異世界捜索～俺のじいちゃんどこ行ったか知りませんか！～

第13話 青い記憶

「やあ、優太。初めまして…とはいっても僕はいつでも君を見ていたけどね」

　脳に直接語りかけられるような気味の悪い感覚がする。

　この人を見透かしてくるような視線と、色も形もろくに認識ができない空間には覚えがあった。

「意思か」

　俺の返事を聞いてか様々な形を取っていたそれはあえて人型になり、頬を膨らませた。

「冷静過ぎてつまんないなあ。でも、それは正解であって正解ではない。僕は君が扉の中で見たそれとは違う。君達の原動力となる大切な記憶、根（・）源（・）の意思だ」

「根源の意思…」

「ああ、でもやめてよ！僕としては名付け親にそんな重苦しい呼ばれ方はしたくないんだ。君は僕に名前を付けたはずだ。そうだろ？」

　本当に根源の意思だというのであれば、俺はこいつの名前を知っている。

「『優しさ』だったか。親呼ばわりはやめろ、気持ち悪い」

　俺の答えに喜んだ根源の意思の口は気味が悪くなるほどに大きく開いた。

「ハハハ！何度聞いても笑っちゃうなこの名前！僕が『優しさ』だなんてね！勘違いしているのか、記憶がぼやけているのか…それとも、逃（・）げ（・）て（・）い（・）る（・）の（・）か（・）」

　俺を煽るような口調でニヤリと笑う、根源の意思の舐めた態度を気に入りはしなかったが、この場所で彼らを殴ろうとしても無駄なのは、扉を潜った際に知っている。

「俺を馬鹿にするために出てきたわけじゃないだろ？何が目的だ」

　俺はあくまで平静を保って切り返す。

　こういった他人を馬鹿にするような相手に苛立ちを見せれば、後手に回ることは明白だ。

　そんな俺の様子を見た彼はまた不満そうにしたが、渋々といった様子で話し始めた。

「今回は君に僕のことを知ってもらいに来たんだ。力の姿や理を理解することは強さに直結するからね」

「なんでお前が俺を手助けするんだ。動機が分からない」

「弱っちい君が死ねば根源の僕だって消える。君は当然のように死にかけるから、僕も気が気じゃないよ」

　よく考えればこいつは俺の記憶の一部であるのだから当然と言えば当然だ。

　となれば、ある程度信用してもいい存在なのかもしれない。

「でも、今回の戦いは素晴らしかった。あれが生き残るための最善の選択だ」

「世辞はいい。お前が褒めてもほぼ自画自賛と変わらねえだろ」

「褒めてなんかないさ。生き残っただけで君は勝てていない」

　俺の答えを聞いた根源の意思は、けらけらと子供のように笑ってまだ小馬鹿にする。

　その言葉を無視し、続けて何を質問するか考えようと俺が口元に指を乗せた瞬間、ぼやけた空間に大きな音を立てて亀裂が入った。

「…残念、今回はここまでみたいだね。まあ僕を認識できただけでも違いはあるだろう。ここでの記憶は忘れやすいから気を付けて。それくらいここは繊細な情報空間だから」

「おい待て！まだ聞きたいことが沢山あるんだ！」

　空間の亀裂の奥にある漆黒に焦燥感を走らせた俺とは違い、根源の意思は腕を組んで突っ立っている。

　俺が離れていた根源の意思に向かって手を伸ばすと、彼の笑顔は俺の掌を越え、額を擦り合わせるような零距離まで瞬間移動した。

「余計なことを考えるな。僕の存在を海馬に刻め。二度と哀れな敗北者になりたくないのならね」

　俺は世界の亀裂に飲み込まれ、落下する。

　落ちていく恐怖に記憶が搔き消されないよう、眼を瞑ったまま『優しさ』の姿を脳内で描き続けた。

　◇

　陽ざしとそよ風が体を擽ってくる。

　体温も仄かに上がり、朝の空気の匂いを感じながら目を覚ました。

　見知らぬ部屋だ。

　所々年季は入っているが生活感が無く、家具はベッドと椅子しか置かれていない。

　窓際には花瓶が置いてあり、飾られている花はまだ新鮮だ。

　一人ぼっちの部屋で俺が意識をぼんやりさせたままいると、ノックをせずに部屋に誰かが入ってきた。

「ユータ…ユータが起きてる！先生！師匠！」

　ドアノブを握ったままのリリィは、目を覚ました俺を見ると大慌てで人を呼びに行ってしまった。

　彼女の大きな声で意識がはっきりし、気絶する前の記憶が少しずつ戻ってくる。

　ハッとして体を起こして貫かれた腹を触れると、包帯の奥に鋭い痛みがあった。

「…生きてたのか、俺」

　今回はきっと内臓を貫通していたため、処置が遅ければ確実に死んでいただろう。

　俺を生かしてくれた人たちに早く感謝しなければいけない。

　大きく息をして生き残った喜びを薄っすらと感じていると、リリィとガルダさんが知らない男を連れて部屋に入ってきた。

「………！」

　視界の中にガルダさんの疲れた表情を見つけ、全てを思い出した俺に絶望が襲い掛かってくる。

　彼女は全てを失い、俺は負けたのだ。

「ユータ君、頑張ったわね」

　それでもガルダさんは目を覚ました俺を優しく抱きしめてくれた。

　彼女の抱擁は温かく、そしてあまりにも重い。

　俺は言わなければいけない言葉を、閉まる喉から無理やり引きずり出した。

「ごめんなさい。俺が、弱かったです。ごめんなさい」

　あの場に俺が居なければ、ガルダさんがステナを仕留められたかもしれない。

　それほどに彼女は強く、俺は弱かった。

　劣等感と罪悪感が俺の胸の中を砂嵐のように掻き乱し、止まらなくなった涙はガルダさんの青白い肌に落ちる。

　一番辛いはずのガルダさんは繰り返し嗚咽する俺を諦めず、世界一優しい言葉を掛け続けてくれた。

「あなたまで死んでいたら私は人で居られなかったかもしれないわ。だから、私を守ってくれてありがとう」

　俺は赦される惨めさと苦しみを胸に刻むため、どこまでも涙を流した。

　ガルダさんは俺が泣き止むまで、そのままでいてくれた。

　◇

「四日間！？」

「死んでてもおかしくない、というよりは半分死んでたな。悪いが腹の傷痕は死ぬまで残るぞ」

　ガルダさんにダラク一番の闇医者だと紹介された、黒縁の眼鏡をかけた高齢の男は、気怠そうに症状の説明を始めた。

　面倒そうに無精髭をポリポリと掻く仕草からは医療従事者の雰囲気が一切感じられない。

　あまつさえ診察中に煙草を咥え始めたときは唖然としてしまったが、俺は彼の治療のおかげで一命をとりとめることができたらしい。

　それでも魔力が枯渇した反動はどうしようもなく、俺は四日間もここで寝ていたというのだから間抜けで仕方がない。

「あんた本当に腹だけは頑丈にできてるわよね」

　リリィが全く悪びれないことに穴の開いた腹を立てながらも、先生からの症状の説明を聞き逃さないために無視をする。

　症状を説明し終えると、先生は肺に入れた煙を巻き散らしてからもう一度口を開いた。

「これからは無茶しないことだ。化け物とは目を合わせるな。逃げろ。この世界は闇で溢れている。俺たちみたいな弱者はどんな悪を見つけても、波風立てないよう目を逸らすしかない」

「………」

　俺は先生の放つ鬱屈とした雰囲気に口を挟む気になれず黙って聞き続ける。

　彼の目や声には全く覇気がなく、何もかも諦めているかのような表情をしていた。

「お前みたいな転移者を助ける事だって危険を伴う。大金を払われたから仕方なく、仕方なく治してやっただけだ…。さあ、わかったらさっさと出て行ってくれ。その『愛されし者』とか言う物騒な集団がここに来られても困る」

　そう言って椅子から立った先生の背中は、枯れ木のように細く小さく見えた。

　彼の追い払うような言い方に、一緒に聞いていたリリィが眉を顰める。

　それでも、言葉からは後悔や怯え、否定などといった負の感情だけではなく、他人である俺の事を案ずる確かな優しさがあった。

「先生、名前を教えてくれ」

　俺が引き留めると、仕方なく足を止めた先生は振り返らずに答えた。

「ゼン・ウィーグルだ。先生なんて呼ぶのはやめろ。俺は全てから逃げた老いぼれだ」

　何を理由に自分を責め、孤立しようとしているのかは全く理解できない上、患者の前で煙草を吸うような振る舞いは神経を疑う。

　ただやはり、命を救ってくれた彼は俺にとって紛れもなく医者だ。

「ゼン先生ありがとう。次に来るときは四日も寝ないように気を付けるよ」

　歯を見せた俺が感謝と覚悟を伝えると、先生は呆れたように鼻の穴から煙を噴き出した。

「フン…ガキってのは年長者の忠告を本当に聞かない。せいぜい二度と来るな」

　先生は吸いかけの煙草を床で潰すと、まだ数本残っていた煙草の箱をゴミ箱に投げ捨てて立ち去った。

　◇

　俺たちはゼン先生の家を出ると裏路地を抜け大通りを歩き、市場で花を買ってからガルダさんの家に向かった。

　一つ路地を越えると急に漂う下水の匂いや、当てもなく座り込むこの街の人々の姿に慣れ始めてしまった自分がいる。

　並んで歩く俺とリリィの前にを歩くガルダさんは、この四日間にあったことを道中で話してくれた。

「土葬は昨日済ませたの。来なくていいって言ったんだけどね。市場の人たちとゼン先生がわざわざ足を運んで下さったわ」

　葬儀に来たということはもともと親交があったのだろうか。

　もしかしたらあの子供たちのことも診ていたのかもしれない。

「ゼン先生はああ言っていたけど、玄関で傷ついたあなたを見た瞬間、血相を変えて徹夜で治療してくれたのよ。…過去にあなたと同い年くらいの孫がいたみたい。葬儀の後に話してくれたわ」

「めちゃくちゃ医者じゃないですか」

「素直じゃないのよ。あ、でも話したことは内緒にしておいてね？」

　素直じゃないのはガルダさんも同じだ。

　すぐに立ち直れるような悲しみではない。

　それでも彼女は人を気遣い、慰め、気丈に振舞っている。

　すぐに泣いて甘えた俺とは違う、強い人だ。

　重い足を動かし、ゴミがそこら中に落ちている寂しい道を暫く歩き続けると、ようやくガルダさんの家に辿り着いた。

　瓦礫は粗方片付けられているようだったが、二階は激しい戦闘によってほぼ完全に崩壊してしまっており、壁のない面積の方が明らかに広い。

　建物の痛々しい変化と庭の端に小さく並び立つ墓石の存在に、全てが現実であったことを実感させられる。

　俺たちは街で購入した少しの花を墓に供えると、並んで黙祷する。

　そのまま少し経ち、ガルダさんが墓に背を向ける足音が静寂を切り裂くと、彼女は小さな声で呟いた。

「私の命なら、どれだけ惨い形で奪われても良かったのにな。それとも、神様にとっては私の命に何の価値もなかったってことなのかしら」

「そんなことありえないわ！」

　俺たちは目を瞑ったまま彼女の弱音を聞いていたが、我慢ならなくなったリリィが大きな声で反論した。

　俺たちを送り出した後、ガルダさんは大丈夫だろうか。

　彼女の表情は落ち着いて見えるが硝子細工の人形の様で、すぐにでも壊れてしまいそうな危うさを感じてしまい、今支え返すべきだと思った俺も背を向けたまま口を開いた。

「罪は清算なんてできるものじゃない。多分背負って生きていかなければいけない枷だ。それでも、罪を忘れずに歩いてきたガルダさんが幸せになってはいけない人間だなんて、俺には到底思えない」

　ガルダさんの胸を刺す痛みがどれほどのものなのか、きっと俺にはわからない。

　慰めなど意味を成さないのかもしれないが、それでも俺は彼女を赦す人間でいたかった。

「二人とも優しいのね。でも、罪に常に向き合っていたわけじゃないわ。ここでやっていたのも、自分勝手に辛い境遇の子供を連れてきて、自己満足を繰り返していただけよ」

　俺たちの慰めの言葉は、少し俯いて黒い髪を力無く垂らすガルダさんに一蹴された。

　彼女は突如降り注いだ理不尽に全てを奪われた被害者であり、こんな辛い自責の言葉が許されるわけがない。

「違う…！」

　俺が必死に否定しようと振り返ると、ガルダさんの横に別の人影があった。

「違うな、ガルダ」

「ゼン先生…どうしてここに？」

「渡しておくべきものがあったのを思い出してな」

　花束を右手に持った先生はガルダさんに数枚の紙を渡すと、彼女の反応を確認せず全ての墓に少しずつ花を添えていく。

　ガルダさんが恐る恐る渡された紙の一枚目を見ると、今まで崩れなかった彼女の表情が大きく歪んだ。

「今年の定期検診に来たガキ共が結果が出るまでの暇潰しに描いたんだ。誰も何も言わなかったんだがな。…全員お前の絵を描き始めたよ」

　先生の言葉を聞いて泣き崩れたガルダさんの手から離れた六枚の紙には、子供が描いたと一目で分かるような可愛らしい絵が描かれていた。

　紙に拙く描かれたガルダさんは子供たちを慰め、叱り、手を繋いでいる。

　どれも俺が夢にまで見た、優しい母親の姿だ。

「こんなのはもう、自己満足なんて言葉で片付けていいような薄っぺらい愛じゃない」

　俺はもう一度、ガルダさんの言葉を否定する。

　彼女は地面を震える両手で削ると、地面に髪を垂らしたまま歯を軋ませた。

「私、やっぱりあの女が許せない…！こんなの、許せないわ…！」

　ガルダさんの悲痛な嘆きには、誰も応えることができない。

　しかし、子供たちの想いに触れたガルダさんの目には、自分を許していくだけの光が少しだけ戻っているように見えた。

　◇

　翌朝の出立に向けた準備を済ませると、俺はボロボロになった二階に向かった。

　階段を上がっていくと、屋根があったはずの場所に大きな月が覗いてしまう。

　なんとも前衛的な造りの家になってしまったものだ。

　夜空を眺めながら上りきると、月明かりに照らされた二階には先客が居た。

　彼女の銀髪に反射する光が、床に零れて幻想的に見える。

「げ」

　俺に気づいたリリィは露骨に嫌そうな顔をしている。

　相変わらず失礼な奴だ。

　俺は隣に腰を下ろすと、彼女の寄り掛かっている壁に背中を預けてから声を掛けた。

「月が綺麗ですね。お前と違って」

「殺すわよ」

　シンプルな返答に切れ味を感じて恐ろしい。

　両腕が反射で腹の穴を庇った俺を見て、もう一度視線を外してからリリィは俺に問いかける。

「…よくアレと戦って生きてたわね。私は一瞬でコテンパンにされたわ」

「博打が嵌っただけだ。上振れた上でしっかり格の違いを見せつけられたさ」

　リリィはガルダさんという抑止力が無い状態で戦ったのだ。

　俺が代わりにそこに居たとして、結果は変わらなかっただろう。

「あの時子供たちを守れたのは私だけだったのに、何もできなかった。このままの私じゃ賢者を追って、あの胡散臭い集団に近付いていくユータについていけなくなる」

　空に浮かぶ満月を眺め淡々と話すリリィの声色は、どこか悔しそうにも見える。

　それでも、言い終えた彼女は堂々とした足取りで、月を背に俺の目の前に立った。

「でも私は諦めてやらない。絶対にあんたの行く道を最後まで走り切るわ」

　それだけ言うと、彼女は満足したように階段を下りて行った。

　ついてこいと言ったのは確かに俺だ。

　ただ、その時はここまで危険な道になるとは想像もしていなかった。

　もう彼女は利害だけで繋がる存在ではない。

　俺の心を案じて友達だと言ってくれた大切な仲間だ。

　彼女とは少しでも長い時間一緒に旅をして、下らない会話に興じていたい。

　しかし、そんな存在になってしまったからこそ、取り返しのつかないことになる前にどこかで突き放すべきなのかもしれない。

　俺は暫くの間、答えの出ない自問自答を頭の中で繰り返し続けた。

　一人の命ですら守り切る自信のない俺を見下しているかのように、満天の星たちが美しく光っていた。