虹色

 何故か妖精に頭を下げることになった。

 あの光球には勝てん。電気ショック系ジョークグッズの比じゃない。


 その妖精とは早く別れることにして、俺たちは水晶の樹を目指して歩くことにした。


 その道中、目に入るものと言えば、際限なく弾ける妖精、歌う果物、喋る黒猫。


「どう考えても、俺の知っている世界じゃない」

「神秘的だよね?」

「神秘的とかそんなレベルじゃねえよ。ここは地球ではないだろうな。でも生物は炭素を基盤にしているように見えるし、脊椎動物までいる。マルチバースのどこかに飛ばされたのか?」


 パーカーのフードを目深に被り、歩きながら考え事に浸る。

 量子物理学で言えば、可能性の世界というのは無限にある訳で、例えば恐竜が絶滅しなかった世界もあるかもしれない。でもその並行世界に移動するのは不可能なのだ。でもその不可能が起きているのをこの目で見ている。それはシュレディンガーの猫でいうところの箱の中身を見てしまっているということで――。


 突然視界が開けて眼が痛む。


「何するんだよダン!」

「前から人が来ているよ!」


 フードを引き剥がされ、思わず目を擦る。

 そして人とぶつかりそうになり、会釈してすれ違う。


 ――。

 人?


 そういえばここに来てから初めて人間を見たな。ダンを除いて。


 振り返ってその人を見てみる。

 ローブというのか、劇で見るような古めかしい格好をした人。飾り気があるし、ほかに着るものがない訳ではなさそうだ。物好きがいるものだ。

 そして何より目を引くのは。


「あの人若白髪だな」


 真っ白な髪だ。

 見た目は30代なのに、髪は一点の曇りもなく白。でも髪は艶々だし……。


「あの人が白髪しらがなら、前の女の人は?」


 前に向き直ると、ルビーを思わせるほどに紅い髪をした初老の女性がいた。


「赤毛とかのレベルじゃねえぞ……。フェオメラニンであの色は――」

「あの人は緑! ねえ、あの男の子は蒼い髪だよ!」


 人通りの多い広場に出た途端に、俺の知識がまるっきり覆される。

 本当に、色とりどりの髪色の人々が行き交っているのだ。まるで色紙で作った紙吹雪のように、カラフルな喧騒だ。


 さらに細かい点で気になるのは、虹彩の色だ。

 いわゆるブルーやアンバーはあり得るとして、アルビノでもないのにレッドやバイオレットの眼をしている人たちがいる。ブルーはブルーでも、あのサファイアブルーは無理だし……。


「なあ、ダン。俺博士号取る気失せた」

「なんで?」

「俺の今まで取り入れた知識が通用してないし、もう天国に来ちまったんだったらいらないかなって……」


 現行の生理学ではありえない形質のホモ・サピエンスがこんなにいっぱいいる。極めつけは……。


「あそこの子なんてすごいな。髪色が一房一房違う。虹色、と言うべきか?」


 ヒトゲノムであの形質を発現させるのは無理だ。髪の色を二色に分けるだけでも大変なのに、七色だなんて。


 もう今までの科学雑誌は捨てよう。


「ねえ君! すごく綺麗な髪だね。どこの美容室?」


 目を離した隙に、ダンは虹色の髪の少女に話しかけていた。突然話しかけるものだから怯えたように驚いているじゃないか。


「えっ? 美容室ですか?」

「そうだよ、こんなにオシャレにしてもらっているんだから、すごくいい美容室に行っているんだろうなって」


 すごく困ってる。可哀想に。


「すみません、美容室って何ですか?」


 その灰色の目を泳がせている少女から返された質問に、ダンがきょとんとする。


 もしかしてだが。


「ごめんよ、お嬢さん。……ダン。多分この時代に美容院はないんだよ。理髪店なら分かるか?」


 定義が曖昧でなんとも言えないが、美容院と理髪店は定義が違うらしく、さらに美容院は歴史がもう少し浅い。

 周りの人たちの服装からして、文化は俺たちの時代より数世紀昔だ。


「あっ、理髪店なら分かります。でも行ったことはないです……」

「じゃあ自分で染めているんだ! すごい!」

「いえ……、染めてないです。お見苦しいですよね……」


 その少女はすごくばつが悪そうに頭を下げる。

 ダンがすごく失礼なことを言ってしまったかもしれない。

 ダンの頭を無理やり下げて謝らせ、そのまま腕を引いて後ろに下がる。


「レオ君、虹色の髪ってありえるの?」

「やっと俺の気持ちが分かったか。ありえないんだよ! でもここではそれがまかり通るんだ」

「じゃあすごいところに来ちゃったね!」


 付き合ってられない。危機感がなさすぎる。


「パステル、ここにいたんだ」


 声がしたほうを振り向くと、虹色の髪の少女の連れだろうか、空色の髪をした少年が走り寄ってきた。

 二人ははぐれていたのだろうか、すぐに手を取り合い、互いの顔を見つめていた。


「セオ……」

「パステル、この人たちは?」

「それが、分からなくて……」


 仲のいい二人に触発されたのか、ダンが俺の右腕に抱きついて離れない。


「ごめんね、自己紹介がまだだったね。わたしはダニエル・エリン・ポスフォード。今17歳。みんなダンって呼んでいるから、ダンでいいよ!」


 手がしびれてきた。体重かけんな。


「で、この王子様みたいな子が――」

「貧相な王子様なことで……」

「――レオナルド・アルバーン! わたしはレオ君って呼んでる。17歳で論文博士号を取る勢いの、すごい子なんだから!」


 ダンは俺のことを王子様みたいと言うが、少女漫画の読みすぎだと思う。


 もう手の感覚がなくなってきた。


 目の前の二人はそれぞれ、お辞儀やカーテシーをしてくれている。


「セオドア・シエロ・エーデルシュタインと申します」

「……パステル・ロイドでございます」


 あれ? やけにうやうやしい。


「いやいや、さっきの『王子様みたい』ってのは冗談だから! 俺は平民だから!」

「でもお母さん瑞穂みずほ貴族の人じゃん?」

「俺は平民だ! 母さんは実家から縁を切られてる!」


 腕を引き抜こうにも、ダンは力が強いな、本当に。


「ねえセオ、ミズホって何?」

「分からない。聞いたことがない」


 セオドアとパステルは目を合わせて何かを呟いている。

 そして、セオドアは俺を金色の眼で見据えて尋ねる。


「レオナルドさんたちはどこから来たのですか?」

「瑞穂だ。二人とも、生まれはネヴィシオンだから名前もその辺りの名前だが、育ちは瑞穂だよ」


 二人とも目を瞬かせると、また互いを見つめあって相談する。


「ねえ、ミズホとかネヴィシオンってどこにあるの?」

「うーん、分からないけど、あるとしたら熱砂の砂漠の向こうか、別の大陸の町じゃないかな。ダンさんの服装は暑い地域の民族衣装……なのかなあ」


 ああ、まず世界が違ったな。

 希望は薄いが、何か知っていればなと話を進めてみる。


「瑞穂もネヴィシオンも、町というより国だよ。瑞穂は大大陸の東の教皇国で、ネヴィシオンは大大陸と小大陸の間の海洋国家、連合帝国さ」


 案の定、俺たちの国なんて全く知らない様子で、可愛らしい顔の二人はきょとんとした顔をしている。


「教皇国……。聞いたことのない国名ですが、聖王国の外からいらしたのですね」

「なんだそれ?」


 今度は俺の知らない国が出てきた。

 セオドアの質問に答えられずにいると、パステルが教えてくれた。


「えっと、この国が聖王国で、今いる街が聖王都。あそこに見えるのが聖王城です」


 あのキラキラしたファンタジックなお城ね。

 今どきああいった城に住む王なんていないとは思っていたが、時代が時代なのだろう。


「ねえレオ君……」


 ふいに、ダンが腕を抱く体勢を変えた。手に電気が流れるような痺れが走る。血流が戻っていくのを強く感じる。


「わたしたちの周りに、人が集まってきてるんだけど……」


 ダンの言葉に、周りを見渡すと俺たちを中心に人だかりができていた。

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