第42話 十文字香の手記 その二十

「次の事件は起きないと思うよ」


 教室まで付き添った私との別れ際に、夏風走一郎は青ざめた笑顔で言った。だから不安に思わないように、という心遣いだったのかも知れない。まあ、次に予想される被害者が多ノ蔵理事長であるなら、その殺人は実行されないだろう。連続殺人事件は事実上終わった。あとは警察が証拠を固めて理事長を逮捕すれば、すべて解決である。


 もちろん理事長の逮捕などという事態になれば、学園も無事には済むまい。我々生徒の今後の進学や就職に大きな影響があるに違いない。だがそれでも、これ以上誰かが殺されるよりはずっとマシだ。この時点での私は、とにかく早期の事件解決を望むばかりだった。


 しかしそんな私が自分の教室へと足を向けた途端、背後から聞こえた女子生徒の悲鳴。一組の教室から。まさか。そこに響いた男子生徒の怒鳴り声。


「おいまた倒れたぞ! 先生呼んで来い!」


 間違いない、夏風走一郎が倒れたのだ。昼休みの終わりを告げる予鈴を聞きながら、振り返った私は呆然と立ち尽くすしかなかった。




 午後の授業は身が入らず、ただボーッと苦痛な時間を過ごしただけ。夏風走一郎はまた救急車で子田病院に運ばれた。明日には学校に戻ってくるだろうか。そればかりを思っているうちにホームルームも終わり、終鈴が鳴ると同時に私は立ち上がった。新聞部の仕事などできる気がしないが、サボる理由も見つからない。まあそんな日もある、仕方ない。そう心の中でつぶやきながら廊下に出てみれば。


「あれ、五味くん」


 仏頂面の五味民雄が私を待っていた。


「私に用? 何かあったの」


「外出許可を取った」


「え?」


「夏風の見舞いに行くんだが、十文字も行くかどうか一応確認しに来た」


 私の頭脳に電流が走った。何故だろう。どうして自分はそれを思いつかなかったんだろう。そうだ、お見舞いだ! 


「行かないんなら別に構わんけどな」


「ううん、行く! 私も一緒に行く! 待ってて、すぐ外出許可取ってくるから!」


 何よ何よ、アイツ案外いいとこあるじゃない。私は跳ねるような気持ちで担任の背中を追って廊下を駆け出した。


 だけど。子田病院までどうやって行くつもりなんだろう。タクシーでも呼ぶのかな。




 外出許可を取ってから合流した五味民雄は、正門ではなく視聴覚教室へと向かった。奈良池先生の事件以来、ここが警察の現場本部になっているのだ。入り口脇に立っていた制服警官に幾津刑事を呼び出してもらうと、五味民雄は夏風走一郎の見舞いに行く旨を述べた。


「見舞いかあ。心配なのはこっちも同じなんだが、いまは手が放せないな」


 申し訳なさそうな幾津に首を振り、五味民雄はこう言う。


「いや、それはいいんです。ところで幾津さんは多ノ蔵理事長の連絡先知ってましたよね」


「連絡先? ああ、まあ知ってはいるが」


「じゃあ、俺が子田病院に夏風の見舞いに行くこと、理事長に教えてもらえませんか」


 この言葉には、さすがに幾津刑事の眉が寄った。もしかしたら私も同じ顔をしていたかも知れない。


「君が夏風くんの見舞いに行くことを、理事長に伝えてどうするんだ」


「興味があると思いましたんで、とでも言えば済みます」


「……五味くん、何を考えてる。何を知ってるんだ」


「ああ、できれば理事長のリムジンで病院まで送ってもらいたいって付け加えてもらえますか。職員室でこんなこと言っても相手にされないと思うんでね。頼みますよ」


 薄ら笑いを口元に貼り付けた五味民雄に、幾津刑事は真剣な顔で携帯電話を取りだした。


「それは、一緒について行ってもいい、ということなのか」


「興味があるんでしたらどうぞ。こっちにとっちゃ願ったり叶ったりなんで」


 何なんだろう。どういうことだ。ただお見舞いに行く訳じゃないというのか。え、え、いったい何が起ころうとしているの。私の胸に小さな影が差した。

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