029:禁域領土

「 ……うぅ、寒ッ 」


ゆっくりと目覚めていく意識と共に襲ってくる周囲の冷気を遮るようにくるまっている布団へ頭ごと潜り込む。

普段から朝は早くに起きる癖をつけているのだが、今日はその習慣が特に働いたらしく、この雪の季節は太陽が顔を出すのが遅いというのもあるが辺りはまだまだ暗く、早朝というよりは夜の色の方が遥かに強かった。


潜り込んだベットの温もりは心地よいが、僅かな隙間から入り寝ぼけた頭に喝を入れるようにえ続けている空気たちのおかげで段々と全身が平常へと切り替わってゆく。


「 ふぁぁ……よし、起きるか 」


大きな欠伸と伸びを一つ。二度寝したい欲とそれを優しく後押しする布団の魅力に別れを惜しみつつもベットから離れ、多少夜の色に慣れてきた視界を頼りに手探りで机を探す。


自室であるが故に迷いなく手につくいつもの勉強机、その引き出しから幾つかのマッチを入れた小箱を取り出し、机上の端に設置している蝋燭台とその灯の元へ開いた箱から手に取り擦り点けた小さな火種を移した。


「 これで、よし……うぅ、寒い寒い 」


蝋燭が発する薄らとした灯りが室内を照らし出したのを確認し、まだ火を燃やしているマッチの先端に息を吹きかけ消火する。そして本来の役目を開始した蝋燭台を手に俺はとりあえず朝の日課をこなす為、自室を後にする事にした。


そうして静寂に包まれた廊下を音を立てないようゆっくりと進み食堂へと向かう。

もうすっかりこの空間にも慣れたものだが、俺も小さかった時は夜一人でこの道を歩きトイレを目指すのがかなり怖かったものだ。


それが今はなんの問題もなく目的地である部屋の厨房まで辿り着いているのだから自分のことながら成長を感じる。


「 さて、どれくらい余裕あるかね? 」


蝋燭台を水の入った大樽を思わせる幾つかの陶器へと向け、その中に残った内容量を確認する。

最近では中央都市ルドアガスは当然として、ウィルキーよりも発展している多くの町で、蛇口と名称されている部品を捻れる事で自動で水が出てくる【水道】という設備が普及しているらしいが、残念ながら俺たちの住処であるウィルキーここにはまだその文明はやってきていない。故に風呂や掃除等に使う生活水は川から、飲み水は井戸から汲んでおくのが日常だ。


確か昨日暗くなる前に追加したばかりだから飲料水の方は問題ないが、生活水の方は半分以上は減っているように見える。


そういえば昨日あのリース馬鹿が一番風呂に入ってる時、勝手に部屋へ侵入して物色した悪戯っ子がよりによってアイツの新しい宝物であるアイドル写真に落書きしようとした事件があったんだった……


勿論、ことの後問題を起こした子は院長によってこっぴどく説教されていたのだが、問題なのはその悪戯を謎の本能で察知したリースが『ダメェェ!!!』という絶叫を吠えながら全裸で廊下を全力疾走しやがったことにある。


その奇行を目にした小さな男の子たちは大爆笑。

女の子たちは大絶叫。


夜という事で静かであるハズの院は瞬く間に騒ぎに包まれたのであった。

更に最悪だったのは、湯船を盛大にひっくり返して飛び出した事により折角沸かしたお湯はなくなり、全身を拭かずに走り出した為に廊下には撒き散る水滴の数々。


この時期の風呂は至高だ。

それを無くした馬鹿を俺とルイスは睨み……


『 俺たちに全力で金的蹴りされる息子を差し出すか、一人で風呂を入れ直すか選ばせてやる 』


と脅したのは言うまでもない。


仕方がないので廊下の掃除は皆んなで手分けして済ませたが、リース馬鹿にはそのまま全裸で風呂沸かしをやらせた。これで風邪でも引くようなら今日からの旅行には置いていこうと思っている。


「 ……そりゃ、水なくなるよな。オッケー、それじゃあちょっと川に汲んでくるか 」


やれやれとため息を溢し、蝋燭台の火を吹き消し必要がなくなったそれを手近な場所へと乗せる。そして厨房から外に繋がる扉を抜け直ぐに置いてある俺の半身くらいはある二つの水桶とそれを掛け運ぶための天秤棒を肩に担ぎ川へと足を進めた。


目的地までの距離は徒歩で20分くらい、その間薄着に裸足。まだ太陽が気配を表していない為に視界もほとんどない。加えて肩に担ぐ棒からくるずっしりとした重みは、水を入れれば更にのしかかるのが確定している。


これら全ては日課であり、町の皆んなが寝静まっている早朝だからこそ周りの目を気にせずに行える鍛錬トレーニングの一つであった。


气流力を体内で高速循環させる事で得られる恩恵は自己治癒力の向上と感覚強化が主ではあるが他の副次効果もある。その一つとして熱の季節ではマイナスとなってしまうが、血管内で力を巡らせる事により体内温度をある程度上昇させる事も可能であるのだ。


勿論肉体自体が強化されているわけではないので凍傷などの危険性はあるがこれは鍛錬トレーニングだ。多少の怪我は覚悟の上。


力の循環によって体内温度を上昇させ、また強化された視力によって夜の色に紛れた景色たちを把握する。しかしそれと同じく高められた触感は冷たい外気温に晒されることによってガラスが突き刺されたかのような鋭い痛みを発しだし、裸足で歩いているのも相まって脳裏には痛覚の警笛が鳴り響いている。


このダメージを如何に軽減させるかが、この鍛錬で得ようとしている学びだ。

力は闇雲に循環させればいいってものではない。その時必要な速度で巧みに制御しなければ戦闘という何が起こってもおかしくはない状況を乗り切ることは出来ないと自負している。


故に極みの道を目指して歩む。これは俺と言う未熟な气流力りゅうりょく使いが乗り越えないといけない試練なんだ。


「 くぅぅ……きっつぅぅ 」


自らが考案し望んでいる事に対して愚痴を溢しつつも、川に到着し手早く水桶を満たす。そして重みが増した事で更に厳しくなった鍛錬をなんとか乗り越え、院の生活用水用の陶器に汲んだきたものを移し今日も無事に日課をこなす事が出来た。


「 ふぅ、これでよし……ん?この音は 」


一息つこうとした矢先、不意に耳についた足音に反応しまた外に出る。すると小さなランプを手に町を歩く人影が目についた。

見知った人、新聞配達のおじさんだ。どうやらあちらも俺に気付いたようで軽く手を振ってくれる。


「 おぉぉ、カイル君。早起きだねぇぇ、それにその薄着……やっぱり鍛えてる若い子は凄いねぇぇ 」


「 おはようございます。今日は余ってる新聞ありますか? 」


基本的に新聞は1月単位の定期購入契約をしていなければ配達されないのだが、予備の新聞を持っている配達員から直接購入する事も出来る。


手提げから今日の新聞を取り出すおじさんからそれを受け取り、こちらは銀貨一枚と差し出し「ありがとうございます」と笑顔を返した。


「 ちょっと待ってね、おつりの用意するから 」


「 あぁ、大丈夫ですよ。少ないですがチップってことで受け取ってください。いつもお疲れ様です、お仕事頑張って下さい 」


「 本当かい?ありがとうね!! 」


新聞は一つあたり銅貨5枚と設定されているが、こんな朝早くからの仕事、それも一見で50代程であり年齢的に重労働並みの疲労と戦っているであろうそんな仕事人を目の前に労わないなんて罰が当たりそうだと思った。


そして笑顔でおじさんと別れて買ったばかりの新聞を手に院へと戻ると、太陽もそろそろ顔を出してきたようで町がゆっくりと照らされ始める。


「 ふぁぁ……おはようぅぅ 」


「 おはよう、ルイス。院長先生もおはようございます 」


「 はい、おはようございます。あら、カイル君水を汲んでくれたの?ありがとう 」


俺が戻るのと同じくしてルイス、そして院長先生が厨房へとやってくる。となると、する事は朝食の準備だ。

柄杓で生活用水を少し取り手を洗い、ついでに予め用意していたタオルで汗を拭う


「 あらあら、カイル君はゆっくりしてていいのですよ 」


「 そうそう、あんたは水汲んできてくれたんだから、朝ごはんの用意は私達に任せて休んでなさい 」


「 じゃあ、お言葉に甘えて 」


日課であるとはいえ、鍛錬は鍛錬だ。正直、少し休みたい意思が強かったのでこの提案はありがたい。

意気揚々とエプロンをつける院長先生とルイスに厨房を任せ、新聞を手に食堂の机につく事にする。


「 さて、何かニュースはあるかな? 」


新聞を広げその記事たちに目を通そうとするが、それを開くと直ぐに大々的な象徴として


『 禁域領土ダンジョンで行方不明となっていた使役者ホルダーたちを無事救出!! 』


という文字が目につく。


「 おぉぉ、良かった。助かったんだな 」


数日前、同じような大見出しで行方不明となっていた者たちが無事に保護されたという文字を目に他人事ではあるのだが、少し胸を撫で下ろす。続けての記事を読んでみる事にした。


『 一月前禁域領土ダンジョンに挑戦し、その後消息が掴めなかった使役者ホルダー達が生きる伝説である神羅雷蔵しんら らいぞう(76歳)によって無事救助された。残念な事に雷蔵が彼らの救出の為禁域領土ダンジョンに侵入した頃には内一人は犠牲となり助けられた5名もそれぞれに重傷の上、精神的に錯乱しているようで、内部で何が起こったのかは彼らの精神が安定したのち聴取予定とされている。なお、現状持ち込まれた6つの魔冠號器アゲートは内部で紛失したと推測されている。 』


一人が犠牲に……か


院長先生が淹れてくれた温かいお茶を啜りながら、思考に耽る。


禁域領土ダンジョン

これは現状世界で8つ程発見されている、その名の通り決して足を踏み入れてはいけない禁域の総称だ。


記事にある通り絶対兵器である魔冠號器アゲートで武装した複数人の歴戦の猛者たちですらも呑み込む恐ろしい領域。これが何故そんなにも危険なのか、その理由はこれら全てがであるからに尽きる。


禁域領土ダンジョン金・級ゴールドクラスの魔物とは比較する事すら烏滸おこがましい程に遥かな格上とされる災厄『白金・級プラチナクラス』の魔獣の領土とされている。


人類と変わらない、いやもしかしたらそれよりも更に高度な知識を持つ事で人語を理解し、話す魔獣。


ただの人であれば、例え数万・数百万と集まっても呆気なく食い散らかされるであろう恐ろしい程の力を持つとされるそれらは、今から遥か昔、人間が魔冠號器クラウン・アゲートを手にした事により自らの身を護る領域を造った。


その中では全ての事象が魔獣によって制御され、形を変えるのは当然として、そこにあるものなら例え植物の一つでさえ凶悪な牙となると言い伝えられている。

つまり禁域領土ダンジョンとは、対策なしで挑めば瞬き一つする隙もなく捕食される可能性があるそんな恐ろしい存在が、あまつさえこちらの侵入に対して十分なまでの罠を張り巡らせている空間とされているのだ。


それだけ聞けば、触らぬ神に祟りなし。

決して手を出さず目を向けなければいいと誰もが思うだろうが、しかし、それは決して許されない。

何故ならこのおぞましい領域は常にその支配域を広げようと拡張を続けているからだ。


不自然に成長を続けている森。その中には様々な凶暴な魔物も衛兵の如く数多く生息しており、それらの侵食を食い止めなければ人類の生存域はいずれなくなってしまうだろう。


唯一救いなのは、広がり始めたばかりの領土はまだ完全なる禁域とはならないようで、魔冠號器アゲートで武装した使役者ホルダーたちによる護衛の元、念入りな焼却作業を行う事で食い止めることが可能ではあるが、それを未来永劫続けるという訳にはいかない。


この侵食を止めるためには禁域領土ダンジョンを支配する『白金・級プラチナクラスの魔獣』を討伐するしかないのだ。

故に力に自信のある猛者達はこれに挑む。そして……記事の通りである。


気が滅入った為に、新聞を畳み深いため息を溢す。


「 陽の国にある禁域領土ダンジョン『 常闇の狩森かりば 』……か 」


再びお茶を呑もうとするが、いつの間にかその中身が空になっている事に気付き「あら?」と情けない声を漏らしてしまう。


魔冠號器アゲートを扱う使役者ホルダーである以上、いつか俺も召集されこれに挑まなければならない自体になるかもしれない。

なんにせよ、俺はまだまだ弱い……もっと、もっと強くなる必要があるんだ。


「 さぁ、もうすぐ朝ご飯が出来るので子供達を起こして来てもらえますか?今日は3人が旅行に行くと言っていたので少し豪勢にしてみましたよぉ 」


「 ホントですか!!?楽しみだなぁぁ 」


院長先生に落ち込んだ心を見透かされないように明るく言葉を口にする。

まぁ、今は考えても仕方がない。俺は子供達を起こす為に厨房から出るのであった………ーーーー

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