第11話 罰
一騒動あったのが嘘のように、平和な朝が訪れた。
ダラクのような廃れた土地にも、朝の陽ざしは平等に爽やかさを感じさせる。
大人数の朝はやはり慌ただしく、子供たちの世話をしながら、俺たちはなんとか自分たちの身支度を済ませた。
昨晩ガルダさんと交わした約束通り朝食を作る手伝いもしたのだが、家事経験のない俺は、むしろ彼女の足を引っ張っていたように思う。
「お腹いっぱい…おやすみ…」
「リリィちゃん、本当にいい食べっぷりだったわ。これは昼ご飯を作るのも楽しみね」
リリィは朝食を食べ終えると膨れた腹を抑えてまたすぐに横になってしまった。
家主であるガルダさんがにこにこ笑っているからいいものの、他人の家でよくもここまで
とはいえ確かに多少の無礼を許す温かさがこの家にはあり、居心地の良さに甘えた俺たちは、ガルダさんの家で昼食まで厄介になることに決めていた。
無駄に時間を消費するわけにはいかないが、不法入国をする算段でいる以上、ルーライトの国境には深夜までにたどり着けば良いため、昼の出立でも早いくらいだろう。
「「「「「お兄ちゃん、遊ぼう!」」」」」
見事に揃った元気な声が、リビングの椅子に腰掛けていた俺を呼ぶ。
ケニー以外の五人はまだまだわんぱくで、朝食後暇になった彼らにズボンの裾を引っ張られると、俺はそのまま広い庭に引きずり出されてしまった。
遊具も何もない場所で説明も無く急遽始まった種目は、プロレス。
食後の腹ごなしには丁度いい、最高のチョイスだ。
標的にされた俺は子供たちの奇襲を受けてすぐにマウントを取られたが、その辺の貧弱な人間共とは、そもそもの鍛え方が違う。
「ぬん」
「「「「「わー!」」」」」
全身の筋肉を奮い立たせた俺は、掛け声と共に青空に向かって五人を持ち上げる。
俺に掴まったまま体を浮かせた子供たちは、大喜びの、大燥ぎだった。
「ガハハハハ…ん?」
子供たちの反応に優越感を覚え豪快に笑った俺の視界に、小さな影が動いていることに気付く。
見ると、真剣な顔をしたケニーが、庭の端っこで腕立て伏せをしていた。
昨日交わした俺との約束を律儀に守って、体を鍛えているのだろう。
彼の真面目さは素晴らしいが、きっと子供の本分は遊びのはずだ。
俺の幼少期とは違い、これだけ周りに遊び相手がいるのだ、体を鍛えるにしても、楽しんで鍛えなければもったいない。
「どりゃ!捕獲!」
「うあ」
俺は子供五人を体にぶら下げたまま、更にケニーを片腕で持ち上げた。
気の抜けた声を上げながらじたばたと足を動かすケニーを愛おしく感じてしまう、自らの父性の蕾を握り潰した俺は、抱き締めるのを我慢して声を張る。
「一人でそんなことをしてないで、六人で戦え六人で!実践あるのみ!」
俺が命令を下すと、子供たちは俺の体から飛び降り全員でじゃれ始める。
ケニーに甘えることができて嬉しかったのか、子供たちは満面の笑みを浮かべていた。
俺が平和な光景を眺めながら両腕に体重を乗せて一息ついていると、籠を持ったガルダさんが後ろから近付いてきた。
「ユータ君、昼食の買い出しに行くから手伝ってくれるかな?」
「勿論です。荷物持ちは任せてください」
ガルダさんの誘いを二つ返事で了承した俺は、寝ぼけていたリリィをなんとか起こすと、彼女に子供たちを任せてから門扉の鍵を閉め、二人でダラク唯一の市場に向かった。
思えばこの時、遠くの空に揺蕩う黒雲が、静かに此方を覗っていた。
◇
「なんだかデートみたい!若返っちゃうわ!」
頬を少しだけ紅潮させたガルダさんが、俺の腕にしがみ付いて騒いでいる。
柔らかい感触に緊張してしまう俺の感情を他所に、本人は至って気楽そうだ。
明るい彼女の表情と荒廃したダラクの風景との対比が凄まじく、この人が周囲の幸せを吸収しているのではないかと疑ってしまう程だ。
ガルダさんの若々しさに少し呆れながら暫く歩いていくと、柵に囲まれた市場の姿が見えてきた。
「…凄い。思ったよりちゃんとした市場なんですね」
見えてきたダラクの市場は小さいものの、周囲の渇いた景色から浮いてしまう程、一般的な街と変わらない装いをしており、店頭に並べられた商品が盗られてしまわないか不安になってしまう。
「商品が心配?でもね、きっとここがダラクで一番安全な場所よ」
「へえ、どうしてですか?」
「元傭兵の店員さん達が協力して窃盗犯を捕まえ続けたから、市場での犯罪が殆どなくなったらしいのよ」
心配を読み取ったガルダさんは、俺の疑問にも答えてくれた。
確かに彼女の言った通り、市場の店員はどいつもこいつもやけに筋肉質だ。
こんな人間が相手では、痩せ細ったダラクの民では手も足も出ないだろう。
「男連れなんて珍しいな、姉ちゃん!」
野菜売りの店員がガルダさんを見て話しかけてきた。
顔に大きな傷が入っており、迫力満点な風貌はおよそ堅気の人間には見えない。
「そう、彼氏ができたの!」
「嘘つけ!兄ちゃん若すぎだろ」
「どういう意味?」
少し低まったガルダさんの声は、店員と俺の全身に鳥肌を立てさせる程恐ろしい。
昨日は自身の事をおばさんと呼んでいたが、他人に年齢のことを言われるのは違うようだ。
彼女は店員の失言を理由に、おすすめの野菜を値切れるだけ値切ると、満足そうに次の店に向かった。
搾り取られた店員はほろりと泣いていたが、俺は見て見ぬ振りをして、その場から離れる。
このように、顔を見知った店員たちとちょっとした会話を繰り返しながら、ガルダさんが市場を一周する頃には、食材が籠一杯になっていた。
「ふー、買った買った。帰りましょ!」
指を組んで前腕の筋を伸ばしたガルダさんは、満足そうに言った。
ガルダさんがパンしか食べて無いという、ケニーの訴えがあったため、貧さに苦しんでいるのかと思っていたが、財布を覗き見る限り彼女の稼ぎは立派で、六人の子供たちが満足する程度には食材を購入できている。
寧ろ、この稼ぎを生み出すための、忙しさの方が問題だということなのだろう。
俺は一泊の感謝の気持ちとして、どこかで支払いをしたかったが全てガルダさんに拒否されてしまい、仕方なく鞄に入る限界まで子供が好みそうな菓子を買っておいた。
後のできることは、重くなった荷物の七割を受け持つことくらいだ。
「ユータ君って、見た目より力持ちね。カッコいいぞ」
帰り道もガルダさんは変わらず笑顔だった。
たとえ家で待つ子供たちとの間に血の繋がりが無くとも、彼女は母親としての疲れを苦にもせず、寧ろ喜びに溢れている。
帰り道に響く彼女の鼻歌が、曇り始めた空も晴らしてしまいそうだった。
ガルダさんと子供たちの深い絆の正体を知りたかった俺は、揺れる背中に問いかける。
「あの子供たちとはいつ出会ったんですか?」
「戦争を終えてここに帰ってきた私が、ダラクで住む家を探していた時にね、あの土地に住み着いていたケニーと出会ったの。泥で真っ黒だったから、最初はお化けかと思っちゃった!」
「それはそれでかわいいかもしれないな」
「そうなのよ!ジルは市場の前、レナはゴミ溜め、ジョンは病院の裏、ルイは河原、キャミーはタバコ屋の前に。全員、別の日に別の場所で倒れていたわ。みんな両親を失った、あるいは捨てられた子たちよ」
それは寂しい話にも思えるが、ガルダさんの声の成分の大半は、明るさで構成されていた。
彼女が出会った瞬間を思い出し、懐かしんでいるのがこちらにも伝わってくる。
「子供たちはね、私の作るスープが大好きなの。スープに入っている野菜なら、ケニーだって美味しいって言ってくれるのよ!」
子供の事を話しながらはにかんだ彼女の髪が、大きく揺れた。
暗くなっていく空模様も、彼女の眩しい笑顔の邪魔はできないようで、雨粒は落ちてこない。
こんな母親が世の中に存在しているという事実に、思わず俺は、複雑な気持ちの一部を漏らしてしまった。
「羨ましいな」
生まれてから今に至るまで、母の料理など食べたことが無い。
もしそれを頬張ることができたなら、顔も知らないシェフが作る高級料理なんかより、どれ程美味しく感じられるだろう。
そんな哀れな妄想に浸っていた俺は、決してガルダさん自身の立場を羨んでいたわけではなかったが、勘違いした彼女の素直な返事が返ってきた。
「そうでしょ!あんなかわいい子たちに恵まれて、私は本当に幸せ者だわ!」
嚙み合わない会話を修正する気にもなれないような心からの笑顔を浴びて、家族の尊さとはどういうものなのかを、俺は少しだけ理解できたような気がした。
この萎びた土地には俺が得られなかった幸せが確かに存在しており、それに触れることで人としてのステップを踏むことができる。
リリィに移動方針を強制されたせいで訪れた場所だったが、結果的に素晴らしい経験ができたことに、俺は満足していた。
しかし、俺の心を包み込んでいた生温い空気は、衝撃的な事態によって破られる。
遠くに見えていたガルダさんの家から一筋の光が上がった後、爆音が鼓膜を揺らしたのだ。
瞬間、山程買った重たい荷物が、道の上にばたばたと放り捨てられる。
中に入っていた卵が割れる音がしたが、俺もガルダさんもそんなことは気にも留めない。
荒れた地面を全力で蹴りつけると、行きがけに閉めておいた門扉の錠の錆びた部分が、破壊されているのが見えた。
俺たちは不安に駆られながらも、それに抵抗するように門扉を勢いよく走り抜ける。
遂に家の前に辿り着くと、玄関の扉は斜め三十度くらいの角度で真っ二つに破壊されており、先程光を放った二階からは、炎が上がっていた。
「ケニー!ジル!レナ!」
ガルダさんは子供たちの名前を叫びながら迷わず家の中に飛び込んでいき、当然俺もその後を追った。
中に入ると、奥にある二階に向かう階段の下に、傷だらけで血を流したリリィが倒れているのが見えた。
俺は急いで彼女に駆け寄り、極力傷に響かないよう、優しく肩を揺する。
「おい!一体何があった!」
「早く…二階に…」
薄れた意識の中でそれだけを言うと、限界を迎えたリリィは気絶して項垂れてしまった。
彼女の指示に嫌な予感は更に膨らみ、冷や汗が俺の頬を伝う。
視線を合わせた俺とガルダさんは、リリィをその場に寝かせてから、縦に並んで階段を駆け上がる。
二階に上がり切ると、奥の寝室を仕切っていたはずの木の壁がぶち抜かれており、大きな一部屋の間取りへと変化していた。
壁からは炎が広がっており、舞い上がる煤煙で見通しが悪い。
子供たちの安否を確認するには、前に進むしかなかった。
「ケニー!みんな!返事をして!」
ガルダさんが焦りをはらませた声で呼びかけたが、やはり返事は無い。
見開かれた彼女の瞳は瞬きをしないせいで渇き、呼吸は落ち着かなかった。
そんな気を保つのに精一杯の彼女を煽るように、壁に空いた穴から強風が吹き込んだ。
そのおかげで手前の煙が晴れると、そこには昨晩玄関に訪れた紫髪の女性が、身の丈よりも大きな銀色の鎌を背に、すらりと立っていた。
「待っていたわ。我楽多の魔術師さん」
そう言った紫髪の女性が赤いリップに包まれた自らの唇を触る仕草は、余裕一杯だ。
この状況で笑みを湛えることができるのだから、騒動の元凶が誰であるのかは考えるまでもなかった。
彼女はお目当てのガルダさんの横に立っている俺の事など、一切眼中にないようで、それを感じ取った俺は、少しだけ抱いた苛立ちを露わにした。
「振られた次の日にしつこいんだよ、露出狂!」
強い言葉を使って呼びかけると、女は楽しそうに笑う。
彼女の体は女性らしさに溢れており、なぜ彼女が筋肉質な男の前で自信満々で居られるのか、いまいち理解ができない。
可能性として優秀な魔法使いである線も考えたが、背中に光っているのは杖では無く、扱えるとは到底思えないようなサイズの鎌だ。
「威勢のいい子犬ちゃんね。…私はステナ。ちゃんと名前で呼んでくれなきゃ嫌よ」
「他人を犬呼ばわりしておいて、勝手な事言ってんじゃねえ!」
ステナの舐めた態度と子供たちの安否への不安に、我慢の限界が来た俺が叫ぶと、待っていたかのように青い炎が噴出し、燃え盛る。
女の貧弱そうな細い体を根拠に接近戦を狙った俺は、三発の炎弾を形成して女に向かって放ち、その弾を盾にして全速力で駆け出した。
「あら」
しかし、路上に生えた蒲公英でも見つけたかのような声を漏らしたステナは、目にも止まらぬ速さで巨大な鎌を振り回すと、炎弾を的確に切断してしまった。
割れた炎の間から覗く彼女の表情に、焦りの色は微塵も存在しない。
「何が起きて…!」
どう見ても、人間に可能な動きではない。
今までに対面したことのない、生物としての根本的な差を感じるような圧倒的な力を見せつけられた俺は、敵の目前なのにも拘らず、怯んで硬直してしまった。
「あなたも転移者なのね。これはラッキーだわ。でも、今は子犬ちゃんの相手をしている場合じゃないの」
そう言ったステナは、躊躇なく鎌を振り下ろす。
すんでのところで刃を躱すも、流れるように固い柄を腹に突きつけられ、俺の身体は背後の壁まで吹き飛ばされた。
「がはッ」
「ハウスよ。そこで大人しくしてなさい」
ステナに躾けられた俺はすぐに立ち上がろうとしたが、衝撃をもろに肺に受けたせいで、呼吸が上手く整わない。
そんな何もできない俺を庇うように、ガルダさんが前に出た。
「ちゃんとお断りしたはずよ。私は母としてここを離れるわけにはいかないの!邪魔するって言うのなら、覚悟してもらうわ」
昨晩と同じように、ガルダさんは強気な姿勢を崩さない。
ステナの尋常ではない動きを見ても、それに怯え屈することは無かった。
きっと、母としての強さが彼女を支えていた。
「フフフ、そう言うとは思っていたわ。でも、嘘をつくのは感心しないわね」
わざとらしく困ったような表情をしたステナは、その一瞬一瞬を味わいながら、ゆっくりと口角を釣り上げる。
そこに完成した悪魔的な笑みは、背筋が凍り付くような、最悪な歪み方をしていた。
「もうあなた
「「………!」」
ステナの言葉を聞いた瞬間、何かを察したガルダさんは形振り構わず部屋の奥に向かって駆け出し、普段より強く踏まれた古い床が大きな声を上げる。
その隙だらけの横っ腹を攻撃されてもおかしくはなかったが、ステナには無防備に横切る彼女を止めようとする素振りすらない。
ただただ、その場でその瞬間が待ちきれないと言った、恍惚とした表情を浮かべていた。
みっともなく狂ったように走るガルダさんが立ち込める黒煙を越え、瓦礫の陰に辿り着くと、何かを見つけた彼女はその場でふらりと立ち尽くした。
時が止まったかと思う程に重苦しい数秒後、部屋に絶望が木霊する。
耳を劈いて脳を揺らすような悲鳴に、俺は歯を食いしばって下を見ていることしかできなかった。
全ては、手遅れだったのだ。
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