夢の原稿

増田朋美

夢の原稿

その日は、雨が降って、何処かの県では線状降水帯が発生し、甚大な被害が出たというニュースが繰り返し報道されていた。杉ちゃんたちの住んでいる静岡県では、さほど雨は降らず、電車も普通に動いていた。なので、普通に出かけることは可能だったのであるが、こういう平和な場所に限って、事件が起こるものである。

杉ちゃんとジョチさんは、電車に乗って静岡にでかけたのであるが、その帰り、富士方面へ向かう電車に駅員さんに手伝ってもらって乗せてもらい、富士駅に帰ることになった。もちろん、駅員が無線で連絡してくれたから、帰りの富士駅では、ちゃんと駅員が待っていてくれるのだけど、笑顔で待っていてくれないのが、嫌なことだった。

杉ちゃんたちは、予定通り、富士駅で車椅子わたり坂を用意してもらい、駅員に電車をおろしてもらった。すると、電車のドアの前に一人の若い女性が立っていた。杉ちゃんたちが電車を降りて、外へ出ようとしたが、その女性は足がすくんで動けなくなってしまったようで、電車に乗りたくても電車に乗ることができず、座り込んでしまった。電車は、発車時刻になってしまって、動いてしまったが、それでも彼女は電車に乗ることができなかった。

「おい、お前さん。」

いきなり声をかけられて、女性はびっくりした顔をする。

「ここで何してんだ?なんで、電車に乗ろうとしないの?一本電車を間違えたのか?」

杉ちゃんに言われて、女性は思わずギャーッと叫び声をあげて逃げようとしたが、足が絡まってしまって、その場に倒れてしまった。

「ああ、大丈夫ですか。僕たちは怪しいものではありませんよ。そう言うと怪しさが増しますかね?でも僕たちは、あなたのような人を見ると放って置くことはできませんね。だって、職務ですからね。」

と、ジョチさんがそう言うと、

「あ、ああ、あの、、、。」

と、女性は肩で大きな息をしている。

「なにか、持病でもあるんかな?こりゃもしかしたら、影浦先生に来てもらったほうがいいかもしれんぞ。そこの待合室で待たせてもらおう。」

杉ちゃんが急いでそう言うと、ジョチさんはスマートフォンを出して、電話をかけ始めた。

「すぐに来てくださるそうです。ちょうど、人もいないし、あそこの待合室は待っているのにはちょうどいいのではないでしょうか。じゃあ、ここで待ちましょう。」

ジョチさんは彼女の手を引いて彼女を待合室の中へ入れた。彼女はゼイゼイと肩で大きく息をしている。一見すると、心臓などに持病があるのかなと思われるが、体には異常がなくて、心の状態でそうなってしまう人もいるのだ。

「わかりました。わかりましたよ。大丈夫です。パニック発作はすぐに収まります。」

ジョチさんは、背中を擦ってやりながら、そういったのだった。待合室の外で待っていた杉ちゃんが、

「おーい、影浦先生が見えたぜ。」

と言って、影浦千代吉先生と一緒に入ってきた。

「患者さんはこちらの女性です。なんでも電車に乗ろうと思ったようですが、突然恐怖感でも覚えてしまったのでしょう。それで電車に乗れなかったようです。」

ジョチさんはそう説明した。影浦先生は、失礼いたしますと言って、彼女の隣の椅子に座った。

「あなたは今、興奮状態にありますね。ではゆっくり深呼吸して落ち着いてもらいましょう。いいですか、行きますよ。」

影浦先生の合図で、女性は大きく深呼吸した。まだ、ゼイゼイとしているが、少し落ち着いてくれたようである。

「はい。大丈夫ですね。安定剤を注射する必要はありませんね。あなたのお名前は?」

影浦先生がそう聞くと、

「袴田と申します。袴田真奈です。」

と、彼女は言った。

「袴田真奈さんですね。わかりました。ではどちらにお住まいですか?」

「はい。吉原駅の近くです。車の運転免許が無いものですから、しずてつストアに買い物に行って、富士駅から吉原駅に帰ろうと思ったんですが、電車に乗ろうとして、足がすくんでしまったんです。」

影浦先生の問いかけに真奈さんは言った。

「そうですか。確かに、パニック障害の方は、密閉された空間に乗るのが苦手と言いますからね。それは、症状なのですから、あなたが悪いわけではありませんよ。」

「しっかし、それでは、かなり重症なようだな。たった一駅でも足がすくんでしまうんだからな。」

と、杉ちゃんが口を挟んだ。

「杉ちゃんそんな事言ったら可哀想ですよ。今からタクシー呼び出しますから、ご自宅へ、道案内してください。お送りいたします。」

ジョチさんがそう言うと、影浦先生は、持っていた重箱を開けて、薬を一袋取り出した。

「とりあえず、3日分の薬を出しておきますから、それがなくなったら、かかりつけの精神科に行ってください。もし、誰から薬をもらったのかと聞かれるようでしたら、影浦千代吉から頂いたと言ってください。」

「ありがとうございます。あの、ちなみにあなた方二人は。」

彼女は薬を受け取って、杉ちゃんたちに聞いた。

「はい。僕は影山杉三で職業は和裁屋。で、こっちは親友のジョチさん。本名はえーと、忘れちゃった。」

杉ちゃんがそうきくと、

「また忘れてしまったんですか。僕は曾我正輝ですよ。製鉄所と呼ばれている、社会福祉施設の管理人をしています。」

とジョチさんは答えた。

「どうして、そんな偉い方が、ジョチさんと呼ばれなければいけないんですか?」

彼女、袴田真奈さんは、変な顔をしていった。

「いやあ、それは事情がありまして、親しみを込めてそう言っているのさ。だからみんなそう言ってるよ。僕みたいに、本名を間違えている人もたくさんいる。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうですか。でも、ジョチという単語は、あまりいい意味ではありませんよね。確か、私、ほんの中で読んだことがあるんですが、確かよそ者とか、部外者とか、そういう意味の言葉でしょう。それを、なんで親しみを込めて言うのですか。おかしいんじゃありませんか?」

真奈さんは、そういうのだった。ということは、かなり本を読んでいると思われる女性だと、杉ちゃんもジョチさんも思った。

「いいえ、親しみを込めて悪い意味のあだ名をつけることはよくあります。だから全然気にする必要はございません。もうその呼び名で定着してしまってますから、いじめでもなんでもございませんよ。今、運転手に電話させていただきました。もうすぐ来るそうなので、お待ち下さいね。」

と、ジョチさんはしたり顔で答えた。

「そうなんですか。なんだか着物を着ているから、異世界の住人さんみたい。私が書いている小説にも、そういうキャラクターを登場させてみたい。」

真奈さんはにこやかに笑った。

「そうですか。僕たちは、足が悪いので着物のほうがいいなと思っているだけのことであって、異世界の住人でもなんでもないんだけどなあ。」

と杉ちゃんが言うと、

「職務って何をされているんですか?」

と、真奈さんは聞いた。

「ええ。だから、お前さんたちの様な、パラレルワールドにすまなくちゃならなくなった人間を、こっちへ戻して上げること。例えば、精神科の先生を紹介したり、こうして、偶然あった患者さんを手助けしたり。あるいは、居場所として、製鉄所と呼ばれている部屋を貸し出す施設をやったりしているよ。あ、別に引き出し屋みたいに、入院施設にぶっ込んで終わりとか、そういう野暮なことはしないから、安心してね。」

と、杉ちゃんが言った。

「そうなんですか。私、どうしてもそういう人たちのこと、信じる気になれないんです。私も、そういう援助をしてくれる人に、お願いをしたこともあったんですけど、ただ、精神病院に入院させられただけで、それに報酬として大量にお金を払わされて。」

真奈さんはちょっとうつむいて言った。

「ああ、そういう悪質な業者は多いですね。それでは同業者として恥ずかしいです。本当は、そういう目的でなんとかする事はしないんですけどね。僕たちは、そういう事はしませんから、安心してください。」

それと同時にジョチさんのスマートフォンがなった。小薗さんの車が到着したのだ。影浦先生がじゃあ、行きましょうかと言って、彼女の手を引いて、ホームを出た。とりあえず改札には事情を話して通してもらい、駅員に見守られながら、杉ちゃんたちは富士駅を出た。小薗さんのワゴン車は、富士駅の北口にやってきた。全員ワゴン車に乗り込んで、吉原駅に向かった。

「で、お前さんは仕事は何をしているんか?」

と、杉ちゃんは車の中で彼女に聞いた。

「仕事は、今はしていなくて、趣味ですけれど、小説を書いて、投稿サイトとか、そういうところに投稿しているんです。」

と、真奈さんは答える。

「はあ、そうなんですか。ちなみにどんなものなんだろうかな。なんか僕、文字の読み書きできないけど、面白い小説を書いてそうな気がする。」

と、杉ちゃんはすぐに言った。杉ちゃんという人は、何でも首を突っ込むくせがあった。できないことであっても、首を突っ込むので、そこからなにか騒動が勃発したこともある。

「ええ。あたしが書くものは、大したことありません。ただの流行りの異世界ファンタジーとか、そういうことです。」

真奈さんがそう言うと、

「はあ、つまり、剣道とか魔法とか、そういうテレビゲームの生き写しか。」

杉ちゃんはがっかりした様子で言った。

「流行りのものばっかり追いかけるより、現実の世界を題材にした、純文学とかそっちのほうが、面白いんですけどね。」

と、ジョチさんは言った。

「まあ、ジョチさん頭が硬いですからね。僕の患者さんの中に、小説を書いている方も要るんですけど、なかなか文学的なセンスがある方はそうはおりません。みんな、感じる力は人一倍あるから、それを吐き出したくて小説を書いているって感じですよ。あなたもそうですか?」

と、影浦先生が聞いた。それじゃ面白くないなと杉ちゃんが言うと、

「一応、、、。頑張って、かっこいいだけの小説にしてしまわないように気をつけているんです。ですが、小説は、なかなか難しいんです。文章の表現はやっぱり映像には叶いませんわ。映画とか見ると、すごいなあと思います。やっぱり文章では追いつかないものがあります。」

と、袴田真奈さんは言った。

「そうですか。でも、小説だからこそできることもあるんじゃないかなと思いますけどね。」

ジョチさんはそういった。

「例えば、映像では登場人物の気持ちを明確に表現することはできません。それは演じている俳優の技量に頼らなければならないんですよ。ですが、小説では、文章として、それを表現することが可能になります。だから、それができるというのは、すごいことだと思うのですがね。確かに、映像のような迫力があるわけじゃないけど、小説は、静かに読者に登場人物の気持ちを、確実に伝えることが可能ですよね。」

「さすがジョチさんですね。なんでも博学的な人物だから、何でもわかってしまうんですね。そういう方がいてくれると、本当に頼りになります。」

と、影浦先生はにこやかに言った。

「でもあたしが書くものは、みんな変なものばかりで、みんな、どの文学賞に応募しても、落ちてしまうんですよ。それでは行けないですよね。ですが、どうしても書かずにはいられなくて、すぐに書いてしまうんです。」

袴田真奈さんは照れくさそうに言った。

「それってあるいみ才能だと思いますけどね。そうやって書かずにはいられないという人はそうはおりませんよ。」

ジョチさんがまたいうと、

「いえ、そういう事ができても私は、できないんです。」

と、彼女は言った。

「ほんなら、こうすればいいじゃないか。もう、ファンタジーを書くのはやめてさ。お前さんの人生の事を書いてみないか。お前さんが、なぜ小説を書き始めたとか、なぜパニック障害になったのか、そしてなぜ、文学を志したのかとか、そういうところを、書かせてもらったら、結構いいものになるよ。」

と杉ちゃんがでかい声で言った。

「そうですね。それに出版したいんだったら、知り合いに出版社をやっている人も居るんで、その人のもとに、原稿を持って行ってもいいかもしれませんよ。」

ジョチさんがそういった。

「そういうことなら、ぜひ、出版してもらいたいね。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「まあ、そんな事はできることではないと思うけど。」

袴田さんは、照れくさそうに言った。

「いずれにしてもさ、今度製鉄所へ原稿を送って見てください。枚数は何枚でも結構ですから、あなたの大事な事を、しっかり書くんですよ。どんな読み物ができるのか楽しみにしています。」

ジョチさんがそう言って、手帳を開いて製鉄所の住所を書いて、彼女に渡した。

「それでは、ここへ原稿を送ってみてくださいね。楽しみに待ってますよ。」

「僕は、読んでもらうのを楽しみにしている。」

ジョチさんと杉ちゃんがそう言うと、小薗さんの車は吉原駅の前に止まった。

「はい。吉原駅につきましたよ。ここでよろしいですか?」

小薗さんに言われて、袴田真奈さんは、ありがとうございますといった。

「じゃあ、ありがとうございました。近いうちに、原稿を送らせていただきますね。ウェブ小説に出しても、何も反応もなかったし、本にしても何も意味がないと言われる私の小説ですが、読んでみてくれたら嬉しいです。」

そう言って真奈さんは小薗さんの車をおりた。そしてありがとうございましたと言って一礼し、吉原駅に向かって歩いていった。

それから数日後のことである。

製鉄所に立派な身なりの男性がやってきた。ジョチさんは誰だろうと思って、とりあえず暑いので彼を応接室へ通した。

「あの、どちら様ですかね?」

と、ジョチさんが言うと、

「はい。袴田真奈の父です。」

と、彼は答えた。

「袴田真奈さんのお父様ですか。失礼ですけど、ご職業は?」

ジョチさんがそうきくと、

「はい。夫婦揃って、大学で教鞭をとっています。」

と返ってくるのでまたびっくり。

「実は真奈が、先日電車に飛び込んで自殺しました。確かに可哀想な死ではありましたが、これでやっと肩の荷がおりたという気分にもなれました。まあ賠償金とか色々ありますけど、、、。でも、もうああして大暴れする娘から開放されたことでもあるわけですから、それで良かったのかもしれません。」

ジョチさんは、そんな言葉を聞いて、ほんとうにこの人が真奈さんのお父さんなんだろうかと思ったが、実の父だからこそ、こうして思ってしまうのかもしれないと考え直した。

「それでですね。真奈の遺品を整理していましたところ、机の引き出しの中から、こんな原稿が見つかりました。まあ、小説などをウェブサイトに投稿してはいましたが、日の目を浴びることはなく、結局埋もれてしまうことばかりの娘でしたが、これは丹精込めて書いていたようです。それを、曾我という人に渡してくれと、原稿には書いてありました。なのでこの原稿はこちらにお渡しします。それでは、今日はこのあと会議もありますので。」

と、真奈さんのお父さんはそれだけ言って、椅子から立ち上がり、カバンの中から、A4サイズの茶封筒を出してジョチさんにわたすと、そそくさと出ていってしまった。ジョチさんはせめて真奈さんの気持ちに答えてやればいいのにと思ったが、多分、あの様な態度をとるのでは、無理だろうなと思った。

「一体誰が来たんだよ。」

杉ちゃんがそう言いながら、応接室へ入ってきた。

「いえ、真奈さんのお父様が原稿を持ってこられました。真奈さんは自殺でなくなられたそうです。おそらく遺書のつもりで書いたんじゃないでしょうか?」

ジョチさんは、そう言って茶封筒を解いてみた。多分、真奈さんの親御さんは、もう彼女の事を諦めていたのか、その入れ方も酷くがさつだった。中には、30枚ほどの原稿用紙が入っている。汚い字ではあるけれど、間違いなく真奈さんが書いたものだろう。

「幻の歌、袴田真奈。」

ジョチさんは、そう言って原稿を声に出して読んでみた。確かに真奈さんが、苦しい生活を強いられてきたことが語られている。真奈さんが学校で授業についていくことができなくていじめられていたこと、それで現実逃避するため小説を書き始めた事。学校の先生に叱責されて、パニック障害なるものを発症したこと。両親には理解されることなく、自殺に至ったことがストレートに綴られていた。何も飾りのない文章。枕詞も掛詞もない。ただ、あったことをそのまま、書いているだけなのだ。これでは確かにファンタジーとかそういうものとしては向かないと思う、文体だった。しかし、事実は事実としてちゃんと書かれており、真奈さんがどんな態度で周りの大人から教育を受けたのかが、ありありと分かるようになっている。

「そうですね。もしかしたら、真奈さんの事を悪くないと言ってくれて、ちゃんと勉強ができるようにフォローしてあげる人材がいてくれれば、また違うのではないかと思います。」

読み終わったジョチさんは、そう感想を漏らしたのであった。

「救いのない文章だが、でも、これはこれで、日本の教育がいかに悪いものになっているか、貴重な証言になっていると思う。」

と、杉ちゃんも言った。

「なんだか、そういう人たちと接している僕らに対して、警告しているような文章ですね。正しく、彼女にとっては、正式な教育を受けることが、望みだったんじゃないでしょうか。」

ジョチさんは、原稿をしまいながら言った。

「これは、教育新聞とか、そういう媒体に掲載させても良さそうですね。きっと机の上でしか教育の事を考えていない偉い人には、いい起爆剤になりますよ。」

「ははは、ホントだな。」

杉ちゃんもすぐいった。

「でも僕は、彼女の気持ちだから、やっぱり彼女のもとへ返してやりたいような気もする。」

ジョチさんにしてみれば、出版したほうがいいのではないかと思ったが、杉ちゃんはなぜかそう思ってしまったようだ。ジョチさんは、小さい声で、

「そうですね。」

とだけ言った。


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夢の原稿 増田朋美 @masubuchi4996

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