屋上、 夕暮れ
夕日が沈んでいく。
君たちは屋上に来ている。休憩エリアとして開放されているハッピーモール・イーストの屋上には、四季の花が観賞できる庭園と、子供たちが遊ぶためのプレイスペースが設けられる。辺りには家族連れの他、談笑するカップルや一人客の姿もいくらか見られた。
空気に冬の気配が滲みはじめる今、庭園エリアにはコスモスが一面にその花を咲かせている。珍しい花ではないが、それでも集まると壮観なもので、あいだを縫って敷かれたウォーキングスペースには、スマートフォンを構えて写真を撮る人の姿がある。
一方、君と相手は、庭園の端にあるベンチから、夕日色に染まる空と街並みを眺めていた。
「家ばっかりですね。この辺って。」
5階建てのハッピーモール・イーストは、周囲の建物よりも頭ひとつ高いため、その屋上からは広く眺望がきく。だがそもそもが郊外にあるショッピングモールなので、眼下に広がるのはどこにでもある住宅街。周りは家々の屋根が形作る凹凸ばかりで、そこに沈んでいく太陽は、まるで咀嚼されるようにも見えた。
だが、そのような風景にあっても、残陽が伸ばす光の掌は、柔らかく君たちを包んだ。今日一日の疲れだとかが、そこに溶けていく気がした。
カラスが一羽、遠くの空を、より遠くへと飛んでいくのが見えた。
「こういう風景、あんまり好きじゃないです。」
そう話す相手の横顔をちらりと見ると、君と同様にくたびれているのか、その表情にはどこか力がない。
「こういうって、夕日ってことですか」
一方の君は、この風景が嫌いではない。君は自然が作る風景が好きで、朝焼けが夜空を貫く様や、川面が陽光を受け光る様などを見ていると、思わず見入ってしまう。ここから見える夕焼けの景色も、確かに家だらけだが、日常では得難い美しさを、君は覚える。
「ああ、いえ、そうじゃなくて」
相手は背もたれに体を預け、一つ息をつく。
「家ばかりの景色が、嫌いなんですよね」
家ばかり。なるほど、それには君も異論がない。
もう一度、広がる民家を見渡す。どこまでも家だ。
家以外には、その合間からコンビニだとかガソリンスタンドだとかの看板が顔を出す程度。この街にも人が増えた。君が子供の頃に空き地や緑地だった場所は、次々に家に変わっていった。水田は埋められ、草木は刈り取られた。そうして作られた土地に、また新しく人が住んだ。その繰り返しで、いつしかこんな風景ができたんだろう。
既に宵の口に差し掛かって薄暗い町。家々には明かりが灯り始めている。高所からだと、それらは暗がりに光る
「まぁ確かに、綺麗な風景ではないですね。本当に家ばっかりで自然が全くない。」
―海でも見えたら、最高だったけれど。
そういう場所に誘えば良かったのかな、などと、君は今更思う。
「ああいえ、それも違うんです。そういう意味じゃ、ないんですよね。いや、自然が多かったら良いっていうのはそうだと思うんですけど。」
では、どういう意味なんだろう?
疑問に思った君は、今日一日反らしてばかりいた目線を、今ははっきりと相手に向けて、続く言葉を待つ。
相手は一瞬、風がふくのを待つかのように口ごもった。そして君に尋ねた。
「こういう風景を見て、どう、思いますか」
今日初めて、相手と目が合った。
だが君はまた顔を伏せてしまう。自分のスニーカーの先、何もないところに意識を追いやろうとするが、頭の中では相手の言葉がぐるぐる回って上手くいかない。返答を待っているのだろう。つむじに相手の視線を感じている。
君は答えに戸惑った。どう、とはどういう意味だろう。
ここからの景色は、確かに風情のある景観とは思えない。てんでばらばらの人の営み。
だが、今日もそれぞれの家に、それぞれの人が帰り、それぞれの時間を過ごす。それを橙色の光が覆う。下から徐々に夜の藍に飲まれ、その狭間で町は色を失っていく。綺麗ではない。でも嫌いじゃない。けれど相手は、そういうことを訊いているんじゃない。
気まずい沈黙が続く。何か言葉を返さねばと思う。だが何も出ない。
「すいません。意味わかんないですよね。」
相手は君の返答を待ちかねたのか、そもそも期待していなかったのか。自嘲するように言う。何も言えなかったことへの後悔がしみ出してくる。的外れでもいい。何か、何か言えないか。
「変なこと言ってすいません。そろそろ、行きまし――」
相手が立ち上がろうとする。それを遮るように、君は口を開いた。
「あの!」
思いがけず大きい声が出てしまう。周りの視線が一瞬こちらに向いた。再び訪れる沈黙。相手も驚いている。だが、目を少し大きく開いて、立ち上がりかけたその姿勢のまま、君の言葉を待っている。
「あの、意味を、教えてくれませんか。その、このままじゃ気持ち悪いんで…。」
いつの間にか、相手と目が合っていた。そのことに気づき、あっという間に顔が熱くなる。きっと耳まで赤くなっている。夕日の色で誤魔化せていたら良い。
「あぁ、気持ち悪い、そうですよね。いや、でも大した意味はなんてないんですよ。ただ何だか、こういう家ばっかりの景色を見てると、何でか分かんないけど、悲しくなってくる時があって。」
あなたはどう思うのかなって、気になったんです。そういう相手の目は、家々の明かりと同じく、迫る宵闇に灯って見えた。
そこには数えきれないほど人が住む町。名もない切れ端の人たち。君と相手もそうで、だが違うこともある。切れ端の中にも、誰かと繋がっている人と、そうでない人がいるだろう。君は、君と相手は、いつか誰かと繋がるだろうか。
「さて、いい加減、行きましょう。体、冷えてきました。」
君を待たずに歩き出そうとする相手を、慌てて追いかけた。
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