エモノの家.2

 不能未遂係の事務所で、号刀は頭を抱えた。

「自分が警護についていながら……」

「号刀くんのせいじゃないよ」

 玉栄は咥え煙草で首を横に振る。


「犬が殺されてその首が神棚出たんだんだって。これは人間の仕業じゃないと思うよ」

「またそんなことを。自分を励まそうとしてるならやめてください。住居侵入に動物愛護管理法違反。れっきとした人間の犯罪ですよ」

「もし、そうなら誰の仕業だろうね。家には誰も立ち寄ってないんでしょう」

「それは……」


「祟りですよ!」

 机に突っ伏していた紙枝が唐突に叫んだ。

「号刀くんも見たでしょう。家を揺らして、泥みたいな染みが天井に! あんなのブルドーザーを使ってもできませんよ! 刑事にどうこうできる話じゃありません」

「だから、逃げたんですか」

「いえ、逃げてません、偶然大学の講義が……」



 ノックもなしに扉が激しい音を立てて開いた。

 スーツの下からも盛り上がった筋肉がわかる、体格のいい男が現れる。男は入るなり顔を顰めた。

「ヤニくさいし暑苦しい、相変わらず最悪の部屋だな!」

 紙枝は慌てて机から跳ね起きた。

「玉栄さん、どなたですか?」

「捜査一課の荒井あらいさん。後ろの子は知らないな」

 男の後ろに小柄な女がいた。ふたりが横に並ぶと体格差で親子のように見える。


 号刀は目を見開いた。

雛本ひなもと……」

「お久しぶりです、先輩」

 女は号刀を睨みつけてから顔を背けた。紙枝の玉栄の背後に隠れて囁いた。

「号刀くんのお知り合いですかね」

「そうかもね。それより、何で一課が来たのかな」


 荒井と呼ばれた刑事は更に表情を険しくする。

「何で、だと? 被害者の遺族を警護していながら、家への侵入を許し、飼い犬まで殺された! 首を切られたのが犬じゃなく母娘だったらどう責任を取る気だ、玉栄!」

「で、一度うちに投げた案件を取り戻しに?」

「そうだ、これ以上不能どもに任せられるか!」

「そんなEDみたいな……」

 紙枝が耳を塞いで叫ぶ。

「玉栄さん、何となくで言わなくていいこと言わないでください!」

「御用学者は離れていろ!」

 鋭い怒声に、紙枝まで部屋の隅に飛び退った。


 荒井は青筋の浮いた額を抑える。

「今日から九木宅の警護は一課が努める。また犯人が訪れるかもしれないからな。お前らは丑の刻参りでも取り締まってろ。他人と話すときは煙草を消せ!」

「失礼」

 玉栄は灰皿で吸殻をすり潰した。


 今まで無言で立っていた雛本が、わざと大股で玉栄に歩み寄った。

「こんなひとたちに正面から言っても仕方ないですよ」

 雛本は小さな身体で胸を張り、ポケットから煙草とライターを取り出した。煙草に火をつけ、大きく息を吸う。途端に彼女の顔が赤くなり、鼻から煙を出して噎せ返った。


「何やってんだ、大丈夫か……」

 号刀は彼女の背に手を伸ばす。

「触らないでください!」

 雛本は手を振り払い、バネのように飛び跳ねた。彼女は涙目で喉を押さえながら呻く。

「一課にいるときは先輩のことを尊敬していました。今はあの頃の自分を殴り飛ばしたいです。立場を利用して、最低ですね」

 号刀は目を伏せて一歩後ろに下がった。


「セクハラ、パワハラだっけ」

 玉栄は机に手をついて雛本を見下ろした。

「雛本さん、君も刑事ならひとを見る目は養いなさい」

「何ですか、偉そうに……」

「紙の上の事実と真実が違うこともあるんだよ」

 荒井は鼻で笑い、玉栄を睨め付けた。

「体温計で測った体温と、母親が額に手を当てて測った体温、どちらを信じる?」

「面白い例えですね。でも、体温計が壊れてたら?」

 玉枝は火傷で塞がった目蓋を薄く閉じた。

「一課が警護に当たるならどうぞ。でも、号刀も引き続き投入してください」

「何?」

「何かあったとき責任を取るスケープゴートが必要でしょう」

 荒井は鼻から息を吐き、呆れたように笑った。



 捜査一課のふたりが室内を後にする。激しい音を立てて扉が閉まり、奥のガラクタの山から着ぐるみの頭が転げ落ちた。

「何か気が抜けちゃったね」

 微笑む玉栄に紙枝が首を横に振る。

「どういう感性してるんですか。いろいろまずい状況だったじゃないですか。雛本さんって号刀くんの後輩さんですか?」

「はい、昔は飲み仲間でしたが」

「今じゃすごい嫌われっぷりですね」

「好きだと思うよ。煙草の銘柄、号刀くんと同じだったもの」

「はあ、なるほど……」

「その話はいいですから」


 号刀は資料の束で机を叩いた。乾いた音が響き渡り、号刀は前髪を掻き上げる。

「最優先は九木母娘の護衛です。それ以外はどうでもいい。あと、玉栄さん。いろいろとお気遣いありがとうございました」

「スケープゴートって言ってましたけど……」

 紙枝の呟きに、号刀は微かに口角を上げた。

「上等ですよ」



 三人は机に向かい、椅子を寄せ合う。玉栄は資料を広げた。薄いストロボライトの写真の中に首を切られた犬の死骸が映っていた。

「怪奇現象は専門外だから私たちにできることからやろう。まず、この犬を殺したのは誰か。意図は何か。紙枝くんはどう思う?」

「霊媒師じゃないですか。神棚を用意したのも彼ですし。不安を煽って更に高額な報酬を得るためとか」

 霊媒師の温和な笑みと、鋭い叫びが蘇る。号刀はかぶりを振った。


「彼の驚きぶりは演技に見えませんでした。それに、お祓いを失敗した霊媒師に依頼人が報酬を積むとは思えません。詐欺なら魅せ方があるはずだ。何より、彼は真剣にふたりを救おうとしているように見えました」

「霊媒師は具体的にどんな方でしたか?」

「着物を着た三十くらいの男で、関西の訛りがありましたがどの県かは断定できません。それから、家から動物の死体や遺骨などの"穢れ"を取り払えと命じていたようです」


 紙枝は眼鏡を押し上げる。

「聞いたことがないやり方ですね。我流でしょうか……」

「ふたりが訪問したときは歩き巫女を呼んでいたんだってね。珍しい霊媒ばかり集めてる。他には?」

「故人の写真はないかと聞いていました。ただ、前に別の霊媒師が処分させたとかで家に写真はないそうです」

「それで、代替えに思い出の品はないかと聞いていました。九木菫が福岡旅行の土産を持って来て……」

 玉栄は眉間に皺を寄せた。


「何か?」

「調べたけど、九木秋生の出身は福岡だよ。帰省じゃなく旅行って言ったの?」

「帰省のついでに旅行したんじゃないですか」

 紙枝は素気なく答えたが、玉栄はまだ険しい顔をしていた。沈黙と暗闇が事務室を染め上げていく。


 号刀は額に手を当てた。

 遺族を襲う怪奇現象。どれも役に立たなかった霊媒師。家を監視する心霊手術詐欺師。怯える娘。取り乱した母が縋ったときの、腕に食い込む長い爪。



 号刀は静かに言った。

「玉栄さん、頼みがあります。九木の家族写真を探してほしいんです。それから、九木秋生失踪当時の近隣住民からの証言を」

「何故?」

「まだ突拍子もない疑惑の段階なので言えません」

 玉栄は火傷痕を歪めて微笑んだ。


「いいよ。紙枝くんも働かせる?」

「お願いします」

「ええ……」

 紙枝は大袈裟に仰け反って避けた。

「紙枝さんは被害者の遺体から見つかった泥と土器のような欠片の解析をお願いします。それから、できれば九木宅を訪れた霊媒師たちのリストと信仰を調べてください」

「明らかに民俗学者の仕事じゃないものまで入ってますよ……」



 号刀は立ち上がる。脳裏に過ぎったのは、各務の言葉だった。

「刑事なら家じゃなくひとを見ろ、か……」

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