第三章

第9話 我楽多の街

「絶対近道で行くわ!絶対よ!」


「なんでだよ!馬車で迂回した方が楽だろ!」


 グランシア大陸最北に存在する、戦士の国アシュガルドを目的地とした俺たちは、早朝の街中でみっともなく言い争っていた。


 メドカルテの北部にあるスラム街『ダラク』を徒歩で抜け、入国制限の掛かっている『魔法の国 ルーライト』に密入国して無理やり通り抜けるという直線のルートと、教会のあった『宗教の国 シン』に向かって馬車で東に迂回してから北上するルートの二つがあり、何故かリリィはシンを通るルートを極端に嫌がっていた。


 教会での一件を思い出したくないのかもしれないが、危険な上に罪を犯す前提のルートを選ぶなど正気の沙汰ではない。

 当然断固として反対だった俺は、対話を諦め強硬手段に出た。


「話にならねえ。もう俺だけで馬車に乗る」


「絶対行かせないわ。金貨は私が持ってるのよ」


 いつの間にか、俺がパトリックからむしり取った金貨の山が人質に取られていた。

 とんでもない女である。


「…なんでそんなにシンを通るのが嫌なんだよ!お前のばあちゃんの墓参りも行けるぞ!」


「なんでもよ!おばあちゃんにはそのうちちゃんと会いに行くからいいの!」


「…はあ、何なんだよ全く」


 どれだけ問い質しても頑なに理由すら口にしないリリィの様子に、遂に俺が溜息を吐いて降参を示すと、彼女は得意気に口元を歪める。

 こうして直線で北上するルート取りを仕方なく受け入れた俺は、ダラクに向かって歩き出した。


 いざ異世界のスラム街に行くことが決まってしまうと、未知の冒険に心が躍っている自分もいたが、それがリリィにバレてしまうのは癪だったため、表情に出さないよう注意して歩く。

 一番の問題点について釘を刺しておかなければいけない事を思い出した俺は、足を速めて少し前を歩いていた彼女に並んだ。


「そういえば、ルーライトへの入国の手筈はちゃんと考えとけよ。お前がやるって決めたんだからな?」


「舐めないで欲しいわね。当然考えてあるわ」


「ほう。で、どうすんだよ」


「強行突破よ」


 それは密入国ではない。



 

 ◇




 整った街並みを見せていたメドエストの周辺から、馬車に乗り数日かけて北上していくに連れ、少しずつ通過する建造物や窓から見える人々の様子に、治安の悪さが浮かび上がっていく。


 馭者の話によると、メドカルテはとにかく貧富に偏りがあり、メドエストの周辺以外はかなり荒廃してしまっているらしい。

 この国に来た当初では想像できなかっただろうが、パトリックの人間性を知った今では納得できる。


 数時間経ち馬車が走れる限界で降ろしてもらうと、そこは廃材が積み重なった大きな門の前だった。

 王都に比べて強く人の力を感じる門やその先の建造物に圧倒された俺は、思わず唾を飲んでしまう。


「お客さん、悪いことは言わないから今からでも考え直しな。ダラクは大陸の中でも有数のスラムだ。中で何が起こるかわからないぞ」


 馬車の中でも何度も忠告してきた馭者が、下車してもまだ心配そうに繰り返した。

 それほど誰も立ち入らない場所ということなのだろう。


「ありがとう」


 感謝だけを言葉にして金貨を渡すと、馭者は諦めたように帽子を深く被り、来た道を引き返していった。

 軽快な馬の足音を背に廃材の山を一瞥した俺は、リスクを分散させるために、金貨の半分を詰めた財布をリリィに投げた。


「いつ襲われたっておかしく無い。気を付けろよ」


「言われなくても分かってるわ」


 取り澄ましたリリィがそれを鞄に入れたのを確認してから、俺たちは大きな門を潜った。




 ◇




 ダラクに入ると一気に鬱屈とした雰囲気になり、形容しがたい異臭が鼻を突く。

 リリィも間違いなく感じていたはずだが、それに一々反応するのは下らない気もして、結局お互い何も言う事は無かった。

 

 歩きながら辺りを見渡すと、ボロボロの布切れを纏った人々が、家とは言えないような建物にもたれ掛かったままこちらに手を伸ばしてきた。

 

「なあ、余所者だろ?少しで良いから恵んでおくれよ」


「病気なんだ、頼むよ」


 注射痕を大量に残した物乞いに何度も声を掛けられるが、視線を合わせずに無視を決め込む。

 きっと彼らにどれだけ何を恵んだとしても、それを元手に楽になるための薬を買うだけだろう。

 

 そのまま俺たちが更に深くまで暫く歩くまでに、いつの間にか空には雲が溜まっていき、そして突然強い雨が降り注いだ。


「運が悪いな」


 呟いた俺が周囲を見渡すと、蠢いていた住人たちがいそいそと廃材の中に消えていくのが見える。

 流石に雨風程度は凌げる場所を用意しているらしい。


 そんな彼らと違って屋根も傘も無い俺たちは、雨宿りをするために目に付いた大木に向かって走る。

 大急ぎで木の下にたどり着くと、そこには小さな先客が立って居た。


「………」


 伸びきった茶髪が目立つ少年は、物珍しそうに俺とリリィの顔を見上げている。

 決して高価なものというわけではないが、服の形をした服を着ている時点で、ダラクの住人の中では真面な身形をしているように感じられた。


「邪魔するぞ」


 簡単に挨拶をした俺は、少年の返事を待たずに大木に寄り掛かる。

 一息吐く俺の横では、杖に触れたリリィが魔法で熱風を起こし、ローブを乾かし始めていた。

 

 こうして応用を利かせれば日常生活に役立てることもできるのだから、便利なものだ。

 もし元いた世界に魔法が存在していたならば、テレビも洗濯機も冷蔵庫も、生まれて無かったかもしれない。


「君も濡れてない?」


 どうでもいいことを考えていた俺の横で、優しい声色で少年に話し掛けたリリィが、彼の濡れた服に熱風を当てようと屈む。

 普段の彼女とは違った一面に少しだけ俺が感心したその瞬間、無言のままだった少年の口元が、ニヤリと動いたのが視界に入った。


「馬鹿、油断しすぎだ!」


「え!?」


 注意を促すのが一瞬遅かった。

 いや、実際俺の叫びは、自分に言い聞かせるために発したものだったのかもしれない。

 

 声の内容がリリィの脳に伝達するより前に、既に少年の小さな腕が、リリィの持っていたポーチを目にも止まらぬ速さでひったくってしまっていた。


「待て!」


 俺は少年の背を全速力で追いかけるが、雨でぬかるんだ地面が足を引っ張ってくる。

 直線の間は距離が埋まったが、入り組んだ街中に入ると、トタンや木材をアスレチックのように潜り抜けられ、簡単には捕まえることができない。


「クソッ、ちょこまか動きやがる!」


 苛立って文句が口を突いたが、慣れてくると冷えた体の中で鳴りを潜めていた運動能力と集中力がやっと機能し始めた。

 難度が上がっていくパルクールに、いつの間にか視界が加速し、みるみるうちに少年との差が縮まっていく。


「…外の人間なのに!」


 焦りからか、黙っていた少年が遂に口を開いた。

 そして、遂に彼の衣服に手が届きそうになったその時、集中し過ぎた俺は鉄パイプに躓いて木材に顔面から衝突した。


「あちゃ~」


「………フッ」


 やっと後ろから追いついたリリィが、いたたまれなさそうに頭を抱える。

 少年に至っては、倒れた俺を見下しながら静かに鼻で笑っていた。


 その笑い声が引き金となり、とうとう俺の血管が弾けた。


「ガキが!ぶっ殺してやる!」


「ちょっと!ほんとに死んじゃうって!」


 俺が青い炎を両手の中に展開し始めたのを見て、焦ったリリィが制止するよう呼び掛けてくるが、最早知った事ではない。

 青い炎か俺の浮かべた鬼の形相のどちらかにに怯える窃盗小僧に向かって、俺は炎を放った。


「正義の炎じゃ!くたばれ!」


「ひーん!」


 涙目で身構えた少年を追いかけるように炎が走ったが、加減した炎は雨によって減衰し、そして消滅してしまった。

 炎が掻き消される音が余りにも虚しく、俺の額から生えた角も思わず引っ込んでいた。


「あんた、無力ね…」


「アハハハハ!」


 絶望し膝をついた俺を見てリリィは憐れみ、少年は腹を抱えて爆笑している。

 その姿を恨めしく見ていると、少年の背後から、合羽を着た女性が足音を立てずにそろりと現れた。

 

 女性は先程の俺を大きく上回る迫力の形相で、躊躇なく拳骨を振り下ろす。

 音が聞こえる程の威力で頭を殴られた少年がその痛みに耐えられるはずも無く、当然彼はべそをかき始めた。


「えーん!」


「ケニー!また盗みを働いたのね!」


「ガハハハハ!ざまあみろ!」


 現れた女性が母親か誰だかは知らないが、気持ちの良い大逆転に、今度は俺がふんぞり返った。

 しかし、リリィの手によって拳骨は平等に降り注ぐ。


「なにむきになって魔法撃ってるのよ!」


「すいません」


 クソガキ両成敗だった。


 


 ◇




 ダラクの中で一泊する必要があった俺たちは、雨宿りも兼ねて女性と少年の家に招待された。


 元々は野宿をするつもりだったが、ちゃんと謝罪と罪滅ぼしをさせて欲しいと、真摯に頭を下げる女性の姿を見て、断る気にはなれなかったのだ。


 彼女の家は少し開けた場所に建っており、他の家と似たような素材で作られてはいたが、精巧に組み上がった大きなものだった。


 玄関を潜るとそこには試験管やビーカーなどが大量に並んでおり、見たこともないような機械すら存在している。

 薬か何かの研究を行っているのだろうか。


「もう絶対にしないでって言ったでしょ!なんで守れないの!」


 女性が案内して俺たちをテーブルに着かせると、木の板で作られた床の上では激しい説教が始まった。

 母親のように怒る女性は、ケニーとは似つかない真っすぐな黒髪であり、そこには何とも言えない包容力を感じる。

 身長はそれほど低くはないが華奢な体つきをしており、大人にも可愛らしくも見える人だった。


 ケニーは少しの間、答えたく無さそうに長い髪をいじっていたが、女性の真剣な眼差しを見て、諦めたように口を開いた。


「ガルダ、今日もパンしか食べてない。僕たちはパン食べて、ガルダのスープと、牛乳だって飲んでるのに」


 泣きじゃくったケニーが、拙い言葉で盗みの理由を白状した。

 どうやらガルダと呼ばれた彼女は、過酷なスラム街で子育てをするために相当な努力をしているらしい。

 しかし、余所者の俺たちがなんとなく抱いたそんな感情などには見向きもせず、ケニーの未来だけを考えたガルダさんは、彼の肩を優しく掴んだ。


「それでも、誰かの物を奪って生きるのはいけない事なの。わかるでしょ」


 視線を一切曲げないガルダさんの言葉に込められた愛は、きっと幼いケニーの心にも届いており、納得した彼は何度も頷いた。

 そして、最後に促されたケニーは、鼻水を啜りながら俺たちの前までとぼとぼと歩いてきた。


「お兄ちゃんもお姉ちゃんもごめんなさい」


「許さん」


「え」


 二つ返事で許すつもりだったリリィが、即答した俺の方を見て愕然としていた。

 あまりにも友達からの信用が無いことを心の中で嘆きながら、俺はケニーに近付くと、目線を合わせるよう屈んだ。


「ガキ、お前は男だ。いつかお前がガルダさんを守っていかないといけない。そんなお前がこの調子でいいのか?」


「…ダメ」


「飯は全部食って、体を鍛えて、真っ当に一人前になれるようにこれから頑張るって俺と約束しろ。そしたら許してやる」


「わかった」


 返事を聞いた俺は一度だけケニーの頭を雑に撫で、テーブルに戻る。

 戻るとリリィが俺を見てにやにやと不快な笑みを垂れ流していたが、頬杖を突いて無視することにした。


「改めて、本当にごめんなさい」


 俺たちに向かってそう言ったガルダさんが再度頭を下げると、彼女の頭越しに見えるドアの隙間から十個の目がこちらを覗いていた。

 謝罪の内容よりもそっちの方が気になってしまった俺の口から、思わず感想が漏れてしまう。


「多過ぎだろ…」


「何度も謝ってしまってごめんなさい!」


「いや、違うんです!謝罪の回数の話ではなくて」


 紛らわしい言葉で勘違いさせてしまったことを必死に弁明する。

 焦る俺の様子を見て後ろを振り向いたガルダさんも、こちらを不安そうに覗いている五人の影に気が付いた。


「ふふ、紹介しますね。みんな出てきて挨拶なさい!」


 ガルダさんが呼ぶと、ケニーよりも一回り小さい子供たちがとてとてと部屋に入ってきた。


「「「「「こんにちわ」」」」」


「可愛過ぎ…!」


 横一列に並んだ子供の姿に、リリィが目を輝かせている。

 子供が好きなのだろうか、正直意外だ。


 挨拶を済ませた子供の中の一人はすぐにガルダさんに近付き、彼女が履いていたロングスカートを引っ張った。


「ガルダ、お外行きたい」


「今はお客様が来てるから我慢して」


「やだ、お外行きたいよ」


 返す刀で却下されると、少年は涙を浮かべてぐずり始めた。

 こうなると、我が儘は見事に感染してしまい、ケニー以外の全員が磁石にでも引き寄せられるように、ガルダさんのスカートにくっ付いて抗議を始めた。

 スカートが引きずり降ろされそうになり、自らの腰の辺りを掴んだまま動けなくなったガルダさんの様子を見て、すぐにリリィが提案する。

 

「ガルダさん、少しだけこの子たちと外で遊んできてもいいですか?」


 ぐずっていた少年は不思議そうにリリィを見上げている。

 少年の頭を優しく撫でる彼女の青く透き通った目を見て、ガルダさんは笑顔で了承した。


「ええ、勿論!」


 窓の外を見ると確かに雨は上がり、空気を読んだ雲がそそくさと身を引いていた。

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