頂上からの転落

 いよいよ最後の生徒の番になった。その生徒は、気の荒い女子であった。彼女はCの判定だった。

「やだよ。こんなの着たくない」

 彼女は無謀にも抵抗した。ローブは、また不気味な無表情になって、しばらく沈黙した。無言でその生徒を凝視している。

「なに見てんのよ、気味が悪い」

 フフ。ローブが笑った。

「僕は寛容だから、今のはおおめに見てあげるよ。言っておくがね、今この瞬間も憲法が施行されているんだよ。この教室はBランク者がたくさんいるから、Cの君は発言禁止だ。声を発すること自体犯罪行為だ」

「犯罪者はあんたでしょ! 人に大怪我を負わせておいて私を犯罪者呼ばわりするんじゃないわよ!」

 生徒が反抗するとローブはため息をついた。

「ちょうどいいや。いい見せしめになる」

 彼は独り言のようにつぶやくと、ポケットから笛を取り出して、ピューッと吹き鳴らした。

 緊張に包まれた。また何か、得体の知れないことが起きることを誰もが予感した。

 教室の空気がゆらぎ始めた。入口も窓も、すべて水の壁で遮断されているので、外から風が吹いてくるはずがないのに、空気が流れ始め、ローブの裾がなびくように揺れた。

 女子たちの柔らかい髪が宙に泳ぎ始めた。不気味なゆらぎだった。空気は、ローブの目の前の空間に向かって流れた。やがて強い渦の気流になった。

 教室が急に冷やっこくなった。すると、渦の中心が、カッと光りはじめ、泡がブクブクと生じ、みるみる増殖していった。泡はモクモクと蠢いて形を変えて、人間の形を成した。煙に黒い色が付き始めた。ピカピカと艶がではじめた。

 気が付けば、そこには黒い厳しい鎧をまとったひとりの屈強な兵隊が立っていた。

 赤い羽があしらわれた真っ黒い兜は、目の部分にわずかな隙間があるだけで、中に入っている人間の人相はまるでわからない。不気味だった。

 丈夫そうな鎧は、節足動物のようにたくさん節がついていて、パーツのひとつひとつがテカテカと黒光りに光っていた。 

 ローブが女子生徒を指さしながら兵隊に言った。

「発言禁止と発声禁止を破りました。さらに私に口ごたえしました」

「了解した」

 兵隊の声は、太くて低い男のものだった。鎧の下は、きっと筋肉隆々に違いない。

 兵隊は、兜の隙間から鋭い眼光を光らせて、女子生徒を睨んだ。

「違憲発言および違憲発声により、貴様には黙刑三年を課す」

 違憲発言だとか、黙刑だとか、わけのわからないワードに生徒たちは混乱した。

 兵隊が、レンズを女子生徒にかざし「サイレント・シール」ととなえると、レンズから赤いリボンが勢いよく飛び出して、彼女の口にぐるぐると巻き付いた。

「うぅ、ううう!」

 彼女は、喋れなくなってしまった。魔法の猿轡だ。頑丈な猿轡は、どんなに頑張って解こうとしてもダメだった。

「そのリボンは三年間は解けない。これが黙刑三年だ」

「ううう!」彼女は言葉にならない声で「冗談じゃないわよ!」とでも言っているようだった。

 兵隊はさらに続けた。

「魔導士に対する口ごたえは反逆罪にあたる。十年の強制労働だ」 

 兵士は、またレンズを構えた。「ウェブ・バインド」と唱えると、レンズからニョキニョキと現れた千のファイバー繊維のようなものが彼女の体に四方八方から巻き付きはじめた。繊維は交差し絡み合い、網の目を形成し、彼女の体を包み込んだ。全身を白いストッキングで丸呑みにされたような感じになった。女子生徒は身動きができなくなった。

「刑務所に転送する」

 兵隊は、身をくねらせながら抵抗する女子生徒を小脇に抱えると、

「通報ご苦労であった」とローブに告げて、出現したときと同じような現象を起こしながら姿を消した。

 ローブはニコッとわらって教壇に立ち、生徒全員に向かって言った。

「今のが魔導ポリスだ。憲法を軽んじ、踏みにじろうとした場合、すぐに魔導ポリスの兵隊がやってきて、その場で刑が執行される。

 ちなみに黙刑は口をずっと塞がれるわけだから、その間飲食ができなくなる。すると、必然的に点滴や胃瘻で栄養補給することになる。歯も磨けないからお口の病気にもなるだろう。黙刑は、単に喋れなくなるだけじゃ済まされないんだ。

 みんな、気をつけてね。

 あっ、それから、Cランクのみんなは、他ランク者の前では必ず配布されたバッテンのマスクをつけているようにね。マスクをしていないと、声を出していなくても違憲発言とみなされて黙刑をくらうからね。用心にこしたことはないから、飲食のとき以外は、ずっとマスクをして、余計なことはしゃべらないほうが安全だよ」 

 ローブは満足そうな顔をして、全員の顔を見渡した。

「さすがに名門校だけあって、Aランクは一人もいないねぇ」

 教室はBとCが半々ぐらいだった。

「余計な情報だけど、一応教えておいてあげるよ。このランクは何によって決められたかというと、オセロによる幸福度計測の結果、幸福度の低かった者から上位にランクづけしていったんだ。つまり、これまでもっとも不幸だった者は、新憲法を境にもっとも幸福な人間になれるということだ。だから新憲法は不幸な人を救済する神の憲法なんだよ」 

 ローブはそこで言葉を切って、茜に近づいた。

「逆に言うと、これまで幸福に恵まれていた人間は、誰よりも不幸になるということだ」

 彼は茜に顔を寄せた。

「君、きれいな顔してるね。肌も美しいね。目がキラキラと澄んでいるね。さぞかし幸せだったんだろうね。夢に満ち満ちた人生を歩んで来たんだろうねぇ。だけど、それはもうおしまいだよ。幸せは崩れるものだ。山が高かった分、落ちるときのエネルギーは大きい。そうだろ?」

 ローブはニタニタと笑った。

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