ねぇ、私たち親友だよね?

 そして、最後の日を迎えた。この日は昨日と打ってかわって、晴加は待ち合わせ場所にちゃんといた。茜はちょっと安心した。駆け寄ると、晴加は新憲法前のような満面の笑顔を浮かべた。何かを吹っ切ったような清々しさがあるように見えるのは、ただの勘違いだろうか……。

 昨日との極端すぎる変化に茜は戸惑った。でも、彼女の笑顔のおかげで、たとえ一瞬だけでも新憲法前にタイムスリップできたように思えて嬉しかった。

 ところが、しばらく一緒に歩いて晴加の話しを聞いたりしているうちに、段々とあることに気づき始めた。晴加は、あきらかに無理をしている。なんだか、いつもとは違う種類の燃料を燃やしてはしゃいでいるように見える。

 何かが変だった。まぁ、今日が何の日かを考えれば、普通でいられる方がおかしいことは言うまでもない。最後の審判の日だ。

 ただ、晴加が何を考えているのかが、まったく見えてこなかった。それが不気味だった。

 あっと言う間に放課後がきた。教室には茜と晴加の二人きりだ。彼女たちは机を挟んで座って向き合っていた。

 茜を見つめる晴加の目には、悩みや葛藤の色は一切なかった。もう、答えは出ているような感じだった。ずっと親友でやってきた茜には、誰よりもそれがわかった。と同時にドキドキしていた。晴加は、一体、どっちの方向に答えを出したのか……。

 部屋は、水を打ったように静かだ。

「茜」

 晴加が明るい声でとつぜんいった。そして、通学カバンを持ち上げた。妙にパンパンに膨れ上がっている。晴加はカバンの中身を机の上にぶちまけた。茜には、中身がなんだったのかがすぐにわかった。見覚えのある懐かしいものだった。

「茜、大好きだったよね、この高級チョコレート。超有名パテシエがつくったミルクチョコ。ふたりでよく買いに行って食べたよね」

 晴加は、テーブルに散乱したチョコをとり、包装紙を元お嬢様らしくもなく乱暴に剥いた。そして、乱暴に口に放り込んでむしゃむしゃとやった。チョコは舐めて食べるものだ。でも晴加は、チョコを食べるような食べ方をしていなかった。放り込んではあっと言う間に噛み砕き、また次を放り込んでは噛み砕いた。こんな食べ方では、高級チョコが台無しだ。

「Cランクの私が食べたら、まちがいなくキャパシティーオーバーで刑罰が下るわ。だけど、銀のリングをはめれば、ほら、大丈夫。こんなにたくさん食べても、魔導ポリスが来ないでしょ?」

 晴加は機械になったみたいにチョコを口に放り込み続けた。

「どうしてだかわかる?」 

 ここから晴加が、茜がとっくに知っている指輪のシステムの話をし始めた。晴加は、茜がすでにシステムの理解をしていることは知っているはずだ。今さら茜にこの話をする意味がないことを知っているはずだ。ではなぜ、こんな話を始めるのか。

「わかった? これがこの指輪の仕組みよ。すごいでしょ。魅力的でしょ? ほんとすっごいでしょ? ほら、このチョコ美味しいよ。ほっぺが落ちるほどおいしいよ。茜も食べたいでしょ? 食べたいよね? そうでしょ? ねぇそうでしょ?」

 晴加の勧誘は、見ていて気の毒なほど下手くそだった。彼女の姿は痛々しかった。

 晴加は、もう細かいことを気にしている余裕などなかった。恥も外聞もない! なにがなんでも茜に指輪をはめさせる! それしか頭になかった。

 茜には晴加の胸のうちがわかった。

 今日が最後の日だ。最終の返事をしなければならない。身を犠牲にして晴加を助けるか、見殺しにして自分を守るかを。

 ……………。

 そんな答えを出せるはずがない。返事なんかできっこない。茜は黙って、晴加の下手な勧誘話を聴き続けるしかできなかった。

「ねぇ、茜。ほら、見て、素敵な指輪でしょ」

 何の装飾もないただの銀色の輪っか。素敵もクソもない。

「きっとあなたによく似合うわ。ほら、手を出して」

 晴加は強引に茜の手をひっぱった。

「つけてあげる」

 あげる? 頼んだ覚えはない。

 晴加の指に光る銀の忌まわしい指輪が、茜の人差し指の爪にかかった。茜の脳裏に、父と母の血みどろの光景がフィードバックした。

「待って!」

 茜は、晴加の手を振り払った。はずみでリングが教室の隅に転がった。晴加は猟犬のように床を這い回って指輪を拾って、ものすごい速さでUターンを始めた。

 茜はこわかった。机を盾にして右に左に逃げた。晴加は、完璧なシンクロで右に左に茜を追尾した。

「待って、話そうよ! 話して決めようよ!」

「大丈夫、大丈夫よ! 安心して!」

 興奮状態のふたりには、もはや言葉のキャッチボールを成立させる余裕などなかった。

「話そう! 話そうよ!」

「チョコ! チョコを食べよう!」

 茜が右に行けば、鏡のように晴加も右へ。左にいけば左。そうやって、段々と二人の距離はつまり、やがて晴加が茜に飛びついた。

「待って!」

 茜が叫ぶ。晴加は馬乗りになって、夢中で茜の指を掴んで、リングをはめようとした。リングが爪にかかると、晴加は笑いだした。悪魔が笑ってるようだった。

「晴加! 待って!」

 茜が叫んだ。すると、どこかから、ものすごい笑い声が聞こえてきた。品性の欠片もなく、人を馬鹿にするような笑い、動物園の猿でもしないようなゲスな笑いだ。その声にびっくりして、ふたりは動きを止めた。

 教室に、三人のAランク女が入ってきた。みな腹を抱えて、涙を流すほど笑っていた。

 三人は、茜と晴加の様子を、姿を隠しながら盗み見ていたのだ。

「お前ら、親友じゃなかったのかよ。キャハハハハハ」

「野生の猿みたいに争ってるじゃねぇか。親友のキズナはどこいったんだ?」

「いいザマだ! 結局最後は、みんなこうなるんだよ! ギャーハッハッハッ」

 三人が大笑いしていると、晴加は胸を引き裂かれた。自分の命を守るために、茜を力尽くで子機にしようとした。いわば暴力だ。我が身の醜い行動に、悲しくなった。耐えられなくなり、全身を脱力させて、メソメソと泣き出した。真冬の北風を思わせる、なんとも悲しい泣き声であった。

 手から指輪がこぼれて床に転がった。それを拾ったのは、親機のA女だ。

「いいわよ。佐藤晴加さん、許してあげる」  

 教室にいた全員がキョトンとした。とくに晴加はびっくりした。

 許す? 無理やり指輪をはめさせなくても、わたしは助かるの? 

「え? 許すって、佐藤の指輪は取り上げねぇのか?」

 別のAランク女がたずねた。

「ええ。もういい。わたしたちの負けよ。沙倉さん、もう帰っていいわよ。佐藤さんはちょっと残ってね。話があるから」

 女はそう言って、茜を帰宅させた。晴加だけ教室に残された。

「本当に? 本当にもういいの? 私は指輪をはずさなくていいの?」

「ええ、いいわよ」 

 親機女は、やさしいお母さんのように微笑んだ。しかし、

「ただし!」というと、またゲスな顔に戻った。「条件がある!」

「条件?」 

 たずねる晴加は怯えていた。きっと、また無理難題を押し付けてくるに決まっている。救われたような気分になったのは幻だった。

「沙倉茜に、指輪を受け取らなかったことを後悔させてやりたい」

 女はそう言って、晴加にあることを命じた。

「わかったか?」

 女が念を押すと、晴加は絶句して返事ができなかった。女の命令の内容が、受け入れ難かったからだ。

「わかってるよな。もし従わないなら、今度こそ本当に指輪を没収するからな」

 そう脅されると、晴加は唇をワナワナと震わせながら、

「はい……」と答えた。選択肢は、それ以外になかった。彼女は何を命令されたのか……。


 次の学校の日、待ち合わせ場所に、晴加の姿はなかった。茜がひとりで教室にいくと、晴加は先に来ていた。いつかの日と同じパターンだったが、違うところがあった。晴加は、クラスの別の女子たちと仲良さそうに話をしていた。茜が近づいても、見向きもしなかった。二人の間に、はじめから友情なんてなかったかのような、なんの接点もなかったかのような、そんなスルーの仕方だった。 

 茜は胸騒ぎがした。指輪の件は許しが出たのでひとまず解決したが、一難さってまた一難。また別の何かが始まろうとしているのを予感した。

 晴加は茜とまったく接点を持たなくなった。声をかけてくれることもなく、目を合わせてさえくれない。

 今だに青い服を着ているのは、教室では茜だけだった。だから、彼女は完全に孤立してしまった。

 午前の授業が終わり、昼食の時間がきた。新憲法が開始されてまもない頃は、AランクBランクともにみな学食でランチをとっていたが、この頃には、教室で食事をとる上位ランク者もたくさんいた。

 だから、茜は教室で昼食をとることができなくなっていた。他ランク者の前でマスクをとれない。だから、学校の敷地の隅のほうで、こっそりと食事をとらねばならなかった。その日も、彼女は、裏庭の隅にひとりでやってきて、弁当を広げた。あいかわらず質素な弁当だ。力の出るようなものはほとんど入っていない。

 すると、そこへ誰かがやってきた。四人いた。前を歩く三人に見覚えがあった。茜をいじめてきたあのAランク女たちだ。晴加を子機にしてもてあそぶあいつらだ。その後ろにもう一人いたが、三人の影になって姿がよく見えなかった。誰だろう……。

 四人は、茜の目の前に立った。

「沙倉さん、Cランク生活に奮闘する健気なあなたを応援しに来たの。プレゼントを持ってきたから、ぜひ受け取って」

 リーダーの女が言うと、後ろにいた四人目が前に引き出された。

 茜とその人物の目がばったりと合った。

 連れてこられたのは晴加だった。手に、キャップの開いたペットボトルのお茶を持っている。晴加がためらうような感じで突っ立ていると、後ろに立つ女が、

「ほら、さっさとやれ」

 と晴加の背中をつついた。晴加は、唾をゴクリと飲み込んだあと、鬼のような目をつくって、茜にとびついた。

 彼女は、茜のマスクとフードをはぎとり、髪の毛を鷲掴みにしてロックし、茜の小さな口にお茶を突っ込んで、ボトルを傾けた。

 茜ののどに、大量のお茶が強制的に流し込まれた。彼女は苦しそうに抵抗するが、晴加は容赦しなかった。腕に筋肉の筋を浮かせながら茜の体をロックし、強制給餌を続けた。晴加の顔の筋肉は鉄のように動かなかった。サイボーグのようだった。

 やがて、ボトルは空になった。茜は嘔吐いている。目に涙を溜めていた。

「ほら、もう一本」

 後ろの女がおかわりを渡した。女たちはひとり一本づつペットボトルをもっている。この悪魔のファミリーは、合計四つのペットボトルを空にするつもりだ。

 晴加は、二本目を茜の口に突っ込んだ。顔はやはりサイボーグだ。

 数分後、その場所には四人の女の姿はなかった。地面にかがみ込んで嗚咽する茜だけがいた。冷たいお茶であふれかえった胃袋が悲鳴をあげていた。グルグルと変な音が鳴っていた。

 その頃、ひとりになっていた晴加は、トイレに駆け込んで、洗面台の前で、青白い顔をしていた。手には、茜の髪を引っつかんでいた感触がまだ鮮明に残っていた。網膜には、苦しむ茜の顔が大写しになって焼きついていた。耳の中で、ゴクゴクという強制給餌の音がまだ鳴っていた。

 これが、親機の女たちの命令の内容だった。

「沙倉に、指輪を拒んだことを後悔させてやる。お前があいつを徹底的にいじめろ。そして、やっぱり指輪を下さいって土下座して頼みに来るまで追い詰めろ。それが、お前を許す条件だ」

 晴加は、自分の手が血まみれに見えた。茜はきっと心の中で血を流していたに違いない。その血がべったりとついていたのだ。

 結局彼女は、許されてなんていなかった。当たり前かもしれない。魔導界の新世界に、許しなどあろうはずもないのだから。


 その日の夜。茜は昼間のショックからたちなおれずに、布団の中にうずくまっていた。眠ろうとしても、涙が邪魔をして眠れなかった。

 すると、とつぜんインターホンがなった。

 時刻はもう零時を過ぎている。こんな時間に誰だろう。不審がりながら、茜は玄関にいき、ドアスコープを覗いた。晴加が見えた。すぐにドアをあけた。

「どうしたの?」

 たずねると、晴加が涙を流していたことに気づいた。

「茜、ごめん」

 晴加は茜に抱きついた。

 なんとなくわかっている。晴加が自分の意思であんなことをやるはずがない。親機の女たちに命令されたに決まっている。晴加の涙がそれを教えている。

「大丈夫だよ、晴加」 

 茜は晴加を抱いてあげた。

 なんて切ない新世界なんだろうか。

「茜、いまからちょっと出れる? ふたりで行きたい場所があるの」 

 二人はある場所に移動した。そこは家からほど近い教会だった。

 晴加が祭壇のロウソクに火を入れた。弱い光だが、十分暖かい灯りだった。

 中央に赤い絨毯が走っていて、たくさんの長椅子が並んでいる。街によくある教会だ。

 二人は並んで腰掛けた。祭壇のマリア様が神聖な眼差しで、ふたりを見守っているように見えた。

「ねぇ、茜。この場所覚えてる?」

「うん。小さい頃に約束したっけ。ここで二人の合同結婚式をしようねって」

「あはは。そうそう。今思えば、ちょっと恥ずかしい思い出だけどね」

「そんなことないよ」

 しばらく二人は無言になった。互いにもたれかかり、互の体の温もりを感じながら、やすらかなひとときを味わった。

「なんでこんなことになったんだろうね」

 茜がつぶやいた。

 日本有数のゼネコン企業の社長令嬢。父は、つねに前を向いていて、夢をちゃくちゃくと実現させていて、母がそれを献身的に支える。その背中が茜を育て、彼女も、健やかに、伸び伸びと成長し、未来に向かって力強く歩んでいた。健全に大人の階段を登っていた。晴加も同じだ。生まれがいいからと、嫉妬されることになんてもう慣れきっていた。そんな者に負けないように、ずっとずっと上に向かって突き進んでいく。そんな信念を持ち、共鳴しあい、絆を深め合ってきた二人だ。

 だから、こんなことになっても、まだ心の奥で繋がっている糸は切れていなかった。そういう糸は、切れかかることがあっても、最後まで切れない。

 そう、切れかかることがあっても……。

「茜、この先、わたしたちどうなるかわからないからさぁ、今ここでやりたいことやろうよ」

 晴加はそう言って、祭壇の脇に隠してあったスーツケースを茜の前に引っ張ってきた。開くと、中には美しいウェディングドレスが入っていた。ロウソクの弱い光に照らされたそれは、神秘の輝きを感じさせた。弱い光だからこそ、より神聖なものに見えたのかもしれない。

「ねぇ、これ着て写真撮ろうよ」

 晴加は茜にドレスを渡した。茜には断る理由なんてない。憧れのドレスに心を奪われて、うん、とすぐにうなづいた。

 ドレス姿の茜は美しかった。青いヘンテコな装束姿でさえ可愛かった彼女だ。ドレスを着れば、いよいよその容姿が本領を発揮した。

 絹のように艶のある赤毛。開封したてのヨーグルトの表面のようになめらかな素肌。肌の白さは、純白のドレスといい勝負をしていた。いや、勝っていた。幼い頃から、栄養あるものをお腹いっぱいに食べさせてもらってきたから、体の発育状態は申し分なかった。胸は彼女が成長期の真っ只中であることを如実に教えている。彼女は、もはや、教会のマリア様の娘かと見紛う神々しさがあった。

「素敵……」

 晴加がつぶやいて、おもわず茜をハグした。

 茜は化粧をしていなくても十分だった。照れた頬が上気して、それがチーク代りになっていた。

 ここに、もしかしたら地球最高かもしれない花嫁が出来上がった。

 茜は、すべての現実を忘れることができた。しかしそれは、ほんのひとときに過ぎなかった。急に教会がパッと明るくなった。ロウソクの火に慣れていた目が痛いほどまぶしかった。誰かが電気をつけたのだ。

 すると、教会の大きなドアがギーっと開いて、たくさんの足音が聞こえてきた。

 女が三人いた。その後ろに三匹の狼がいた。いや、それは見間違いであった。狼ではなく、狼のようないやらしい鼻息をもらす人間の男だった。三人の男は、人間の頭脳をもっていないような雰囲気があった。ただ単に子孫を残すことだけが目的で生きている野生動物のように見えた。

 その六人の男女が、茜たちのところまで歩いてきた。女の一人が言った。

「素敵な花嫁さんね。女の私でさえ見とれるわ」

 三人の女は、晴加の親機の女を含めたAランクの女たちだ。茜たちをいじめ抜いたあの三人娘だ。 

 茜は目が点になっている。なにが起きているんだ……? 女たちの背後にいる男たちは何者だ? なぜその男たちは、サカリがついた野犬のような目でこっちを見てくるんだ? なぜ、そんないやらしい鼻息を立てているんだ? どうして今にもヨダレを垂らしそうなほど口元が緩んでいるんだ? 鼻の下が、なぜあんなにだらしなく伸びているんだ? 

「へへへヘ。君、可愛いねぇ」

 男の一人が笑った。すると、

「ウヘヘヘ」

「ウヘヘヘヘヘヘヘ」

 残りの男たちも笑いだした。教会に奇妙な笑いの合唱が起きた。それをBGMにして、リーダーのAランク女が言った。

「沙倉さん、きっと新憲法のもとでは、あなたは幸せな恋愛も結婚も許されないでしょう。そして、その美しい体の出番がないまま歳をとっていくのよ。それは女としては、あまりにかわいそう。だから、それを不憫に思ったあなたの元親友が、素敵な見合い相手を用意してくれたの。ほら、私たちの後ろにいる殿方たちがそのお相手よ。まだ、若くて美しいうちに、存分に愛してもらったほうがあなたも幸せでしょう」

 茜は、こいつらが何を企んでいるのかがわかった。

 レイプだ……。私は、それのために、ここへ連れてこられたのだ。

 茜は逃げるために後じさりをした。すると、背後から誰かが抱きついてきた。晴加だ。晴加が茜の行く手を阻んだのだ。晴加の顔は鉄でできた仮面のようだった。何の表情もない。何の感情もない。晴加がその顔で、とんでもないことを口走った。

「この女を犯せ!」

 声を合図に、男たちが一斉に茜に飛びかかった。晴加は茜を男たちに向かって突き出した。

 汚れを知らないまっさらの花嫁は、すぐに床に押し倒された。馬乗りになった男が、茜の首筋を愛撫しながらこんなことをいった。

「おまえみたいな高級品にありつけるなんて、新世界憲法がやってくるまでは想像もしなかったぜ。俺は、育ちが貧しい、ゴミ親の家庭だ。だから、日本が世界に誇る社長令嬢なんて天空の人だった。天女そのものだった。それが今では俺たちとおんなじ地面を歩いている。地面を這いつくばって生きている。あぁ、なんて素敵な世の中になったんだ。

 ハァー、ハァー、最高だ。人間の肌とは思えない。柔らかくて、しっとりしていて、みずみずしくて、もし天使が本当に存在していたら、きっとこんな肌をしているんだなぁー、あぁ、あぁ、たまらない、たまらない。俺はずっと夢だった。花嫁を強姦するのが夢だった。普通の女じゃだめだ。愛する人に捧げるつもりだったはずの処女が、獣に横取りされて、それが辛くて泣き叫んでいる感じがたまらない。絶望、女の絶望が俺のエクスタシィー。あぁー、あぁー」

 男は言いながら、茜の肌を貪った。ドレスは無残に引き裂かれた。唇を好きなようにねぶられた。全身をくまなく愛撫された。

「もう我慢できない!」

 男は、雄叫びをあげて、りっぱに膨れ上がったピストンを天にかざした。茜は目をつぶった。

 そのときであった。

「あぁぁぁぁぁぁ!」

 誰かが叫んだ。誰かの走る音が聞こえた。誰かと誰かがぶつかる音がした。誰かが「わっ!」と声をあげながら床に倒れる音がした。

 晴加が大泣きしながら、茜を抱き抱えていた。

 叫んだのも、走ったのも、タックルで男を突き飛ばしたのも、晴加だった。

「茜……ごめん……ごめん」

 晴加は掠れるような声だった。茜は、助かった安堵と同時に、晴加を心配した。こんなことをしたら、あなたの身が……。

「何のマネだ? 佐藤、お前何やってんだよ」

 親機の女が迫ってくると、晴加は鋭く相手を睨み返して、指輪に手をやった。晴加にためらいはなかった。指からリングを引き抜き、相手の顔面にそれを投げつけた。カツン!と命中した。誰もが、魔導ポリスのアサシン・ローズを思い出した。串刺しになって血をぶちまける晴加を想像した。

「もういい! こんなのうんざりよ!」

 晴加は叫んだ。茜を抱き寄せ、囁いた。

「茜、本当にごめん。わたし、先に行ってるね……つらくなったらいつでもおいで。また一緒に遊ぼうよ」

 晴加の目の中には、茜の眼前で心中した父と母と同じ色の光があった。気高い色の光りがあった。

「おい、マジかよ」 

 女の一人がつぶやくとすぐに、教会に空気の渦が発生した。やつがくる。やつがくるサインだ。

 渦は光り、泡を起こして膨らみ、人型の煙になり、黒くなり、艶をうみ、そして、魔導ポリスの死刑執行人が、姿を現した。

 一歩、二歩と、執行対象に向かった歩き出した。

 もう何をあがいても無駄だ。結果はすべて決まっている。あとはそれを眺めるだけだ。

 茜は晴加に微笑んだ。晴加も微笑みかえした。二人は女同士だが、親愛のキスをかわした。それを教会のマリア様がやさしく見守った。マリア様のやさしい歌声が聞こえたような気がした。

 黒い兵士が晴加の眼前に立った。

「オーバーキャパシティーだ。貴様を処刑する」 

 レンズを構えた。レンズの中の晴加は、涙の轍を頬に光らせながら微笑んでいた。

「アサシン・ローズ!」

 兵隊の声が教会に響いた。レンズから、トゲトゲの薔薇の茎が踊り出た。宙にとぐろをまき、そして、そして、晴加に襲いかかった。

 アサシン・ローズの惨劇を、茜は晴加から聞かされていた。刺の縄で締め上げられ、お尻から串刺しにされ、口から吐血とともに真っ赤な薔薇の花を咲かせる。残酷な魔法。

 茜が目を開けていられるはずがなかった。目をつぶり、晴加の体からほとばしる血潮を全身に浴びるのを待った。

 待った・・・。

 ・・・・・。

 ・・・・・。

 しかし、いつまで経っても、体には水一滴降り注がなかった。いくら待っても、何も降ってこなかった。

 もしや……茜はちょっと期待した。もしかしたら、正義のヒーローがとつぜん現れ、助けに来てくれたんじゃないか。そんなことを予感した。目を開けると、マントをひるがえす王子様が立っているんじゃないか。そう期待した。

 恐る恐る目をあけた。

 だが、無残だった。兵士のレンズから生えた図太い薔薇の茎が、晴加の体を締め上げ、串刺しにして、宙に浮かせているのが見えた。絶望だった。口から槍の切っ先が突き出し、残酷なバラが開花した。

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