第二章
第5話 医療の国
「腹減った」
「二度と言わないで」
木々に囲まれた数時間変わり映えのしない風景の上で、不満を口にした俺はすぐにリリィに黙らせられた。
丸二日間何も食べていないのだ。
意味のない文句だって言いたくもなる。
リリィの話によると、国境を超えるまで大した距離は無いらしい。
犯罪直後の人間を連れて教会のあった町の馬車に乗るわけにもいかない俺は、泣く泣く絡みつくような日の光に耐えながら、隣国を目指して歩いていた。
歩き始める前は自信満々だった彼女も、今や頭が首の位置まで垂れ落ちてしまっている。
どう見ても、限界は近そうだ。
「いや、流石に無理だろこれ以上は…。お前の計画性どうなってるんだ」
「うるさい」
「ぐッ」
俺が苦言を呈すと、苛立ったリリィに腹を本気で殴られた。
当然治りきっていない傷が口を開け、ろくに食事ができていない人間の貴重な血液は、汚れた布から染み出し大量に溢れ出す。
「あ」
腹に穴をあけた張本人の気まずそうな声が聞こえたのを最後に、俺は道のど真ん中で意識を手放した。
俺はこの女の前で何度気絶すればいいのだろうか。
◇
「私は悪くないんです」
「はぁ…」
心地よい揺れによって、遠のいて消えた意識が俺の手元に戻ってきた。
すぐ側でリリィが知らない声に呆れられているのが聞こえる。
恥ずかしいので、頼むから大人しくしていてもらいたい。
恐る恐る目を開けてみると、痛いほどだった日の光が窓の向こうから薄っすらと射し込んでいる。
状況が呑み込めず一度目を擦ってから見回すと、そこは小綺麗な馬車の中だった。
「気が付かれたようですね」
金色の丸眼鏡越しににこやかに笑う男は、質感のよさそうな
物腰の柔らかさも相まって、裕福な人間であることは簡単に理解できた。
「私はルーク・デ・メディチ。ルークと呼んでください」
「俺は龍宮寺・フォン・優太。ユータと呼んでください」
ルークと名乗る男の優雅な挨拶に対して体が勝手に張り合ってしまい、下らない虚言が出た。
裕福な実家に張り付いて生きていたため、一方的に高貴さを見せられる状況に悔しさを感じてしまう。
今や、貧乏人どころか無一文であることが本当に情けない。
「ユータさん、傷の具合は大丈夫ですか?」
「…そういえば!」
どうでもいいことに気を取られ腹の穴のことを完全に忘れていた俺は、焦って傷口を探し腹部を抑えたが、そこにあるはずの傷は完全に消滅していた。
「え…傷が無い」
「あんた刺されてなかったんじゃない?」
「黙れ」
俺に咎められた犯罪者は、窓の外を見て口笛を吹き始めた。
どうやら、刺されたことを大して気にしていないのがバレてしまったらしい。
「勝手ながら、私の魔法で治療させてもらいました」
「治療って言っても、あんなに深い傷だったのに…」
「我々の国、メドカルテは回復魔法の聖地ですから」
疑問を浮かべた俺を見て、ルークは自らの胸に刺繍された紋章に手を当てる。
固有名詞に更に混乱して目を丸くしていると、リリィが助け舟を出してくれた。
「あなたが倒れたところをたまたま通りかかったルークさんが治療して下さって、その上隣の国まで送ってくれてるのよ」
「なるほど、もう理不尽に歩かされなくていいのか…」
ここまで丁寧に説明されてやっと状況を飲み込むことができた俺がルークに目を向けると、彼は俺の頭に浮かんだ感謝の言葉を察してはにかんだ。
「たまたま同じ目的地でしたから。お安い御用ですよ」
眩しい。
余りにも善人が過ぎる言動のせいで、日を背負っているのは俺たちなのにも関わらず、ルークに後光が差して見えてしまう。
人間性の完全敗北を認めた俺は、仕方なく切り出した。
「龍宮寺優太です…」
◇
「なるほど…私にできる事があれば何でも言って下さい」
道中の間旅の目的や異世界から来た事をルーク達に話した。
命の恩人である彼に聞かれたため誠意として話したが、温かい返事が返ってきて嬉しくなってしまう。
転移に関しては信じてもらえるかまだ不安だったが、異世界からの転移者は一定数存在しているらしく、セドリクと同じように二人にもさほど驚かれなかった。
「ありがとうございます、ルークさん。命を助けてもらっただけでも感謝しきれないのに」
「せっかくですから気軽に呼び捨てて下さい。私もユータのような同い年の知り合いができて嬉しいんです」
「…ありがとう、ルーク」
ルークの一方的な優しさはあまりに心地が良く、一つやり取りをする度に彼の事を好意的に思わせられてしまう。
俺が頬杖を突いてルークの表情を追っていると、彼は外の景色を見て柔らかく微笑んだ。
「そろそろ着きますよ。我が国が気に入ってもらえると良いのですが」
医療の国メドカルテ。
人が一人立っているだけの検問所は実に簡易的であり、治安の良さが窺える。
馬車に乗ったまま門を越えると、堂々と聳え立つ円柱型の巨大な建造物が目を引いた。
「あの塔は?」
「あれは私の父が管理しているこの大陸最大の魔法医療施設、メドエストです」
「え、メドエストを管理って…」
リリィが何かを察したのを見て、ルークが頷いて続けた。
「実は父が国王を務めているんです。…とはいえ私は第二王子ですけどね。国王になるのは何事もなければ兄でしょう」
「俺は王族に張り合ってたのか…」
自分に呆れて馬鹿馬鹿しくなった俺は溜息を吐いた。
なんと、俺はこの国の王子様に命を救ってもらったということらしいが、国民でもない見ず知らずの人間の命を気に掛けるなんて、人が良過ぎるのではないだろうか。
「じゃあせっかくだしお願いがあるんですけど」
話を聞いたリリィがここぞとばかりに手を上げた。
ここまでしてもらって、更に要望ができるとは図太い女である。
ただ、ルークとの縁は俺の目的にとってこれ以上無いチャンスであることは確かであり、彼女が言わなければ俺が強請っていただろう。
「この大陸の医療や薬学について彼に調べさせてあげて欲しいの」
リリィの言葉に同調するように、俺もルークの目を見て口を結ぶ。
すると、彼は大して考えもせず、すぐに優しく微笑みながら手を合わせて音を鳴らした。
「皆さんのボロボロの服を何とかしてから食事を済ませて、その後に関係者専用のメドエストの書庫に案内しましょうか。あそこであれば、この大陸の医療に関しての情報が纏めて手に入るはずです」
「いいのか!?」
俺は願ってもないチャンスに声を荒げてしまったが、ルークは驚かずに落ち着いて答えた。
「ユータの旅の手助けに少しでもなるのであれば」
「良かったわね、大きな一歩じゃない」
リリィも少し嬉しそうにして足をぶらつかせている。
ここまで人に恵まれすぎると、元の世界にいた時のように一人に戻るのが怖くなってしまう。
俺は今俺を取り囲む幸運に感謝しながら、ルークに向かって頭を下げた。
「ありがとう。この恩はどうにかして必ず返すよ」
こうして俺達は、メドカルテの中心街に向かうことになった。
◇
「人がいっぱいね!」
リリィの言う通りメドカルテの中心街はかなりの賑わいを見せていた。
初めて見る異世界の街に心躍らせたが、考えてみると、元の世界で街に出たことのない俺は、この光景を記憶の中の風景と比較することができない。
規律を重んじる国民性なのか出店や見世物などは無くさっぱりした雰囲気で、店舗も通路沿いに綺麗に立ち並んでおり理性的に人々がすれ違っている。
やや目立つのは、白いローブを纏った魔法使いが多いことだ。
ルークがこの国を回復魔法の聖地だと言っていたが、きっとあれが回復魔法使いの一般的な装いなのだろう。
それでも、大剣を背負ったいかにもな風貌の戦士もわずかながら確認でき、こういった元の世界には存在しない人々のグラデーションに、異世界に来たのだという実感が増した俺の心は少しだけ高揚した。
「まずは服ですね。好きなものを選んで下さい」
「…文字通りの一文無しだけど本当にいいのか?」
「実は私、お金だけは誰よりも持ってるんですよ」
「そりゃそうでしょうね」
恩着せがましくならないようわざと自慢げに振る舞い丸眼鏡を光らせるルークに、リリィが軽くツッコミを入れる。
俺たちはそれが気遣いだとは分かりつつも貧乏人にできる事は無く、彼に全てを甘えることにした。
できるだけ手短に選び、俺は動きやすい黒い服と風よけのマントを、リリィは魔力が込められた青いローブを手に取った。
「どう、ユータ?似合うかしら」
「全く分からん。ルークに聞いてみたらいいんじゃないか?」
俺は真面目に答えたのだが、機嫌を損ねたらしくそっぽを向かれてしまった。
一人でトレーニングウェアばかり着て過ごしてきた俺に、ファッションの良し悪しなどわかるわけがない。
必要な物を買い揃えた俺たちが服屋から出るために少し歩き、アクセサリー売り場の前に出ると、ルークが徐に足を止めた。
ルークがそこで少し考えた後、チラチラとこちらを見て何か言いたそうにしていることに気付いた俺は、何食わぬ顔をして彼の肩を叩く。
「欲しいなら買えばいいんじゃないか?勿論おごってやれないぜ」
「そうじゃないんです。…あの、もしユータとリリィが良ければですが、出会いを記念して皆でお揃いのアクセサリーを着けませんか」
「別に構わないが、申し訳ないから安い奴にしてくれよ?」
俺の返事を聞いて柔らかい笑顔を咲かせたルークは、比較的安価な物の中から三つの色違いのアクセサリーを選び購入した。
小さな青いアクセサリーを鞄に取り付けてみると、経験したことのない充実感がある。
ふと、ルークの方を覗き見ると、高級な衣服の上から石製の黄色い首飾りを巻き、幸せそうににやついていた。
ルークはこれから必要になるだろうと、服だけではなくオーソドックスな剣と杖も買い与えてくれた。
武器屋には見たことも無いような巨大な剣まで置いてあり、バラエティに富んだ品揃えを見ているだけで時間は刻々と過ぎていってしまう。
「無限に見ていられるな…いてっ」
「お腹空いた。早くご飯が食べたいわ」
もう三十分は商品を眺めようと思っていた俺の脛が、リリィの靴に蹴飛ばされた。
リリィに催促されたことで、俺も同じく腹が減っていたことを思い出す。
男のロマンは空腹の辛さを超えることを学んだが、一度空腹に気が付いてしまうと、もうあの頃の俺には戻れない。
「すぐ側に酒場がありますから、そこに入りましょうか」
俺たちの会話が聞こえていたルークは、リリィの機嫌が悪化しないよう、一番近くにある酒場に案内してくれた。
彼の身分に酒場の食事は不相応ではないかと思ったが、そういったことは全く気にしていない様子だ。
テーブルに着いた俺たちは、お互いの生い立ちを話したが、良い家の息子という似た境遇もあり意気投合した。
相性の良い人間に偶然出会えた喜びを噛み締めながら、ジャンキーな料理を口いっぱいに頬張ると、幸福感が広がり更に話が弾む。
「ユータ、手持ちの無いあなたにとって人生最後の美味しい料理かもしれませんよ。ちゃんと味わってください」
「ここにいる間は毎日脛かじってやるから心配すんな」
食事中に軽口を叩き合う初めての感覚が温かい。
世の中の学生にとってはこれが特別ではないのかもしれないが、俺にとってはかけがえのない時間だ。
酒場の料理は決して珍しいものではなかったが、今までの人生で一番の食事になっていた。
ルークに対しては恩に着てばかりの申し訳なさがあったが、抱いていた心苦しさは冗談を聞いた彼が笑う度に薄れ、飯を食い終わるころには綺麗さっぱりなくなった。
「生き返る~」
満足そうにリリィは膨れた腹をさすっている。
教会でげっそりしていたのが嘘のようで、肌はつやつやだ。
「リリィさんは食べっぷりがいいですね。見習いたいです」
「お前はルークの上品さを見習えよ」
「あんたは全面的に私を見習いなさい」
ルークは俺たちのやり取りを眺めてくすくすと笑いながら、会計のために伝票を持つ。
すると、それに気づいた店員が話しかけてきた。
「おや、もしかしてと思ったけど王子様じゃないかい?こんな店に食べに来てくれるなんて嬉しいねえ」
「素晴らしい料理でした。美味しかったです」
ルークは恥ずかしげも無く素直な誉め言葉を返し、それを受け取った店員は嬉しそうだ。
彼に出会って間もないが、王族にも関わらず気取らない柔和な人柄や国民を一方的に愛する優しさに、俺は誇らしさすら感じてしまっていた。
「お連れさんは王子様とどういったご関係で?」
突如会話の矢印が俺たちの方に方向転換される。
店員に質問された俺たちがどう言えばいいのか返事に少し困っていると、代わりにルークが躊躇なく答えた。
「友達です」
「………!」
ルークの予想外の返答を聞いた俺は、喜びで涙が出そうになるのを下を向いて堪える。
夢にまで見た初めての友達は、心から尊敬できる人だった。
「良かったじゃん」
リリィは周りに聞こえないように小さく呟くと、何も言えなくなっていた俺を優しく肘で小突いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます