親友のセールス

 翌朝、茜は登校した。この世界では、学生は通学の義務があり、放棄すれば刑に処される。茜は、まだ人生を投げ出してはいけないと思っていた。両親の壮絶な心中は、茜を腐らせることはなかった。

 どう生きればいいかなんてわからない。しかし、とにかく生き延びなければならない。そう思い、あんなことがあった翌日も登校した。

 晴加がいつもの待ち合わせ場所で待っていた。彼女は普通の制服姿だった。口にはもうバッテンマークはなく、上手に結った髪が可愛らしく揺れている。

「おはよう、茜」

 晴加はもう、違憲発言を気にしなくてよかった。指輪の効力だ。

「茜、あんたももうこんな服を脱ごうよ」

 晴加は晴れやかだった。子機の末路をまだ知らないのだ。  

 茜は、きっとからくりを知らされずに指輪をはめたに違いない。だから、教えてやりたいが、言うタイミングには神経を使ったほうがいいと思った。

 そして、茜自身も迷っていた。奴隷になるのも、生きる術の一つだ。選択肢のひとつとして頭の片隅には置いておこうと思った。

「指輪、はめたんだね。どう?」

「もう最高!」

 晴加は飛び上がらんばかりだ。嬉しそうだ。

「ねぇ、茜。あんたに指輪を譲りたいって言っているクラスメイトがいるの。もちろん受け取るでしょ?」

 茜は、返事に困った。すぐにうんとはうなずけない。うなずけるはずがない。父が受けた仕打ちをみれば当然だろう。あの指輪は、いずれ、ギロチンの刃に化ける危険を孕む。

「茜……、まさか断らないよね」

「いや……、ちょっと考えさせて」

「どうして? ねぇ、もうこんな服着るのやめようよ! いいじゃん、プライドなんてどうでも。この世界で、うまく生きる方法を受け入れていこうよ」

 晴加の意見はよくわかった。同意する気持ちは山ほどある。茜は、どうしようかと、深く悩んだ。

 その日の放課後である。晴加に強く勧められ、はっきりと断ることもできないまま茜は、教室に残っていた。  

 すると、親機のピアスをつけた三人の女子たちが入ってきた。十人ほどの子機の生徒たちもぞろぞろと入ってきた。晴加は、茜に内緒で指輪を受け取る約束を彼女たちとしていたのだ。

 茜を子機にしようと思っている女生徒が言った。

「沙倉さん、やっと決心してくれたのね。わたしは、あなたを心から歓迎するわ。はいどうぞ」

 女はそう言って、指輪を茜に差し出した。

 茜はとうぜん戸惑う。受け取るなんて言った覚えはない。後じさりした。すると、女が怪訝そうに晴加に問うた。

「あら? 話はついているんじゃなかったの」

 晴加は、茜が予想外のリアクションをしたので少し焦った。

「茜、いいでしょ? せっかく譲ってくれるって言ってくれてるんだから。ね?」

「そうだよ、大丈夫だよ」子機の男子生徒が加勢した。「この方は、Cランクの人たちを救済したいって思っている慈悲深い方なんだ。絶対に悪いようにはしないよ」

「そうよ」「大丈夫」「安心して」

 周囲の子機生徒が口々に言った。 

 茜は、晴加がなんの相談もなく勝手に話を進めていたことに、少し嫌な気分になった。エセ宗教や、自己啓発のねずみ講みたいじゃないかと思った。ああいうものを勧めてくる者は、自分が救われるための功徳や、紹介料という名のキックバックが欲しいだけなのだ。自分が儲けたい、自分が救われたいだけなのだ。あなたのためと言いながら、こっちのことを餌としか思っていない。そして、もっとも救いようがないのは、やっている本人に自覚がないことだ。善人ヅラした自覚なき吸血鬼なのだ。真の悪魔だ。

 とは言え、茜は晴加の場合は大目に見るつもりだった。きっと、Cランクの過酷さから解放されたばかりで、有頂天になり、冷静さを失っているだけだ。自分が逆の立場なら、きっと同じだと思った。だから、晴加をエセ勧誘員として軽蔑する気はなかった。

 ただ、受け取る気持ちには、まだなれなかった。

 茜は、「ごめん」とだけ言い残して、教室から飛び去っていった。

「茜!」

 晴加が呼び止めても無駄だった。

「晴加、ごめんね」

 茜は心の中で何度も謝った。 

 茜が去っていくと、指輪を渡し損ねたAランク女子は、やや不機嫌そうになっていた。

「ねぇ、佐藤晴加さん、どういうことかしら。あなた、沙倉さんが指輪を受け取る気になったってわたしに言ったわよね。だからわざわざこうしてここに来たのに、無駄足になっちゃったじゃない。どうしてくれるの」

 迫られた晴加の顔は青ざめていた。

「ごめんなさい、わたし、きっと受け取るだろうと……」

 そのとき、ピシッと音がして、晴加は床に尻餅をついた。女が晴加の頬をビンタしたのだ。女の下手なお嬢様口調が崩れて、下品さをむき出しにした怒鳴り声がした。

「お前、誰に向かっていってるんだ? アァ? ごめんなさいじゃねぇだろぅ。申し訳ありませんでしただろぅがぁ!!」

 晴加の背筋が凍った。床に正座し、深々と頭を下げて言った。

「申し訳ありませんでした」

「おお、それでいい」 

 腕を組む女はご満悦だ。

「おい佐藤。おまえにすげぇモンみせてやるよ」

 女は薄気味悪く笑いながら、後ろにいた子機の女子生徒の横に立って、指輪をスポッと抜き取ってしまった。指輪を抜かれた女子は、指輪のからくりをまだ知らないものと見えて、キョトンとするばかりだった。

「この指輪が外れるとどうなるか、実験だよ」 

 女が言った直後、部屋に風が起き始めた。なんの風かは、みんななんとなくわかった。魔導ポリス転送の予兆だ。転送魔法が生み出す空気の渦だ。

 ピカッ!

 部屋が眩しく光った。直後に、真っ黒鎧の兵隊が現れた。彼は、ズカズカと鎧をきしませて、指輪を抜き取られた女子生徒の前に立った。兜の隙間から、異様な眼光がひらめいた。

 女子生徒は、何が起きているのかわからなかった。しかし、危険が迫っていることだけは直感していた。背筋が凍り、肩がガタガタと震え、唇もワナワナと震えていた。

「貴様のオーバーキャパシティーはオセロにちゃんと記録されているぞ。指輪が外されたことによって、その分の刑が執行される」

「そ、そんな……話、わたし……聞いてないわ」

 その女子生徒は、親機の女の方を見た。親機はケラケラ笑っている。

「ええ、だって、わたし言ってないもの。ウフフフ」

 女子生徒は、はめられたことを悟った。眉間にシワがより、猟犬のように歯をむき出した。

「貴様……」といって、親機に飛びかかろうとした。しかし、魔導ポリス兵が、魔法のレンズから縄を放ち、彼女をぐるぐる巻きに縛った。 

「貴様のおかした罪の合算は、死刑に値する。いまから刑を執行する」 

 兵士が「アサシン・ローズ」と唱えると、レンズから伸びていた縄の色が、根っこから先端に向かって緑色に変色していった。女子生徒を縛っていた縄は、バラの茎に変身し、鋭いトゲがニョキニョキと生え、容赦なく女の肌にくい込み、流血させた。

 女子生徒は悲鳴を上げた。目玉が飛び出そうになっていた。

 トゲトゲの縄の先端が、槍の刃に化けて、生き物みたいにウネウネと動き出した。そして、勢いよく反り返ると、女子のお尻の穴に飛び込み、腸壁、胃袋、食道をトゲで切り裂きながら、やがて口から飛び出した。最後に槍の刃がパッと開き、大きなバラの花が咲いた。女は、刺のある縄にぐるぐる巻きにされ、お尻から串刺しになり、口に真っ赤なバラの花を咲かせて絶命した。これが「アサシン・ローズ」である。 

 教室には、悲鳴すらも上がらなかった。みな、怯えきって、干し固まっている。石像みたいになっていた。

 兵士は、刑の執行を終えると、空中に姿を消した。

 親機の女だけは、惨劇に耐性があるとみえて、ケロリとしている。目の焦点を失っている晴加に擦り寄った。そして、指輪を手渡した。

「これを一週間以内に沙倉茜に渡すこと。それができなければ、あなたの指輪は返却してもらうから……

 ね」といって女は晴加の唇にキスをした。

 指輪を握る晴加の手は震えていた。約束を守らなければ、今度は私が串刺し死体になる。それが、わかりすぎるほどわかった。


 晴加の死のタイムリミットは七日だ。

 翌日の一日目は学校は休日だった。どんよりと重い気分ではあるが、まだまだ心のゆとりはあった。いや、ゆとりと呼べるものではなかったかもしれないが、最終日のことを思えば、ゆとりと呼んでもよかった。

 晴加は、茜がそのうちに気が変わるだろうと思っていたので、強引な勧誘はしなかった。

 しかし、翌日に茜から折れてくることはなかった。

 三日目になり、待ってるだけではダメだと思い始め、焦りがではじめた。

 その日の下校途中のことである。街を歩いても、青装束姿はもうほとんど見かけなかった。その代わりに、指には銀のリングが光っている。これがCランクの新しいスタイルだった。旧式のCランク姿の茜はずいぶんと浮いていた。

 晴加は、茜がよく平気でいられるなと不思議に思うほどであった。でも、いまはそんなことに関心している場合ではない。ポケットに入っている子機の指輪を、はやく茜にはめてもらわないと……。

 そんな思いの反面、罪悪感もある。茜に指輪をはめさせれば、彼女を新しい地獄に引きずり込むことになる。彼女もまた、自分のように、ねずみ講の末端となって、みじめで残酷な勧誘を強制させられるに決まっている。我が身の命惜しさに、彼女を食いモノにしようとしている自分が嫌になった。でも、それでも、魔導ポリスの死刑がこわかった。アサシン・ローズの殺人魔法が、心の底から恐ろしかった。

「ねぇ、茜。指輪の話なんだけど」

 話しかけた晴加の顔はとても暗かった。茜には、晴加が罪悪感を感じながら指輪を勧めているのがわかった。

 本物の悪人は、悪人であると同時に愚かだ。悪の自覚すら持てない。自分が勧めている物が、相手を幸福にするものかどうかを真剣に考えない。これは薬なんだと自己暗示をかけて売るのだ。考えることを放棄して売るのだ。

 晴加がそんなクズじゃないことが、茜にはわかった。晴加は、指輪が、本当は人には勧めてはいけない毒だとわかって勧めているのだと、表情で察した。彼女は悪人じゃない。

「晴加、その指輪のからくりは知ってる?」

 茜に聞かれると、晴加は胸を針でつつかれたように痛んだ。魂胆がバレていると悟った。心の中に、罪悪感がジワーっと滲んで広がった。

「実は、私のパパとママが死んだの」

 晴加は声も出ないぐらいびっくりした。二人は家族ぐるみで仲良しだった。だから、茜の両親は、自分の両親の次に懐かしいのだ。晴加は凝然として、目を見開いて茜を見ていた。

「原因は、その指輪だった。だから、わたしはその指輪のからくりを知ってるわ」

 晴加は罪悪感で、茜の顔を見れなくなった。

「晴加、安心して。わたしはあなたを軽蔑しない。晴加は、それが恐ろしいものだとわかった上で私に勧めてるんでしょ? それなりの理由があるんでしょ」

 晴加は、声を殺して泣き出した。そして、茜に抱きついた。

「ごめん、茜。わたし、あなたを食いモノにしようと……」

「大丈夫よ。理由を話して」 

 茜はやさしいママのように晴加を諭した。晴加は、目を赤くして答えた。

「この指輪をくれた女にいわれたの。あと四日以内に茜を勧誘しないと指輪を返してもらうって。私、この指輪をつけて、たくさんのオーバーキャパティーを犯した。だから、もうこれを外せない……。外せば……」

 晴加は、アサシン・ローズの惨劇を口頭で説明した。口から咲いた、人間の顔よりも大きい薔薇の花のことを告げた。全身をガクガクと震わせていた。

 茜は晴加の立場を痛感した。しかし、彼女を救うために指輪を受け取っても、きっと別の地獄に宿かえをするに過ぎない。何の解決にもならない。受け取れば、晴加の死を先延ばしにはできるが……。

 自分に用意された選択肢は、どれも地獄へ続いている。出口などない。どうしようか……。

「晴加、期限まであと四日あるんだよね。ギリギリまで考えさせて。それまでに、いい選択肢が見つかるかもしれないから」

 茜はそう言うのが精一杯だった。いい選択肢が出てくるとは到底思えなかった。

 さて、二人は抱き合いながら立ち尽くしていたのだが、その様子を、離れた場所からこっそりと覗き込んでいる三人の女がいた。

 晴加に指輪を渡したAランクの女たちだ。

「ククク。ここからが本番ね」

「ええ。いまはまだ安っぽい『友情ごっこ』をやっていられるけど、そのうち崩壊するわよ。本性がむき出しになるわよ」

「『隣人の幸福を想う』とか、新憲法前のカネモチ連中がほざいてたけど、そんなのは社会に祝福された運がいいだけの人たちの寝言。所詮は金の切れ目は縁の切れ目。あの二人を繋ぐものなんて、新憲法にとっくに破壊されてる。あの二人の元カネモチお嬢様は、じきにそれを思い知らされるのよ。

 あの偽善に満ちた綺麗な顔が、憎み合いでグッチャグチャに歪むのを想像するだけでゾクゾクするわ。新世界憲法バンザイ。フフフ」

 リーダーの人相の悪い女が言った。

「わたしは、沙倉茜は子機になるにBet!」

「わたしもそれにBet! ただし、佐藤晴加が沙倉茜に暴力をふるって無理やり子機にならせると思う」

「いや、わたしは沙倉茜は佐藤を見殺しすると思う!」

 三人は賭け事をしているようだ。

「結果は、四日後よ。どうなるでしょう」

「あぁ、ワクワクする。綺麗事人間の崩壊! はやく見たいわ」

「それにしても、人間の命をおもちゃにしたギャンブルって、あぁ、もう、なんか狂いそう」

 はしゃぐ三人の人相は、もはや人外であった。


 その日の夜、晴加は指輪のことが頭から離れず、ほとんど眠れなかった。目を閉じても、まぶたの裏には銀色リング。布団を深くかぶって音を消しても、

「ゆびわ、ゆびわ、ゆびわ、ゆびわ」

 と、色んな人間の声に化けた空耳が聞こえた。もう、すぐそこに崖が迫っている。ふっと、眠りに落ちたかと思ったら、真っ逆さまにストンと落ちる感覚になって、ビクンッ!と目覚める。ふと目に飛び込んだ窓の隅に、誰かの手が見えてゾクッとする。ふと背後に人間の気配を感じて、ガバッと振り返ると、血まみれの口から真っ赤なバラを咲かせた茜が横たわっていて絶句する。布団の中が生温かくてヌルヌルしてるので、確認してみると血まみれになっていて失神しそうになる。

 妄想がやまず、熟睡することはほとんどなかった。

 晴加は、翌朝も茜と待ち合わせした。目の下にクマが張り、頭が前に垂れ下がり、目はどんよりしている。子機になってデビューしたての頃の元気、ときめきは、どこかへ飛び去って見る影もなかった。親機の女のおごりで焼肉店にいった記憶が、何年も前のことのように遠くに感じた。

「指輪なんかはめるものじゃない」

 それが本音だった。しかし、そんな指輪を茜にはめさせねばならないのだ。

 目の前の茜のバッテンマスクが羨ましかった。今なら喜んで、その青装束を着られる。そっちの方が、どれだけ気楽だっただろう……。

 晴加の憔悴具合をみて、不憫に思えて、逆に茜の方が罪悪感を感じる程であった。晴加が今苦しんでいるのは、自分が指輪を受け取ることをためらっているのが原因なのだから。

「おはよう」 

 晴加が死にそうな声で、かろうじてあいさつをした。周囲に人がいるので、バッテンマスクの茜は目だけであいさつを返した。

 晴加は、授業中も、休憩中も、何をするときも、指輪のことしか頭に浮かんでこなかった。

 教室内の物音のすべてが鼓膜の手前で溶けてなくなり、耳の神経は沈黙し、「あと三日」のコールが脳を無限にループした。

 あと三日、あと三日、指輪の期限はあと三日。

 その日も、ふたりは一緒に帰宅したが、晴加は一切話さなかった。もう、茜の顔を見ること自体辛くなっていた。茜の息の音を聞くのも辛くなっていた。

 その翌朝、晴加は待ち合わせ場所に来なかった。いくら待っても来ない。茜は心配ではあったが、遅刻はゆるされないので、しかたなくひとりで学校に向かった。

 教室に入ってみると、晴加はちゃんと登校していた。

 彼女は、待ち合わせをすっぽかして、ひとりで先に登校していたのだ。

 別に意地悪をしたかったのではない。晴加は、もう茜に耐えられなくなっていたのだ。吐き気をもよおすほどの拒絶反応が出ていたのだ。

 あと、二日。今日を逃せば明日しかない。それなのに、こんな貴重な一日を晴加は無駄にした。結局、晴加はその日、茜と一切関わらなかった。目を合わすことすらもなかった。

 その日の放課後、三人のAランク女子が教室にたむろして喋っていた。

「今日、佐藤晴加のやつ。沙倉茜と一言もしゃべってなかったわよ。もしかして、親友を守るために腹をくくったのかしら」

「マジ? それだったら悔しいなぁ。友情の勝利、わたしらの負けよ」

「わたしは違うと思うなぁ。きっとあれは嵐の前の静けさよ。とんでもない嵐がくる前兆よ。超たのしみ!」

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