第34話 十文字香の手記 その十六
数時間後の昼休み、推理研究会の部室には静かな波乱が巻き起こっていた。
例によって例の如く、窓辺の椅子に腰掛ける夏風走一郎。その後ろには五味民雄が壁にもたれかかっている。そして二人を見据える強い視線。部室の真ん中には、難しい顔で幾津刑事が、どこから持ってきたのかパイプ椅子に座っていた。隣ではカウンセラーの入地が困ったような笑顔を浮かべて。
「ごめんねえ、どうしても君らに会いたい言うもんやから、コレが」
そう言うと入り口に立つ私に視線を向けた。どうしたものかと思ったが、知らん顔もできないだろう。私も五味民雄の隣に立つと、刑事と向かい合った。
幾津刑事は私たち三人を見回し、「これで揃ったな」と言わんばかりにうなずいた。
「君たち三人のことは、この入地六界から聞いている」
「しゃべる気なんかなかったんやで、それをこの野蛮人の暴力警官が」
「黙れ。守秘義務違反は本当なら懲戒処分を受けてるところなんだぞ。コブラツイストで勘弁してやっただけ有り難いと思え」
五味民雄が焦れたような口調でたずねる。
「それで。俺たちにカミナリでも落とそうって話なのか」
「いや、そうじゃない。まず今日現在の時点での結論から言おう。なお、これは上司の許可を得ているので守秘義務違反には当たらない」
幾津刑事はまた私たち三人を見回すと、今度は爽やかな笑顔を浮かべている夏風走一郎に視線を定めた。
「本日午前中に多ノ蔵理事長立ち会いの下で、第一校舎の中庭を検分した。結果として、あそこにケシの群生地があったという
驚愕に目を見開いたのは五味民雄。
「何も、か」
幾津刑事はうなずいた。
「そう、何も、だ」
やはり。私は息を呑んだ。だからこそのあの理事長の態度だったのだ。夏風走一郎の名推理がまったく外れていたなんて。それは軽く後頭部を殴られたくらいの衝撃。
けれど当の夏風走一郎は、まるでどこ吹く風。さも当然といった顔で幾津刑事にたずね返した。
「見つからなかったのはケシの群生地だけじゃないですよね」
これに幾津刑事はニヤリと口元に笑みを浮かべた。
「なるほど、話に聞いた通りだ。鋭いな」
「春休みか……いや、冬休みでしょうか」
「冬休みだ。去年の冬休みの間に中庭に工事業者が入った。そしてすべての『雑草』を除去した後でコンクリートを流し込み、その上からアスファルトを敷いている。つまりいまあの中庭は、ケシの群生地どころか草一本生えていた証拠が見つからない状態だ」
五味民雄が跳ねるように壁から身を離した。
「それ、証拠隠滅じゃねえか」
「その通りだと思うよ」
幾津刑事は深いため息をついた。
「その通りだとは思うし、おそらくあのアスファルトとコンクリートを引っぺがして下の地面を掘れば、ケシの根くらいは見つかるんじゃないかとも思ってる。だがそれを実行するには裁判所の令状が必要だ。そして令状を出してもらうには、証拠が要る」
「そのとき除去した雑草は、もうとっくに焼却処分されてるんでしょうね」
夏風走一郎の指摘に、幾津刑事は苦々しげに目を伏せた。
「当日のうちにね。業者にも確認済みだ」
「理事長も校長も、ケシなんて見たことも聞いたこともない」
「ああ、本当にそう言ってたよ」
「それは完全に八方塞がりだ」
苦笑を浮かべる夏風走一郎に、幾津刑事は大きくうなずいた。
「そうなんだよ。まったくその通りなんだ。だから君たちに会いに来たのさ。この入地六界が一人であんな物凄い推理を考えつくはずはないからね、誰の力を借りたのか吐かせて、いま現状この段階って訳だ。どうだろう、何か他に気付いたことはないかな」
なるほど、それが幾津刑事の推理研究会を、いや夏風走一郎を訪れた理由なのか。だが、いかに天才的名探偵とは言え、新しい情報が何もないのに新しい発想は出てこないのではないか。
私の考えを肯定するかのように、夏風走一郎は首を振った。
「土曜日に話した以上のことは、いまのところ何も」
これにガックリと肩を落とした幾津刑事はため息を漏らす。
「そうかあ……ま、仕方ないか」
「結局はどこまで続けるつもりがあるのか、それで決まるんじゃないですかね」
「どこまで、続ける?」
幾津刑事は顔を上げた。入地も五味民雄も、そして私も夏風走一郎に意識を向けている。その言葉を聞き逃さないように。
しかし当の名探偵は注目など気にならないのか、平然とこう言った。
「誰が真犯人かは興味がないので僕は言及しませんが、とにかく犯人は去年の冬休み、中庭を整理した時点で奈良池先生と絵棚先生を殺害することは決めていたのだろうと思います。そしてそれがモルヒネ絡みだと警察に気付かれるまでは想定内だったのでしょう。だからいま、これで手を引けば犯人は逃げおおせる可能性が高いです。新しい証拠が出てこなければ、ね。ただし」
「ただし?」
身を乗り出す幾津刑事に、夏風走一郎は微笑みかけた。
「これで終わらせるなら、イニシャルなんて現場に残す必要はなかった」
「あのアルファベットか! あれが重要だと君は考えてるんだな」
「いまのところまだ重要ではないと思いますけどね。せいぜい捜査を攪乱するくらいの役割しかない。意味を持つとしたら、この先でしょう」
これは土曜日の時点で夏風走一郎が言っていたこと。連続殺人はまだ続き、アルファベットで何らかの単語を作るつもりなのではないかと。その単語に意味があるのなら。
「もしまだ殺人が続くのなら、被害者はこの学園の教師だろうか」
至極もっともな幾津の問いに、夏風走一郎は首をかしげた。
「
「ああ、それは捜査本部から学園側に申し入れている。夜間は校舎内に制服警官が警備に立つことも」
「なら、いまできることはもうないかも知れませんね」
だが、そう答える夏風走一郎の顔はどこか不満げだ。今度は幾津刑事が首をかしげた。
「まだ何か気になることがあるのかい」
すると夏風走一郎は後ろを振り返り、五味民雄を横目に笑みを浮かべた。
「いえね、ちょっとした発想の飛躍がないと、この犯人には追いつけないのかなって思っただけですよ」
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