コーヒーショップ
ハッピーモール・イーストは、4年前にオープンした地域最大のショッピングモールだ。
元は市場だった土地を開発しなおした敷地は50000平方メートルの広大さを誇り、2500台駐車可能な立体駐車場を併設する。これは地域史にも稀な大規模な計画だった。オープンに際しては近くに新たなバス停まで設けられた。
そうして地域の盛り上がりを望む市と周辺企業の後押しもあった結果、オープン初日から大盛況だった。近隣住民はもちろん、市外からの来訪客まで集まり、周辺道路の混雑がクレームになるほどだった。渋滞は週末になる度に起こり、これが市議会の当面の悩みの種になるほどの賑わいを見せた。
テナントは暮らし、文化、食の3つを柱に集められた。その顔触れは多様で、生活に根差した食料・日用品店から、流行を先取らんとするセレクトショップ、若者向けのポップカルチャーを扱う専門店まで広くそろう。最上階にはショッピングモールには定番の映画館が設けられている他、同フロアのグルメエリアには軽食から郷土料理まで、自慢の一品を振る舞うレストランやカフェが軒を連ねる。
グルメエリアの中でも最もにぎわうのは、15の出店店舗がひしめくフードコート「ハッピーモールキッチン」だ。ボックス席から一人客向けのカウンター席まで、有する座席数は実に900。サンルームを意識してデザインされたエリアは、大胆な一面のガラス張りから望める自然の風景と採光の中、食事を楽しむことができる。
当然、休日の午前中とあらば混雑は必至だ。君たちは二人は喧騒の中、気まずい時間を過ごしていた。
「……。」
君は『ニックバーガー』で買ったホットドッグとオレンジジュースを乗せたトレーを持って、手が待つ席へと向かう。足取りは重い。油に塗れたホットドッグのソーセージが、天窓から差し込む陽光で白くぎらつく。あまり食欲がわかない。
「………。」
席に戻ると、相手は既にどこかで買ってきたハンバーガーを食べている。君には目もくれず、テーブルに直接置いたスマートフォンを見ている。行儀が悪いなと思ったが、どうせ君も人のことは言えない。
君は無言で向かいの席に座った。オレンジジュースを一口啜る。瞬間、想像以上の酸味にむせた。口から噴き出さないよう、歯を食いしばった。口の中で咳を飲みこむ。
「…………。」
今日の予定は事前に決めてある。
と言っても、昼から映画を見て、その後は書店に寄って、後は適当。何せお互い希望らしい希望はなかった。それでもテナントが集まるショッピングモールなら、時間を潰すには困らないと踏んでいた。だがこの沈黙ぶりでは、困るどころでは済まないかもしれない。
上映中にお腹が鳴るのはイヤだ、と映画の前に昼食を取ることを望んだのは相手だった。こうして賑やかな場で食べ物を挟んでいざ席に着けば、何か会話があるかもしれないと思った。だがこの雰囲気だ。気まずい。
―ひとまず、このホットドッグだけでも平らげておかねば。
自ら沈黙を破る気概は無し。しかし静寂を流すしなやかさも無し。君はとりあえず間を繋ぐために、腰を引く食欲を無理矢理に叩き起こす。
やれ食うぞと口を開いたその時、まさか、不意をつくように相手から話しかけてきた。
「あの、映画って12時半からですよね?」
君は驚いた。まさか会話をする意志があるとは思っていなかった。寸瞬、口を開けたまま固まる。慌てて手に持っていたホットドッグをトレーに置き、答える。
「…あ、はい。ですね…はい。そうです。」
「あと40分か。微妙な時間ですね」
「…で……ですね」
――もしかして、意外と怒ってないのか?
頭の中を、形を得ない言葉が巡る。
ほんの二、三言だが、口ぶりから怒りや不快感は読み取れなかった。沈黙は続いたが、それは単に会話の無い時間を気にしない性格ゆえなのかもしれない。さすがに連れを無視してスマホを触るのは常識が無いと思うが、君はそんなことを言える立場ではない。それに好意的に見れば、取り繕ったりだとかをしないのだとも取れるだろう。
視線だけで相手の顔を盗み見る。やはり、あからさまな不快は見て取れない。だが顔に出さないだけかもしれない。それでも君は少し安心する。自分に怒っている相手と二人で映画なんて、見る前から気が滅入る。しかし事態は、思っていたより悪くはなさそうだ。
「今日の映画、賞を取ってましたよね。ニュースで言ってました」
壁に話すのが平気な
その合間に、フライドポテトをつまんで口に運ぶ。
君はその細く白い指を凝視する。ささくれすらない付け根から伸びる、光沢のある爪。蝋燭のような指。こんな人でも、フライドポテドだのハンバーガーだのを食べる。君にはそれが、とてもバランスの悪い光景に見えた。
「……………。」
再びの沈黙。
君とて、今日に備えて会話のネタを用意していなかったわけではない。君は頭の中で、頭の中の誰かと話す時なら、いくらでも饒舌に言葉を紡げる。だがそれは現前することなく消える。周りの音だけに二人が包まれる中、君は頭の中だけで言葉を作る。頭の中の自分とだけ対話する。
なのに、相手はそうではない。
「あの、やっぱり気が乗りませんかね、今日。でも、映画だけはとりあえず見ときません?」
相手は話す。君は顔を伏せる。ますます伏せる。そのくせ耳だけはじっと澄ましている。
「あの映画、それなりに気になってたんですよね。別の日に見てもいいけど、でも今日、見るってつもりでいたんです。そういうの、見ないで終わると気持ち悪くないですか」
相手は大きく息をつくと、カップを手に取り、ストローを口に。さっきまで君に向けられていた視線は、今は再びスマートフォンへ。
相手の意図が、君にはつかめない。
てっきり相手は、さっさと帰りたいのではないかと考えていた。相手だって面白くないに違いないと思っていた。だが、まさか途中で切り上げましょうともお互い言えない。だから相手はしぶしぶ一緒にいるだけだと察していた。
君のそういう驕りを、相手は上回っていく。君にとっての大きな壁は、相手にとっては、本当に何でもないことなのかもしれない。隣によく分からないヤツがいる。それは不快とかそういうのでなく、ただ、そういうヤツがいるってだけの話。
「嫌なら、別に帰ってもいいですよ。ただチケットは今更キャンセルとかできないですよね。だったら、見た方が良くないですか。お互い。」
それきり相手はスマートフォンに顔を向けてしまい、口を開くことはなかった。
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