第3話 白い開発部にまたたく一等星


リンタに案内された真っ白な部屋は、中央に大きな円形のテーブルが置かれているのみで、ほか一切の物はなかった。

入る際、申し訳程度に無地のルーム表示がノイズとともに一瞬“開発部”と変換されただけだ。それも一秒後には無地ボードに戻ってしまった。


「あ、イスがないね。今持ってくるよ。」


普段開発部の人間はどうやって仕事をしているんだろうか。

まぁ、あの【パンドラ・プロトコル】を開発し運営している部署だ。私のような凡人にはまるで理解できない環境で業務に従事しているのだろう。今さら逆立ちでパネルを操作していたって驚かない。


少しして「こんなのしかなかったけど」と、リンタがイスを用意してくれた。

それは茶色と黄色の中間色のような色味で、少しだけ光に反射するような艶があった。この時代では見慣れない素材。ネオプラ製品でないのは明らかだ。

いや、でもそんなまさか。


「ねぇ…まさかとは思うけど、これって何で出来てるの?」


「木、だよ。ヒノキ製。」


やっぱり【木】。


「…法律に触れてるわ。」


自然由来のものはここ数百年でどんどん法律によって規制が厳しくなっている。

政府の発表によると、このところ世界人口が安定して微増加傾向にあり、またもや自然の生態系にゆるやかな異常が見えてきている、とのことだった。

そこで政府は、民間会社とともに食材以外のほとんどのモノを、完全リバースに対応可能なネオプラ製品に代替するよう通達を出している。

政府としては過去の過ちを国民に強いさせないというメッセージだったのだろうが、実際当時は政府自体も地獄を見たのだろうし、この異常には過敏にならざるをえない事情も理解できた。

一応の民意も得ているからこそ国の規制は堂々としたもので、頻繁にではないにせよ、気まぐれに監査委員が派遣されたりもする。


「大丈夫だよ、元からあるものだし。監査もこの地下までは下りてこないんだ。」


さっきのおどおどした態度はどこにいったのか、リンタは何でもないように二脚のイスを適度な距離に離して、腰かけるように案内してきた。


「地下50階まではさすがに、ね。」


ええ、そうでしょうとも。


「あー…えっと、ごめん。コーヒーも紅茶も、その…今なくて。」


「大丈夫、ありがとう。」


隣合わせ、少しだけ向かい合おうとしている角度に調整しながらそう答えると、はっとしたようにリンタも私と同じように角度を調整し始める。

赤い服のよれが少しだけ浮彫りになった。


「その服も自然素材?」


「あ、」


「ううん、責めてるんじゃないの。めずらしいシルエットだったから。」


リンタは襟元がよれよれになってる赤い服を改めて見つめると、そのよれを隠すように後ろへ引っ張り、恥ずかしそうに「綿だよ」と小声で答えた。

その仕草が何だかかわいらしくて、少しだけ心がなごむ。シルエットってそういう意味じゃなかったんだけどな。


たぶんこの服は年代ものだ。察するに1900年~2000年代。

私自身はまだこの時代に降下したことはないけれど、以前キャシーが仕事でこの素材の切れ端を拾ってきてしまい、チーフにこっぴどく怒られていたことがある。

服の上で腰に手をあて微笑む男は、全身を包みこむ青い服を着ており、胸には大きな白い星、そして手には円盤のような盾を持っていた。

その姿は孤高で、でも慈愛に満ちていて神々しさすら感じる。


「それで…、報告って?」


問いかけるリンタの声にはっとして、慌てて男性の微笑みから目を離す。

本業に移らないと。


「そうね、えっと…初めに言っておくけど、私たち添乗チームは【時空の歪み】に関することならどんな些細なことでも開発部に報告しろって言われてるの。」


言い返せば、どんなとるに足らないことでも。どんなにつまらないことでも。

あらかじめ埋め込まれた学習チップの感覚網からはずれるものは、念のため報告しなければならない。

小さな歪みも、時が経ち時を重ねれば、それは大きな変異の波となってしまう。


「…わかった。」


どんなことでも聞く、という合図かのようにリンタは小さく首を縦にふった。


「それから、もちろんこの報告は開発部以外に他言することも禁じられてる。学習チップの書き換えも不可。もし【歪み】を修正するのなら新規チップを作ってもらうことになるわ。」


報告者が安全な人間だとは限らないし、もし虚偽の報告や何かの企みがあってパンドラ・プロトコルに接触しようものなら、それこそ犯罪行為では済まされない。

なぜならパンドラ・プロトコルがなければ時間旅行は出来ないし、異次元の量子計算も不可能になるからだ。



パンドラは、過去や未来と現在の私たちを繋ぎ、この「世界線」を「私たちの現実」と定義している、いわば私たち人類の記憶の命綱みたいなものだ。


あの時代のあの少女が、あの少年に声をかけなければ。

あの戦いのあの銃弾が、あの兵士の心臓を貫いていなかったら。

あの夫婦が恋におち、あの子どもが生まれてこなかったら。

続く未来はどう変化するだろうか。

そしてそれは、私たちが生きるこの世界に辿りつく未来になるだろうか。


予定調和と変異が連続する時の流れのなか、この世界線に辿りつくよう、パンドラは常に計算し続けている―――

時に情報を足し、そして引きながら。

その微調整があって、この世界は存在し、私たちも存在している。


パンドラ・プロトコルは私たちの会社の存在意義である以上にこの世界の生命維持装置であり、同時にこの国の大きな切り札のようなものなのだ。

だからこそ、民間会社であっても国家機密プロジェクトを抱えている会社の制約を甘く見てはいけない。


「君の記憶は?」


「該当部分のみ、チップと呼応して書きかえられるみたい。」


「この報告のことも?」


「パンドラがそう判断したなら。」


真面目に耳を傾けるリンタの様子からすると、添乗チームとのやりとりは本当にこれが初めてらしい。

おそらくずっと報告という名のミーティングを避け続け、一人でパンドラの管理に没頭していたんだろう。

らしいというか、あまりにその想像がぴったりで心のなかで苦笑してしまった。


「だいたいのことは…分かった、と思う。じゃあ、えっと…報告をはじめて、ください…。」


そう呟くリンタの言葉に反射したかのように、一瞬胸に描かれた一等星が瞬いたかのように見えた。

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Dance With Time 未明 よあけ @kawa_tare_doki

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