第3話 プライド

 神に跪いた俺は、アポレイン教に入信した。


 アポレイン様についてのありがたい話は何一つ存じ上げなかったが、信じることで宿と夕食、修道着を纏めて手に入れることに成功したのだから世の中簡単である。


 出された食事自体はパンと牛乳という今までの人生ではありえないような質素なものだが、飯抜きの可能性があったことを考えるとありがたみは一入だ。


「…それにしても、信者共はよく平然としていられるな」

 

 修道着は俺の着ていたトレーニングウェアと比べてあまりにも動き辛く、ネックレスも何かの罰ゲームだとしか思えないような重さだ。


 ネックレスの代金は後程請求されるらしいが、聞くと馬鹿げた値段だった。

 ここを逃げ出す前に丁重に返品しておくしかないだろう。


 一泊したら街に出て、この世界で旅をするための手段と金を稼ぐ方法を探しに行かなければならない。

 じいちゃんの命がいつまでもつのかわからない以上、何日も存在しない神に祈りを捧げている暇はないのだ。


「私も一緒していい?」


「…どうぞ」


 食事を持ってきたリリィに声を掛けられた俺は渋々頷いた。


 この教会に宿泊する一番の問題点は、リリィやその他の信徒と会話するシチュエーションが多すぎることだ。

 無駄に広い教会内を他愛もない世間話をしながら掃除し、時間が来れば礼拝堂で祈りを捧げる。


 声をかけられれば無視するわけにもいかず、経験したことの無い回数の会話をこなした俺は疲れ切ってしまっていた。


「私のおばあちゃんの焼いたパンはもっとおいしいのよ!」


 俺の疲れた表情を余所に、リリィは楽しそうに語りかけてくる。


 彼女の祖母の難病については教会内の誰もが知っており、揃って神が救ってくれるだろうと信じて疑わなかった。

 リリィだけが盲目になっているわけではなく、信徒の洗脳は完璧に済ませてあるようだ。


「リリィは本当にばあちゃんの事が好きなんだな」


「当たり前でしょ。親に捨てられて一人ぼっちだった私を子供の頃から育ててくれた、最高のおばあちゃんなんだから!」


 分かるぞリリィ。

 祖父母は優しくて最高だ。

 そう心の中で同意した俺は、黙って何度も頷く。


「…今日もたくさんアポレイン様のために働くことができたわ。お医者さんの薬も回復魔法も効かないし、見捨てないでいてくれるのはアポレイン様だけなの。これでおばあちゃんが少しでも良くなればいいな」


「………!」


 健気な願いを口にしたリリィのやつれた笑みを見た瞬間、セドリクが見せていた汚い笑みが俺の頭をよぎり虫唾が走る。


 冷静であれば簡単な相槌を打ってその場から離れるところだったが、疲れていた俺はつい魔が差してしまった。


「…神なんて本当に存在するのか?」


「なんてことを言うの!アポレイン様は私たちを救って下さっているわ!」


 思わず漏れた俺の本音を聞き、リリィが豹変した。

 どうなるか予想はしていたが、それを遥かに超える変化を目の当たりにした俺の口からは、乾いた笑いが零れてしまう。


「何もわかってないんだな」


 目に見えるほどに体調を崩しても、自分が金稼ぎの道具にされていると気付かず、それどころか他人に信心深さを強要している。


 反論したところで彼女の目が覚めるとは思わないが、俺から折れてやる気にはならなかった。


「アポなんとか様を信じてどれだけ貢いでも、お前のばあちゃんは絶対に治らない。神に祈って治るなら薬も魔法もいらないだろ」


 ブレーキを踏むべきなのは理解できる。

 しかし、祖母を心から愛している彼女に自分を重ねてしまった俺は、超えるべきでない境界線に大きく踏み込んで続けた。


「どれだけ祈ろうとお前のばあちゃんはこのまま弱って死ぬだけだ」


「最低…!なんでそんな心のないことが言えるの!?」


「…俺のじいちゃんは八年前から行方不明だ」


 俺が自分の話を切り出すと、怒り狂っていたリリィは少し驚いて黙った。

 何かを察して、多少話を聞く気になったらしい。


「万能の薬と、それを探すためにいなくなったじいちゃんを探して旅をしてる。俺はお前と違って自分の手で薬を手に入れて、自分の足でじいちゃんに会いに行く。…どれだけ祈ったところで神様は何もしてくれなかったからな」


 遠くを見た俺に対して少し躊躇していたが、リリィは負けじと口を開く。


「その聞いたことも無い薬がどこにあるのか、おじいさんがどこに居るのかあてはあるの?」


ぜろだ。薬に関しては存在しているのかどうかもわからない。旅をして探すしかない」


「それじゃあ…あなただって似たようなものじゃない!」


 彼女の言う通りだ。

 やはり俺たちは似ている。

 だからこそ、目を覚まして行動して欲しいと、それが正しいのだと彼女に同意して欲しかったのかもしれない。


 しかし、俺にとってはあくまで他人事だ。

 彼女の強い反論を聞いてやっと冷静になることができた俺は一度息を吐いてから前を向いた。


「明日には俺はここを出ていく。神様がお前のばあちゃんを治してくれることを祈ってるよ」


 わざとらしく祈るポーズを取りしっかりと煽ってから席を立つと、振り返った瞬間背中に舌打ちを浴びせられてしまったが、存在しない神に祈られるより百倍良い。


 思えばこれが人生で初めて、他人と腹を割って話せた瞬間だった。



 ◇



「お願いです、妻の渡した金を返してください!」


 食事を終え外の空気を吸おうと外に出ようとしたところでまた修羅場に遭遇してしまった。

 影から窺うと、十字架を首に下げていない痩せた男がセドリクに必死に頭を下げている。


 セドリクの方はというと、相変わらずの薄っぺらい笑みを浮かべていた。


「それはできませんね。奥様の気持ちは既にアポレイン様に捧げてしまいましたから」


「…子供たちを食わせてやるために必要な金だったんだ!妻を正気に戻せ!」


 男は怒りを露にしセドリクに掴みかかろうとしたが、白い制服を着た職員に囲まれ、取り押さえられてしまった。


「クソ!絶対に許さない…。地獄に落としてやる!」


「地獄ッ!神を信じる我々には最も遠い場所だな!貧乏人の野蛮さには困ったものだよ、全く」


 セドリクは喚く男の顔を何度か踏みつけると、やれやれと肩を竦めた。

 他人様の顔を踏みつけるとは野蛮な男だ。


 気絶した男が職員に連れていかれ一人になると、セドリクが闇を背負ってぼそりと呟いた。


「掃除が必要か。とはいえ自分の手を汚さない方法を考えねばな」



 ◇



 翌早朝、リリィの祖母が死んだ。

 

 俺が起きた頃には教会内で噂になっていた。

 どうやら昨日の俺の祈りはアポレイン様には届かなかったらしい。


 間違った事を言ったつもりはないが、弱っていた彼女に対して強い言葉を使ったことをほんの少しだけ後悔する気持ちも確かにある。

 気の利いた慰めができるわけでもないが、最後に挨拶だけ済ませてから教会を発つことにした。


 リリィを探して教会の中を適当にぶらついていると、祈りの時間以外に近づいてはいけないはずの礼拝堂の扉が少しだけ開いていた。


 中を覗くと、セドリクとリリィが二人きりで話している。

 

「神を恨んではなりません、リリィ」


 そう言って宥めるセドリクに向かい合う椅子に腰かけたリリィは、絶望を表情から隠すことなくうなだれている。

 青い瞳は濁り、髪は荒れ、見る影もない姿になった彼女は相手の目を見ずに口だけを小さく動かした。


「もう私には神を信じる理由がありません」


 なんとかここまで届いた彼女の弱弱しい声に胸が痛む。

 俺もじいちゃんが死んでしまったら、同じようになってしまうのかもしれない。


 セドリクにとっては都合の悪い話だろう。

 リリィはこの教会で一番の金づるである上に、この結末によって神の求心力も落ちてしまう可能性がある。


 やはりセドリクはそれを恐れていたのか、必死にリリィを諭し始めた。


「神の力であっても延命には限界があるのです」


「…そんなことは今の今まで言わなかったじゃないですか」


 正しい反論だ。

 どうやらリリィは根っからの馬鹿ではないらしい。


 しかし、洗脳を駆使してここまで教会を肥大化させてきた神の手先が、今の彼女の見え透いた弱点を見逃すはずもなかった。


「まだ諦めてはいけません、リリィ」


 ステンドグラスから差し込む光の前で両手を広げるセドリクの姿はさながら神に選ばれた特別な存在の様で、それに騙される人間の心理も少しだけ理解できた。


「神はあなたのおばあさまをまだ見捨てていません。アポレイン様は命の象徴、その力で死人しびとを蘇らせることができます」


「え…?」


 セドリクの美しい言葉を聞き、顔を上げるリリィの瞳に輝きが戻る。

 それを見て手ごたえを感じたセドリクは、畳みかけるように続けた。


「絶望したあなたが自ら命を絶ってしまうことを神は懸念しておられます。あなたに覚悟さえあれば、神はすぐにおばあさまを蘇らせてくれるでしょう」


 都合のいい言葉だったが、思考力の落ちた今のリリィに正しい判断は下せない。


「教祖様…アポレイン様…わたしはあなたのためであれば何だってします!」


 宣言したリリィは祈るように指を組みながら、希望に満ち溢れた涙を流していた。

 

 そんなリリィの壊れた様を見たセドリクは金歯をギラギラと光らせると、懐からナイフを取り出し、彼女に向かって差し出す。


「これは…?」


「どうやら教団に歯向かおうとする不届者がいるらしいのです。その男を殺して、死体を闇市に売り捌きなさい」


「そんな!人を殺すなんて私にはできません!」


「もちろんやるかどうかはあなたの自由です。しかし!…おばあさまもあなたに会いたがっているでしょう」


 ナイフを離してセドリクが両手を広げても、それが床に落下するような音は聞こえてこない。

 汚れた道への誘いにリリィは強く葛藤しながらも、受け取ったナイフは手放せなかった。

 

 他人の人生だ。

 結果死ぬのも他人だ。

 これから彼女がどんな扱いを受けようと、どれだけ搾取されようと知ったことではない。


 俺にはやらなければいけないことがあるのだ。

 こんなところで厄介ごとに関わっている時間はない。


 しかし、気付けば薄汚い扉は俺の右足によって蹴破られていた。


「詐欺師と犯罪者予備軍に別れの挨拶をしに来ました!」


 俺は啖呵を切り、首にかけた十字架を引き千切った。

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