第15話 剛剣の女戦士

「うらあああ!」


 ジェシカの勇ましい声が聞こえてくる。


 馬車から出て声の方に目を向けると、体高八十センチ程の赤い狼のような魔獣が、ジェシカに向かって群がっていた。

 彼女が飛び出して一分も経っていないが、既に馬車の側で数匹の息の根が止まっている。


「ビビってんじゃねえぞ犬っころがァ!」


「グルルル…」


 ジェシカは啖呵を切った勢いのまま筋の浮いた両腕で大剣を高速で振り回し、それに呼応するように赤い長髪が躍った。


 鮮血を巻き上げながら新たな死骸が積み重なっていくのを目の当たりにした魔獣たちが、襲う相手を間違えたことを後悔して震えているように見えてしまう程、ジェシカの剣には破壊力があった。


「あれは特別だよ。壁の外に放り出された数年前から天才的な戦闘センスを見せ傭兵の中で名を上げたんだ。まだ二十を過ぎた程度の若造だが『剛剣』という重苦しい通り名を背負っている。奴を超える戦士は大陸にもそう多くないだろう」


 ジェシカの凄まじい動きを見て呆然とする俺たちに気付いて、馬車の影から覗いていた馭者がそう言った。


 どちらが獣なのか分からなくなる程、リスクを度外視した本能的な動きに目を奪われてしまう。

 そこには生と死の狭間を生き抜いてきた、ジェシカの矜持がありありと感じられた。


 数分すると、魔獣の群れは全て駆逐された。

 結局彼女の体には傷一つなく、防具でさえも捉えることができたのは返り血だけだった。


「一丁上がりだな」


 大剣を鞘に戻す心地いい音が戦闘の終わりを示すと、馭者が馬車の陰から顔を出した。


「ジェシカ!お前馬車の扉壊したな!」


「あ?俺は何もしてねえよ」


「しらばっくれるな!お前以外に誰がこんな壊し方するって言うんだ!」


 蹴破られた扉は完全にひしゃげてしまっている。

 馭者の口ぶりからすると、どうやらジェシカの粗暴さは有名なようだ。

 これだけの力と人間性が重なれば、剛剣という通り名が付けられるのも理解できる。


「簡単に壊れる方が悪い。鍛え直せ」


 ジェシカは完全に開き直ってとんでもないことを言い始めている。

 呆れて見ていると、油断していた彼女の背後から大きな影が忍び寄っているのが、俺とリリィの目に映った。


「「「ッ…!」」」


 ジェシカは背後の気配に反応して大剣に手を掛けていたが、出遅れた予備動作を魔獣の瞬発力が一瞬だけ上回る。


「かはッ…!」


 先程の群れの個体よりも二倍は大きな魔獣の爪が、ジェシカの決して華奢ではない身体を簡単に吹き飛ばした。


「アオオオオン!」


 頭に長い螺旋状の一本角を生やした巨大な赤狼は、俺たちを威圧するように高々と首を上げて吠えた。


 先程まで戦場を圧倒していた彼女がダメージを負ったことによって、その場の危機感は一気にピークに達する。


「リリィ!援護しろ!」


「わかってる!」


 リリィが杖を構えたと同時に足に力を込める。

 しかし、俺の身体は獅子の咆哮のような威圧感のある叫びによって制止された。


「手を出したら殺す!黙って見てろ魔法使い共!」


 目を向けると、ジェシカが奇襲に軋む体を叩き起こしながら、全方位に殺気を巻き散らしている。

 頭から血を流しながら笑顔を浮かべた彼女は大剣を左腕で握ると、目にも止まらぬ速度で魔獣に向かって突っ込んだ。


「そのデカい尻肉バーベキューにして食ってやるよ!」


 ピキピキと音が立つ程力の籠った腕によって身の丈程の大剣がいとも簡単に振り下ろされる。


 しかし直撃するように見えた瞬間、鋭い金属音が鳴り響き火花が舞い散った。

 魔獣の一本角が、ジェシカの剣を受け止めていたのだ。


「クソが…!」


「あのジェシカの剣を受けただと!?」


 汚い言葉を呟いたジェシカの表情が苛立ちに歪む。

 余程見慣れない光景だったのか馭者が動揺し、目を見開いて叫んだ。


 違う。

 先程までの威力がない。

 違和感の正体を探すと、ジェシカの力に溢れる左腕とは対照的に、右腕は地面に向かってぶらりと垂れ下がっていることに気が付いた。


「さっきの衝撃で右肩が外れてる…!」


 俺の言葉に絶望したのか、馭者は更に真っ青になっていく。


「片腕程度どうってこと…」


 強がった言葉とは裏腹にジェシカが徐々に競り負け、後退し始める。

 そして遂にもう一度吹き飛ばされてしまった。


「ユータ!早くあいつを助けないと!」


 リリィの言葉はもっともだ。

 しかし、ジェシカの心はまだ変わっていない。


「魔法使いなんかに助けられてたまるか…!」


 死を前にしても執念深くプライドを守ろうとする姿はあまりにも痛々しい。

 ただ、それだけの何かがジェシカの記憶に深く刻まれているのだ。

 俺は、彼女の心をできるだけ傷つけない手段を取りたかった。


「グルルルル!」


 魔獣はジェシカに止めを刺そうと四肢を構えている。

 気高く振り上げられた一本角は、緑色の光を帯びて音が立つ程に回転していた。


「リリィ、もしもの時は魔法を撃ってもいい。ただ、俺の限界ギリギリまで我慢して欲しい」


「何をするつもり!?」


 リリィに指示を残した俺は、彼女の問いには答えずに全力で地面を蹴り、突進してきた魔獣とジェシカの間に割って入った。

 音を立てて回転する魔獣の角を右脇に挟み込み、両手で掴んで全力で踏んばる。

 突進の勢いを少し殺すことはできたが、全身の筋肉とこそぎ落とされていく皮膚が悲鳴を上げていた。


「うおおおお!」


 俺は全身の筋肉の出力を引き上げるよう、全力で吠えた。

 抵抗も虚しく、手足の筋肉が大きく膨れ上がり、ぶちぶちと神経や筋繊維の切れていく音がする。

 体の限界がすぐそこまで来ていた。


 しかし、突如背中に体温を感じた瞬間、魔獣の勢いと俺の力が均衡に大きく近付いた。


「こんなどうでもいい奴のために命張るなんて馬鹿じゃないの!?…あんたも、私も!」


 気が付くと、リリィが背後で俺の身体を支えて踏んばっていた。

 彼女の声が背中から聞こえるだけで、感じていた限界がどこかに消えていく。


「俺たちのどこが魔法使いに見える!言ってみろジェシカ!」


 俺の叫びが荒野に響いた刹那、巨大な魔獣の胴体は一刀両断された。


 その美しい剣筋に、時が止まったような感覚すらあった。



 ◇



 真っ二つになった巨大な赤狼は生え揃った毛すらピクリとも動かない。

 流石にもう息はないようだ。


「終わった…!」


 俺がほっと胸を撫で下ろしていると、駆け寄ってきた馭者が魔獣の死骸に触れる。


「レッドウルフの変異種だ。運が悪かったな」


「珍しい魔獣なのか?」


 俺が質問すると、馭者は興奮しているのかハンカチで汗を拭った。


「珍しいなんてもんじゃない。十年前に一度北東で目撃されたのが最後、一度も出現したことのない個体だ。知能が人間に近いレベルまで発達していると聞くが、雑魚を囮にして忍び寄ってきていたあたり噂は本当のようだな」


 死骸を見比べると角が生えているのは変異種と呼ばれた大きい個体だけのようだ。

 こんなものに突かれたら一溜まりもない。


「こいつの角はかなりの金になるぞ。どうする?」


 馭者がジェシカに尋ねたため目を移すと、彼女は唇を噛み締めて震えていた。

 その震えは喉にまで伝達し、声には悔しさがはっきりと入り混じる。


「受け取ってたまるかこんな物…!」


 そう吐き捨てた彼女は、馬車の中に逃げるように消えてしまった。


「となるとお前さん達の物だな」


 馭者はジェシカの様子を気にせず、即座に俺たちの方に首を向けた。

 彼女の事情に首を突っ込む気が無いのか、知った上でどうでもいいのか、彼の表情に大した感情の揺らぎは見受けられない。


「おっさんにやるよ。馬車の扉の修理代にでもしてくれ」


「おいおい、純金の扉でも作れってのか?特に先端はそのまま首飾りにするだけで金貨二百枚は下らない高級素材だぞ。何もしてない俺が受け取れるか」


 提案を馭者に断られてしまった。

 どうやら俺の予想を遥かに上回る価値がある物らしい。

 正直に言ってしまえば、売り捌くのが面倒だ。


「じゃあその角の先端だけ貰うことはできるか?残りをあんたが受け取ってくれよ」


「…それくらいなら貰ってやろう。後で文句を言うんじゃないぞ」


 馭者はそう言うと、息つく間もなく鼻歌を歌いながら変異種の死骸を処理し始めた。


 俺たちはそれを見届けてから馬車に戻ったが、宿に辿り着くまでの道中、右肩を押さえたジェシカは目も合わせてくれなかった。



 ◇



 俺たちは小さな村の宿に着き、一階の酒場で食事を取っていた。

 リリィを見ると、俺の三倍の量の料理をとてつもない速度で食べ進めている。


「これが金貨二百枚ねえ」


 レッドウルフの角の先端は、加工されてペンダントトップになっていた。

 前回変異種が討伐された時は、貴族令嬢へ求婚する際のプレゼントとして使われたらしい。


 この大陸の金貨の価値を完全に把握しているわけではないが、命の危険を伴う十日の護送が金貨五枚と考えると、本当に馬鹿馬鹿しい値段だ。


 銀色のチェーンが通されたどうしても重さが感じられないそれを薄目で眺めていた俺に、リリィが問いかける。


「それ、どうするの?」


 視線を上げるとリリィは何故かそわそわしている。

 その態度に小さな疑問を覚えるが、答えは一つしかない。


「中央に着いたら適当に貴族に売り捌く」


「ふーん…まあいいけど。ごちそうさま」


 リリィは少しだけ頬を膨らませ椅子を蹴って席を立つと、足早に階段を上がっていった。

 高級ペンダントが欲しかったのだろうか、がめつい奴め。


「おい、なんでこんなところに魔法使いが…」

「飯が不味くなるな」


 側のテーブルに座っていた男たちが、リリィが席を立ったのを見てから陰口を言い出した。

 どうやらジェシカだけが魔法使いを嫌っているわけではないらしい。


 居心地の悪くなった俺も、残っていた料理を急いで食べ終え席を立つ。

 カウンターに会計をしに行くと、見覚えのある赤髪が酒に酔って店主に絡んでいた。


「クソムカつく日だ。仕事でヘマした上魔法使いに助けられるなんて…マスター、おかわり!」


「剛剣、いい加減そのくらいにしておいてくれよ…。明日も仕事なんだろ?」


 タイミングの悪いところに居合わせてしまった。

 気付かれない内に金だけ置いてさっさと退散したい。

 

 しかし、俺はジェシカの右肩がぶら下がったままであることに気が付いてしまった。


「まだその肩治してないのかよ!?」


 予想外の事に、つい大きな声が出た。

 大声に驚く様子も無く、ジェシカは座った目のまま俺の方に首を向ける。


「なんだ、ユータか…。ガチャガチャ動かしてはみたけど直し方が分からなくてな。まあ片腕でも十分護衛はできるから安心しろよ」


「そういう問題じゃないだろ…。ちょっと一緒に来い」


 俺は仕方なく全ての支払いを済ませると、酔いが回ったジェシカに肩を貸して、自分の部屋に連れ込んだ。


「なんだよ、俺みたいな筋肉ダルマ抱いても面白くないぞ!」


「黙ってさっさと横になってくれ…」


 下らない冗談を受け流し、ベットに仰向けになったジェシカの右手を優しく握る。


「足に神経を集中させて力を抜け。痛むが、我慢しろよ」


 注意した俺は脱力した彼女の腕をゆっくりと引き上げた。

 

 重い腕だ。

 彼女が自分の事を筋肉ダルマと呼んだように、発達した筋肉が積み上げた努力を感じさせる。

 ただ、それでも十分に柔らかさを感じる女性の腕だった。

 

 肩にはかなりの痛みがあるはずだが、ジェシカは平然としている。

 斜め上まで右腕が上がった所で俺が少しだけ力を入れると、肩が嵌まった感覚がした。


「…よし」


 俺がゆっくりと腕を横に下ろすと、ジェシカは体を起こして嵌まった肩を躊躇なくクルクルと動かし始める。

 またすぐに外れてしまいそうで恐ろしい。


「おい、嵌めたばっかなんだからもう少し大事に扱ってくれよ」


 俺がそう窘めると、ジェシカは俺の心配が意味のないことだとでも言うように、テーブルに両手を叩きつけた。


「ユータ!お前医者なのか!?傭兵の身体なんか気にかけやがって、超のつくお人好しだな!」


 ジェシカは機嫌が良さそうに歯を見せて笑っている。

 しかし、その気持ちを受け取る前に、彼女に伝えておかなければならない事があった俺は、ベッドの端に腰を下ろした。


「…俺は医者なんかじゃない。お前の大嫌いな魔法使いだよ」


 斜め下に視線を置いた俺がそう言うと、ジェシカは表情を少し曇らせてベッドの逆側に腰を下ろす。

 一度ゆっくりと息をしてから、声のトーンを少し落として彼女が話し始めた。


「謝らなきゃいけないと思ってたんだ。ユータと、あのリリィって女にも。俺の下らないプライドのせいで怪我をさせた。魔法の使えるお前等なら体を張らずともどうにでもできたはずだ」


 気持ちを吐き出したジェシカは、普段の強気な態度が嘘のように気を落としていた。

 馬車の中では悔しそうにしていたが、何とか気持ちの整理をつけることができたらしい。


「お前は何故そこまで魔法使いを嫌っているんだ?」


 俺は一人であれほどの力を身に着けたジェシカを尊敬していた。

 自分の幼少期とはまた違った孤独を経験した彼女の過去に何があったのか、聞いておきたいと思った。


 俺が踏み込んだことを問うと、ジェシカはベッドに両手を突いて背中側に重心を寄せ、諦めたように息を吐いてから話し始めた。


「中央に妹がいるんだ。妹は優秀だったが俺には魔法の才能が無かった。当然、俺は王の決めた下らないルールによって壁の外に捨てられた。…妹は気弱でいつも俺に甘えているかわいい奴だったんだ。俺が周りに馬鹿にされながら大人たちに連れていかれるのを見て、泣いて暴れていたよ」


 魔獣を切り捨て獣のように笑う戦闘時のジェシカと、記憶を振り返り寂しそうに遠くを見る今の彼女が同一人物だとは思えない。

 しかし、強い彼女の奥には燃料となる暗い感情が存在していた。


「捨てられた俺は生きるために死ぬ気で働いた。命の危機なんて幾らでもあったが何度だって逃げた。沢山の血を浴びて生き残り続けていたら、いつの間にか剛剣なんて呼ばれるようになっていたよ。ギルドじゃ大男だって俺にビビってへこへこするんだぜ!…それでも、ただ生き残っているだけだ。理不尽に当たり前の幸せを全部奪われたんだ」


「ジェシカ…」


「誰もが同じような人間じゃないとはわかってるさ。それでも、魔法使いを見るとあの傲慢な王や俺をバカにした奴等の顔が頭を過って、はらわたが煮えくり返っちまうんだよ!」


 ジェシカは徐々に怒りを思い出したのか、興奮して震え始めた。

 刻まれた心の傷の深さを目の当たりにした俺は、衝動的に彼女の手を取る。

 ハッとしてこちらを向いた、透き通ったオレンジ色の瞳が俺の凡庸な瞳と向き合った。


「大丈夫だ」


 そう言った自分がどんな表情をしているかわからなかったが、ジェシカの憤りと悲しみが掴んだ手から俺の中に流れ込んで、中和されていく感覚だけを感じる。

 彼女の血の滲むような人生が証明された、手の平の硬さに更に敬愛が溢れた。


 数秒、そのままでいると、ジェシカの怒りが落ち着いたのを確認して、握った手を放した。

 何か言って欲しかったが、彼女は俯いて小さくなってしまい、うんともすんとも言わない。


 無言のままの気まずさから逃げるための話題を探していると、俺はペンダントを持っていることを思い出した。

 どうしても軽かったそれに、初めて価値を感じることができた。


「やっぱりこれはジェシカが持っておけよ。止めを刺したのお前だしさ」


「言っただろ、受け取れないって!それにどうせ持ってても俺にはこんなの似合わねえよ!」


 俺がペンダントを渡そうとするとジェシカは慌てて突き返した。

 それでも、手を掴んで無理やり渡し切る。


「売ったら金になるだろ。そうすれば無理に戦わなくても済む。俺たちこう見えて金にはそんなに困ってないんだ」


 渡されたジェシカは仕方なく首にかけようとチェーンを広げる。

 それを見て、忘れていたことをもう一つ思い出した。


「そういえば、お前がつけていくなら替えとくか」


 俺は一度ペンダントを奪い取って、チェーンを入れ替える。

 新品のピンクゴールドのチェーンだ。


「女がつけるならこっちのがいいってさ」


 俺がそれを放り返すと酔いが今更回ったのか、ジェシカの顔は真っ赤に染まっていた。


「俺が…女…!」


「何当たり前のこと言ってるんだ?」


 俺が何のことか理解できずに聞くと、ジェシカは慌てて立ち上がった。


「うるせえ!なんでもない!もう寝る!」


 ジェシカはそう叫ぶと、逃げるようにどたどたと音を立てて部屋を出て行ってしまった。

 どうやらまた機嫌を損ねてしまったのかもしれない。


「無意識だったとはいえ、無断で手を握るのは流石にキモ過ぎたか…?」


 俺はベッドの上で自分の行いの反省点を探しているうちに、疲れに負けて眠りに落ちた。

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