第6話 歪み

 腹ごしらえを終えた俺たちはルークの案内の元、メドエストにたどり着いた。


 説明を受けながら真っ白な塔の中に入ると町の明るい雰囲気とは打って変わって緊張感が漂っている。

 白いローブを纏った者ばかりであるのを見るに、ここで働く職員は回復魔法使いだけで構成されているのだろう。


「目を!俺の目を返してくれ!」


 俺たちが足を止めて施設の中を見渡していると、両目を包帯でふさがれた細身の男が運ばれてきた。

 男の着ている赤いローブは傷だらけでボロボロになっている。

 彼は幻覚でも見ているようで、全く面識のない俺たちの方に向かって何度も繰り返し手を伸ばしていた。


「俺が悪かった!妻と娘に会わせてくれ!」


「………!」


 男の発した悲痛な叫びを浴びて恐怖を感じ、俺の体は硬直してしまった。

 こうなると時間が進むのが遅くなり、中々寝台が過ぎ去ってくれない。

 

 そんな嫌な感覚に暫くの間襲われていたが、肩が優しく叩かれたことでやっと解放された。

 俺の目を覚ましてくれたのは、ルークの冷たい手だった。


「ここの一階は重症の患者を扱っているんです。書庫は二階ですよ」


 このような光景を見慣れているのか、説明をしてくれたルークの声は至って冷静だ。

 彼のようにはいかない俺たちは怯えを引き摺りながらも、患者の叫びから逃げるように書庫へ向かって歩を進めた。



 ◇



「おお、凄い数だな…!」


 思わず俺の口から感嘆の声が漏れてしまう程、二階の書庫は立派なものだった。

 回復魔法の魔術書や魔法医学という聞いたこともないような学問の論文など、この大陸の医療に関する文献が壁全面に並んでいる。


「これなら薬の件くらいは解決しちゃうんじゃない?」


 ふらふらと歩きながら適当な事を言うリリィの様に楽観的になるつもりはないが、それでも事の進展の可能性を感じるには十分な場所だ。

 棚に纏められた薬学関係の文献を片っ端から読んでみることにした俺は、棚の左上に置かれた本を手に取り早速読み始めた。


「私は少し用事があるので席を外します。晩御飯の時間には迎えに来ますね」


「ありがとう」


 ルークの言葉に生返事を返してから数時間、俺はそれらしい文献を全速力で読み漁った。

 常にリリィは暇そうに欠伸を繰り返していたが、集中していた俺の邪魔にならない距離でずっと傍にいてくれた。



 ◇



 俺たちは晩飯も昼と同じ酒場で食べることになったが、前回の幸福度の高い食事とは打って変わって、味が全くしなかった。


「ダメだったかあ」


 落胆している俺を見てリリィが嘆き、ルークに至っては縮こまってしまっている。

 彼のせいでは断じてないのだが、気を使ってやるような余力もなかった。


 文献によると、この大陸では先天性の症状や治療できない難病を『神の傷』と呼んで研究を断念している。

 一般的な回復魔法や薬では、そういった重い症状は全く良化しないらしい。


 もちろん全ての病気に効く薬などの存在も確認できず、現状公になっている情報をどれだけ頼ったところで、万能の薬に辿り着く気配はなかった。


「やっぱ無いのかもな、万能の薬なんていう都合のいい物…」


「まだこの世界に来たばっかりじゃない。そんなにガッカリしないでよ。あんたのおじいちゃんがもう見つけてるかもしれないでしょ」


 俺のあまりにも無残な姿を見て、リリィですら同情し慰めてくれている。

 そんな茸でも生えそうな空気を、耳が痛くなる程の大声が吹き飛ばした。


「坊主!そこの嬢ちゃんにフラれでもしたか!」


 弱った俺を面白がってか、酔っ払って頬を染めた大男が絡んできた。

 許可なく肩を組まれると、彼の体躯に比例した、異常な大きさの銀のネックレスが顔に当たって痛い。

 

 なぜこんな目に合わなければならないのだろうか。

 疲労した心に降り注ぐ理不尽に、愕然としてしまう。


 胸の中で怒りと悲壮感が混ざり合った結果、最終的には俺も大声を出してストレスを発散するという、短絡的な結論に辿り着いた。


「誰がこんな暴力女と!適当言ってると、その無駄にデカい腕と足、全部もぎ取るぞ!」


「そんなことされたら賢者様にでも治してもらうしかねえな!」


 俺が苛付いているのを見て、大男はガハガハと笑っている。

 頭の中の液体が遂に沸騰しかけたが、男の冗談の中に気になる単語が存在していたことを思い出し、俺は少し冷静になることができた。


「賢者様?なんだそれ」


「あ?メドカルテじゃ噂になってないのか!こりゃわからん冗談を言っちまったな。俺の居たアシュガルドでは、伝説の賢者の話が有名なんだ」


 首を傾げた俺が尋ねると、大男は自らのスキンヘッドをぺチンと叩く。

 男は故郷を懐古しているのか、眼を瞑って話し始めた。


「五年前に、戦士の国アシュガルドで魔獣の集団暴走が起こったんだ。普段は現れないような魔獣も出現したせいで俺達は為す術もなかったが、転移者の魔法使いとその従者が群れのボスだった竜を倒してくれたお陰で、何とか暴走は収まったらしい」


「らしい?現場は見てないのか?」


「俺を含め部隊は大体気絶してるかくたばっちまってたんだが、現場を見ていた男が一人だけ生き残ったんだ。その男の話によると、魔法使いは手足を失った戦士を、見たことのない魔法で完全に治しちまったようだ」


 伝聞であるためか、本人も多少の疑念を眉に乗せて話している。

 いや、聞いた話でなくとも、こんな御伽話のような力を疑わないわけにはいかないだろう。

 魔法が存在することが当然の世界の住人だとしてもだ。


 そして、男が語る御伽話は、ハッピーエンドで終わってはくれない。

 

「しかし、神の使者の様に見えた魔法使いは禍々しい黒い光でその戦士をもう一度バラバラにした。自らが掬い上げた命を、自らの手で握り潰したんだ。その頭のおかしい魔法使いが伝説の賢者と呼ばれ、畏怖の対象になったわけだな」


 そこまで話すと、男は急にギロリと目を見開いて顔を近づけてくる。

 迫ってきた瞳の奥には、男が抱いている攻撃的な感情がぎらついていた。


「やはり転移者は狂ったやつばかりで信用ならねえ。いっそ、この大陸から駆逐するべきだと思わないか?」


 物騒なことを問いかけてきた男には、体格に依存しない迫力があり、鋭い眼光が肌寒い緊張感を生み出す。

 彼が冗談で強い言葉を吐いているわけではないことは、誰の目から見ても明白だった。

 

 正面から議論を交わしてもよかったが、男から噴き出した圧力にリリィが怯えているのを感じた俺は、受け流して誤魔化すことにした。


「…酒臭いから離れろ」


「すまんすまん!賢者に関してはたかが噂話だ。その男も正気じゃなかったらしいし、幻覚でも見てたのかもな!」


 男がまた勢いよく笑い始めると、それを見たリリィが胸を撫で下ろし、ため息をつく。

 一回り以上年上に見えることもあり、空気の読める男だ。


 若者が自分の話を興味津々に聞く姿が余程気持ち良かったようで、その後男は俺たちの分の会計も払って帰っていった。

 彼の千鳥足を見送ってから、俺は頬杖を突いて正直な感想を呟く。


「伝説の賢者か…いよいよファンタジーだな」


 三年前に突如起こった、魔獣の集団暴走を鎮めたと言われる伝説の賢者。

 彼が魔導書に無い回復魔法を使い、完治不可である四肢の欠損を治療したという噂が真実であるならば、最先端の魔法医学を越えた情報を持っている可能性はある。


「やることが決まっただけ良しとするしかないわね」


「そんなトンデモ接着剤野郎が本当にいるのかは疑わしいが、手掛かりはこれしかないし、仕方ないな」


 肩を伸ばしながら片目で俺を見るリリィのポジティブな言葉に、俺は渋々同意する。

 希望が無くなったわけではないと、自らに言い聞かせる意味もあった。


「賢者様は居ますよ」


 俺の様子を気にしていたルークも、微笑みかけて元気づけようとしてくれている。

 気を取り直せたことに満足した俺は、料理の無くなった席を立った。


「そういえば忘れてないわよね?」


 リリィも一緒に立ち上がると、冷たい笑顔を浮かべながら俺の側に詰り寄ってくる。

 数秒経ち、心当たりの無かった俺がやっと答えに辿り着いたときには、もう遅かった。


「誰が暴力女よ!私だってあんたなんか願い下げなんだから!」


 リリィはそう叫ぶと、俺の横っ腹を握った拳で綺麗に打ち抜いた。

 突然の暴力に屈し崩れ落ちた俺を見て、ルークは笑いを堪えている。


 これからは、言葉選びに気を付けることを神に誓った。



 ◇



 懐が寒い俺たちはルークの温情によって、国営の宿泊施設を貸してもらえることになった。

 安宿ですらありがたいのに、ある程度贅沢な環境で休めることになってしまい、持つべきものは王族の友人だと確信する。


 酒場から出たリリィは俺を殴って満足したのか、宿に着くとすぐに部屋に籠って寝てしまった。

 

 一方の俺はというと、施設の従業員伝てにルークに呼び出され、深夜にメドエストの最上階で彼を待っていた。

 眠気も無く散歩でもしようかと思っていた俺にとっては、話し相手ができて都合がいい誘いだ。

 

 職員に誘導されソファに座ってから数分経つと、聞き慣れた革靴の音が聞こえてくる。


「お待たせしました。遅くに申し訳ありません」


「構わないさ。けどどうしたんだ?こんな時間に俺だけ呼び出して」


「実はユータだけに、大事な頼みごとがありまして」


 蛍光灯の光が反射して丸眼鏡が白く輝いていたため、瞳の様子はよく見えなかったが、ルークの口元は相変わらず優しい笑みを浮かべていた。

 彼の言う頼みごとの内容など勿論想像も付かなかったが、やっと助けて貰うだけの関係が終わることを喜ばしく思った俺はこの話に積極的だった。


「良かった。貰った恩を少しでも返したいと思ってたんだ。何でも言ってくれ」


 眼鏡を中指で上げ直したルークは俺の好意的な返事を聞き一息つくと、真剣な表情を俺に向けた。


「ユータには、私たちの仲間になって欲しいのです」


「…仲間?どういうことだ?」


 具体的でない言い方に疑問を感じた俺は、すぐに説明を求めて聞き返す。

 当然ルークもそのつもりだったようで、すぐに詳細に触れた。


「昼間の大男の話を聞いたでしょう。転移者はこの大陸では気味悪がられ、不当な差別を受けています。私はそんな差別を無くすための集団、『愛されし者』に所属しているのです」


「愛されし者…趣味の悪い名前だな」


 失礼を承知で正直な感想を述べても、ルークに気を悪くしたような様子はない。

 むしろ、その反応を待っていたかのように頷いた。


「そうかもしれません。しかし、賢者様に愛されるということは私たちの誇りなのですよ」


「賢者!?主導者は伝説の賢者なのか!?」


 突如語られた賢者という肩書きに驚きを露わにした俺に対し、ルークは肯定の意味を含めた笑みを一瞬だけ浮かべた。

 そして表情を戻すと、少し申し訳なさそうな声色で再度切り出す。


「私の本当の生い立ちについても話しましょう。食事の場では大切な友達なのに嘘をついてしまってごめんなさい。楽しい話ではないけれど、君には聞いて欲しい」


「…ああ」


 寂しそうにも見えるルークの声色に緊張し、俺は気の利いた相槌を打つことができなかった。

 それでも彼は不満を一切見せず、淡々とした口調で話し始めた。


「私は幼少期にこの大陸に転移してすぐに闇市の奴隷商に捕まり、幼くして亡くなった第二王子の替え玉としてこの国に連れられてきました。顔を焼かれ魔術で第二王子と同じ顔にされた私は、今でも鏡を見る度にあの日の痛みを思い出します」


 落ち着いて話すルークとは対照的に、俺の頬には大粒の汗が浮かんだ。

 傷一つない綺麗な顔が作り物だとは到底思えないが、彼に冗談を言っている様子は全くない。

 その上、壮絶な身の上話にはまだまだ続きがあった。


「兄から受けた暴力は本当に苦痛でした。二年前には拷問道具で遊びだした兄が私の腕を過って切り落としてしまったこともありました。泣き叫ぶ私を見てもを持ってくればいいと笑っていた時は絶望したものです」


「正気じゃねえ…!」


 思わず怒りが溢れ出した俺は組んでいた腕を解き、膝の上で強く拳を握っていた。

 

 きっと思い出すのも辛いだろう。

 しかし、ルークは言い淀むこともなく、平然としたままだ。


「片腕になった僕は兄の手で再度顔を焼かれ、秘密裏に城の外に捨てられました。そこに、あの方が現れたのです」


「伝説の賢者…」


「無残な姿の私を見たあの方は、完治不可能だった腕と顔を一瞬で治して言いました。『転移者の力を知らしめ、どちらが劣等種であるかをわからせよう』と」


 賢者との思い出に浸っているのだろう。

 それまではできるだけ無感情に話していたルークの声色から、尊敬や憧れの色が見て取れる。

 ただ、賢者の誘い文句の危うさが気になっていた俺は、彼の心酔した様子に不安を覚えていた。


 そんな俺の気も知らず、更に楽し気にルークは捲し立てる。


「完治して戻ってきた僕を見て兄は驚愕し、それ以降気味悪がって関わろうともしてきません。お陰で自由に身動きがとれるようになった僕は、転移者を組織に引き入れる役割だけではなく、メドエストによる大陸随一の研究力を活かし、あの方の力になっているのです」


「ルーク、もしそんなことがバレたら、間違いなく大事になる。すぐにやめた方がいい」


「忠告はありがたいですが、やめるなんて有り得ない話です。あの方の野望にとって、私が一番必要に、力になっている。この事実が私にとって至上の幸せなのです!」


 抑えていた感情を解き放つように豹変し、両腕を大きく広げるルークの姿は、俺の知っている穏やかな彼とは別人のように思えてしまう。


 しかし、記憶を辿ると、実のところは出会ったときから違和感を感じていた。

 

 何故あのような何もない場所に馬車が都合よく通ったのか。

 何故第二王子ともあろう者が、護衛も無しで領地の外に居るのか。

 

 秘密裏に転移者を探していたのだと考えれば、様々な点で納得がいく。


「ユータ、私と共に来てください。会いたいと言っていた賢者様にも、謁見させてあげますよ」


 ルークは全てを説明した上で、もう一度俺を同胞に迎え入れようとその手を怪しく伸ばしてきた。


 彼の誘いは突拍子もないが、確かなメリットがある。

 何より初めての友人の頼みだ。


 しかし、もう一つの結論にも目を向ける時が来てしまった。


「当然差別は嫌いだ。人道的な世の中であるべきだと俺も思ってる。じいちゃんの孫として恥じないような生き方をして、相応しい姿で会いたいんだ」


「それなら尚更好都合じゃないですか!ようこそ、愛されし者へ!」


 俺の言葉の意図を勘違いしたルークは、ハグでもしてきそうな程に歓迎ムードだ。


 何故メドエストの運営をしているだけの男が凄惨な姿の患者を見て平然としていられるのか。

 何故患者は俺たちに向かって手を伸ばしたのか。


 あの患者は闇雲に手を伸ばしたわけでも、幻覚に謝っていたわけでもない。


 何かがあるとはわかっていたんだ。

 ただ、ルークが友達と呼んでくれたあの瞬間から俺は思考を止め、その後も全ての違和感から目を背け続けた。


 それでも盲信的な彼による嬉々とした罪の告白は、俺を夢から覚ましてしまったのだ。


「話を聞いていたか?俺は人道的であるべきだと言ったんだ、ルーク」


 ふらりと立ち上がった俺は、かけがえのない初めての友達に、明確な敵意を突き刺しながら続ける。


「昼間に騒いでたあの患者の目、返してやったらどうだ?」

 

 核心を突いておいて、後悔している自分がいるのが嫌になる。

 ルークを鋭く捉えたはずの視界は、どうしても少しだけぼやけていた。

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