第40話 十文字香の手記 その十九
夜明けと共に現れた三つ目の死体は、校舎の中では見つからなかった。そもそも学園の教師ですらない。場所は校庭、初代理事長像の前。ロープで首を絞められて。
背を向けると後ろから首を絞めてくる初代理事長像、それは七不思議の一つ。そして死体の近く、初代理事長像の土台の部分にはチョークでXの文字が。
日が差し込み室温の上がった昼休みの推理研究会部室。昨日の救急搬送からまだ完全には回復できていないのだろう、青ざめた夏風走一郎の顔には弱々しい笑みが張り付いていた。いつものように窓辺の椅子に座ってはいたものの、いつもの不敵さは感じられなかった。
だが幾津刑事は気を遣ってばかりもいられない。部室に入ってくると、早速要件を切り出した。
「被害者は所持していた免許証と指紋から身元が判明している。名前は
この串田、私の記憶にあった。先般、多ノ蔵理事長が学園を訪れたときに話しかけていた品のないガマガエルのような男。
夏風走一郎は、やや苦しげなため息を一つつくと、窓枠に頬杖をついた。
「……なるほど、KUSIDAではなくXIDAと読んだ訳ですか」
「これでアルファベットはNEX、次があるとしたらT辺りやろか」
幾津刑事の後ろに立つカウンセラーの入地がそう言った。私も同じことを考えていた。NEXT。次。次はおまえだ。全身に走る悪寒。このとき幾津刑事の声が聞こえなかったら、私はしゃがみ込んでいたかも知れない。
「もし次の犯行があるなら、Tは誰だと思う」
「幾津さんは誰だと思ってるんですか」
ちょっとイタズラっぽい夏風走一郎の問い返しに、幾津刑事はためらいながら答えた。
「多ノ蔵理事長、かな」
「でしょうねえ。僕もそう思いますよ」
「いや、だがそれじゃ話がおかしくないか。多ノ蔵理事長は奈良池・絵棚両教諭の殺害に深く関わっているはずだ。その理事長がどうして犯人のターゲットになる」
この時点の私には、幾津刑事の言葉は筋の通ったもっともな理屈だと思えた。普通に考えて理事長が狙われるというのは無理があるのではないか。
しかし青ざめた顔の名探偵は、それでも頭脳の働きはいつも通りなのか、弱々しい笑顔の前に四本の指をかざした。
「ざっくり分けて、可能性としては四つ考えられます。
一 ターゲットは理事長ではない
二 ターゲットは理事長で、理事長は最初から犯行に関わっていない
三 ターゲットは理事長で、理事長は犯行に関わっているが、仲間割れが起きた
四 警察の目を
まあ、このどれかでしょう」
白衣の入地が首をかしげる。
「理事長がターゲットやない可能性もあると考えてんのか、君は」
「どれくらいあるかを別にすれば、可能性はゼロじゃないですよ。もちろん、それならイニシャルをわざわざ殺人現場に書き残した理由が見つからないのは事実ですけどね」
そう、現場に残されたアルファベットに意味がある前提なら、夏風走一郎の言う通りだ。NEXT、次はおまえだという宣告は、多ノ蔵理事長に大きな恐怖を与えるという点で意味がある。もしTが理事長ではない、どこの誰ともわからない被害者候補を指しているのであれば、それは何も書き残していないのと大差ない。つまり何の意味もない行動ということになってしまう。
幾津刑事は腕組みをしながら考え込んだ。
「理事長が犯行に関わっていない可能性は、果たしてあるのか」
「結局、理事長室以外から中庭に出られる場所がありましたっけ」
「いや、それはない。理事長室にあった扉を通るのが中庭に出るための唯一の手段だ」
「中庭にケシが自生していた痕跡が見つからない以上、理事長が犯行に関与していた証明はできません。つまりは関与していない可能性は否定できないんです。言い換えれば、痕跡さえ見つかれば殺人への関与はほぼ確定なんですけどね」
普通に考えると極めて重い内容を語っているにも関わらず、夏風走一郎の言葉は相変わらず風のようだ。軽薄なのではない。ただ著しくドライと言える。まるで感情の起伏などないかの如く。
中庭にケシが生えていたのは、おそらく事実だろう。もしそれがまったくの虚構なら、コンクリートで埋め尽くす必要はなかったはずだからだ。隠したということは隠すに値する何かがそこにあったと見るべき。理事長は少なくとも先の二件の殺人には関与しているに違いない。
さて三つ目の可能性は仲間割れ。これは私の考えとも近い。かなりあり得るのではないかと思っていたのだけれど。
入地がたずねた。
「仲間割れの可能性ってそんなあるかなぁ」
夏風走一郎が応えた。
「たいしてないでしょうね」
この言葉は軽くショックだった。え、どうして。かなり一生懸命考えたのに。少なくとも奈良池先生と絵棚先生を殺した理由は仲間割れではないのか。そんな私の気持ちの揺れを知ってか知らずか、夏風走一郎はすらすらと解説した。
「三件の殺人はどれも学園七不思議に沿って行われた計画的なものです。急な方針転換をしたようには思えません。理事長と仲間割れしたグループが、相手に罪をなすりつけようとしているなんて考えるのは無理があるでしょう。殺人は順当に計画通り行われているはず。嫌な生真面目さですけどね」
入地はさらにたずねた。私の考えを代弁するかのように。
「二人の先生が殺された理由は仲間割れとは関係ないんやろか」
「粛正の可能性はあっても分裂したとは思えませんよ」
確かに夏風走一郎の言う通りかも知れない。嫌な生真面目さか、言い得て妙だ。ただの乱暴者にはなし得ないタイプの犯罪だろう。事前に綿密な計画を立て、真面目にコツコツ実践する。それが可能な人間がどうして殺人など犯す必要があったのかは不明だが、この事件の真犯人はそういう人物なのだ。私は納得するしかなかった。
幾津刑事はいまいましげに、大きなため息をついた。
「すると結局、捜査の
まだ弱々しい青白い笑顔で、でも夏風走一郎はしっかりとうなずいた。
「僕は真犯人には興味がありませんから断言はしませんけど、一番無理のない妥当な結論だと思いますよ」
それは事実上肯定したに等しい。真犯人に対する考察は私も同じ。決して喜ぶべき話ではないのだが、少し胸のつかえが取れたような気がした。
しかし夏風走一郎は言葉を付け足すことを忘れなかった。
「ただし、現段階で僕の考えは単なる空想としての価値しかありません。証拠が何一つないんですからね。その点はお間違えなく」
「重々承知してるさ。だけど目指すべき方向が決まれば、探すべき証拠も見えてくる。君には感謝してるよ、夏風くん」
そう笑うと、幾津刑事は早々に背を向けて推理研究会の部室から退散した。
「あれ大丈夫かいな。危なっかしいけどなあ」
やや心配げな顔でつぶやくと、入地は私たちに「ほんならね」と言い残し、幾津刑事の後を追って出て行った。
そして夏風走一郎も杖をついて立ち上がった。
「もうすぐ予鈴も鳴るだろうし、余裕を持って教室に戻るようにするよ」
だがやはりまだ体は万全ではなかったのだ、杖を握る手が
「申し訳ない。悪いね五味くん」
「いや」
これが今日、五味民雄の声を聞いた最初だった。いままで同じ部室に居ながら、一言も話さなかったのだ。
五味民雄は夏風走一郎の様子が落ち着いたのを確認すると、無言で背を向け先に部室から出て行った。
「どうしたの。何かあった?」
「え、私に聞かれてもちょっと」
五味民雄の事情など私は知らない。夏風走一郎に問われたところで返す言葉などなかった。でも確かに変だ、何かあったのだろうか。改めて考えてみれば、私は彼について噂以上のことを何も知らなかった。たずねてみたい気持ちもあったが、相手は女子苦手だしな。さてどうしたものやら。
このとき私は五味民雄の態度を軽く考えていた。いまにして思えば、追いかけて問い
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