約束の時間が迫っていた。

気を落ち着けようと大きく息を吸う。


冷たい空気が肺を満たす。だが緊張と不安が綯い交ぜになった体のこわばりは、今また君を縛り始めていた。


駅前を歩く人々の表情が、みな一様に気楽に見えてくる。手をつないで歩く親子。部活帰りかジャージで歩く学生。談笑するカップル。誰もが思い思いの休日を過ごす。そんな中、こんな心持ちでいるのは、この中で自分一人なんじゃないか――君はそう感じて、心細く思った。


歩道の街路樹はどれも葉を散らし、寒空の下に静かに佇んでいる。やがて季節が変われば、再び葉をつけ、春風に踊るだろう。その頃の君は、ひょっとすると今とは全く違う生活をしているかもしれない。その分岐点になり得るのは、確かに今日この日だ。


――ポケットのスマートフォンが震えた。約束の時間の5分前だ。


いよいよである。君は立ち上がり、ダサいパーカーに肩を入れなおす。このくらいの時間なら、既に相手も到着しているかもしれない。既に見られているのかもしれないと思うと、自然と不用意な仕草はできなくなる。




辺りを見回す。事前のアプリ上のやり取りで、お互いに身に着けた目印になるようなものを伝え合っている。相手の目印は、ベージュのハンチング帽に白の肩掛けカバン。君は黒のボディバッグに「ニコちゃんマーク」の缶バッジをつけている。我ながらこの缶バッジはどうかと思うが、他に目印になるようなものを、君は持ち合わせいなかった。


できれば相手から見つけてほしいと君は思う。理想は君が先に相手を見つけ、そして話しかけられるのを待つことだ。不自然な動きにならないよう気を付けながら、周囲に気を巡らす。何とか、相手を見つけられないか。


まだ早い時間帯だからか、駅前を歩く人はそう多くはない。いよいよ心臓は高鳴る。首の後ろが、そこだけ血が通っていないかのように冷たくなる。


確か相手は電車でここへ来ると言っていたから、改札口の方を見ていれば、あるいは。あの人か。いや帽子の色が違う。というか、ベージュの帽子に白いカバンなんて、他に似たような恰好の人がいてもおかしくない。ここは一度メッセージを送って、自分の居場所を詳しく伝えた方が良いのかもしれない。


そう考えた君は、スマートフォンを取り出す。見ると、メッセージが一見届いている。送り主は他ならぬ相手の名前だった。


『今、改札を出ました。どの辺にいますか? こっちから探しますね。』


相手は、もうここに着いていて、君を探している。改札を出たとあるから、多分、君は気づいていないだけで、もう相手を見つけている。


――そう思ったその時、君は昏い穴に落ちた。

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