第7話 さようなら、母様
紅連家の使用人として平穏(一部除く)な日々を送っていたひなただったが、十四歳を迎えた時にそれは起きた。
「残念ながら、ここまで症状が進行した状態では現代の医学で出来る事は限られています。余命は良くて半年程度と思ってください」
「そんな・・・・・・」
ひなたは絶句した。
母親の律が病に倒れたのである。医者の診断によると内臓に腫瘍が出来ておりあちこちに転移しているとの事であった。
現代の日天国の医学で主に使用される治療法は、手術や投薬治療の外に術を使った物がある。しかし、術によって行われる治療とは主に怪我に対する物であり、病に対してはあまり効果を為さない。そして手術の方もここまで病が進行した状況では不可能。残るは投薬治療だが、現代の薬学で出来るのは精々痛みを和らげる程度が限界だ。
つまり、完全に手遅れである。
律が死ぬ。そう聞いた時、ひなたの心は絶望に陥ったが、律は一言「そうですか」と言ったまま表情を変えなかった。倒れた時に既に最悪の想定を律はしていたのである。この時点で既に覚悟を決めていたのだ。
医者は即刻の入院を勧めたが、律は拒んだ。そこまで悪化しているのならばいっその事、体が動く内はいつも通りの日常を送りたいというのが律の意思であり、医者もそれを尊重して強めの痛み止めの薬を律に処方した。
最初の二月程はいつも通りのであった。まるで病などかかっていないかのように、仕事をして紅連家の人々と談笑して過ごした。無論、薬で痛みを止めているだけで良くなってなどいない事もわかっている。
少し変わった事があるとすれば、ひなたと過ごす時間が増えた事だろうか。仕事の合間を見つけては何気ない会話をし、一緒にお茶を飲んだりした。流石の聖も二人を慮って、何時ものようにひなたを振り回すことはしなかった。(その代わり久々に六助の方に無茶振りが集中し大変な事になっていたが)
しかし、一番の変化というと。
「聖様、この服なんてどうでしょう?」
「おお! これは良いな!」
「母様!? 何してらっしゃるんですか!?」
あろうことか、律までが聖と共にひなたに女物の服を着せようとし始めたのである。
「これは西方の病院で看護師が着ている『なぁす服』なる物そうで」
「おお! 聞いた事があるぞ! 真っ白な服ゆえに西方の看護師は『白衣の天使』と呼ばれているそうだな!」
「どこから手に入れてきたんですかそんな物!?」
「ひなた。知らぬほうが幸せな事は世の中にいくらでもあるのですよ」
「そんな恐ろしい所から!?」
「待て! こんな服を大量に扱っている場所があるというのか? 私にも教えてくれ!」
「ええ、喜んで」
「母様!? 性格が変わってませんか!?」
重病の身だというのに、最近の律はむしろはっちゃける傾向にあった。ひなたは困惑していたが、紅連家の人々はむしろそれに悪ノリすらしていた。それは当主である開斗も同様である。
「おー、やってるな」
「あ、旦那様······って、その手に持っているのは!」
手をわきわきしながら迫って来る律と聖に追い詰められているひなたの前に、写真機を持った開斗が現れた。
「実はな、ひなたが女物の服を着た姿をこっそり写真機で何枚か撮ってたんだが」
「い、いつの間に!?」
「それが結構な高値で売れてしまってね」
「誰が買ってるんですか!?」
「・・・・・・世の中には知らない方が幸せな事もあるのさ」
「ついさっきも同じ言葉を聞いた気がします!」
そもそもそんな世界知りたくないとひなたは心の中で思った。
「そんな訳で大人しく着替えて一枚撮られてくれ!」
「旦那様! おやめください! 紅連家のご当主ともある方が・・・・・・!」
「当主なんてね、適度に発散しないとやってられないのさ!」
「発散するにしても別の方法でお願いしたいのですが!? もう! こんな所に居られません! 僕は自分の部屋に戻らせていただきます!」
そう言って逃げ出そうとするひなただったが・・・・・・。
「ふっ、逃がさん! 喝ッ!」
聖が胸の前で手を合わせ、印を結んで呪文を唱えるとひなたの身体がピタっと止まった。
「こ、これは!? 体が動かない!」
「かかったな! これぞ影縛りの術! これでお前の身体は一時的に動けんぞ!」
「こんな事の為に術を使わないで下さい、お嬢様!」
聖は珍妙で破天荒な行動が多いが、同時に文武両道を地で行く人間である。 学校での勉学では一を聞いて十を知る。護身術として武道を習い瞬く間に皆伝の領域に達し、その一方で術の類も会得するのに余念が無い。
単純な身体能力に関してはひなたの方がまだ上ではあるが、その他の能力や才能では聖には遠く及ばない。まさに怪物である。
問題はその才能の殆どを、今の所ひなたを女装させる為に使っている事であった。 才能の無駄遣いにも程がある。
「よし! 今の内に着替えさせるんだ二人とも!」
「畏まりました」
「ふははは! 観念するのだな!」
「ぎょえああああああああああ!?」
己の母親と主人に服を剥がれるひなたを見て、部屋の側を通りかかった六助は「成仏してください」と、手を合わせて念仏を唱えていた。
それからしばらくの間は薬を飲みながら律は表面上は問題なく過ごしていた。しかし、時間が経つに連れて薬の効き目が弱くなって来た。薬の量を増やして対応していたが、痛みは増し、さらに食事がまともに喉を通らなくなってしまう。
みるみる律はやせ細り、遂には歩く事も困難になってしまった。
開斗は律を入院させる事に決める。
入院後はひなたは勿論の事、聖や開斗を含めた紅連家の人々が代わる代わるで見舞いに来た。その度に律は嬉しそうに笑っていた。
食事がまともに摂れないので、栄養剤を輸液して生きながらえる日々が続く。
だが、やはり限界は来た。余命宣告を受けてから7カ月目、律は危篤に陥る。
知らせを聞いたひなたや紅連家の人々はすぐさま入院先の病院へと駆け付けた。
「母様!」
律の意識は朦朧としていたが、ひなたの声を聞いて目を開く。ひなただけではなく、聖に開斗、六助に数人の同僚達が立っているのが見えた。
「皆さま、来てくださったんですね」
「母様、無理して喋らないで!」
ひなたは制止しようとするが、それでも律は続ける。
「旦那様、今まで本当にありがとうございました。旦那様の元に来てから本当に幸せな日々でした」
「何、礼には及ばんさ。こちらも楽しかった」
「勿体ないお言葉です。それから、聖お嬢様・・・・・・」
「何も言わなくて良い。 全てわかっておる。 安心するがいい」
そう聞いて律の顔が微かに微笑んだ。
「六助様。ひなたを教育して下さり感謝に耐えません。どうかこれからもよろしくお願い致します」
「彼はもう立派な使用人です。 何も心配する事はありませんよ」
律はひなたの方へ顔を向ける。
「・・・・・・皆さま。しばし、ひなたと二人きりにして頂けますでしょうか?」
「ああ。 いいとも」
医者を含めた全員が、病室から退室して行き、その場には律とひなただけが残された。
ひなたは少々疲れたのか、顔は天上に向けたまま目を閉じている。
「母様・・・・・・」
「ひなた、あなたは氷陣家を恨んでいますか?」
ひなたはあの日の事を思い返す。容赦なく処刑を命じた父の厳康。それを必死になって止めようとしてくれた異母兄の尊。露見すれば自分が処刑されるであろう危険を冒しながらも、自分達を助けてくれた光徳。
氷陣家の当主である父の事を恨んでいないと言えば嘘になる。しかし、そんな自分を助けてくれたのも氷陣家の一員である尊や光徳であったのだ。
「氷陣家はともかく、父を許す事は出来ません」
ひなたは嘘偽りなく述べた。
「それで構いません。無理をしてまであの人を許す必要も、恨みを忘れる必要もありません。しかし、今の貴方は紅連家の一員です。まずはその事を最優先に考えなさい」
「はい」
父の事は恨んでいる。しかし出奔したからこそ、こうして紅連家で良き当主やその息女、師や同僚に出会えて生きているとも言えた。 ならば向こうが手出しでもして来た場合はともかく、こちら側から厳康に対して何かを仕掛けようという気持ちは今のひなたには無かった。
律は閉じていた目を開き、ひなたの顔へ向き直る。
「呪子として生まれたあなたの人生がどのような物になっていくかはわかりません。けれども一つだけ確信している事があります。それは紅連家が、中でも聖お嬢様は何があってもあなたの味方で居てくれるだろうという事です。あの方はまるで嵐の様に滅茶苦茶な方ではありますが、自分が信頼した人間を見捨てるような事は絶対にしない方です」
「はい。 わかっております」
「だからこそ、聖様は六助様やあなたに無茶ぶりばかりするのでしょうけど」
「・・・・・・母様も聖様と一緒になって楽しんでましたよね?」
「ええ。 とっても楽しかったです」
ひなたは律が聖と一緒に自分に女物の服を着せようとしたあの光景を思い出す。ひなたにとってはたまった物では無かったが、今思えば律があれ程楽しそうな笑顔を浮かべていたのは後にも先にもあの時だけであった。
「辛い事も悲しい事も多く起きるでしょう。それでも挫けてはいけません。 どんな時でもあなたを助けてくれる人達はきっと居ます。 氷陣家を出た時、私達は二人ぼっちでしたが、今は紅連家の方々が居ますし、今後新たな友人も出来る筈です。」
「はい」
「人との関係を大事にしなさい」
「はい」
「私はいつまでもあなたの幸せを願っています、ひなた。あなたは呪子である以前に私がお腹を痛めて産んだ大事な息子なのだから」
そう言い終えると、律は目を閉じた。
「母様・・・・・・」
返事は帰って来なかった。律はすでに旅立って行った。
「さようなら、母様」
病室内には、顔を涙と鼻水塗れにしたひなたの慟哭だけが響いていた。
その後、全てを察した開斗や聖達が病室に戻って来ると、聖は何も言わずひなたの肩に手を置き、ひなたが泣き止むまでずっとそうしていた。
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