第143話 送迎

 仁子さん邸の生活を始めて、3日経った。

 俺も両親も新たな環境に慣れ始めていた。初めは使用人がいることで、絶えず見られているような落ち着かない感覚だった。

 それも日にちが経つごとになんとも思わなくなっていった。


 慣れってすごいなと思い知らされた3日間だった。


 俺と母さんはキッチンで朝食を作っている最中だ。

 俺はオーブントースターに食パンを放り込んで、その間に目玉焼きとウインナーを炒める。


 母さんは味噌汁を作っていた。父さんが朝は味噌汁派なのでしかたない。


 仁子さんと父さんは料理ができるまで、二人で新聞を呼んでいる。

 この前の洪水についての記事らしい。

 父さんが記事を読みながら俺と母さんに教えてくれる。


「どこかの奇特な人が、水害で被災した人たちに支援してくれるそうだぞ」

「すごいわね。どこの誰かしら?」

「さあ、名前を出さないことを条件らしいからわからないな」

「私たちの家の修繕費も支援してもらえるのかしら」


 母さんは家の修繕費を心配しているようだった。その助けが得られるかもしれないので、ホッとしたのだろう。味噌汁を作る手に力が入っていた。


 仁子さんは俺を見ながら言う。


「よかったわね」

「そうだね。これで安心して、東雲家の大改築ができるね」


 誰が支援したのかを彼女はわかっているため、ニヤニヤしながらまだ俺を見ていた。

 話を変えた方が良さそうだ。


「仁子さん、今日は何時に出発するの?」

「う〜ん、八時には家を出ようと思っているわ」

「了解!」


 どこにいくかというと、Sランク専用のトレーニング施設だ。

 利用できる日を調べて、一番直近の日程で申請したのだ。


 それが今日の午後利用だ。午前中に施設に入って、使い方をレクチャーしてもらうことになっている。


「他の探索者で今日利用している人はいるのなか」

「どうかな。誰が利用しているかは非公開だから」

「じゃあ、俺たちが利用しているのも他の探索者にはわからないの?」

「そういうこと。施設は広いし。他の探索者と鉢合わせになることは、今まで一度もなかったわ」


 日本国籍のSランク探索者の数は非公開だけど、予想では25人ほどと言われている。

 この人数は、アメリカに次ぐ二位だ。

 なぜ、狭い国土の日本にここまで多くのSランク探索者がいるのかは謎だ。


 日本はダンジョンの密集度で世界随一だ。それが関係しているのかもしれない。


 俺は出来上がった朝食を父さんと仁子さんの前に置いた。


「はい、どうぞ」

「いつもすまんな」

「ありがとっ!」


 母さんが少し遅れて、味噌汁を持ってきた。


「はい、私の愛を込めた味噌汁よ」

「ありがとうございます!」


 父さんは畏まってお礼を言っていた。まあ、仁子さん邸まで来ての特別リクエストだからしかたない。


「仁子ちゃんもどう?」

「いただきます」


 元気な返事に母さんの顔は緩んでいた。


 父さんは素早く食べ終わると、会社へ出勤していった。

 いつも忙しそうである。


 三人で見送ったあとに、ゆっくりと朝食を食べることにする。

 母さんはトーストを齧りながら、俺たちに話しかけてきた。


「仁子ちゃんと八雲は、静岡でしょ。どうやっていくの?」

「空を飛んでいきます」

「いいわね。私も飛んでみたいわ」


 それを聞いた俺は、冗談混じりに言う。


「なら、今日の出社は俺が母さんを抱えて行こうか? ちょうど行く途中だし」

「わかったわ。今日は八雲に連れて行ってもらう!」


 まさか、母さんが乗ってくるとは思いもしなかったので、少々びっくりだ。


「一応言っておくけど、飛んでいるときに持っているものは落とさないでね」

「そんなことをしないわよ」


 しかし、それをしてしまうのが母さんなのだ。もし、落としたものが、下を歩く人に当たったら一大事だ。

 仁子さんに視線を送ると頷いてくれた。その時はちゃんとサポートしてくれるという合図だった。


 朝食を食べ終わったところで、食洗機に入れてスイッチオン!

 これには母さんはいつも感激していた。


「便利ね」

「新しい東雲家にもぜひ欲しいね」

「それは要検討ね」


 まだ、食洗機が東雲家にやってくる日は遠そうだ。

 手で洗剤を使って洗わなくて良いので、母さんの手荒れがかなりよくなっているから欲しいところだ。ここは俺のポケットマネーで買うしかないかも!


 さてと、身だしなみも整えたし、荷物も持った。


 母さんが会社へ行くための準備ができるのを待つだけだ。

 俺と仁子さんが玄関で待っていると、


「お待たせっ!」


 母さんはピシッと髪を整えて現れた。普段は髪を結ばないのに、今日だけは違う。

 仁子さんはなぜそんなことをしているのかすぐに気がついた。


「風で髪が乱れないようにしたんですね」

「当たり! この前、八雲が空を飛んでいる姿を見たのよ。髪がすごい風で逆立っていたわ」


 母さんの言う通りだ。空を飛ぶとかなり強い風に吹かれてしまう。

 向かい風の場合は、もっとひどいことになる。それを予期して、事前に髪を括って被害を最小限に抑えようとしているようだ。


 果たして、母さんの思惑はうまく行くのだろうか。


 俺たちは玄関を出て、空を見上げた。晴天で雲ひとつない澄み切った空だった。

 空を飛ぶには最高の環境だ。


 問題ないことを確認した仁子さんが元気よく、出発の合図をした。


「ではいきましょう!」


 彼女は竜の翼を出して、空へと飛び上がる。それを母さんは見上げながら言う。


「すごいわね」

「俺たちも行くよ」

「は〜い!」


 俺はステータスをギア5にして、天使モードになる。

 そして母さんを抱えると、天使の翼を羽ばたかせた。

 一気に空にいる仁子さんのところへ。


「ぎゃああああぁぁ!」


 思った以上だったみたいだ。母さんの悲鳴が響き渡った。


「八雲、もう少しゆっくり!」

「わかったから、暴れないでっ!」


 落ち着いた母さんを抱え直して、今度はゆっくり目で、東に向けて飛んでいく。

 仁子さんは心配そうに母さんを見ていた。


「大丈夫ですか?」

「ちょっと慣れてきたわ。八雲ったら、いきなりの急上昇でしょ。あれはロケットだったわ。ものすごいGを感じたもの」


 母さんの顔は見えないけど、相当不満を訴えているのはわかる。

 それでも、飛んでいくうちに母さんは次第に楽しみ始めた。


「子供の頃は鳥みたいに飛べたらなって思っていたけど、まさか叶うとは思ってもみなかったわ。いいわね、この風を切っている感じ」

「なら、もっと早く飛ぶ?」

「それは結構よ」

「あらら」


 母さんは初めての飛行にご満悦のようだった。

 たまに鼻歌が出ていたから間違いない。


「探索者は危険なことばかりだと思っていたけど、こういった体験は良いことね」

「初めて探索者になったことを褒められたかも」

「あらそう? 中級ポーションもすごく助かっているわよ。初めて飲んだ時は、死ぬほど苦しかったけどね。あれのおかげで持病はすべて完治したのよ」


 母さんは父さんの分も含めて、感謝を探索者の俺に言った。

 少しは、認めてもらったような気がした。

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