第3話
「さて、君たちの話を聞こうか」
一通り、皆が一杯目のお茶を飲み終わった頃、アルが組んだ手の上に顎を乗せてそう言った。
「話?」
バンリがからくり人形にカップを渡してそう言った。
「そう、話」
しばし、静かな時間が流れた。話を振られた子供たちが、何を話せばいいのか、また、話していいのか困っていた。すると、アルは少し考えて、言い方を変えた。
「例えば……そう、君たちは、君たちの住む世界をどう思うかね?君たちの日常を、気に入っているかい?」
「退屈」
即答したのはバンリだった。
「つまらない」
そう言ったのはアヤカだった。
「怖い」
そう言ったのはエイタだ。
「うん。私も。怖い。それと、息苦しい」
そう続けたのはカナだった。
「おいおい、」
少し呆れたように言ったのはダイスケだった。
「なーんか、暗い感想ばっかりだなぁ。ま、オレも、気に食わないヤツとか、いるけどさ。意味も無く突っかかってくるヤツとか。ケンカ売ってくるヤツとか。エイタを泣かせるヤツも嫌いだな」
「ダイちゃん……」
へへ、と、二人は笑い合った。
「でもさ、良いこともあるって思う。オレ、スポーツはスゲーできるけど」
「自慢?」
「そだよ」
バンリの嫌味もダイスケはするりとかわす。
「勉強はぜんっぜんできねーし。勉強時間は退屈だな。うん。つまんねーって思う。コーチはおっかねー時もあるし、色々だわ。うん。いろいろ。きっと、いろいろあるんだよ」
そう言って、ダイスケはうんうんと頷いた。
「そう」
レオが静かに口を開いた。
「世界は全てを内包する。全も、悪も。正も、邪も」
「ごめん。オレ、ぱーだからわっかんねー」
ぽりぽりと頭を掻くダイスケにバンリが説明を始めた。
「相反するもの……反対のもの。昼に対して夜、とか、白に対して黒、とか、暑い、寒い、とかは分かるだろ?」
「うん」
「そういうものが、全部ある、ってことさ」
「そんなの、あったりまえじゃん」
「そう、当たり前だ」
「だから、面白い」
レオが静かな微笑みを見せた。
「君たちもある意味逆の存在だ。勉強ができるバンリと、運動ができるダイスケ。その二人が今、同じことについて話をしている」
レオの言葉に、ダイスケは、おお、と声を上げて感心した。
「バンリはダイスケをどんなふうに感じる?」
「単純バカ」
「おい!」
「でも、嫌いじゃない」
ダイスケのストレートな意志は思わぬツボをついていて面白いと、バンリは感じていた。難しい理論や数式をすっ飛ばして、真理に行き着くような、そんなダイスケを嫌いではなかった。
「おっ、オレも、バンリ、嫌いじゃねーよ。オレの知らないこと、いっぱい知ってるしな!」
何故か得意そうになるダイスケを、バンリも憎からぬ目で見つめた。
「そう。異質なものが出会えば、反目……つまり、喧嘩になることもあるが、必ずしもそうではないということよ」
李山も頷きながら言う。
「同じ国のものが和すのも難しく、それ以上に、異国のものと相和すのも難しいが、違う者同士が出会い、認め合えば、得られるものは大きい」
「えっと、」
ダイスケがまたついていけなくなっていた。
「日本人同士が仲良くなるのも難しいこともあるけど、国が違う人同士が仲良くなる方が難しいけど、違う国の人同士が仲良くした方が良いことが増えるってことよ」
今度はアヤカが説明した。
「ホラ、ハーフの人って美形が多いじゃない」
そこまで言うと、ダイスケはぽんと手を叩いた。
「ああ!」
「それは違う意味もあるんじゃ……」
バンリが突っ込むが、
「全く違うわけでもないし、分かりやすいかと思って」
「まぁな」
「アヤカ殿とバンリ殿は通詞のようでありまするなぁ」
李山も機嫌よく笑っている。
「通訳のことよ。洋画の吹き替えみたいな」
「なるほどなー。ホント、分かりやすいよ」
「それも、バンリ殿、アヤカ殿が、皆と過ごすこの時間を大切にしたいと思うからであろうなぁ」
「俺、は」
「私は……」
二人は同時に話し出した。そして、呟くように、別に、と、付け足すと、照れてうつむいてしまった。
二人には確かにそういう気持ちもあった。自分の知識が誰かの役に立つということが、単純に嬉しかった。そして、それを認められることも、褒められることも。
そんなアヤカとバンリを、カナはキラキラした目て見ていた。
「そうだ。バンリやアヤカもスゲーって思うけど、エイタだってスゲー特技があるぜ!」
「ちょ、ダイちゃん?」
「ほぅ。それは何かな」
アルがあからさまに興味津々という顔をした。
「歌だよ歌!なぁ、あれ、歌ってくれよ、あめ……なんとか」
「アメージング・グレイス?」
カナが小さな声で言った。
「そう、それ!」
ダイスケが言うと、カナは小さく笑って
「私も、好き」
と、言った。エイタはそんなカナを見て、歌ってあげたいと思った。誰かのために歌いたいと思ったのは初めてだった。ダイスケの前で歌う時は、いつも、ダイスケが自分を気遣ってくれていることを知っていたから。
「……でも、うまく歌えるかなぁ。ボク、人前が苦手なんだ……」
エイタが心から困ったという声を出すと、アルが
「では、暗くしようか。そうすれば顔も見えない」
そう言ってパチン、と、指を鳴らす。すると、ふっと明かりが消えた。
(真っ暗……)
エイタは今度は不安になった。すると、あちこちで、星のような瞬きが始まった。それは、満天の星空のようだった。
「う……わぁ……」
エイタは宇宙空間に立っているような、そんな気持ちになった。心臓がどきどきして、心の内側から何かがせりあがってくるようだった。星の瞬きが、伴奏しているように見える。イントロ、そして、自然にエイタの口から声が溢れた。
そこからはもう、波のようだった。心から湧き出る波に、エイタ自身も大きく揺られ、それでいて怖くはなく、ただただ、心地よくなっていた。自分が、自分の心が、何か大きなものと繋がり、その大きな何かが、自分の口を借りて、声を出している様な気すらした。それもまた心地よく、エイタはその大きな流れに身を任せ、存分に歌った。
そして、歌い終わると、辺りが静寂に包まれた。星が、高く高く、清らかな音を響かせている。その余韻を、エイタが、皆が楽しんでいた。
そして、辺りが明るくなると、大きな拍手が送られた。そうして、やっとエイタは皆の元へ戻って来た。
「あ……」
皆の前で歌っていたことを思い出し、かぁっと赤くなる。
「スゲー!今まで聞いた中で一番スゲーよ!」
「正にアメージング」
「素晴らしい」
「ある殿ご自慢の蓄音機で録音しておきたかったですな」
「いやいや、生の声に勝るものはない」
「然り然り」
李山とアルの会話を聞いていたバンリは、その言葉の端が気になった。
(蓄音機……アル……)
しかし、その疑問はレオの声でどこかへ行ってしまった。
「カナ殿の絵も素晴らしいぞ」
皆がカナを見ると、いつの間にか絵筆を握っていた。
「どこから……」
アヤカの疑問にレオが目線で応える。それを追うと、カナの周りに筆や絵の具がふわふわと浮いていた。一瞬ぎょっとしたが、今自分がいるところが、常識の通用しない場所であることを思い出した。
(そうか。ここでは何が起きてもおかしくないのね)
カナはと言えば、画材が浮いていることを不思議とも思っていない様子で、器用にそれを使い分けている。そして、
「……できた」
そこにあるのは、美しい天使の絵だった。
「スゲー、きれいだ……」
芸術に疎そうなダイスケですら、ため息を漏らした。
「エイタ君の歌を聞いていたら、こう、わーって、イメージが出て来て……それで……」
カナは真っ赤になりながら一生懸命説明した。
「ボクの、歌?」
「うん。すごく、素敵だった」
エイタも照れて赤くなりながら笑った。あまり、人と接するのが得意でない二人だったが、誰かが自分の心に響くこと、そして、自分の心が、誰かの心に響くことを感じた。それが、こんなにも心地よくて、素敵なことなのだと。
「これは……ミケランジェロ殿がいないのが惜しいな」
レオがあごひげを撫でながら言った。
「おや、お二人は反目しあっていたのでは?」
「ライバル同士、認め合っていたということでしょう。そういう存在があることはうらやましくもありますな」
「まことにござりまするなぁ」
(ミケランジェロ……レオ……)
笑い合う、おじさん、三人を見ながら、またもバンリはぶつぶつと言っている。何かを思い出しかけるのだが、思い出せない。その様子をまた、三人は微笑んで見ている。
だが、その表情が寂し気になった。
「さて、子供達よ。時間が来てしまった」
「時間?」
「そう。ここは時間の狭間に出来た、邂逅の時」
「かいこう、って、何だ?」
「出会い、だよ」
相変わらずのダイスケに、バンリが静かに言った。バンリにはもう、彼らの正体が分かっているようだった。
「皆さんは、もう、亡くなっている方、ですか?」
「ほぅ、最後の最後に敬語を使われた」
李山がぱらりと扇子を開いて言った。そして、続けた。
「地球の時間軸。そなたらの時代では、そうであろうな」
「では、僕たちも?」
「否」
「あれは、死者を乗せる汽車ではない。いや、それだけではない、と、言うべきか」
「あれは、」
「時間と空間を越える汽車」
今までに聞いたことのない声が重なった。
「おお、参られたか」
李山が微笑み、視線を向けた先に、黒いコートと、黒い帽子の男が立っていた。
「汽車が、遅れましてね」
優しい微笑みを湛えて、男は皆を見た。
「彼らが、僕らの仲間ですか」
「左様」
「とても良い色をしている」
「閃きの匂いがするよ」
「ここで分かれるのは残念だが……」
そう言って、李山が再び彼らの元へ近づいた。
「君らは自分の世界に帰らなければならない」
「ひとつ、言葉を授けよう」
「そこが退屈ならば、君たちが退屈でなくすればいい。そこを怖いと感じるならば、君たちが怖くなくすればいい。それらが出来ないと思うならば」
「世界が広がるまで、待てばいい。忘れてはならない。君たちはまだ子供だ。世界は君たちが思うよりもっともっと広いのだ。その広い世界を、どこまでも飛べる翼を、今は育てる事だ」
レオがそう言うと、子供たちの身体がふわりと浮いた。
「また会おう、小さな同胞よ」
「帰り道はかなり荒いぞ、気を付けて行け」
「なあに、ダイスケとバンリがいれば、大丈夫」
子供達はぐんぐんと高く上がっていく。
「ちょっとまって!」
バンリが珍しく声を上げた。
「あなたは……あなた方は……」
その声は、大きく口を開けた星空に消えた。
五人はその星空に吸い込まれるように入っていった。そして、その星空を飛び回っている。
「ちょ、これ、どうすればいいの?」
アヤカがじたばたしながら言った。
コントロールできないのだ。
「今、考えてる!」
バンリが返すが、今のところアイディアはないらしい。
すると、
「ちょっと待てよ!」
ダイスケがそう言うと、くるくると器用に体を回し、すっと空間に、立った。地面があるわけでは無いから、立ったという表現はおかしいのかもしれないけれど、立ったような感じになったのだ。もちろん、回転も止まった。
「へへっ」
ダイスケは得意そうに笑った。そして、他の皆も助けようと動き出そうとすると、
「ちょっと待て」
バンリがそれを察して止めた。
「いいか、今、お前がそこに立っていて、つまりは地面はないわけだから、他の奴を助けたいなら……」
「あー、もう、だからそういうの、わかんねーんだって!」
バンリが何かしらの作戦を立てようとしたのだが、ダイスケはそれを待つことができず、動き出した。しかし、エイタを助けようと手を伸ばすと、その勢いにつられて二人ともくるくると回り出してしまった。
「わわわっ」
「それみろ」
バンリは流されながら言った。そして、何かを考えて、
「ダイスケ、今から俺の言うとおりに体を動かせ」
「わわわ、分かった」
多分、何かしらの小難しい計算をしたんだろうなと思いながら、ダイスケは訳も分からず体を動かした。すると、回転も止まり、エイタと一緒に立つことができた。
「おおお」
驚くダイスケにバンリは得意そうに笑って見せるが、飛んでいる状態では何とも恰好がつかない。ダイスケは今の感覚をもう覚えていて、さっとバンリに向かって飛んだ。そして、バンリも止まることができた。
「すごいな、ダイスケ。もう今の原理を理解したのか?」
バンリが素直に驚いていると、ダイスケは
「ゲンリ……とかは分からないけど、さっきバンリが教えてくれたことがあるだろ?それから考えてこうかなーって思うようにしただけさ」
「……カン、ってことか」
「そそ、」
ダイスケはそう言って笑うが、それだけではないだろうとバンリは思った。ただのカンと言うよりは、天性の運動センスだろう。バンリは素直にダイスケの能力を認めていた。
ダイスケはその後、他のメンバーの動きも止め、やっと皆が落ち着いて話ができる状態になった。
すると、夜空の星がちかちかと光って、どこからか美しい音楽が流れて来た。
「これって……」
カナが呟く、すると、エイタがにっこりと笑った。
「家路」
その言葉に、素直な懐かしさと、胸を焼く小さな痛みを感じた。
帰ればまた、退屈な日々があるだけなのかもしれない。
怖い人たちの中で生きなければならないのかもしれない。
友人が傷つくのを見なければならないのかもしれない。
ひどく落ち込むことがあるのかもしれない。
自分がそこにいていいのか、悩むのかもしれない。
それでも、
「家路、は、何かの楽曲の一部だったよね」
アヤカが言った。
「ドヴォルザークの、『新世界より』だな」
バンリが答える。
「新世界……」
カナの口から言葉が零れた。
「創ろうぜ。オレらで。退屈しない、怖くない、傷ついても、落ち込んでも、それを乗り越えていける、新世界をさ」
ダイスケが笑う。
「夢、大きすぎだよ、ダイちゃん」
エイタが笑った。
でも、
みんなが、そうであったらいいと思えた。
「オレたち、まだまだこどもだぜ?ちっさい世界しか知らない。これからどんどん大きくなってさ、広い広い世界を見るんだ。どんどんどんどん、今までの世界をぶちこわして、きっと、大きくなれる。そんな気がする」
ダイスケは目をキラキラさせて言った。
「カン、か?」
バンリが意地悪そうに言う。
「おうよ。でも、オレのカンは当たるぜ。見たろ?さっきの」
「ああ、そうだな」
そう言って、バンリは大きく息を吸った。
「お前らみたいなのが、世界のどこかに居てくれるなら、あの世界も悪くない」
バンリはそう言って皆を見回した。カナとエイタは自信なさげに自分を指さしていたが、バンリははっきりと頷いて見せた。アヤカと目を合わせ、笑う。彼女もまた、同じ思いだった。
「また、会える?」
カナの小さな声に、全員が声を合わせて大きく応えた。
「絶対!」
それを合図とするように、皆を、強い光が包み込んだ。
どこか懐かしい温かさのする光だった。
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