第2話 離流
あの雨の日から二ヶ月が過ぎ
加乃恵の傷付いた心は
ゆっくりと落ち着きを取り戻し
あの雨の日の秘め事も忘れようと努め
母の
姉の
帰宅すると加乃恵は
「今日は暑くなったでお
負けたんじゃろ
横になってれば良くなるだでぇ」
イノ助は加乃恵の
加乃恵は粥鍋の
それを見た
「お前、今月は月のものはあったか」
と聞くので加乃恵は
「いえ、ございません」
「先月は」
そう
「ございませんでした」
それを聞いた
「お前、まさか男と
まぐわったのではあるまいな」
加乃恵はその言葉にはっとした
「そうなのか」
下を向く加乃恵に
「正直に申せ」
と詰め寄る
それでも何も答えない加乃恵に
イノ助に
産婆は裏木戸を
加乃恵の診察をした
そして産婆の見立ては
「間違いなく腹に子がいる
正月過には生まれるだろう」
であった
加乃恵は思いも寄らない事実を突き付けられ
何という事になったのだと
頭の中が白くなり顔は
体が震えた
だがそれと同時に
子を守らねばとの母性が瞬時に目覚めた
診察を終えた産婆は裏木戸を
「父親は
あの日、
済まないと謝った
たった一度で二人の関係は終わったのだ
今更蒸し返しても丞吉郎には迷惑な話だろうし
丞吉郎にとっては通りすがりの出来事
この子は私の子
私だけの大切な子なのだ
父親の名は口にはすまい
と心に決め加乃恵は黙り込む
「
お前に商家の跡取りを見つけてくれ
今日はその相手に会わせるために
加乃恵は今初めて聞かされた
呉服屋で姉の志眞乃の嫁ぎ先である
ああ、可哀想な人だ
と加乃恵は母を哀れに思う
母の
親類に育てられ
格下の
下級武士の
野良仕事をしなければ生活がままならない
そこで金銭面を援助させようと
加乃恵は勝手に、そう信じていた
「お前なんぞ何の取り柄も無いのだから
せめて金の有る家に嫁いで
親を安心させるのが
孝行と言うものであろう」
なんと自分勝手な母なのだ
姉だけでなく私のことも金のために
商家へ嫁がせるのかと腹が立った
「腹の子の父親は
金がある家の男だろうね
別に相手が
月々お手当を
お前と腹の子が金に困らなければ」
加乃恵は母の
口を結んで
「なんだ、その目は」
怒鳴りながら
帰宅した
居間の
その様子を目にし
「何をしておる」
と止めに入った
「
父親の名前も言わないんです、憎たらしい」
「誰が
「ですから加乃恵がです」
そう言いながら
畳に叩き付けた
「よさぬか
日頃は穏やかな
「
加乃恵は
「父親の名は言えぬのか」
加乃恵は
「
加乃恵は大きく首を横に振った
その様子に
「切ないのお加乃恵
腹の子の父を思いやり
何も言えぬその気持ちが
儂は切ない」
加乃恵は下を向き手をきつく握りしめた
自分が
なんという親不孝をしてしまったのだ
それと同時に
これから生まれ来る我が子を守るため
どうしたらよいのかと不安に襲われる
「まずは無事に産む手立てを考えねばな」
その言葉に加乃恵は顔を上げ父の顔を見た
「ここには置いてはおけぬ
嫁にも行っておらぬ娘が
大きな腹を抱えていては世間の笑いもの」
加乃恵は悲しげに小さく
「明日一緒に
姉上に
頼む事にしよう」
夫亡き後に
人里離れた場所に
静かに暮らしている
妻を亡くした三十も年上の男へ
後妻に入り子宝には恵まれなかったが
年老いて寝たきりなった父に
誠心誠意尽くし
よく面倒を見てくれたと
義理の息子達が感謝して
毎月欠かさずに生活するには
充分過ぎる
深覚庵へ届けてくている
加乃恵は手をつき
「父上、ご心労をお掛けし申し訳ございません」
と頭を下げた
「加乃恵よ母を許してくれ
全ては不甲斐ない父の責任だ」
加乃恵の身を
気持ちも落ち着き
腹の子の父親の名を言うかもしれないと
それを聞いて
「加乃恵が留守にしたら
此れからは畑仕事は誰がするのです」
「
「
息子の
金を
それ以外は何もさせずにいる
「学問だけでは生きては行けぬ
甘やかし過ぎては一人前の男には育たぬ
明日から畑仕事も薪割りもさせるように
これは家長としての言いつけだ
よいな、
――――――――――
藩主の命で江戸へ行った
好き勝手に
来たる日のために
同じ門下生の
長州藩士、
剣術の
「いったい江戸攻めは、いつになるのやら」
「なんだ
もしや国元にいい女でもできたのか」
と冷やかされ顔を赤くし
「ああ、できた
一生を掛けて守りたい
早く帰って嫁に迎えに行かねば」
江戸の空を見上げながら
郷里にいる加乃恵に思いを
そして心に誓う
加乃恵の為に必ず生きて帰るのだと
――――――――――――
翌朝
姉の
「姉上、ご無沙汰をしておりました」
「ほんに久しぶりじゃ
志眞乃の婚礼以来になるのお
「はい、お陰様で元気にしてはおりますが
実は
加乃恵の身の上に起きたことを話した
聞き終わると
「なるほど、そういう事ですか。
加乃恵に一つ尋ねるが
それで後悔はないのだね」
「はい、
何の後悔もございません」
「そうか、それならばここで暮らしなさい」
「ウタは五人も子供を産んでいるから
不安なことは何でも相談するといい
ウタ、今日からお産まで預かる事になった
姪の加乃恵です、宜しく頼みますよ」
「へえ、承知しました。
加乃恵様、何なりとお申し付けください」
ウタは深幸の
深幸が
自分は最近に夫を亡くし
子供等も一人立ちして
これから先
一人で居てもする事も無く寂しいので
死ぬまで奥様に奉公させて欲しい
と頼みこみ
身の回りの世話をしている
働き者で話し好きだが余計な事は口にしない
奉公人の心得はしっかりしていて
信頼が置ける女中である
「加乃恵、今日から住むのだから
ウタに屋敷の中を案内してもらいなさい
私は弟と積もる話がありますから」
加乃恵とウタが部屋を出るのを見届けると
深幸が
「産むまではよいが
その後はどうするつもりなのです」
「まだ考え
「
一人で子を育てらるほど
世間は甘いものでは無いですよ」
「分かっております
ここで落ち着いて暮らす内に
心を開きせめて腹の子の父親の名を
明かしてくれればと」
「あの様子では
打ち明けぬでしょう
加乃恵の将来のため
子は秘密裏に産ませねば」
「姉上は
歳離れた男の後妻になってくれた事
申し訳なく思っているのに
又ご迷惑をおかけて」
「
姉は犠牲になどなってはいません
商家に嫁いだお陰で
今こうして不自由無く暮らしているし
旦那様にも大切にして頂いたのだ
亡き父上母上には感謝している
二人きりの姉弟なのだから
遠慮は無用ですよ」
周囲には
加乃恵は叔母の看病の為に
と偽り
その日から加乃恵は
深覚庵で暮らし始めた
大政奉還まであと四ヶ月。
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