043:ライルの実
魔物が多く巣食うような場所に自生する植物の中でも、おそらく【ライルの木】を知らない冒険者などいないだろう。
その木から取れる樹液には即効性、かつ高い神経毒が宿っておりそのままでは到底取り扱う事など出来ないが、比較的容易に入手できる特定のハーブをすり潰し合わせた水で何倍にも希釈する事により、それは古くから今に至るまで多くの命を救ってきた天然の鎮痛剤となるのだ。
その薬液を浸した布を損傷箇所に巻く事で得られる鎮痛効果は劇的であり、それのお陰で負傷してもなお無事に生還できた冒険者は最早数えきれないだろう。
常に発展を続けている今の時代では、それに目を向けた医療機関の働きにより、更に多くの人命がその【ライルの木】から取れる樹液によって救われているのが現状だ。
しかし、表があれば裏もある。
「毒と薬は紙一重」と言う言葉があるように、この木に宿る樹液、ではなく間違ってその【実】を手に取ってしまった者は例外なく後悔に苛まれ、或いはその命を失っている。
【ライルの実】。それは手の平程の大きさをしたクルミに似た形状の種子であり過去には、
しかし、ほんの一口。齧り取り、数回の咀嚼の後、呑み込まず吐き出したにも関わらず、それを行った者はその後の人生を動かなくなった半身と共に過ごさなくてはならなくなってしまったのだ。
それもそのはず、何故ならこの実が宿す神経毒は樹液が持つそれの数十倍と言われており、最早どれ程希釈しようと人体は決して受け入れられない毒そのものであるからだ。
それだけなら、まだ良かったのかもしれない。「毒そのもの」という要素は確かに恐ろしいが、この実が冒険者を含む多くの者に恐怖の対象とされているのにはそれ以上の理由があるのだ。
それは樹液のモノとは違い、この実が宿す毒の性質が【遅効性】にあると言う所にある。
これは体内に摂取されると人体の内側から知らず知らずに器官、神経を麻痺させていき、その症状が自覚出来るようになる数日後にはもう既に体内の至る箇所を侵食してはどんな治療も手遅れであると嘲笑う。
例え迅速な対応に走ろうと症状が出てからではその命を救うのが精一杯で麻痺してしまった神経を完全に治す事は現在の医療では不可能とされているのだ。
つまり暗殺などでこれが用いられた場合、毒を盛られた対象はそれに気付かず普段通りの生活を続け、人体に明らかな麻痺の症状が出た頃にはもはや手遅れであるという恐怖に虐まれる……
そんな悪魔の所業を体現したとばかりの恐ろしい毒。唯一救いなのはこの実が
「 ハハ……申し訳ありませんが、私も長年料理人として職を全うしてきましたが【危険毒物】に指定されているものなどは取り扱った事がありません 」
苦い顔をしながらも、俺の問いにそう答えてくれるオリゴさんはやはりプロなのだと感嘆する。
突然身も知らない客に「お前の料理に猛毒が盛られてる!!」などと因縁をつけられて内心平気な訳はないだろう。
それもオリゴさんはこの高級列車で働けるような一流のお方だ。その誇りにケチをつけるような行為など怒って当然だ。
それを抑え、プロとしての姿勢を崩さない。そんな素晴らしい人にまだ食い付かないといけない今がとてつもなく重い。けど、命に関わる事なんだ……
罪悪感に胸を締め付けられつつも、詰め寄ってきては慌々としている幼馴染二人を無視し、俺の前に配膳された
そしてそれを手に真っ直ぐ料理長であるオリゴさんに視線を戻す。
「 俺は
真剣な顔付きでそう言葉を向けるが、オリゴさんはそのような話し到底信じられず、なにより我慢も限界に近いのだろう、先程までの大らか表情からは一転、キリッとした面持ちを浮かべる。
「 申し訳ありませんが、そのような事はありえません。我々一同はこの仕事に誇りを持っております、お客様に毒を盛るなどあってはならない。起こり得ないことですッッ 」
「 ………では、俺に出されたこの料理。食べれますか?オリゴさん 」
室内がしんと静まり返る。
ここまで来ると幼馴染二人も口を閉じ、この結末を黙って見届けようと覚悟を決めている。
その間も俺は气流力による感覚強化をギリギリまで高め、更に対象である目の前の料理長だけに集中することで、その内心を掴もうと懸命に努める。
そうして数秒を置き、聴覚は緊張からだろう彼の高鳴っている心音、硬く拳が握られた「ギュッ」という音を拾った。
「 分かりました。そこまで疑うというのなら…… 」
オリゴさんの覚悟を決めた、自らの誇りを貫こうとするその鋭い目付きを察る。
ここまで得られた全ての情報で考察……そして導き出した結論。
おそらくだが、嘘は……ついていないと思う。
彼が自らの誇りを信じたように、俺も己自身のこれまでの経験を信じたい。
テーブルからナイフとフォークを取ろうとする料理長に空いている片手を向けその動きを静止させた。
「 食べてもらわなくても大丈夫です。試すような事言って、すみませんでした 」
「 いえ、しかし……この料理は確かに私が作りました。決して毒など入れてはおりません、どうすれば信用していただけますでしょうか? 」
そう苛立ちを含めた言葉を耳に、頭を下げる。
「 すみませんでした。オリゴさんの事はもう疑ってないんです……けど、俺にも経験による誇りがあります。この料理には確かに【ライルの実】が含まれている……オリゴさんが直接作ったというなら、それを盛られたタイミングは料理を運んでいる最中か?……なら 」
後半は殆ど呟きのようになってしまったが、やれる事は思いついた。閃くと共に即行動。
ソファーに腰を下ろし、テーブルに皿を戻しては目を閉じ集中力を高める。
そんな俺に皆の視線が向けられているのも気にせず、内に巡る力を最大速度で循環開始。加えて視力・聴力・触覚に味覚を遮断し、嗅覚のみを特化強化。
それにより周囲にある何十、何百もの匂いを脳が認識するが、それらを整理し求めるものを探す。
スタッフの皆さんが身につけているのだろう香水の強い匂いを掻き分け、
集中……集中……そして、脳が認識する甘いようなクドくドロっとした含みのある臭気。これだッッ!!
高められた集中力が黒一色の世界に匂いによる線を作る。目は閉じたまま、姿勢もそのままに視界だけで匂いを追う。
料理が作られた時には毒は盛られてなかった。それを運んでいる時に入れられたと言うのなら、この場にいるオリゴさん以外のスタッフさんの全員が怪しいと言うことになる。
けど、容疑者が絞られているなら話は早い。
激毒の粉末など素で管理している者はいないだろう。何か小瓶やらに入れているはずだ。
そしてそこから料理に盛ったというなら俺の特化強化した嗅覚ならその匂いを追えるかもしれない。
そう思っての行動だったのだが、どうやら大正解だったようだ。
料理に盛られた匂いと同等のそれを僅かに放つ存在、それが立つ場所を察知する。
「 ……見つけた 」
气流力の発動を止め、ゆっくりと目を開き視界を戻す。そして犯人なり得るその人を確認しようと視線を動かした。
………え?
「 ………ノイ、さん。なん、で? 」
俺の目線の先、そこには全身を小刻みに震わせ絶望をその顔に浮かべている。知り合い、仲良くなれたと思ったばかりの彼女、ノイさんがいたーーーー
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