下らない映画だった。
やはり、一言も会話はなかった。
上映中に会話がないのは当然のマナーだが、幕間の時間すらもお互いに無言だったのだから、君も筋金入りである。
売店で食い物を買い込んでる連中を尻目に入場し席に着くと、相手はさっさとスマートフォンに目を落とし、隣の君は手持無沙汰に腕を組み、喧しい予告映像だの、車の保険CMだのを眺めた。君もスマートフォンを触っても良かったが、そうしてしまったら、お互いの距離が今以上に離れてしまう気がした。それは憚られた。君なりの気遣いだった。
少し離れた席の、談笑しながらポップコーンを食う連中を見て、隔世の感すら覚える。君と相手も、ともすればあのような関係になったかもしれなかったのに。
それとなく周りを見渡すと、カップルも少なくない。座席の後ろから彼女の肩に手を回してる男がいた。そんな彼氏の肩に頭を寄せる女がいた。恥ずかしくないんだろうか。
そんな中、石を飲み込んだかのような心地で見ることになった映画だったが、その内容は、これに拍車をかけるような、味気ないものだった。
なんとか賞に選ばれた映画らしいが、この出来栄えでは、おおかたスポンサー様のご意向に沿った出来レースだろう。類型的な造形の主人公とヒロイン。薄っぺらい出来事で作られる境遇。感情移入よりも先に既視感が立つ脚本。地味な画。さすがに話の展開は要点を抑えてはいるが、賞を取ったにしてはありきたりで面白くない。だが終盤のキスシーンでは鼻をすする音が聞こえたから、泣いてる客もいたらしい。君には理解できない。
だから相手が好意的な感想を口にした時、君は驚いた。驚いてばかりの一日だ。
「結構、良かったです。ラストの辺り、こういう展開は見たことあるなって思いましたけど、でも普通に感動しました」
君たちは今、予定通り書店にいる。モール内の「キクノヤ書店」。
原作小説は映画の受賞を記念して、表紙に俳優らの写真を使った特別版が刷られており、これが棚の一角をせしめる。巻かれた金色の帯には仰々しく受賞の旨が書かれる他、映画評論家だのエッセイストだのの、わざとらしい誉め言葉のおまけつき。曰く、王道ラブストーリーの再発見。…お前は一体何を見失っていたのか。
「原作も内容はだいたい同じなんですかね。活字で読むと印象が変わるのかな」
君が胸の内で悪態をついている間に、相手は原作小説をパラパラめくって読んでいる。
君も手に取り、適当にページを開く。300ページくらいあって文庫本にしては厚いが、会話文だらけで空白の多い小説だ。これならすぐに読み終わるだろう。もっとも、買う気は毛頭ない。
横を見ると、相手はまだ読んでいる。まさか買う気なのか。裏表紙を見て値段を確認すると、800円弱。バカバカしくなって棚に戻す。
「こういう映画の原作の小説とかって、見てていつも疑問に思うんですよね」
相手は表紙に目を落とす。映画を思い返しているのか、視線はどこか定まっていないように見えた。
「アカデミー賞を取った映画とかって、原作は映画には全然関係ない人が書いた小説だったりしますけど、あれって、どうなのかなって。だって、ストーリーを考えたのは別の人なら、それってスゴいのは映画なのか、原作なのか、分かんなくなるから」
君はカメラの前で笑顔を見せる監督と主演俳優を思い浮かべる。
スポットライトの下に立つ人たち。しかし同じように映画に関わっていても、そこにいない人もいる。むしろそちらの方がずっと多い。原作者もその一人になるなら、確かに思うところが、君にもあった。
「なんか、不公平だなって。原作者をもっと褒めてもいいのに。映画監督とかが、私の仕事ですみたいな感じで賞とか取ってて、それは違うんじゃないって、思うことあるんですよね」
相手の白い指が、本を撫でる。憐憫か、同情か。君もその感情が誤りだとは思わない。そこにいないけど、欠かせない人。それらへ思いを馳せることは、誤りではないと思う。
「……確かに、そうですね。」
少し緊張する。思わず早口になりそうなところを、意識して遅く、君は話し始める。
「でも、小説の文章をどう映像に変えるかっていうのは、映画のスタッフのクリエイティブだと思います。だから不公平ってほどでもない…のかな。多分ですけど。」
カメラに映らないカメラマン。後頭部しか映らないエキストラ。その中には、たぶんいてもいなくても良かった人もいる。だが原作者は絶対にそうじゃない。監督や主演俳優と同じくらい、いなくてはならない人。でも映画賞はもらえない。
でも案外、壇上にお呼ばれしても断ってたりするのかもしれない。私が原作です、だなんて、前に出たがる人の方が珍しいのかも。
だから原作者を憐れんだり、代わりに怒ったりしなくてもいい。だけど、そうして憐れんだり怒ったりすることの根っこには、多分、不器用な優しさがあるんだろう。
君は少し大きく息を吸って――
「あの…さっきの映画、そんな良かったですか」
顔を下にして表紙を見る相手に、君から話しかけた。
相手は意外そうな顔で、君に視線を向けなおす。君はつい顔を反らしてしまう。よく考えると、話の流れにあっていない質問だったかもしれない。この言い方では、相手を蔑む発言だと読み取られてしまうかもしれない。口を開いた後でいくつもの後悔が君の中で駆け巡る。
「え…はい。まぁ、大傑作ってわけじゃないですけど、良かったなって思いましたよ。」
だが君の心配はやはり空回りしている。相手は気を悪くした風ではない。
「でも…そんなこと訊くってことは、あなたは違ったんですか。」
「…はい。自分は、正直…ちょっと微妙かなって思いました。主人公とか、ヒロインのの背景とか、人物像とか…とりあえずこうしとけば共感される、感動される…みたいな、浅いところに留まってるっていうか」
相手の視線を頬に感じて、顔が熱くなる。どこまで本音を言えば良いのだろうか迷ったが。この人には、建前を話す必要はない。君はそう直感した。
それでも、言葉を選んで、君は続ける。
「ストーリーも、外してはいないけど、王道を行きすぎているというか…。賞を取ったにしては、ちょっと、ありきたりかなって感じました。良いけど、良いだけって言うのかな。」
話し終えると、相手が息を一つ、息をつく、その微かな音が耳の届いた。書店の、どのような時でも失われないその静けさ、穏やかさ。そこをまっすぐ通る音だ。
「…なんて言うか、やっぱり、合わないですね。」
映画を見ながらそんな面倒くさそうなこと、考えたことないです――
怒らせたかと不安になり、横目で相手の口元を見る。だが君の予想に反して、ひょっとすると苦笑とか、呆れているだとかなのかもしれないが、その口元は確かに、綻んでいた。
君にはそう見えた。
「気になるんですけど、逆に、そういうことを言うアナタが面白いと思う映画って、何があるんですか?」
当然と言えば当然のカウンターパンチ。君は再び、口をつぐむことになった。
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