美しく、自信に溢れた立ち姿には、長身の男を上回る威圧感があった。


「手前が台無しにした物の大きさを痛みで理解させてやるよ」


 ジェシカが男に向かってそう言い切った瞬間、彼女の髪型がポニーテールになっていることに俺はやっと気が付いたのだった。

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