第3話
「――ママ! マママママママママっ!」
靴を蹴飛ばすように脱ぎ散らかして帰宅したわたしを、母はいつもと変わらない穏やかな表情で迎えた。
「マがひとつ多いわねえ。おかえりなさい」
「ただいまっ、それでね、ママに聞きたいんだけど!」
「まあ珍しい。おやつがないか訊かないの? 今日はね、頂いたコーヒーがあるからゼリーに……」
「そんなのどうだっていいから!」
どす、と通学鞄を床に払い落として、叫んだ。
いつもと同じ、のんびりとした母の口調が、今日はなぜだかわざとらしく思えて苛立つ。
「ねえママ、シンジャ様っていったい何なの?! 変だよあのひと、おかしいよ、訳わからないよ!」
「そうねえ、シンジャ様は人ではないんだから、少しくらい不思議なところがあるのも当然よね」
「少し!? 少しくらいって何!? 前から思ってたけど、全然普通じゃないから! 幽霊なの? 怨霊なの? なんでわたしとママにしか見えないの、わたしたち呪われてるの?!」
いつもにこやかな母が、ほんの少し目元を曇らせた。困惑しているようにも、怒っているようにも見えた。母はシンジャ様をけして悪くは言わない。敬いなさい、と日頃からわたしに言うくらいだ。
「
「見守るって何?! 去年わたしが階段から落ちた時だって、車にはねられて吹っ飛ばされた時だって、あのひと見てるだけで守ってなんて全然くれなかったよ?!」
「でも、大きな怪我はなかったじゃない。シンジャ様のおかげよ」
「だったらそもそも事故らないように守ってよ! 意味わかんない! あんだけ偉そうにして、何様のつもり!?」
好き勝手吐き出すわたしに、母は困ったようにちょっと首を傾げてみせて、言った。
「シンジャ様はね、わたしたちの護り神。わたしのことも、たまちゃんのことも、たまちゃんの子どもも孫も、みんな護ってくれるのよ」
「は? なにそれ、わたし守られた記憶なんてない」
「自覚はなくても、守られているの。わたしたち一族はね」
一族。その言葉に、ふと気になった。
シンジャ様が口にした、わたしのおばあちゃんの魂のこと。わたしの一族をシンジャ様が守るというのなら、おばあちゃんも、シンジャ様に守られていたのだろうか。
「ねえママ、いつから? わたしたちっていつから守られているの、シンジャ様に。ママから始まったの? それともおばあちゃんから? それとも、もっと前?」
「おばあちゃんが若い頃から。もう百年も昔のことだと聞いているわ」
「そ…………」
それ、変じゃない?
思ったままに口にしかけて、ぎりぎりで我慢した。
百年? だって、明らかに計算が合わない。おばあちゃんはわたしが生まれる前に死んじゃったし、写真嫌いだったとかで遺影すらないからどんな顔をしていたのかも知らないけれど、そんな歳ではないはずだ。
(…………でも、ママのことだから、雑に答えただけかもしれないし)
母はよく言えばおおらか、わたしから見るとこの世でいちばん大雑把なくらいに無頓着な人間で、悪口みたいに聞こえるかもしれないけれど、ぼんやりしていて忘れっぽくて、そのうえ数字にも弱い。
わたしの歳どころか自分の歳すらも「忘れちゃった」と言い続けているので、母が正確に何歳なのか、実の子ですら知らない。でも、高校生の子供がいるにしてはかなり若々しい見た目をしている。
「そういえば、ママって何歳の時にわたしを産んだの?」
ごまかし半分、好奇心半分でわたしは訊いてみた。そうしたら。
「うーん、忘れちゃった。あ、でもね、たしか五十歳くらいだったかな」
さすがにそれはないでしょ、と思って、もはやがっかりさえしない。母は万事、こんな調子だ。愛想がいいのでうまく世渡りをして生きてきたタイプ。これでも女手ひとつでわたしを育て上げたのはすごいと思う。
「話を逸らしちゃってごめんね。それで、シンジャ様って、結局なんなわけ? どういう流れでわたしたちの守り神なんかになったの?」
「あのね、もともとシンジャ様は、おばあちゃんと仲の良いお友達だったの。でも、シンジャ様が神様に選ばれてしまって、一緒には暮らせなくなってしまって。だから、今までのように仲良くできない代わりに、おばあちゃんとその子孫を見守ってくれるって、約束したらしいのね」
「……神様?」
「そう、神様。シンジャ様はね、神様の花嫁さんなのですって。だからずっとあの外見のまま、歳をとらないの」
「そう、なんだ」
いきなり神様とか、作り話っぽい。わたしはそう思ったけど、でも、物心ついた頃から変わらない見た目の、超絶美少女のシンジャ様には、神様の花嫁というワードがふしぎとぴったりきた。作り話だとしても信じたくなるくらいの、妙な説得力が、その単語にはこもっている。
(じゃあ、友達だったから、おばあちゃんの魂を鈴に閉じ込めたの? 形見かなにか、思い出にでもしたくて?)
わたしは、シンジャ様の言葉を思い出す。
――ひどいのはあれの方だよ。私をのこして勝手に死んだ――。
「さみしかった、のかな。シンジャ様。おばあちゃんがいなくなっちゃって」
「そうかもしれないね。そうだといいわね」
「いい?」
「百年経っても忘れられないくらいさみしいなんて、きっと、ずっとおばあちゃんのことを思っているからよ。仲良かった分だけ、さみしくなるの。ふたりが友達だった証じゃない」
確かに、と同意を示しながら、わたしのなかにはちいさな疑問がひとつ生まれた。
友達だったから、さみしかったから、おばあちゃんの魂を鈴のなかに閉じ込めた。――だとしても、それを子供だったわたしに与えた理由は、なんなのだろう。
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