第12話 オールイン

 悲痛な叫びに、思い出を溜め込んだ古びた家が揺れている。

 怒り、悲しみ、後悔、といった感情がぐるぐると空間を駆け巡る。


 ガルダさんの周りに、緑色に発光した魔素が集まっていくのが見える。

 蛍のように輝いていたそれらは彼女に近付くに連れ、高熱に焼け焦げていくように、少しずつ黒く変色していた。


「素敵ね…」


 ステナは自らが生み出した悲劇の顛末に興奮し、顔を紅潮させている。


 部屋に響き続けていた叫びはゆっくりと枯れると、力なく立ち尽くしたガルダさんの背中が、遂にステナを睨みつけた。


「なんでこんなことができるの」


 震えた声でガルダさんが突き立てた敵意は、不思議そうに人差し指を顎に立てているステナにはきっと届いていない。


「子供がもういないのだから、ここにいる理由もないじゃない。これで心置きなく一緒に来れるでしょう?」


「狂ってやがる…!」


 ステナの馬鹿げた言葉に対して、意味の無い非難を呟いた俺は、彼女の動きに感じていた違和感の正体を理解した。

 この女は、命に対する一切の躊躇が無いのだ。

 子供たちの命も、敵の命も、そして自分の命でさえ彼女の心に存在する体重計の針を動かさない。


 その上相手がどう思うか、人間にとって当然の感情の動きすら計算できていない。

 子供たちを殺せば、全てが解決すると本気で思っているのだ。


 俺は初めて螺子の飛んだ人間の持つ狂気を目の当たりにし、怒りと怯えのコントロールが効かず、手足の震えが抑えられなくなっていた。


 しかし、ここまで俺が怯えていた原因は、ステナに対しての感情が全てではない。

 この空間には、恐らく人を超えた存在が二人も立っていたのだ。


「私はこの子たちを育てるために両腕のけがれから目を逸らして、母親としての姿を命を懸けて演じてきた。何度だってこの力で殺めた兵士たちの声を夢に見て、この力を理由に子供たちを奪われた」


 そう言ったガルダさんが俺とステナの方に振り向くと、そこに彼女らしい温もりはもう残っていない。

 瞳にははっきりとステナを捉えていたが、反面、水の中に墨汁を垂らしたように、どす黒く濁っているようにも見えた。


「でも、忌々しいこの力に今だけは感謝してるの」


 続けた彼女が腕を上げると、それに呼応するかのように可視化された魔素が付き纏う。

 膨大な魔力と反応した魔素は膨らみながら融合し、一つの塊となった。


「あなたを殺せる」


 刹那、螺旋状の巨大な光がステナを貫いた。

 回転する光は耳障りな高音を放ちながら、ステナの肉と骨を粉砕していく。


 凄まじい速度と威力を目の当たりにした俺は一瞬混乱したが、じわじわと仕留めたことへの安堵が広がると、漏れ出した感情が俺の口を突いた。


「やった…」


 光の回転が止まり消滅すると、ステナの胴体から胸部にかけての大穴が残る。

 ところが、真っ赤な水溜まりを吐きだしたステナから、恐ろしい笑みは消えていなかった。


「またも殺したわね、人殺し」


 ステナの言葉に緊張の糸を張り直した俺たちは、その異様な光景に息を飲んだ。

 痛々しい穴から見える彼女の体内には、大量の心臓がぶら下がって鼓動を繰り返していたのだ。


「…失礼ね。化け物を見るような目で見ないでくれるかしら。私は使えない転移者の心臓を食べて有効活用しているだけよ」


 ステナに開いた大きな穴は蠢きながら徐々に小さくなり、数秒すると元通りの姿に戻ってしまった。

 彼女は俺たちの視線に乗った感情を非難したが、これが化け物でないならば何に当たるのか、俺にはわからない。


「人間の心臓を食っただと?ふざけろ…!」


 人の道を外れた行いを悪びれもしないステナの態度に虫唾が走る。

 おぞましい姿に竦みそうになってしまう弱い心を奮い立てるため、言葉と口内に溜まった唾を吐き捨てた。


「神にでもなったつもりか化け物風情が!」


 ガルダさんの否定と共に巨大な光の砲台が彼女の背後に形成されていく。

 巻き込まれるかと思い身構えたが、光によって半透明の防護壁が俺の周囲に展開された。


 対してステナは動じずに大鎌を握る。

 彼女が力を込め左腕に青筋を浮かばせると、そこから黒く汚れた魔素が一気に噴出し、鎌の刃が赤黒く怪しく輝いた。


「放て!」


 ガルダさんが腕を前に下ろすと、砲台から光の弾が放たれる。

 轟音と共に放たれた砲弾は直撃の瞬間、赤い刃に真っ二つに切り裂かれ、そのまま俺の背後の壁を消し飛ばした。


「言いたい放題言ってくれるわね。あなたも要らない命を潰し続けた同族じゃない。それに神なんていうつまらない女になったって、私の渇きは満たされないわ」


「阿婆擦れが…!」


 鎌の刃が引っ下げた赤い残光は差し込んだ外光に飲み込まれたが、そこに存在し続けているかのように網膜に焼き付いて離れない。


 ステナの言葉にガルダさんが苦虫を嚙み潰したような表情で苛立ちを晒すと、俺を凡人の世界に取り残したまま二人は命の奪い合いを続けた。


「なんだよこれ…」


 ダメだ、目で追うのが精一杯だ。

 雨のように降り注ぐ光を大鎌が切り裂き、叩き落す。


 二人の能力は異次元に到達しており、戦いに手出しをすれば返す刀で両断され、虫のように即死するビジョンしか浮かばない。


 この女はガルダさんの相手で手一杯になっているわけではない。

 俺に触れる価値が無いと判断したため、放置されているだけだ。


 どれだけ大きい声で吠えても、犬は犬なのだと自覚し始めた俺の体は完全に委縮し、冷え固まっていた。



 ◇



「子供を殺したのについてきてくれないし、殺すわけにもいかないし面倒ね」


 最初は互角に見えた戦いだったが、数分すると差が見えてきていた。

 消耗で息が上がっているガルダさんに対して、ステナは余裕な表情のままだ。


 ガルダさんは俺を守るために壁を展開し続けており、弱い俺が足を引っ張っているのは明白だった。


 どうにか打開できないかと考えてはいたが、割って入るのは無謀だと理解してしまった俺はただ見ていることしかできない。


「最初は楽しかったけど飽きてきちゃったわ。早く魔力を使い切ってくれないかしら」


「心配せずともすぐに地獄に送ってやるわ!」


 油断したステナの右腕が飛んできた光の剣に切断され吹き飛んだ。

 続けて飛んできた数本の剣を左手に持った鎌で撃ち落とすと、腕を再生させた彼女は満足そうに言う。


「予想以上の強さね、王都で食事を済ませておいてよかったわ。使えないも多少の腹の足しにはなるわね」


 俺はその言葉を聞き逃すことはできなかった。


「てめえ、今なんて言いやがった…!?」


 動悸が激しくなる。

 熱を失っていた体に急激に血が巡っていくのが分かる。


「転移者の魔力に反応する貴重な魔石を賢者様から預かっていたのに、捕まって国に押収されるなんて本当に使えない子犬ちゃんだったわ」


 俺の反応に気付いて煽るように言ったステナは不快な笑みを浮かべながらこちらに視線を向けて続けた。


「あら、もしかして子犬ちゃん同士仲良しだったの?きっと私のお腹の中で尻尾を振って、再会を喜んでるわよ!」


 俺の体から青い炎が巻き上がった。

 周囲を取り囲む光の防護壁は粉々に消え去っていく。


「ユータ君!ダメ!」


 俺が叶う相手ではないとガルダさんもわかっているのだろう。

 彼女が黒髪を靡かせながら手を伸ばして止めたが、俺はもう見ているだけではいられなかった。

 

 他人に人生を壊された男が、償いの機会すらも理不尽に奪われたのだ。

 彼の優しさを本物だと信じていた俺は、この世界の惨さを受け入れることはできない。


 なにより、俺の存在が足枷になっている以上どこかで博打を打つ必要がある。

 この憤りが状況を変える最後のチャンスだと訴えるように跳ねる心臓と、思考が止まっていない脳を信頼した。


「クソがあああ!」


 俺は極力感情的に見えるよう声を荒げながら、天井を吹き飛ばす程大きな炎の柱を作り出した。

 

 やはり先程よりも格段に出力が高い。

 最低限相手が回避せざるを得ない火力が必要だったが、これならば賭けは成立する。


 「よく吠えること」


 ステナは蛇のように身体を捩って回避しながら全速力で距離を詰めてくる。

 その目にも止まらぬ速さに、もう驚きはない。

 この女の性格であれば、格下の俺に対してリスクを管理せずに突っ込んでくることは想定していた。


「かかったな、人食いババア」


「!?」


 無防備な姿を予想していたステナの表情に驚きの色が浮かんだ。

 柱の陰で右腕に纏わせておいた青い炎が、遂に訪れた機会に轟々と笑っている。

 

 俺は重心を落とした構えから体のバネを解き放ち、渾身の力で右腕を振り抜いた。


 しかし、意表を突いていたはずの拳に、肉を捉えた感触はなかった。


「惜しかったわね、坊や」


 嘲笑うような声が俺の鼓膜を撫でる。

 ステナはギリギリのところで反応すると軟体動物のような体勢で回避行動を取り、その流れのまま俺の腹に大鎌を突き刺した。


「がはッ」


 大量の血液が体内を逆流し死の感覚が迫ってくるが、飛んでいきそうになる意識を気合だけで繋ぎ止める。

 俺は口に溜まった体液を吐き出しながらも、無理やりに笑った。


「また腹に穴開いちまった」


 針の穴に糸が通り切った。

 不十分な体制で鎌を振らせたため、俺は即死に至らない。

 腹に深々と刺さった大鎌の柄を離さないよう強く握ると、刃を引き抜こうとする力から微量の焦りを感じる。


「やってくれるじゃない…!」


 初めて汗を浮かべたステナは俺の狙いに気づいた様だったが、もう遅い。

 青い炎が一気に全身から湧きだし、鎌を伝って彼女の体に迫る。


「ぐああああ!」


 ステナと俺を青い炎が包み込んだ。

 やっと聞くことができた彼女の余裕のない声を噛み締めながら、天井無しに火力を上げていく。


 俺は魔力が尽きるまで炎を吐き出し、そのまま意識を失った。



 ◇



「ぐああああ!」


 青い炎に焼かれた魔女の叫びが響き渡る。

 余裕を見せていたときの甘い声からは想像できないほど濁った音だ。


 みるみるうちに青い炎は大きくなっていき、部屋を覆い切った。

 光の壁で青い炎を遮ったが、漏れてくる炎は決して私の肌を焼く事は無かった。


「温かい…」


 呟いた私が暫く眺めていると、炎が尽きた。


 ステナの背中からはところどころ骨が見えており、その奥でユータ君が鎌を握ったまま意識を失っている。


 遂に終わったのだ。


 私がそう安堵した瞬間、彼の腹から大鎌が引き抜かれた。

 彼の体が血液を零しながら床に倒れると、ステナは唇の無くなった口を開く。


「しくじったわね」


 信じられない。

 どう見ても生きているようには見えない亡骸のような姿のそれは、未だに息づいていた。


「…どこまで殺せば殺せるのよ!」


「見ての通りよ。もう私にあなたと戦う力は残っていないわ」


 私の言葉に答えたステナが人の姿や衣服の形を徐々に取り戻していくが、明らかに回復が間に合っていない。

 彼女の言葉通り、甚大なダメージを受けているのは明白だ。


 私が止めを刺すために光の剣を形成したのを見て、彼女は鎌の先をユータ君に向けた。


「でも、ここで倒れてる彼を殺すことくらい容易いのはわかるわね?」


 ステナの声は至って冷静だが、先程までの余裕は一切なくなっている。


 きっと今攻撃すれば、確実に殺すことができる。

 ここでやらなければ、一生後悔するのもわかっている。


 しかし、会ったばかりの子供たちを許し、優しさを与えてくれた彼を、子供たちの目の前で殺されるわけにはどうしてもいかなかった。


「なんでよ」


 私は光の剣を消滅させると、もうここで彼女を殺すことはできないのだという事実に脱力し膝をついた。

 この恨みや悔しさを背負ったまま生きていかなければいけないなんて、この世界に神がいるのであればあまりにも理不尽ではないのだろうか。


 そう思った瞬間、少しずつ冷静になり始めていた私は一つの結論にたどり着いた。


 罰だ。


 兵士たちの平等に尊い命を目的のため命令のままに奪ってきた私に対する罰だ。


 子供を幸せにしようと努力を重ねるにつれて、かわいい子供たちの笑顔に照らされて私が幸せになり過ぎてしまったのだ。


 過去に対する後悔と、どうしようもない悲しみが溢れてしまい、戦いを置き去りにして涙が頬を流れた。


「…理解できないわね」


 呟くステナの声色は、今までと違いどこか寂しさを帯びているように感じたが、次に言葉を発した時にはその違和感は消えていた。


「賢者様はあなたの力を求めているわ。彼の悲願が達成されれば子供たちの命を蘇らせてくれるでしょう。これでもついてくる気にはならないかしら」


 おそらく最後になるであろうステナの提案に胸の奥が揺れる。

 身勝手な心が衝動的に返事をしようとしてしまう。


 しかし、私は喉から出かけた答えを飲み込んでから、彼女の溶けかけた目を見て答えた。


「何度も断ったはずよ」


「そう」


 ステナは私に背を向け、倒れているユータ君に視線を移した。


「彼の名前を教えてくれるかしら」


 主導権を握るステナに対して、私に逆らう権利はない。


「ユータよ」


「ユータ…覚えておくわ。今度デートしたいと彼に伝えておいて」


 そう言い残すと、ステナは姿を消した。

 

 無残に破壊された家で私は、どうしようもなく独りだった。

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