第38話 十文字香の手記 その十八

「入院した夏風走一郎は、三人目の殺人も予言しています」


 資料や辞典を手に、部員たちが駆け回る夕方の新聞部部室。私の言葉に、万鯛部長は苦々しげだ。


「あのね十文字くん、君はこの部の副部長なんだ、部全体に与える影響について考えてくれないと困る。僕や君以外にも三年生はいるんだよ」


 他の部員たちは戦々恐々といった顔で口を閉ざし、私は孤立無援のアウェー感を覚えていた。


「しかし部全体への影響を考えるのなら、過去の先輩方や未来の後輩への影響を考えるのも当然でしょう。学校側の広報の情報を無批判に垂れ流すことがこの新聞部の存在意義を失わせるのであれば、我々はときとして学園と対立しなくてはなりません」


「それが調査書の内容に悪影響を与えてもかい」


「部長が学園側の主張に迎合しているのは、調査書を人質に取られているからなんですか」


「違う!」


 万鯛部長は一瞬で激高した。


「いいか十文字、寺桜院タイムズはゴシップ誌じゃない! オカルトやUFOで読者をつるような新聞じゃないんだ。その名探偵の言葉がいかに未来を正確に予知していたとしても、我々の伝えるべきはいまこの時点で確実に明らかになっている事実だけなんだよ。そして事実を認定するのは名探偵じゃない! ジャーナリズムはパニックを起こしてあおるための道具であってはいけないんだ!」


「本当にそう思うのなら、それはいまのマスメディアに言ってあげてください」


 私のその一言で、万鯛部長の頭の中は鎮火したらしい。


「私が言いたいのは、ペンの力で救える命を、あえて救わない理由がわからないということです。ヒューマニズムなきジャーナリズムに価値はあるのかということだけです」


 部室は一段と静まりかえってしまった。まだ仕事は少し残っているが、この辺りが潮時だったろう。私は立ち上がり、寮に戻る準備を始めた。部長に止める様子はなかった。




 新聞部の仕事を終え寮に戻る途中、校舎の中をパトロールする制服警官を見かけた。教師の当直が中止になったのかまでは確認できなかったものの、これで犯人は行動しにくくなったはずだ。


 犯人か。真犯人は誰。夏風走一郎はあえて言及しなかったが、普通に考えれば多ノ蔵理事長となるのではなかろうか。もちろん、謎の中心にある『何故』の部分は解決されていない。どうして理事長が奈良池先生と絵棚先生を殺さなければならなかったのかについて、夏風走一郎も解説をしてはくれなかった。


 私の頭が及ぶ範囲で素人考えをするなら、きっとモルヒネを巡る利益の取り合いのようなものがあったに違いない。殺人を実行したのは理事長本人ではあるまい。おそらく理事長は計画立案者で、実際にはあの理事長補佐の二品が動いたのだ。


 それでもまだ説明の付かない点は多い。奈良池先生はトリカブト、絵棚先生はモルヒネで殺された。どうして絞め殺すとか刺し殺すではダメだったのだろう。二件の殺人は計画的に行われた。ならば殺し方にも理由があるはずだ。


 そして夏風走一郎は更なる殺人を予言している。次の被害者は誰なのか。そのイニシャルによっては事態が急変する可能性もある。


 ああ、嫌だ嫌だ。殺人事件なんて嫌なのに、誰にも死んで欲しくなんてないのに、でも次の事件で新たな謎が解明されるかもと期待している自分が居る。夏風走一郎の思考に悪魔的な要素を見出しておいて、これでは本当の悪魔が誰なのかわかったものではない。


 早く終われ、早く終われ。こんな事件は早く終わって、私は落ち着いた平穏の中で受験生になるのだ。大学を出たら新聞社に入り、ジャーナリストを目指す。それが私の夢。だからいまは大切な時間、人殺しなんかのために棒に振る訳には行かない。


 ……だけど、自分から首を突っ込んで行ったんだよなあ。まったく、好奇心は猫をも殺す。本当、ろくでもない。あれ、こんなことで私、ジャーナリストの仕事できるの?


 そんなことをあれやこれや考えながら、足は寮に急いだ。口を開けて餌をねだる魚にはなりたくない、そんな思いが消え去った訳ではないのだが、私は少し疲れていた。校舎の中に警察官がいる事実が心のどこかに安心感を呼んだのかも知れない。無意識にもう殺人事件は起こらないかもと期待していたのだろう。それは結果的に裏切られることになるのだが。

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