裁かれる底辺

 狂った新しい秩序の上部に君臨するのは、Aランクの者たちだ。彼ら彼女らは、もとは社会の底辺で泥水をすすっていた者が大勢だった。無教養で、向こう見ずで、忍耐を知らない未熟者が少なくなかった。そういう連中が、今は天下をとっているのだ。

 新憲法の内容がわかり始め、Aランクの自分たちが、何をやっても大抵は許されることを知り始めた。だから、徐々に、Aランク者の暴走が始まった。彼ら彼女らの狂気の矛先はCランク者だ。この憲法は、AがCを殺しても、軽犯罪扱いなのだ。殺人以外なら、ほぼ無罪である。

 Aの暴走が始まり出した頃、茜の身にも暗い影が落ち始めた。

 彼女は、新憲法に従い、決められたステータスフリー・スクールに通っていた。以前は、名門私立校の誉れ高き制服を着ての登校だったが、今は、青ずくめのへんてこな格好だ。目しか露出できないし、口には大きなバッテンマーク。

 晴加とは住んでいる場所が近かったので、同じ学校で、しかも同じクラスになれた。それだけが唯一の励みだった。 

 彼女たちは、以前と同じ場所で待ち合わせをした。出会った二人は、以前のような元気はなかった。青いふたつの塊が、元気なさそうに並んで通学路を歩いた。

 本当は元気に挨拶をしたい。しかし、周囲には自由な服を着た上位ランク者がたくさんいる。声を出してはいけないのだ。

 学生たちは、通学の義務があり、政府に許可を取らない限り休めない。不登校やサボりなどは、この秩序のもとではありえなかった。みな刑罰が怖いから、多少の体調不良があっても登校した。

 教室には、ABCの生徒が混在している。三十人ほどの学級で、装飾のほどこされた貴族風の制服姿のAランクの生徒が六名ほど。青いCランクの生徒も六名ほど。他はごくありふれた制服姿のBだ。AとBの制服は新政府から支給されたものだった。Cは24時間年中無休で青装束以外は許されない。

 午前の授業が終わり、ランチタイムになった。校内には、学食があるので、C以外の生徒はみなそちらで昼食をとる。学食はCランク立ち入り禁止ではないが、利用するものは一人もいなかった。メニューはどれもそこそこの値段だ。Aランクの一番人気は特上ステーキ定食10000ポイント、Bランクの定番がからあげ定食700ポイント。Cのマネーキャパシティーでは手が届かないので誰も利用できない。

 教室がCランク者だけになったので、茜と晴加はマスクをあごにずらして、用意した弁当を机に並べた。向かい合いながら、食事をはじめた。

「なんで勉強してんだろ、わたしたち」晴加が、冷めた固いごはんを口に放り込んだ。べっちゃとして、あまり美味しくない。 

 茜は、卵焼きを、あまり美味しくなさそうにモグモグしながら答えた。「この先どうなるかわからないから、とりあえずやれることはやっとこうよ」

「でも、職場は政府に勝手に決められるんでしょ? 勉強する意味ある?」

 茜は、無言で卵焼きを飲み込んだ。お互い、かなり質素な弁当だった。Cランク者は、月80000ポイントで食費も含めたすべてを賄わなければならない。茜も晴加も家族全員がCランクだった。だから、親だって80000ポイントだ。子を養うゆとりなどない。とにかく過度な節制に努めなければ、やっていけなかった。

 二人とも、肉が好きだった。肉を食べて元気いっぱいに暮らしてきた。しかし、新憲法施行以来、一度もそういったものを口にできなくなった。安価な食べ物中心になった。故に、体に力が沸いてこなくなった。気分が欝になることが増えた。

 晴加は、マスクやフードをいじりながら言った。

「いつまでこんなのつけなきゃいけないんだろ」

 茜はためいきまじりに「さあね」と答えた。

 二人の声はどんよりと曇っている。

 すると、教室にAランクのクラスメートの三人の女子が入ってきた。茜たちは慌ててあごのマスクを戻した。

 胸の中にいやな気持ちがこみ上げてきた。

 この頃には、全国各地の学校で、Aランク者のCに対するイジメが横行し始めていた。茜と晴加も、もれなくその被害に遭っていた。被害は日ごとにエスカレートしていた。

 教室に入ってきたAランクの三人は、ニヤニヤしながら茜たちのすぐ隣の席についた。みな、おいしそうなクラブハウスサンドウィッチを持っていて、それをテーブルに広げた。レアに焼けたローストビーフがたっぷりと挟まれたボリューミーなサンドウィッチだった。肉に飢えていた茜も晴加も、そのサンドイッチから目を背けるのに必死だった。惨めだった。

 三人のAランク女子は、わざとらしく二人のCランク者にサンドウィッチを見せびらかしながら、美味しそうに頬張った。ひとりのA女子が言った。

「これ、マジうまい」 

「肉汁やばい」これは別のA女子。

 さらにもうひとりが、「あぁ幸せ!」とつぶやいた。

 いずれも、茜と晴加に聞かせるために言っているのがよくわかった。

 しばらくモグモグしていると、ひとりの一番人相の悪い女子が、茜に話しかけた。

「ねぇ、沙倉さん。あたしらさぁ、新憲法バンザイなんだよね。魔導界サマサマよ。だって、新憲法が始まる前は、あたしらこんなの絶対に口にできなかったから。あんたらが今食べてるのより、もっとひどい食生活だったのよ。とにかく親がクソでさぁ。金も愛もなかった。地獄だった。ねぇ、沙倉さん、立場が逆転した今どう? 何を感じる」 

 女子はそう言うと、茜のマスクをひっぱってあごにズラした。違憲発言になる!と思った茜は、怯えた目をしながら手で口を隠した。

「大丈夫よ、通報なんかしないから。だから、聞かせてよ」  

 茜はしぶしぶ口から手を離した。花が咲いたように可愛らしい唇が露わになった。すると、横から別の女子が口を挟んだ。

「やっぱ可愛い顔してるわね。そんなダッサイ服着せられてても、全然かわいそうに見えないのが悔しいわ。私らだったらギャグにしかならないわよ」

「私らがどんなに着飾っても、永久に追いつけないわ」

 もうひとりの女も、恨めしげに言った。

 三人とも、念入りにお化粧してはいるが、それでもすっぴんの茜と並ぶと見劣りしていた。

「ねぇ美人さん、今どんな気持ち?」 

 返事を催促されると、茜はしぶしぶ答えた。

「つらいわよ」

 質問したAランクの女が「そうよね」と嬉しそうにつぶやいた。

「沙倉さんってさぁ、日本屈指のゼネコン企業の社長令嬢だったんでしょ? その上、そんなに可愛い顔で生まれて……。ねぇ、新憲法以前に、不幸だなって感じたことってあった?」

 茜はいやらしい質問の答えに戸惑った。

「ねぇ、どうなの?」

 Aの女はニンマリしながら返事を催促した。

「あったわよ」と小さく答えると、

「えっ?」「なに?」「どんなこと?」三人のA女が口々に言った。

「常に、不幸なんてなさそうっていう風に見られているのが、なんだか息がつまりそうで嫌だった。わたしだって所詮は普通の人間なのに……」 

 三人は目を丸くしながら見つめ合ってためいきをついた。 

「なんか想像もできない悩みね。そんなことで悩んだことなんてわたし一度もないわ」とひとりがこんなことを呟いた。

 すると、一番人相の悪い女が不機嫌そうな顔になって語りはじめた。

「わたしさぁ、あんたみたいな裕福育ちの人間がキラキラしてんのを見ると、ずっとイライラしてたのよ。そういうやつらってさぁ、『やればできる』とか『できると信じればできる』とか、そういう言葉好きじゃん? わたし、そんな奴の顔に、泥をぶっかけてやりたいってずっと思ってきたの。

 できると思えばできるとかほざいてる奴ってさぁ、おめでたい馬鹿よね。そういう言葉を言ってるやつってさぁ、できると思ったからできたんじゃなくて、できると思わせてくれる家庭環境に恵まれたからできるようになれただけなのよ。できるという思いの力じゃない。家庭環境のよさが、その人間を優秀にしたのよ。親の力。しいていえば、運の力。世の中は結局『運』よ。

 運が悪かったわたしたちみたいな人間の家庭環境で浴びる言葉は、常に『お前はダメだ』『お前はできない』よ。否定があっても肯定はひとつもない。そんな環境で育った人間が『やればできる』とか聞かされると、もう暴言にしか聞こえないのよ。

 ねぇ、そんなことを考えたことある? カネモチ美人令嬢さん」

 茜は、腹わたが煮えくり返っていた。彼女だって、努力して掴んだものがたくさんある。運がいいのはなんとなく感じるが、運の一言で片付けられるのは理不尽だった。

 だが、表情に出すわけにはいかない。新憲法のせいで、自分はひどく弱い立場に追い詰められている。相手の感情を逆撫でするのは得策じゃない。茜はぐっと感情をこらえた。

 愚痴を浴びせる女は、まだ腹がおさまっていないようだ。

「ねぇ、これ分けてあげるわよ」

 ローストビーフたっぷりのサンドウィッチを茜の口元へ持っていった。紅色の肉が茜の唾液腺を刺激した。

「ダメよ、ハッピーキャパシティーを超えちゃう」

 茜はナイフを突きつけられたかのような怯えた顔をした。美味しい食べ物を拒絶しなければならないのは、とても不幸なことだ。しかし、それが彼女の現実だった。食べれば、さらなる不幸が待っているのだから。

 Aランク女の言動は、エスカレートした。

「そうだったわね。美味しいお肉はCランク者にとっては違法薬物みたいなものだからね。でも、お茶ぐらいだったらもらっても大丈夫でしょ」 

 女はそう言って、自分のお茶のペットボトルの蓋をあけた。

「はい、プレゼント」といって茜に渡した、かと思いきや、A女は茜の食べかけの弁当にドバドバ、ビチャビチャとお茶を注いだ。弁当はあふれかえり、中身が押し流されて、机の上に散らばった。

 茜は呆然とした。すると、A女はお茶をもう一本あけて、「ほら、飲めよ」と尖った口調でいうと、茜の口に無理やり突っ込んだ。別の女が茜の背後に回り込んで頭を押さえて、強制給餌を手伝った。茜は、変な音と声をあげながら、望まないお茶をグビグビとやった。

 晴加はどうすることもできずに、黙ってその光景を見ているしかできなかった。そんな彼女に、別の女が話しかけた。

「ねぇ、あなたは沙倉さんの友達なんでしょ? どうして助けてやんないの?」

 晴加はうつむいてしまった。

 助けたいに決まっている。しかし、いじめの矛先が自分に向けられるのは怖い。Cランクの粗末な生活によって体は疲弊し、腹ぞこに力が入らない。追い詰められれば誰だって強くはなれない。人間は、弱れば我が身が可愛くなってくる。理屈や道徳など、最後には泡と消える。

 無力なCランクの晴加を女はケラケラと笑った。

 とうとう茜は、お茶を飲み込み切れなくなって、口と鼻から噴射させた。美人の鼻と口がグショグショになった。

 それをみたAの三人は、晴れやかな顔になった。目だけは真っ赤に血走っていたが。

 

 その日の放課後、茜と晴加は一緒に下校していた。気まずい雰囲気だった。晴加は茜を助けなかった自分に罪悪感を感じていたのだ。彼女は周囲に他ランク者がいないのを確かめてから言った。

「茜、今日はごめんね……」

 茜は首を振った。

「晴加は悪くないよ。逆の立場だったら私だってきっと同じよ。あいつらだって絶対」 

 そう言いながらも、茜は、だんだんと晴加と心の距離が遠ざかっていくのを感じてしまうのであった。晴加も同じであった。

「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉が脳裏をよぎり、それが互の胸を締め付けた。Cランクになり、生活が困窮し、もう他人のことなど気遣う余裕も底をつきかけていた。そんな自分が受け入れられなかった。

「カネじゃない。カネで繋がっていたんじゃない」そう言い聞かせることにも疲れ始めていた。

 Cはみんな、一人になりたがっていた。

 無言になった二人はとぼとぼと帰路についた。そして、ある曲がり角に差し掛かったときであった。角から何者かが勢いよく飛び出してきて、晴加と派手にぶつかった。お互い尻餅をついた。飛び出してきたのは、青装束を着せられた子供だった。ぶつかった二人が、痛そうにしながらゆっくりと起き上がろうとしていたら、角から二人の青装束の男女が、怯えた顔をしながら飛び出してきた。

「ユキオ! 大丈夫?」

 声をかけながら子供を抱き起こした女性は、母親らしかった。となりの男性はおそらく父親だ。すると、角の奥から鎧を軋ませる音が聞こえたかと思うと、すぐに魔導ポリスの兵士が現れた。

「待ってくれよ! 新憲法は厳しすぎる! 少しぐらい大目に見てくれよ」

 父は涙目で兵士に懇願した。茜の目には、子供の口元に、べったりとチョコレートがついているのが見えた。それで、事の仔細を悟った。

 きっと、子供は我慢ができずにおいしいチョコを貪ったのだろう。カカオの香ばしさとミルクの旨みと砂糖のパンチのある甘さが口の中でハーモニーをなし、子供の脳内にハッピーキャパシティーを超える福音が鳴り響いたのだ。オセロがそれを見逃すはずもなく、通知をうけた兵士が、子供を捕らえに来たのだ。

 狂った憲法は女子供にだって容赦ない。罪は罪として機械的に狂いなく裁かれる。

「お願いです! 見逃してください」

 両親は、地べたに額を擦りつけて頼んだ。青装束の二人が土下座している光景はなんとも滑稽であり、とても痛々しかった。

 しかし、魔導ポリスに容赦はない。

「子供をかばったキサマらも同罪とみなす。全員いまから刑務所に転送する」

 兵士は、レンズを取り出し「ウェブ・バインド」を唱えた。レンズから無限の細い触手が飛び出し、三人全員を瞬く間に縛り上げた。白いストッキングにコーティングされた三つの大きなイモムシが道に転がった。

「お願いだぁー。やめてくれ」

「神さまぁー、助けてぇー」

 両親の叫びと、子供の悲壮な鳴き声が街中に響き渡った。いつしか周囲には野次馬の人だかりが出来ていた。他人事のように見物するAランク者がいた。同情しているが、どこかに余裕が見受けられるBランクもいた。明日は我が身と怯えるCの者もいた。

 魔導ポリスの兵士が、野次馬に向かって、とくに青装束のCランク者に向かって怒鳴った。

「この世界で不幸になりたくなければ、幸せをあきらめることだ」

 悲しき親子は、野次馬の面前で魔導ポリスに転送されていった。

 子供がチョコを食べた。ただそれだけだった……

 この光景を目の当たりにした茜と晴加は、身も心も寒くなってしまった。二人は、冷えた体を抱き合わせて、ただただ震えていた。

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