第4話 炎と嘘

「詐欺師とは…酷い言われようだな!」


 本性を現しふてぶてしい笑みを浮かべるセドリクの奥では、鮮やかな光を背にした尊大な女神像が冷ややかに笑う。

 いや、きっと礼拝堂に存在する全てが、真正直に切り込んだ俺を見て嘲笑っていた。


「お前の事だなんてまだ言ってないけどな。自覚があるようでなによりだ教祖様」


 猫を被らず話す事にまだ少し緊張してしまうが、舐められまいと虚勢を張ると、床の上にへたり込んでいたリリィが何とか声を絞り出した。


「見逃して、ユータ」


 虫の羽音の様に震える声はリリィの細い身体をより一層弱々しく、小さく見せている。

 悪事に手を染める覚悟を決めた後ろめたさからか、彼女と視線が重なることはなかった。


「リリィ、俺らみたいな善良な一般人には人殺しなんて向いてない。そうだろ?」


「でも、私がやらないとおばあちゃんが!」


 おどけて見せた俺に返ってきた言葉は、蹴り飛ばされた獣の叫びにも勝る悲痛なものだった。

 リリィが正気を失っているのは明白だったが、俺は望みを捨てず、彼女の心に訴えかける。


「死んだ人間は蘇らないし、神なんて都合のいい存在もいない。だからこそ俺たちは大切な人が生きている間に足搔かなきゃいけないんだ」


「下らない!他所者の言葉に耳を貸すな!」


 俺の説得を大きな声で遮ったセドリクは懐から短剣を取り出すと、躊躇なく俺に襲い掛かってきた。

 しかし、老人の剣など元の世界で鍛え上げられた俺にとっては亀のような速度であり、大振りで振り下ろされた短剣は空を切った。


「何本刃物隠してんだよ。手品師か?」


 呆れた俺が短剣を持つ手首を思い切り蹴り上げると、骨の折れる感覚と共に痛々しい声が礼拝堂に響く。


「ぐあああ!」


「教祖様!」


 悲しいことに、自業自得の痛みを負ったセドリクを心配してリリィが駆け寄っていく。

 側に来た彼女の姿を薄汚い瞳に映したセドリクは俺との分が悪い勝負を諦め、姑息な手段に出た。


「リリィ、そのナイフで奴を殺しなさい!アポレイン様がそう望んでいるのです!」


「そんなことできません!」


 目の前で繰り広げられているのは下らないやり取りであり、薄っぺらい抵抗だ。

 何も見えなくなってしまっているリリィは、もうこの馬鹿げた命令に背くことすらできないだろう。


 しかし、彼女が自らの意思で洗脳を打ち破ることを、心のどこかで期待してしまっていた俺は、二人の間で行われたどうしようもない話し合いを傍観していた。


「今ここでやらねばもう一生ばあさんには会えないんだぞ!それでもいいのか!」


「そんな…そんなの駄目…!」


 セドリクの言葉に強く迫られたリリィは目を見開いた後、幽霊のようにふらりと立ち上がると、瞳に覚悟を忍ばせてナイフを構える。

 俺の抱いた期待は泡と消えた。


「ごめんなさい」


 何に向かってか、謝罪の言葉を呟いたリリィは一気に走って距離を詰めると、俺の腹にナイフを突き立てた。

 静寂の中、俺の体から溢れ出た血液でシャツが濡れていくのを感じる。


 どうにも諦めが付かないのだ。

 

 叩き伏せるのは簡単だったが、リリィには罪のない赤の他人を殺めて欲しくなかった。

 

 俺と違う形の辛い幼少期を経験し俺と似たものを大切に想った彼女の無くした心は、俺が今ここで取り戻すべきだという、降って湧いた使命感に身体が支配されていた。


 俺の望みが通じたのか、リリィの瞳の濁りは大粒の涙と共に流れ落ちていた。


「なんで、なんで避けないのよ…!」


「なんでだろうな」


 急所は外したが、初めて経験する激痛に大粒の汗が浮かぶ。


 赤色を見て罪の意識に冷静になったのか、リリィはナイフを手放し脱力したように床に座り込んだ。


「私…なんてことを…」


「よくやったリリィ!お前は最高の信徒だ!」


 セドリクは弱った俺を見て歓喜すると、その場で人差し指を立てて構えた。

 彼の指の先に巨大な球形の炎が時間をかけて形成されていくのを目の当たりにし、未知の力の威力を想像した俺の焦りが膨張する。


「魔法…リリィまで巻き添えにする気か…!」


「神の炎で共々消し炭になれ!」


 リリィまでもあっさりと切り捨てるのは想定外だった。

 俺一人なら逃げ切る自信があったが、このままでは彼女も巻き添えになって死んでしまう。

 彼女の手を引いて逃げようとしたが、俺は身体を走る痛みに耐えられず、力なく膝を突いてしまった。


 下らないプライドのせいで、半端な正義感のせいで何もできないまま終わってしまった。


 こんなことなら脱走してまで隠れ家に行かなければ良かった。

 でも、どうしてもじいちゃんにもう一度会いたかった。


 走馬灯の様に思い出したのは、あの日の記憶だった。


「優太、お父さんには内緒だ」


 優しさに溢れたじいちゃんの表情。

 人生で一度だけ食べた青い飴。

 炎よりも温かい青。


 死を前にして一番優しい記憶が頭をよぎる。


 その瞬間、俺とリリィを青い炎が包み込んだ。



 ◇



 青い炎が彼の周囲を迸る。

 

 その筋肉質な体に力感は無く、少年のようだった瞳からは光が沈んでいる。

 意識を失っているのだろうか。

 

 煌びやかな礼拝堂のシャンデリア、ステンドグラス、色取り取りの装飾品が焼かれて塵となっていく。


 遂には巨大な女神像すらも青に染まっていった。


 その青は私にも触れたが、不思議と温かい。

 気付けば私を縛り付けようとする忌々しい首飾りだけが、灰になって消えていた。


 炎の温度に祖母に初めて焼いてもらったパンの味を思い出し、一粒の涙が自然と頬を流れていく。


「なんだこれは!こんなガキの炎に私の、神の炎が負けるわけ…」


 優しい青は、野心を乗せて燃え盛る巨大な火球ごとセドリクを飲み込んだ。



 ◇



 全身が揺れている。


 ふらふらとした不安定な揺れに三途の川を渡る船の上かと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 体の前面に人の温かさを感じて、自分がリリィに負ぶわれていることに気が付いた。


 状況を飲み込むに連れ、徐々に体の感覚が戻ってくる。


 痛覚も取り戻し、刺された傷の痛みに少し呻くと、彼女は少し驚いてからそっと俺の体を側に立っていた木にもたれかけさせた。

 傷口には、彼女のローブを破いたのであろう紫色の布が縛り付けてあった。


「重かっただろ」


 俺が喋ったのをきっかけに、リリィの緊張の糸が切れた音がした。


「ごめんなさい!生きてて良かった。ごめんなさい…」


 そう言って涙を流しながら抱き着いてきたリリィの頬に流れる大粒の涙を人差し指で拭うと、生き残れたのだという実感が湧いてくる。


「お前のおかげで死にかけてるよ」


 冗談だと分かるように優しくおどけたつもりだったが、彼女は子供の様に泣きじゃくりながら謝罪の言葉を繰り返すだけだった。



 ◇



 リリィは落ち着くと、礼拝堂で何があったのかを説明してくれた。


 突然湧き出た青い炎が礼拝堂を飲み込んだこと。

 燃え尽きて穴の開いた壁から俺を担いで逃げ出したこと。

 燃えずに生きていたセドリクに彼女がナイフで止めを刺したこと。


 顛末を聞いたときは勿論驚いたが、周りを頼ったところで彼のした事を証明する術もなく、これからも悪事を繰り返すのは間違いないだろう。


「私が終わらせるべきだと思ったの」


 そう口にした彼女の業を背負う覚悟をした目を見て、俺はもどかしい感情を飲み込むことにした。


「これからどうするの?」


「もちろんじいちゃんと薬探しだ」


「でもあんた、この世界のこと何も知らないじゃない」


 確かに彼女の言うとおりだ。

 今自分がどこへ向かえばいいのかも全く分からない。

 俺は的を射た返事が浮かばず困っていると、リリィが決意したように一歩近付いて胸を張った。


「私を連れて行きなさいよ」


「は?」


 俺は突然の申し出に困惑してしまう。


「なんで俺が人殺しを連れて旅しなきゃいけないんだよ」


「誰かさんが全部焼いたおかげでろくな証拠も残ってないし問題ないわ。何も知らないあんたのためについて行ってやるって言ってるの。感謝しなさい」


 昨日喧嘩してからわかったが、彼女は腹を割った相手には相当気が強いらしい。

 先程までのしおらしさはどこへいってしまったのだろうか。


 しかし、実際一人でやっていくには限界があると考えていた。

 この世界をある程度理解している仲間がいれば旅がスムーズになり、じいちゃんに会える可能性は高まるだろう。


 リリィが縋っていたものを壊してしまった張本人であるという、罪の意識も多少はあったかもしれない。


 俺は提案を受け入れたことが彼女に伝わるよう、強く笑った。


「拾ってやるよ。足手まといになったら置いてくからな」


「一文無しが偉そうに」


 こうして俺たちの二人旅が始まったのであった。



 ◇



「おい、教会を見たか?」


「ああ、ありゃ普通の燃え方じゃないな」


「魔法使いの仕業だろ。よく金でトラブルになってたもんなあ」


「教祖の死因は火炎魔法だってよ。死体は綺麗に丸焼けだった。他に外傷は無かったらしい」


「炎の女神を崇めた教祖が焼け死ぬなんて皮肉なもんだなあ」

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