第10話 壊れた魔法使い

 少し赤みがかってきた日の光が壁に立ち並ぶ試験管に反射して眩しい。

 窓の外ではリリィと子供たちの元気な声が響いており、それを微笑ましく感じたのか、ガルダさんは優しい表情で外を眺めている。


「ここでは何を?」


 俺はここに来た時から気になっていたことをガルダさんに質問した。

 この家を見渡すと、一般家庭には必要のない物がこれでもかというほど視界に入ってくる。


「私は国から依頼された魔法研究をして対価をもらっているの。今は属性を混ぜ合わせる合成魔法について研究しているわ」


 彼女は両手を胸の前で広げると、手のひらの上で水を熱し電気を混ぜ合わせ、ミニチュアの雷雲を作った。

 雷雲は五秒ほどテーブルの上を彷徨ってから消滅する。


「国からっていうと、メドカルテですか?」


「いいえ、ルーライトからよ」


 メドカルテにあるスラム街で、別の国に頼まれた研究をしているという状況を不思議に思ったのが表情に出ていたのだろう、彼女が察して続けた。


「私は十五歳の時にダラクに転移したわ。ダラクで苦しんで死んでいく子供たちの存在を目の当たりにして、いつか手の届く命だけでも救いたいと思った。それから猛勉強して身に着けた魔法技術が評価されて、十八歳になった日にルーライトの国立魔法学校に研究生として招待されたの」


 ガルダさんはもう一度窓の外を眺め始めた。

 温かい瞳に家族を映す姿は、俺が想像する母親そのものだ。


「私はそこから十年でルーライトの中でも有数の魔法使いになることができた。そのおかげでここで親を亡くしたあの子たちの世話をしながら研究をする自由を貰っているわ」


 自分の能力や判断への自信からか、経緯を語るガルダさんは堂々としている。

 俺はせっかくの出会いを生かさない手はないと思い、気持ち良く光る彼女の目を見た。


「もしガルダさんがよければ、魔法についていくつか聞いてもいいですか?」


「もちろんよ!おばさんにいくらでも聞いて!」


 嬉しそうに微笑んだガルダさんの細い指から黒髪が零れた。

 正直に言ってしまうと、窃盗の被害者になったことでトップレベルの魔法使いである彼女に対して優位になった状況を幸運に感じていた。

 俺はケニーに感謝しながら、ガルダさんに問いかける。


「火炎魔法を使うんですが、威力がその時々で全く違うんです」


「火炎魔法というか、あれは転移者の特異魔法よね」


「特異魔法?」


 転移した日にセドリクに受けた説明にも無かった言葉だ。

 初めて聞いた言葉を聞き返すと、すぐにガルダさんが腕を組む。

 細い腕ではあるものの、どこか頼りがいのある腕だ。


「転移者は特別な魔法が使えるようになることがあるの。科学的には解明されていないけど、魔法を学ばずにこの世界に立つことへの保険なのかもしれないわね」


「じゃあ、俺が転移者だってことはバレてたんですね」


「そうじゃなきゃ自分が転移者だなんて明かさないわ」


 言われてみればその通りだ。

 この世界では差別の対象になっているのだから、自ら申し出るのはかなりのリスクがある。

 人前で闇雲に特異魔法を使うのは控えた方が良いのだろう。


「魔法の威力は知識と感情の掛け算で決まると言われているわ。頭が良い人がイメージを固めて、思いを込めて撃てば強い魔法になる」


 指を杖に見立てて説明するガルダさんの姿はさながら教師のようだ。

 彼女の様な先生が相手だったら、薄暗い屋敷での勉強ももう少しは楽しめたかもしれない。

 

 俺はどうでもいいことを考えながら、彼女の言葉の気になる点を拾い上げる。


「知識と感情…だいぶざっくりですね」


「そう。ここで考えを止めるべきじゃないわ!」


 掘り下げるように促されたのが嬉しかったのか、ガルダさんの声の高さがワントーン上がった。


「知識と言っても、いろいろあるわよね。これは公式な情報ではないけれど、重要なのはおそらく『現象に対する仕組みを深く理解する』事よ」


「現象に対する仕組み…」


「例えば火炎魔法をイメージする際に重要なのは、火が燃える仕組みや、火とは何なのかをどこまで理解しているかが重要になるの。だから知識と言っても、火にまつわる神話とか、そういう周辺知識は重要じゃないってわけ」


 この理論であれば文化レベルの高い元の世界で徹底的に知識を付けた俺に優位性があるのも納得できる。

 彼女の説明がかなり腑に落ちた俺は、もう一つの更に曖昧な要素に話題を進めた。


「あとは感情ですよね」


「感情に関してはまだまだ私も理解が及んでいない部分が多いわ。ただ一つはっきりしているのは、私たち転移者だけが発現する特異魔法だけは、感情が更に重要な要素になっていることよ。…感情が噛み合ってしまえば、人間なんていとも簡単に殺せるわ」


 彼女の最後の言葉にはどこか寂しさや後悔を感じたが、俺は無理に深くは聞かないことにした。

 魔法の理解を進めてくれただけでありがたいのに、彼女の闇を無理やり聞き出すような不義理はしたくない。


「そういえば、ガルダさんも扉の中で『意思』と会ったってことですよね。あれは何なんですか?」


 話が一段落したところで、聞いておくべき話をふと思い出した俺は遠慮せず問いかけた。

 すると、俺の質問を聞いたガルダさんはすぐに首を傾げる。


「『意思』?何のこと?」


 全く伝わる気配がなく、困惑してしまう。

 とぼけているのかと思ったが、ガルダさんの表情は何の話をしているのか見当もつかないときのそれだった。


「いや…あんなの忘れようがないじゃないですか!あのクソむかつく態度の化け物ですよ!」


「私は扉に入った後意識を失って、ダラクで目が覚めたの。扉の中で誰かと話したりはしていないわ」


 話が噛み合わないことに必死になる俺を見て、ガルダさんは落ち着かせるように冷静に返答した。


 やはり彼女が嘘を言っている様子はない。

 だとすれば俺が見たものは一体何だったのだろうか。


 魔法について理解が進んだ一方で、深まってしまった転移の謎に思考が深まっていく。

 そうして暫く自分の世界に入っていた俺を、明るい声と手を叩く音が引き戻した。


「さて、そろそろ日が暮れるわね。ご飯にしましょ!」


 我に返った俺はガルダさんと同じ方に目を向けると、泥で汚れた子供たちとくたくたになったリリィが帰ってきていた。



 ◇



「「「「「ごちそうさま!」」」」」


 大家族の食卓は初めての経験だ。


 子供たちはテーブルに並んだ大量の料理を小さい体に全力で吸い込み、一瞬で食べ終わると風呂に入るため外に消えていく。


 俺とリリィはその勢いに圧倒され出遅れてしまったが、残っていたのは俺たちだけではなかった。


「………!」


 テーブルの隅に座ったケニーが、覚悟を決めた顔で野菜を食べていた。

 

 今までは残していたのだろうか、それを見ていたガルダさんは感動して涙を流し、共感したリリィまで涙目になっている。

 とんでもない親バカ集団である。


「先に風呂いただきます。行くぞガキ」


 俺はペースを合わせて食べ終えると、ケニーを鷲掴みにして一緒に風呂場へ向かった。


 裏口から屋外に出ると、大きな湯舟のみが複数個並んでいる。


 水を張るのも過熱もガルダさんが魔法で行っているらしく、魔法の便利さと彼女の器用さには感心してしまう。

 

 この廃れた街で風呂に入れることはきっと当たり前ではない。

 それを思うと、湯船ではしゃぐ子供たちの笑顔は特別なものに感じた。


 俺はケニーと一緒の湯船からお湯を掬い体を洗うと、同じ湯船に浸かる。

 相変わらず黙ってこっちを見ている彼の瞳に押し負け、渋々俺から話しかけた。


「お前、野菜嫌いなんだな」


「…美味しくない」


「でも食えたな。ガルダさん喜んでたぞ」


 俺の言葉を聞いたケニーの表情は嬉しそうにも何も変わっていないようにも見える。

 そのまま少し湯気を吸って落ち着いていると、ケニーの方から話しかけてきた。


「…ほんとはガルダが凄い人なのは知ってるんだ。でも、僕たちのせいでこんな街で暮らしてる」


 ケニーの口から湯船に張った湯に零れたのは、自責だった。

 きっと彼の内面は多少大人びており、そのせいで早い自立を意識し過ぎているのかもしれない。

 その結果蛮行に走ってしまうのはなんともお粗末だが、彼らの経験の中には生きる術がそれしかないことを物語っている。


「どれだけ世話になっても大丈夫だ。お前が生きているだけで喜ぶ、そういう人だろ。ゆっくり大人になって、それから守ってやればいいんじゃないか?」


 俺の言葉を聞いたケニーは、もう少しだけ深く湯船に浸かった。


 じいちゃんは今どこで何をしているのだろう。

 俺が見つけるまでちゃんと生きていてくれるだろうか。

 そう思い湯気越しの空を眺めると、ケニーの焦る気持ちが少しだけ理解できた。



 ◇



 深夜、子供たちと川の字で寝ていた俺は蹴りを顔面に喰らって起こされた。

 子供という生き物は寝相が悪過ぎる。


 俺は起こされがてらトイレに行こうと一階に降りると、玄関の明かりが点いていることに気が付いた。


 気になった俺が歪んだドアの隙間から覗くと、玄関先でガルダさんが紫髪の長身の女性と話しているのが見えた。


 訪れた女性は服とは思えない程に露出の多い黒い服を着ている。

 履いている靴も、何とも歩き辛そうな真っ赤なハイヒールだ。

 あの服装でよくスラム街を出歩けたものである。


「私たちと共に行きましょう。賢者様はあなたの才能を高く評価しているわ」


 聞こえてきた会話の中に賢者という名前が出た瞬間、一気に血が回り目が覚める。

 愛されし者の構成員がこんなところにも足を伸ばしてくるとは想像もしていなかった俺は、寝間着のままその場で身構え、暫く様子を窺うことにした。


「…買いかぶり過ぎです。今はもうただの母親ですから」


「フフフ…そんな面白い冗談を言わないで。あなたの噂は聞いているわ。さん」


「………!」


 女性の言葉をきっかけにガルダさんを包む雰囲気が変化すると、その場に一気に緊張感が張り詰め空気が揺れる。

 それと共に薄汚れた床や壁は軋んで嫌な音を立て始めた。


「凄い殺気…これが我楽多の魔術師…!この才能をちんけな場所で腐らせるべきじゃない。賢者様もあなたの力をきっと気に入るわ!」


 これほどの殺気を前にしても、女性は楽し気に笑っている。

 突如として生み出された異常な状況に気圧され、俺の体は凍り付いてしまっていた。


「私には守りたいものができたの。子供たちが巣立つまでは、ここに居たい。だからあなたの誘いはお断りさせていただくわ」


 ガルダさんが断り直すと、更に彼女の放つ殺気が増した。

 見ると、大気中の魔素が光り輝き彼女の周囲に集まってきている。

 その様子は、彼女の圧倒的な力に怯えた魔素が、自らの意思で付き従っているようにも見えた。


「フフフ、あなたの言い分はわかったわ。また会いましょう」


 そう言った女性は恐れる様子もなく背を向けると、ハイヒールの音を響かせながら玄関を出て行った。

 扉の閉まる音が響いた瞬間張り詰めた殺気は消え失せ、ガルダさんが膝から崩れ落ちた。


「ガルダさん!」


 俺がすぐに駆け寄り肩を貸すと、脱力した彼女の体は見た目より重く感じた。



 ◇



「ごめんなさい。怖いところを見せちゃったわね」


 二人分のミルクを持ったガルダさんが戻ってきた。

 立てるようになるとすぐにキッチンに向かったので心配したが、どうやら大丈夫そうだ。


「愛されし者…俺も一度声をかけられました」


「虱潰しに転移者に声をかけてるのかしら。こんなおばさんに声をかけるなんて余程人が足りないのね」


 この人がただ者ではないことは火を見るより明らかだ。

 俺が冗談の返事に困っていると、それを見た彼女は苦笑いを浮かべた。


「私はルーライトにいた十年間、研究だけをしていたわけではないの」


 諦めたように話し出したガルダさんの黒い瞳の上でキャンドルの炎が悲しげに揺れている。

 極力淡々と話そうと努めた彼女が組んだ指には、少しだけ力が籠っていた。


「八年前、ルーライトは北に位置するアシュガルドと二年の間国境付近で争っていた。魔法が得意だった私にも当然招集がかかったわ。…私は初めての戦場で恐怖に支配され、特異魔法のコントロールができず暴走してしまった」


「暴走…ですか?」


「周囲の敵を過剰な威力の魔法で殺し、更には味方さえ巻き込んで傷つけてしまったの。その結果、兵士たちはダラクから来た私を我楽多の魔術師と呼ぶようになったわ。大勢の味方を巻き込んだ皮肉を込めてね」


「同じ国を背負った仲間なのに、許せねえ…」


 俺が吐き出したのは素直な気持ちだったが、ガルダさんは自分を甘やかすような言葉には耳を貸さず、長い睫毛を閉じた。


「いいえ、ぴったりなの。今思えば私の倫理観は壊れていたわ。スラムの子供たちを助けるという目的のために国の信用を求めて、命令のままに戦場に出て、アシュガルドの兵士の命を奪った。私は傲慢にも、命の選別をしたのよ」


「そんな言い方…!」


 俺は言葉に詰まってしまった。

 様々な相手に人道的であるべきだと口に出し訴えてきた過去の自分が、言葉を紡ぐ邪魔をしたのだ。


「でも、選んだ道だからこそ私はあの子たちを幸せにしてあげたい。私の全てで彼らの未来と今をより良いものにするわ」


 そう語るガルダさんの表情はまだ悲しそうだったが、同時に少しだけ幸せそうにも見える。

 想像もできない過酷な経験を思い返す彼女に対して、年端もいかない今の俺に言えることはもうなかった。


「…明日の朝飯の支度は手伝います。こき使ってください」


「ふふ、ありがとう」


 俺は二人分のマグカップを片付け明かりを消し、寝室に戻る。

 ぐっすりと眠る子供たちの寝顔が少し羨ましかった。

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