窓辺のひまわり

 暑い、と感じるようになって、もうずいぶん経つ。気温は当然のように、毎日三十度前後になる。むしろ三十度を超えずに済む日はかなり珍しくなった。深夜になってやっと二十五度ないくらい、眠りに就く頃はまず熱帯夜と呼べる気温。体は冷たいものを欲することにすっかり慣れている。これでも気象に詳しい人にいわせれば、今はまだ梅雨であるらしい。梅雨であるらしいけれども、外では毎日せみが鳴く。


 空の青は鮮度を増し、太陽はじりじりと肌を焼く。体は必死に適当な温度を保とうと、これでもかと汗をかく。そしてもっともっとと水分を欲する。さらにはアイスでも食わないかと誘ってくる。


 ——ああ、食いますとも。


 周りの畑に、ころんとした赤茄子とまとっているのを見かける。紫色の長細い茄子も。

 田んぼはみずみずしく緑に染まり、きらきらとよろこぶように陽の光を浴びている。


 汗でじんわりと湿って重たくなった上衣シャツの腹のあたりをつまんで、服のなかに空気をとりこむ。こうして涼しいのは服のなかより周りの温度が低いときだけ。わかってはいても服のなかに空気が欲しい。風が欲しい。

 からになったアイスの容器ボトルは咥えているだけで口許が熱くなるもので、おれは容器ボトルを手に持った。


 「あーっ……ちいー……」

 「わかったから黙れって」と葉山。

 「聴くだけで暑いっつの」と金城。


 ああもう、みんな性格悪い。隣にいる金城はともかく、ちょっと前を歩いている葉山は黙れというためにわざわざ後ろ歩きした。


 「黙って涼しくなるか?」といい返すと葉山は「いって涼しくなるか?」と跳ね返してくる。それからようやく前を向いた。


 「黙ってて暑いんじゃ喋ってて暑いほうがしあわせだよ」

 「いや喋って暑いなら黙ってて暑いほうがしあわせだね」と金城も折れない。


 「しかし、おまえは涼しげだな?」と葉山。

 「いや、暑いよ」とその隣の向日むかい

 「おまえ、近畿からでてきたんだっけ」

 「うん」

 「どうだ、地元のほうが涼しいか」

 「そうかもね。こっちは暑くて死にそうだよ」


 「風原かぜはらはどこだったっけ?」と、金城が食べ終えたアイスバーの棒を揺らしておれを見た。

 「おれ東北」

 「ああそうだ、仙台だっけ。そんじゃ大変でしょ、関東の熱気」

 「いいかげん帰りたいね」とおれは苦笑した。ふと、一歩先で向日がこちらを見た。涼しげな目はなにをいうでもなく、すぐに前に向き直る。


 「おれからすれば、関東はいいよ」と金城は懐っこく笑う。「まず、雨がよく降るでしょ」

 「ああ、雨好きなんだっけ、金城」

 「台風みたいな激しいやつじゃないよ。あんなに激しくちゃだめだ」

 「沖縄出身者がいうと言葉の重みが違うね」とおれは笑い返す。


 金城はぐいっと伸びをして、そのまま頭の後ろで手を組んだ。

 「あー、もうすぐ夏休みかあ。あと一週間くらいだっけ」

 「九月の最初の平日以上に嫌われてる日はないだろうね」

 「夏休み明けの先生って、なんであんなに怖いんだろう」

 「夏休み中なに食ってたらあんな張り切れるんだろうな」

 「あのエネルギー見せつけられるだけでうんざりするよ」


 たしかに、とおれは笑った。


 「てか、今年は飛んでくれるかなあ、飛行機」と金城は思い出したようにいった。

 「そういや、去年は帰るの遅れたんだったね」とおれは応じる。

 「やっと帰れると思ったのにさ。ああいや、風原たちと寮で好き勝手やるのは楽しかったよ。自分らでわちゃわちゃ食事の用意するのとか新鮮だったし。でもやっぱりさ、普段あんな蘊蓄うんちく披露大好き寮父のつくった飯ばっか食べてると、母さんの手料理とか恋しくなるじゃない」

 「ああわかるよ。実家の味ってやっぱ特別だもんな」


 庭にぽつぽつとひまわりが咲きはじめた古い木造の建物が見えてきた頃、「今年は」と金城がつづけた。


 「風原、帰るの?」


 おれはあいまいに応じながら、『修燈館しゅうとうかん』との札のでた門柱の横を過ぎ、寮の庭のざりっとした、砂とも土ともつかない地面を踏んだ。

 適当な理由を考えようとすると、どうしてもあの、おれの寝台ベッドを独占しようとする雑種のでかい犬の顔が浮かぶ。なんとなく熊っぽいような、賢そうに見えるには見えるけれども、それよりもやや優勢に、ぽやんとしていそうにも見える、なんともかわいらしいでっかい犬。

 「蘭丸に会っちゃうとなあ……戻ってきたくなくなっちゃうからなあ……」

 「蘭丸ねえ。そういえば、なんでそんな古風な名前にしたの?」


 「時代小説にでてきた美青年の名前」と答えたとき、ちょんちょんと飛び跳ねるように駆け寄ってくる猫がいるのに気がついた。その愛らしさに暑さも疲れも吹き飛ぶ。


 「! おおよしよし、おいでおいで……」

 おれはしゃがんで小さく手を叩く。すぐそばまで走ってきたは、丸い大きな目で見あげながら、にゃあーん、とかわいい声を聴かせてくれる。おれは言葉じゃ表しきれないほどの愛おしさを持って、にゃんこの頭やら首やら胸やらを撫で回す。

 「ああかわいいかわいい。んー、ごろごろいってるの。んんー、かわいいねえ」

 「今頃東北じゃあ、蘭丸が嫉妬してることだろうよ」と葉山。

 ぴた、とにゃんこを撫で回す手が止まる。

 「なっ……なんてことをいう! おれはいつだって平等を重んじる!」

 「浮気に罪の意識がないやつはそうやって手前の罪を重くするんだよ」と葉山は苦笑する。

 おれはふんと笑ってやった。

 「ご忠告どうーも。おかげで一途な風原くんがさらに一途になったよ」

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