第7話 初めての友達

「なるほど、お見通しですか」


 そう言ったルークの放つ雰囲気がまた違う匂いに変化し、部屋の空気が冷たくなったのを感じた。

 眼鏡が反射し瞳は見えないが、諦めた様な彼の声にほんの少しの後悔が湧き上がり、俺はそれを勘付かれないように黙って飲み込む。


「差別主義者の体なんてどう使ってもいいじゃないですか。僕は理想の世界のために研究しているのだから」


「他人の命を、尊厳をどうこうする権利なんて誰にある!」


「絶対的な力を持つにならそれすらもあるさ!」


 俺は狂気的な行いを自白するルークの異様な迫力に気圧されて剣を構えたが、刃を向けられた彼には恐怖心が一切感じられない。

 動揺した俺の剣にいまいち殺気が乗らないせいだろう。


「それ、僕に向けるために買った剣じゃないんだけどなあ。礼儀知らずだし、色々バレたのも都合が悪いし、君には消えてもらおうかな」

 

 物騒なことを言い放ったルークが、丸眼鏡の位置を中指で整えた。

 

 彼の舐め切った態度にいい加減苛立ってきた俺は、剣を逆手に持ち、その肩を弓矢のように深く引く。

 初めて行う行為であり、筋肉の動かし方も手探りだったが、自分の運動神経にはある程度の信用を置いていた。


「馬鹿野郎、目ェ覚まさせてやるよ」


 そう言った俺は右手で握った鋼の剣をやり投げの要領でぶん投げた。

 驚いたルークがそれをギリギリで躱すと、剣は背後の扉に突き刺さる。

 切っ先は彼の頬を掠めていたようで、小さな切り傷から少量の血液が流れ落ちると、気を悪くした彼はやっと顔を歪めた。


「投げれる重さの剣じゃないはずだぞ、この猿が!」


「ゴリラくらいは言って欲しいね」


 奇襲が外れてしまったことを惜しみながら、俺は後ろ側に右肩を回す。

 やはりルークと俺の膂力の差は明確であり、余裕すら感じてしまっていた。


 しかし、力の差を目の当たりにしたはずの彼は、怯えるどころか小馬鹿にしたような表情をすぐに取り戻している。


「そういえば、アレの目がどうなったか知りたがっていたっけな」


 愉快そうにそう言ったルークが扉に突き刺さった剣を蹴り上げると、その衝撃で脆くなっていた扉が砕け落ち、舞い上がった白煙の向こうからは奇妙な人影が浮かび上がってきた。


「差別主義者と魔獣のわんぱくセットだ」


 ルークが言い終わるのと同時に、頭部が蛙のような化け物に変化した、巨大な人間がゆっくりと現れた。

 顔には複数の眼球が埋め込まれており、左腕はスライムのようにゲル化している。

 どう見ても、まともな生命体の姿では無かった。


「………!」


 俺は異常に大きな銀のネックレスが首にぶら下がっているのを見て、息を呑む。

 それは、首から下の正体が酒場で絡んできた大男だということに気が付いてしまった俺の体による、当然の反応だった。

 すると、俺の驚愕を望んでいたかのように、ルークがにやりと気味の悪い笑みを浮かべた。


「魔獣と戦士を混ぜ合わせ強化した自信作だ。僕の技術と転移者の力が合わされば、六時間前に生きていた人間もこの通りさ!」


「下種野郎が…!」


 間違いなく人間だったものの、あまりに痛々しい姿に戦慄してしまう。

 友人だと思い尊敬すらしていたルークの非道な行いと、それを楽しむような振る舞いに、怒りと悲しみが胸の奥で煮えたぎっていく。


「下種は崇高な考えを理解できないお前だ、ユータ!脳みそ弄って無理やりにでも分からせてやるよ!」


 手のひらを前方に向けたルークが叫ぶと、化け物が大胆に太い腕を振って襲い掛かってきた。

 

 その攻撃を避けきれないと予想した俺は、迫りくる大きな足音を必死に意識の外に追いやり、自分の内側にあるはずの何かに集中する。


「出てくれよ…!」


 祈った俺は化け物と比べれば頼りない腕を振り上げる。

 すると、その動きに共鳴するように、着火剤も何も必要とせず、青い炎が舞い上がった。

 教会で無意識に使って以来であり、そもそも発現するかが不安だったが、イメージ通りに発生した炎を見て心の奥で深く溜息を吐く。

 

 部屋の空気を喰った炎は期待通りに灰色の床を走り抜け、化け物の体に直撃した。

 しかし、化け物の反応までは思い通りにはならない。


「…グオオオ?」


「おい…確かに当たったはずだろ?」


 化け物は呻き声を上げたが巨体のどこにも傷は無く、拍子抜けだとでも言うように頭をポリポリと指先で搔いている。

 抵抗する手段をこの魔法しか持ち合わせていなかった俺の胸に、隙間風が吹いた。


「大口を叩いておいてこの程度の威力かよ!…これじゃあ拾っても役に立たないし、とっとと死んでくれ」


 凍り付くような瞳で俺を見据えたルークが吐き捨てると、言葉を汲み取った化け物が剛腕を振り上げ、そして叩きつける。

 標的となった俺は激しい衝撃に見舞われ、崩壊した床とともに下の階へと落下した。



 ◇


 

「痛…いや、大して痛くないな」


「感謝しなさい。あと、早くどいて」


 床と共に落下した俺は白煙に飲まれたまま、体の状態を確かめながら身を起こそうとすると、尻の下から返事が返ってくる。

 声の主は、宿で寝ていたはずのリリィだった。


 落下した俺はリリィの体を下敷きにしていたらしく、首を捻って後ろを見ると、彼女が無愛想に目を閉じたまま膨れていた。


 よく見ると、リリィが握った杖の先が魔素の輝きを残している。

 天井を魔法で破壊して俺を化け物の攻撃から狙って助けたとなると、個人を魔力で感知できるのだろうか。

 

 少し混乱していた俺は腕に付いた埃を払いながら様々な事を考えていたが、落ち着いてくるとそれよりも単純な疑問が浮かぶ。


「お前、何でここにいるんだよ?」


「…深夜に一人で出ていくのやめなさいよ!」


 俺が口にした当然の質問は、リリィの怒りによって遮られた。

 いや、その表情を見るに、怒りよりは不安の方が正しい言葉選びかもしれない。

 更に注視すると、彼女の体は小刻みに震えていた。


「置いて行かれるのかと思ったじゃない…」


 意外な言葉だった。

 リリィの気の強そうな振る舞いに隠れて気づけなかったが、まだ一人で生きていける程には、恩人との別れから立ち直れていなかったらしい。


 とはいえ俺が元の世界に帰ることになる以上、いつかは分かれる運命なのも事実だ。

 彼女が旅の足を引っ張るようであれば、置いていくことになるだろう。

 俺が拠り所で居続けることが不可能であることを考えると、安易に優しい言葉をかける気にはなれなかった。


「言っておくが、俺には目的がある。過酷な旅になるかもしれない。お前とずっと一緒にいる約束はできない」


「………ッ!」


 否定の言葉に、リリィが目を逸らす。

 俺は都合のいい言葉をかけてやりたい気持ちをぐっと堪えて、その邪魔な感情を振り切るように背を向けた。


「だから、死ぬ気でついてこい」


 今、俺に使う権利のある精一杯の言葉を選んだ俺は、リリィの返事を待たずに階段に向かって歩き始める。

 すると、少しも待たないうちに、俺の背中を軽い足音が小走りで追いかけた。



 ◇



 呼吸を荒げた俺たちは、駆け足で階段を降りやっと一階にたどり着いた。


 周囲を見渡すと出入り口が視界に入り、勿論俺とリリィは外に向かって一目散に走ったが、行く先の天井が突き破られ足を阻まれる。

 瓦礫と共に降ってきたのは、化け物とその上でしたり顔を浮かべたルークだった。


「残念、逃げれると思った?」


「チッ…!」


 出入り口の方面に降りられてしまった俺たちは、昼に患者が運ばれて行った方に方向を変え、全力で走り出す。


「しつっこい!」


 文句を叫んだリリィと俺は廊下に置いてあるガラス製の医療器具を散乱させながら逃げるが、化け物が何もなかったかのようにそれらを音を立てて踏み壊しながら追いかけてくる。


 長い通路を走り続けると地下への階段に突き当たり、やむを得ずそれも下り抜けると、大きな錠に閉ざされた扉が現れた。

 勿論、鍵を持っているわけもなく、そもそも開錠する時間などない。


「「邪魔!」」


 同時にそう叫んだ俺とリリィは、それぞれ炎と雷を放って錠前を破壊した。

 その勢いのまま扉を蹴破ると中は真っ暗だったが、入室に反応したのか、壁に並んだランプに一斉に炎が灯った。


「助けてくれ…助けてくれ…」


 波のように点灯していく光に共鳴するかのように、複数の呻き声が部屋中に広がっていく。


 声を追って視線をやるとそこには大量の檻が並び、中には首のない魔獣や瘦せ細った人間など、様々な生物が監禁されていた。


「酷い…こんなの命の冒涜よ」


 リリィが眼前に広がる地獄のような光景に愕然としている。

 誰もが言葉を失うような惨状を見せられ時が止まったように思えたが、背後に聞こえた足音への焦りによって、俺たちは正気を取り戻した。


「…やっと追いついたよ。どうだい、いい眺めだろう?」


 悪びれもしないルークの声色に苛立ちを覚えた俺とリリィは、すぐさま電撃と青い炎を化け物とルークに向けて放った。

 魔法は前に出て盾となった化け物に命中すると、轟音と共に煙が舞うが、やはり化け物にはダメージが全く見えない。


「グオォ?」


「二人掛でこれかよ!どうしようもない雑魚だな!」


 首を傾げる化け物の様子に、俺たちの魔法の火力不足を確信したルークは、顎を突き上げて高笑いしている。


 こうなったら、化け物を放置して術者を直接狙うしかない。

 すぐに方針を切り替えた俺はとにかく速度を重視し、ルーク目掛けて鋭い炎を放った。


「まずい、間に合わな…!」


 安直な策ではあったが、炎の速度はルークの予想を大幅に超えていたらしく、驚いて目を見開く彼の体を完全に捉えたように見えた。


 しかし、ルークを避けた。


「なッ…!?」


 俺は青い炎の予想外の挙動に思わず声を漏らしてしまった。

 しかし、それも仕方のない程に決定的なチャンスをふいにした罪は重い。

 その上ミスの原因がわからないという、最悪の状況であることは紛れもない事実だ。


「何だ…?」


 痛みに恐怖し怯えていたルークが、困惑の声を上げる。

 それから少し間が経つと、何かを理解した彼の表情が狂喜に歪んだ。


「クックック…ハッハッハッハッハッハ!」


「ユータ…」


 リリィも何かを悟ったらしく、憐れむような眼でこちらを見ている。

 機を逃した事、三人の中で俺だけが状況を理解できていない事への焦りによって、全身の毛穴から嫌な汗が噴き出していた。


 ひとしきり笑ったルークは馬鹿にしたような笑みを浮かべたまま、ふらふらと俺に向かって直進してくる。

 彼はゆっくりと歩くことであえて的になり、一歩ずつ、一歩ずつ近付いてきていた。


「なんなんだよ!」


 青い炎を再度差し向けるも、やはり炎が勝手にルークの体を避けていく。


 苦い表情をしたリリィが魔法で割って入ろうとしたが、化け物のゲル状の左腕が鞭のように伸び、無防備な彼女を吹き飛ばした。

 壁に叩きつけられた彼女は、もう動かない。


「当たれ!当たれ!当たれ!当たれ!」


「ククク…」


 脳内でどれだけルークに当たるようイメージしても、放った炎は全て標的の体を避け、彼はそれを当然だとでも言うように躊躇なく前進してくる。

 その光景を見て、ついに俺も心の奥底で何が起きているのかを理解してしまった。


「当たれよおおお!」


 たどり着いた答えを焼き払うように、叫びと共に今までで一番強力な炎を放ったが、炎はルークの前で分散し、彼の背後の壁に衝突して霧散した。


 やはり、俺の心を汲んだ青い炎は、ルークの体を傷つけられなかった。


「当たってくれよ…」


 膝から崩れ落ち、項垂れた俺の前にルークがたどり着いた。

 魔力の使いすぎか、それとも自分の不甲斐なさからか、体全体が脱力してしまいもう何の抵抗も起こす気にならない。


「なんとも、本当に憐れだな」


 俺は何も言うことができない。

 最後まで、俺から認めることはできない。


 全てから逃げ出して殻に籠った俺の代わりに、ルークが全ての答えを言葉にした。


「ユータ、まだ僕の事を友達だとでも思ってるのか」


 ルークは腰を下ろすと俺の頭を撫でながら、愉しそうにそう煽った。

 もうどうにもならないことを理解してしまった俺は、震えた声をなんとか絞り出す。


「お前みたいなクズ野郎、もう人間だとも思ってない。今すぐに死ぬべき悪魔だ」


 この罵倒も紛れもない本心だ。

 しかし、奥底に仕舞っていたはずの気持ちは、とうとう溢れ出してしまった。


「それでも、初めての友達だったんだ…!」


 ルークを悪人だと認め、敵だと認識しながらも、俺のことを友達と呼んでくれた彼を傷つけたくないという気持ちが、心のどこかに残ってしまっている。

 この心中の歪みが、魔法のイメージを曖昧なものにしていた。


「なあ、頼むよ。全部嘘だって言ってくれよ…」


 絞り出したような声が届かないのは分かっていた。

 それでも、彼の優しい声に反応してぐしゃぐしゃになった顔を上げてしまった。


「ユータ、ありがとう」


 そこには、悪魔が笑っていた。


「馬鹿で居てくれてありがとう」


 悪魔が俺の首を絞める。

 苦しいが、俺にはもう抵抗する気力が無い。

 感覚が曖昧になっていき、精神が徐々に浮遊していく。


 そのまま徐々に暗くなっていく世界に、一筋の閃光が走った。


「がァァア!」


 衝撃と悲鳴により一気に世界に引き戻されると、悪魔の顔が苦痛に歪んでいた。


「まだ生きていたのか、女ァ!」


 背後でよろめくような音がする。

 リリィも満身創痍なのだろう。

 

 もう足搔かなくていい。

 心の中で呟くと、答えが返ってきた。


「あんた、何か勘違いしてるわ」


 全てを諦めた俺の背中に、杖を強く握る勇ましい音と、彼女らしい力のある声が響いてきた。


「こんな下種がユータの初めての友達なわけないじゃない!とっくに私が一番の友達だったもの!」


 鼓舞するように叫ぶリリィが放った大きな雷が、化け物の左腕に落下した。

 ゲル状だった化け物の左腕は焦げて固形になり、そのままゆっくりと崩れ落ちていく。

 

 リリィの体は間違いなく限界を迎えていたが、それでも彼女の心に燃え滾る炎は更に勢いを増しており、反応の薄くなった俺の神経にも確かな熱を伝えた。


「ついてこいって言ったのはあんたでしょ!?私は命を懸けてでもあんたの背中についていくわ!…だから、勝手に救って勝手に死ぬな!」


 悲痛な願いを聞き届けた俺は、もう一度だけ立ち上がることにした。

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