静烈・じょうれつ

桶星 榮美OKEHOSIーEMI

第1話 桜雨

青谷あおや加乃恵かのえ

商家しょうかへ嫁いだ姉の志眞乃しまのを尋ねた帰り道

今にも雨がりだしそうな空を

下一人歩いていると

「加乃恵さん」

と後ろから声を掛けられた

くと

幼馴染の宍粟しさわ丞吉郎じょうきちろうが立っていた


丞吉郎じょうきちろうさん、いつもどられたのですか」


加乃恵はおどろいた

丞吉郎は昨年さくねん

藩主のゆるしを得て江戸の練兵れんぺい館へ

剣術けんじゅつ修行しゅぎょうへ行き

もどるのは二年先のはずである


「数日前にもどりまして」

「ご家族に何かあったのですか

 お体でもこわされたのですか

 江戸で怪我けがでもされたのですか」


加乃恵は矢継やつばやに質問した


「いえ、どれもちがいますよ

 いま江戸は色々と物騒ぶっそうになり

 まれてはいけないと

 藩命はんめいで帰されたのです

 私は見ての通り元気でし両親も息災そくさいですよ」

「それは良かったです」


丞吉郎じょうきちろうは笑いながら

「相変わらず加乃恵さんは威勢いせいがいい」

「威勢がいいだの、そんな事は御座いません」

と加乃恵はずかしそうに下を向く


加乃恵は丞吉郎じょうきちろうに恋心をいだいていた

子供の頃から身分の関係なく

誰にでも気さくで優しく

面倒見がよい丞吉郎じょうきちろう

目上の者からも目下の者からも好かれる男で

加乃恵はそんな丞吉郎にあこが

憧れは、いつしか恋心へと変わっていた


そして密かに

丞吉郎じょうきちろうも自分を好いてくれたら

あわい夢を見た

だがそれがかなわぬ夢であることは分かっている


自分は取り立て美しくも無ければ

他人ひときつける様な魅力みりょくも無い

どこにでもいる普通の娘であるし

丞吉郎の宍粟しさわ家と

下級武士である青谷あおや家とでは

家柄いえがらに差がありすぎる

はかない夢だと諦めてはいても

丞吉郎じょうきちろうを見れば胸がおどる乙女心


「加乃恵さんはお出かけですか」

「はい、姉の所へ行った帰りです」

志眞乃しまのさんはお元気ですか」

息災そくさいにしておりました」

「それは良かった。

 私も用を済ませ帰るところなんです

 一緒に帰りましょう」

「はい」


加乃恵は何もないふうに返事をしたが

本当は、

少しの間でも

恋しいひとと一緒に歩けることの嬉しさに

足取りも軽くなり

このまま時が止まればいいのにと願う乙女心


雨がぽつりぽつりと降り始めた

「ああ降り出したか、急ぎましょう」


丞吉郎じょうきちろうに言われるまま歩みを速めたが

人通りの少ない柳通やなぎとおりまでかると

雨脚あまあしが強くなり

仕方なく茶屋の軒下のきした拝借はいしゃく

二人で雨宿あまやどりをしていると

中から店の者が出てきた


「お武家ぶけ様、そこに立たれては

 商売の邪魔じゃまになります

 当店は、

 おしのびでご利用になるお客様が多いのに

 お客様が帰ってしまいますよ

 それでは商売あがったり

 雨宿りはご容赦ようしゃくださいまし」

と言う

「それは困った、もう少し雨脚あまあしが弱まるまで

 なんとか拝借はいしゃくできまいか」

「こちらも商売ですので

 お部屋をおいただかないと」


丞吉郎じょうきちろうは困った顔をした

その店は茶屋ちゃやは茶屋でも

男女が逢引あいびききに使う出会であい茶屋である

だがこの辺りには他に家屋かおくは無いし

雨は当分とうぶん弱まりそうにない


「仕方ない、部屋を借りよう」

店の者は嬉しそうに

「へい有難うございます、お客様ご案内だよ」


――   ――   ――


茶屋の廊下は薄暗く

部屋まで案内すると女中は

「ごゆくっくり」

と言い茶を置いて出ていった

丞吉郎と加乃恵は二人きりになり戸惑とまど


加乃恵は丞吉郎と同じ部屋に居るのは

嬉しくはあるが

恥ずかしくもあり身の置き場に困る


一方の丞吉郎もひそかに

しとやかと強さをそな

自分のことは二の次で他人を気遣きづかう加乃恵に

かれており

いつか想いを伝えたいと考えていた


たがいに相手の気持ちを知らぬがゆえ

どちらも口を開けず部屋の中には

外からの激しい雨音だけがこだましている


突如とつじょ障子しょうじを震わせながら激しい雷鳴が響いた

店の前に並ぶ柳にでも落ちたのだろう


「きゃぁ」

驚いた加乃恵は声を上げた

丞吉郎じょうきちろうは加乃恵のそばへ寄り

「大丈夫ですよ、落ち着いて」

背中に手を当てながらなだめた

丞吉郎の優しく大きな手を背中に感じ

加乃恵の鼓動こどうは早くなる


再び激しい雷鳴らいめいひび

思わず丞吉郎は加乃恵を抱き寄せた


加乃恵は丞吉郎の厚く広い胸に顔をうず

目を閉じながら

丞吉郎も自分のことを

好いてくれているのだと思い

嬉しさで心が満ちあふれた


丞吉郎は

自分の胸に顔をうずめる加乃恵へがいとおしく

やわらかな体をきつく抱きしめ

熱いくちびるかさねた


――   ――   ――


時が

加乃恵は恥ずかしそうに丞吉郎じょうきちろうに背を向け

乱れた着物を直している


丞吉郎は

感情をおさえ切れなかった事をじた

と同時に

加乃恵と一つになれた事が嬉しかった

だが、これでは順序が逆である

きちんと仲人なこうどを立て

挙式きょしきを上げてから

初夜しょやむかえるのが道理

しかも出会であい茶屋で結ばれるとは

如何いかがなものか

加乃恵を大切に思えばこそ

その事をあやま

これからの二人の事を話し合わなければ

と考え

まない、加乃恵さん」

と口にした


しかし丞吉郎じょうきちろう

まない❞の言葉に

加乃恵の心は一瞬いっしゅんこおりつく


丞吉郎の想いは自分と同じと信じ

身をまかせたのに

あやると言う事は、そうでは無いと言う事か

ああ、何と軽率けいそつな事をしたのだろう

丞吉郎にみだらな娘と思われたに違いない


加乃恵は口惜くちおしさに身を震わせ

今にもこぼれそうな涙をこら

声をしぼり出し

「どうぞお気になさらずに」


何故なぜそんな事を口にしたのか

自分でもわからない


丞吉郎じょうきちろうはその言葉に

加乃恵が気を悪くしては無いのだと安堵あんど

これからの二人の行くすえを話し合おうと


「良かった、ではこれからの事ですが」

心得こころえております。

 わたくしこれにて失礼します」


そう言い加乃恵は部屋から飛び出した


「どうしたのです加乃恵さん」

呼びかけに振り向きもせず

薄暗い廊下を走り行く加乃恵

追いかけようにも

長襦袢ながじゅばん羽織はおった姿で出る訳にも行かず

ただ背中を見送る丞吉郎じょうきちろう


もう少し一緒に居たかったのに

二人の将来も話したかったのに

何をそんなに急いで帰ってしまったのか

「まあいいか

 夫婦めおとになれば

 ずっと一緒に居られるのだから」

丞吉郎じょうきちろうは嬉しそうに独り言を言う


――   ――   ――


「お客様お帰りですか、まだ外は雨ですよ」

「ええいいんです、履物はきものを」

「はい、ただいま」

加乃恵は

女中が持って来た草履ぞうりを手に持ったまま

雨の中へ飛び込んだ


柳通を抜けると大きな桜の樹がある

その下を早足で歩いていると

満開の桜が雨に打たれ

しずくに包まれた花弁はなびら

加乃恵の髪と着物に

色をえるように降り注ぐ


家に着くと母の方子まさこ

「遅かったではないか

 よそ行きの着物をらして

 志眞乃の所でかさを借りれば良いものを

 全く融通ゆうずうかない娘で困ったもんだわ

 もうじき父上がお帰りになる

 さっさと着替えて夕餉ゆうげ支度したくをなさい」

「はい、申し訳ありません直ぐに致します」


下級かきゅう武士の青谷あおや家には

奉公人ほうこうにんはイノ助だけで

家の事も畑をたがやすのも娘達の仕事であった


三年前に姉の志眞乃がとついでからは

イノ助の手を借りながら

加乃恵一人でまかなっている


急いで着替えたすきを掛けて夕餉ゆうげ支度したくをし

父の正胤まさたねと母

そして弟の兼直かねなお給餌きゅうじをして

家族が済ませると

いつも台所で一人食事をするのだが

昼間の出来事が頭を横切りはしが進まない


「お嬢様どうなさいました

 雨にれて風邪かぜでもひきなさったか」


イノ助が心配して声を掛ける

「そうかも知れないわね」

「それはいかん、

 なら飯を食べて体力を付けねば

 無理してでも食いなされ」


加乃恵は笑いながら

「イノじいの言う通りにしますよ」

はしを動かした


後片付あとかたずけけを済ませ部屋に戻ると

たたみの上に桜の花弁はなびらが落ちていた

加乃恵は花弁はなびらを手の平に乗せ

じっと見つめる


つい数時すうとき前には

幸せを全身で感じていたのに


その幸せは一瞬で消え去り

奈落ならくき落とされてしまった


はかない夢だったのだ

忘れようすべて忘れなくては

そう自分に言い聞かせても

丞吉郎じょうきちろうへの想いは消すことができず

切なさで夜通し涙で枕を濡らした


――   ――   ――


あの日から十日もつというのに

加乃恵に会う手立てが無く

丞吉郎じょうきちろうは考えあぐねていた


青谷あおや家へたずねて行こうかとも思ったが

下手へたをして出会であい茶屋の件が知られれば

傷が付くのは女の加乃恵である

ならば親に加乃恵を嫁にしたいむねを話し

世話役せわやくを立て

正式に青谷あおや家に縁談えんだんを申し込もう

と決めた矢先やさきに城に呼び出された


――――――――――


七夕戸たなと藩は

薩長さっちょうひきいる倒幕派を支持している


あくまでも支持しているだけで

積極的に関与はしていない

吹けば飛ぶような小さなはん

財力も軍事力もとぼしく

薩長からもてになどされては無い 


丞吉郎じょうきちろうをはじめ三十名程の家臣かしん

謁見えっけんの間に通された

城代家老じょうだいかろう等が前にひか

藩主はんしゅ様をおむかえしたのだが

何のために集められたのかは誰も知らない


井関いせき城代家老が口を開いた

「いよいよ討幕軍とうばくぐんの勢力は増してきた

 我が七夕戸たなと藩は弱小ではあるが

 ここで参加せねば末代まつだいまでの

 其方等そなたらには江戸におもむき討幕軍と合流し

 尽力じんりょくしてもらいたいと殿はお望みである」


要するに

このまま何もせずにいて

薩長率さっちょうひきいる倒幕とうばく派に

七夕戸たなと藩を忘れられては困るので

ほんの少しでも実績じっせきを残したい

だから江戸へ行けと言う事だ



続けて井関城代家老が

「しかしながら

 必ずしも討幕とうばく軍が勝利するとは限らない

 口惜くちおしくも幕府ばくふが勝った場合は

 藩存続はんそんぞくのため

 其方等そなたら脱藩者だっぱんしゃとして御公儀ごこうぎに届け出る

 だが安心せよ、

 そうなったとしても其方等そなたらのことは

 良きにはからうと殿はおおせじゃ」


何と言う事であろうか

討幕軍に加勢しろと殿からのめいならば

七夕戸藩士として喜んで行こう

しかし倒幕が失敗したら切り捨てとは

あまりにも理不尽りふじんではないかと

腹の中で丞吉郎じょうきちろういきどお

しかし

藩士として藩主はんしゅめいそむく訳にはいかず

集められた者達は

その場で脱藩届だっぱんとどけを書かされた


丞吉郎は倒幕とうばくは必ずされる

と確信していた

練兵れんぺい館で共に剣術を学び親しくなった

長州藩士の山瀬やませ匡孝ただたかから

倒幕派の話を詳しく聞き

徳川幕府は滅亡すると悟ったのだ


翌朝には江戸へ出立しゅったつするようにとめい

随分と急なめいだと丞吉郎じょうきちろうあきれた


出立しゅったつするのはかまわない

だが加乃恵の事が気掛きがかりである


せめてふみでも書き送ろうかとも思ったが

帰郷まではそう長く掛からないだろうし

何と言っても

加乃恵とはちぎりりを結んだ仲なのだ

自分の帰りを待っているに決まっていると

そのまま加乃恵に会うこともせず

何もげずに江戸へと旅立った







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