Episode-03 クラスメイトの衝撃

 九月一日。

 二学期の始まりである。

 と言っても今日は始業式のみ、しかも金曜日なのでいきなり明日はまた休み。

 小学生の頃であれば、かつてこの日にあったという関東大震災の教訓を思い出すため避難訓練などがあったが、高校生になってまでそんなものはない。


 八時前のこの時間は朝練をやってる部活がそろそろ撤収準備という状態になっていて、グラウンドの人が片付けに勤しんでいた。

 その、普段あまり見ることのない光景を少し物珍しいと感じつつ、明菜は昇降口に入っていく。


 そして教室に入ると――期待した人物を見つけることができた。


「おはよ、きーくん」

「おはよう、明菜。早いね」

「きーくんがいつも朝来る時間聞いたからね。この時間なら二人だけかなぁって」


 机にカバンを置くと窓際に立つ夏輝のそばに行く。

 残念ながら、数度の席替えが行われていて、すでに席は隣同士ではない。

 多分またすぐに席替えをするだろうから、何とか近くにはなりたいところだ。


「あ、そうそう。賢太が観測会の件は了解してくれた。……うん、助かった」

「そ、そうだね……私もみーちゃんに頼んでる。多分引き受けてくれると……思う」


 少しだけ二人の間の空気が微妙になる。

 過度にスキンシップを図ってしまわない様に、というストッパー的な役割が必要なんだとお互い自覚する状態なわけで、そして現在――二人きり。

 夏輝の手が明菜の顔に伸びて――触れる。

 暦の上では秋とはいえ、まだまだ暑い季節であるにも関わらず、その手はとても心地よく思えて、明菜は思わずその手に頬を摺り寄せた。

 そうしているうちに歯止めが効かなくなりそうになり――。


 廊下から足音が聞こえた瞬間、パッと離れた。


(あ、危なかった……あれ。でも別にみられてもいいのかな)


 夏輝と付き合うことを隠すつもりは全くないというか、今日大々的にわかってもらう予定なのだから、別に今のを見られても困ることは――やっぱりある。

 少なくとも今のは、どう考えても恥ずかしい。

 夏輝を見ると考えていることはだいたい同じのようだ。


「お、夏輝おはよう。って、明菜さん早いね」


 入ってきたのは男子生徒。

 夏輝が一人最初に来てるのはいつものことなのだが、明菜がいるのは珍しいのだろう。少し不思議そうにしていたが、それ以上の言及は特にない。

 それを皮切りに次々とクラスメイトが登校してきた。


「明菜、おはよう。久しぶりー。夏休みどうだったー?」

「うん、充実してた。あ、あとで北海道のお土産、あるから」

「おー。いいねぇ。私なんて近場よ」

「近いところもいいよ。移動は楽だしね」


 久しぶりに会うクラスメイトとの雑談も楽しい。

 しかし最初に言おうと思っていたのがタイミングを逸してしまって、どうしたものかと考えていたら――。


「学級委員の二人ー。先生が職員室に来てくれってさ」

「あ、はい」


 明菜と夏輝が顔を上げる。

 そして――。


「行こ、きーくん」

「……ああ、行こうか、明菜」


 クラス中がざわめいたのをあえて気付かぬふりをして――二人は教室を出る。

 明菜は、迷わず夏輝の手を握った。夏輝もそれを迷うことなく握り返す。

 そうして手をつないで、二人は職員室に向かって行った。


 教室のどよめきは、一部が絶叫に変わっていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ど、ど、ど、どういうことなんだ、夏輝!?」


 教室に戻り――すぐHRホームルームが始まり、その後始業式だ。

 その後教室に戻ってすぐ連絡票の返却や配布物の配布、重要連絡事項――特に十月にある修学旅行について――などが伝えられ、今日は終わる。

 ようやくそれらが終わった後――明菜と夏輝の周辺には人だかりができていた。

 ただ、その様相はかなり異なる。


 明菜の周辺は主に女子が集まって、楽しそうに話している。


「そっかー。ついに付き合うことになったんだね。おめでとう、明菜」

「で、馴れ初めから詳しくじっくりしっぽり聞か……痛っ。酷いな、由紀」

「あんたはその下ネタにつなげる癖やめなさいって言ってるでしょう。でも明菜、よかったね」

「うん。ありがと。すっごく……嬉しい」


 クラスメイトに祝福されると、本当に付き合うようになったという実感がさらにわいてきて、思わず笑みがこぼれる。

 一部周囲の女子が『眼福だねぇ』などと言ってる気もするが。


 その一方で、その様子を遠巻きに見ていた男子は、微笑ましく見ているのが数名、そして夏輝の周りにいる、この世の絶望を見たような顔になっているのが数名。


「夏輝、いったいどういう事なんだ!?」

「どうといわれても……見ての通りだ。明菜と付き合うことになった」

「学級委員の立場利用しやがって……」

「心外な。そっちはあまり関係ない」

「そもそもあれだろ。同じ天文同好会だからだろ」


 賢太が助け船を出してきた。

 だが、クラスの男子の半数は「は?」という顔になる。


「まあな。明菜は俺と同じ天文同好会に入ってるんだ。なのでまあ、親しくなったのはむしろそっちからだ。明菜が学級委員になったのも、最初は同好会の打ち合わせをやりやすくするためだったらしいからな」


 まあ実際、それはそれで助かったなぁ、と改めて明菜は思い返す。

 学級委員としての会話に続けて、こっそりと予定を話すことができたのは本当に助かった。


「天文同好会なんてあったのか?」

「あったんだ。まあ去年までは実質俺一人みたいなものだったが、今年になって明菜が入って……まあそれで、だ」

「なんてうらやま……じゃない、立場利用しやがって……」

「悪いんだけど」


 さすがに見てられなくなって明菜が立ち上がる。

 周囲の女子は「あーあ」という感じだが、明菜としては夏輝が誤解されるのを黙ってみていることはできない。


「まず第一に、きーくんは別に私を口説いたりしてないよ。私が先にきーくんのことを好きになったんだから」

「……いや、そこは多分俺の方が先だった気がするが……」

「私が先だと思うなぁ」


 いつから惹かれていたかと思い返しても、もうよくわからない。

 恩人だったとはいえ、最初からという事はなかったが、一緒にこと座流星群を見た以降、気になり始めていたのは確かだろう。

 自覚したのは――多分プラネタリウムを見に行った後、あの出来事以後。

 その時点で――夏輝が明菜に好意を持っていたかは――分からない。


「って、どっちが先とかどうでもいいね」

「……だな。あまり意味がない」

「少なくとも今は私はきーくんが大好きだし、きーくんが私をずっと好きでいてくれるなら、十分幸せ」

「ああ。俺も明菜が――」


 そこまで言ってから、はたと夏輝が言葉を止め、周囲を見渡す。

 明菜も周囲を見回すと……何とも言えない空気になっていた。


「明菜ー。夏輝君が好きなのはわかったけど、その緩みっぱなしの笑顔はちょっと目に毒。っていうかもうバカップル認定するしかないんだけど」


 クラスメイトの言葉が容赦なく突き刺さる。


「え……その、ごめん」

「いやはや、すごいねぇ。二学期になったらいきなりこれほどお熱いとは。順調そうで何より」

「うん。悩みなんて……もう一つくらいしかないしね」

「え。まだ一つあるの。何?」


 その言葉にクラスメイトの大半の注目が集まる。

 夏輝も何かあったっけ、という怪訝な顔になっていた。


「あ、えっと……まだ先だけどね。その、名前がね。どうしても面白いことになっちゃうなぁって」


 夏輝が一人、納得したように頷いているが、クラスメイト達は意味が分からないのかしばらく思案顔になる。

 その意味するところがやっと分かった時、その反応は様々だった。

 頬を染める者。

 感心したように、あるいは驚きつつ頷く者。


「付き合い始めた直後とは思えないわね……」

「すでにそこまで考えてるって……すげぇな」


 そして――もはやこの世の終わりのような表情になって死屍累々と机の上に身を投げ出す者。


「同じクラスになったらチャンスもあると思ったのに……」

「今から天文同好会に入っ……ても無駄だな……。むしろ絶望が加速する」


 入ってくれてちゃんと活動してくれるなら歓迎だが、そうでなければお断りである。

 もっとも、今から入っても、あるいはそういう下心がある人はおそらく一瞬でいなくなると思うが。

 自分のことながら、この状態で横恋慕してくるような人間はむしろその精神構造を疑うレベルだ。


「くそお……夏輝! こうなったら俺と勝負だ!!」


 いまだに諦めの悪いのが一人いたらしい。

 というか、確か二年の最初に明菜が学級委員に立候補した後に、真っ先に名乗り出た男子だ。つまりとっくにブラックリスト入りしている人物である。

 天地がひっくり返っても明菜がこの男子になびく可能性はない。


「勝負の意味がよく分からないんだが。明菜の意志を捻じ曲げようというなら、容赦しないが」


 あ、これ何気なにげにかなり怒ってるな、と明菜にはわかった。

 夏輝は自分のことはどうでもいいくせに、自分が親しい相手が理不尽なことになるのを嫌う。


「え、いや……それはその……」

「言っとくが、勉強で勝てないのは分かると思うが、腕っぷしで勝負しようとか考えるなよ。ただじゃすまねぇぞ」


 いきなり横合いから入ってきたのは賢太だった。

 明菜も夏輝も驚いて彼の方を見る。


「は?」

「正直に言うが、俺だって夏輝に勝てるって自信ないぞ。空手二段だけどな、俺」


 むしろその言葉に驚いたのは明菜と夏輝の二人だった。


「賢太?」

「足さばきだけでもお前がなんかやってるのなんてわかるよ。お前相当なんかやってるだろ」


 彼の言葉にむしろクラスがざわめいた。


「それを見抜けるお前も十分普通じゃないがな……」

「それは暗になんかやってるのは肯定するわけだな。一年友人やってるのに水臭い」

「まあ、護身術程度だしな。お前だって、空手黒帯ってのは聞いていたが、二段ってのは初めて聞いたぞ」


 明菜はあとで調べて知ったのだが、空手の段位は黒帯になる初段までは結構いける人もいるが、その先は難易度が大幅に上がる。つまり賢太の空手の腕は相当なものだろうと推測される。

 その賢太をしてそう言わしめる夏輝の実力はやはり相当なのだろう。


 ふと夏休み最初のあのことが思い出された。

 彼が技を振るった瞬間を残念ながら明菜は見ていないが、それでもあの後の光景は、尋常なものではなかった。

 あれは護身術というレベルを超えている気はする。


 実際よく見れば、半袖のシャツから出ている夏輝の腕は極端に太いということはないが、余計な肉は一切ついてなくてはっきりと筋肉が浮き出ているのが分かる。

 男子は総じて筋肉が多いから目立たないが――賢太のように目立つのもいるが――よく見れば相当に鍛えられているのは分かるだろう。

 この学校の指定水着は日焼け対策のため、珍しく男子でも上半身まであるタイプなので、あまり見られることはなかったのだろう。

 いつか夏輝の身体を見ることもあるだろうが、少しだけそれが楽しみ――とまで考えてから、その状況がどういうものかに気付いて顔が真っ赤になる。


「明菜、顔が赤いが大丈夫か?」

「な、なんでもないから、うん」


 夏輝が心配して声をかけてきたが、彼を見てその妄想が加速してしまい、止られなくなった。あまりの恥ずかしさに頬を抑えるしかできない。

 よく考えたら一緒にプールや海に行けば見れるはずなのに、なんで先にそっちを考えてしまったのか。

 その様子に、クラスメイトからは生暖かい視線が送られてくる。


「な、なんでもないから、気にしないでっ」


 恥ずかしくなって席に戻ると、机に突っ伏した。

 自分はこんなに――はしたなかったのだろうか、と自己嫌悪に陥ってしまう。

 その様子に、先ほどの視線がさらに増加しているが、明菜はもう気にする余裕もなかった。


「なんていうかすごいねぇ。休み前も恋する乙女で可愛かったんだけどさ。夏輝君と付き合うって決まったらこれだもん。少なくともあと半年はこれが見れるなら、眼福だね」


 クラスメイトの言葉が羞恥を加速する。



 実はとっくに帰っていい時間なのだが――結局この日三組は、他のクラスより三十分は遅く解散した。

 残っていた大半は明菜をからかう女子と――あとはなぜか夏輝相手に腕相撲で勝負だ、という話になって残った男子たち。

 なお、腕相撲は面白がって参戦した男子もいたため、夏輝は十勝一敗という結果。

 その一敗の相手は、十回やってさすがに疲れたところに周りから推されて断り切れなかった賢太であり、さすがに勝てなかったらしいが、かなり名勝負だったようだ。

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