第141話 仁子さん邸

「お邪魔します!」

「はい、いらっしゃいませ!」


 二人で一緒に仁子さん邸にやってきたのに、隣にいる仁子さんが迎えてくれた。


「ではでは、八雲くんには特別な部屋にご案内しよう」

「と、特別な部屋!?」


 一体、どんな部屋だろう。仁子さん邸は東雲家の十倍以上の大きさだ。

 その中でも選りすぐりの部屋ということかな。


 俺の期待は鰻登りだ。


「はい、着いたわよ」

「あれ? ここって」

「お風呂ね」


 俺は自分の姿を見て納得した。東雲家の掃除をしたため、服の至る所に泥が飛び散っていたからだ。

 それに比べて、仁子さんが着ている服はすこし汚れているだけだった。これぞ、探索者として普段からの身のこなしか。

 俺には、まだ学ぶべきことが多そうだ。


「さっぱりしたら、リビングに来てね。ゆっくりお湯に浸かって」

「ありがとう!」


 仁子さんは、これから俺の両親の受け入れ準備をするという。

 早速、俺は目の前に両引き戸に手をかける。重厚感のある木製の引き戸は、古民家の風合いによくマッチしていた。これは脱衣場の期待も高まるってものだ。


 では、行きます!

 引き戸を開けた先には、俺の部屋より広い脱衣場があった。

 おいおい、8畳くらいはあるぞ。使用人たちも利用しているから、このくらいの広さが必要なのかな。洗面台も3つあるし。


 なんか……古民家も相まって旅館に来ている感じだ。


 服を脱いで、お風呂へレッツゴー!

 アルミ製の大きな引き戸を開けると、


「なんだこれはっ!!」


 ここは家だよな。まさかお風呂が二つあるなんて思ってもみなかった。

 内風呂と外風呂だ! 二つとも大きいな。

 しかも、風呂の水が少し濁っている。決して汚れているわけではない。

 まさか……これは天然の温泉なのか!?


 俺は急いで内風呂へと駆け寄る。

 くんくん。間違いないぞ。


 父さんとたまにいく近所の温泉と同じ匂いだ。

 まじかよ。ポーリングして温泉を引き当てたのか!?


 これじゃあ、本当の旅館じゃないか!


 落ち着け、俺。まだ風呂にも入っていないのに慌ててどうする。

 まずは掛け湯だ。これは温泉に入る時のマナーだ。


 いやいや、ここは仁子さん邸だった。


 体を洗った上で入らないと! 俺はとんでもない過ちを犯すところだった。

 では、洗い場へ……三つあるんだけど。あっ、脱衣場に洗面台が三つあったし、これも使用人たちに配慮しているのかな。


 一度に三人が入れる仕様なのだろう。


 内風呂と外風呂は10人くらい入れそうだけどね。

 ああ、楽しみだ。ぐっと我慢をして俺は体を隅々まで洗った。


 置いてあるシャンプーやリンスも東雲家とは違う。髪がしっとりするのだ。

 ボディソープも使った後、肌がツヤツヤになるし。


 風呂に入る前に、俺は生まれ変わったような感覚を得ていた。これで風呂に浸かったら、どうなってしまうのだろう。


 息を飲みながら、内風呂に足を入れた。

 おおっ、少しだけ熱めだった。だが、これがいい。

 大雨に濡れて冷えた体が、すぐに温まっていくのを感じる。


 なるほど、体を洗った後に冷えをここで素早く温めるわけか。仁子さんが、とてもお風呂にこだわりを持っていることが伝わってきた。


 ならば、肩までしっかり浸かっておこう。全身を温めて、外へ出陣だ。

 気がつけば、俺は鼻歌をまじりに内風呂を楽しんでいた。


 まだ次があるのだ。満足するには早すぎる!


 腹を括って至福の時から、立ち上がる。


「これはこれでいい……がしかし」


 俺は後ろ髪を引かれるように、内風呂から出て、外へのドアを開ける。

 夏の日差しが燦々と降り注ぐが、強めの風によって気持ちよかった。

 肌についた水分が気化して、熱を奪ってくれているからだろう。


 外風呂は、天然の黒い岩で作られていた。そのまわりには白い丸砂利が敷き詰められている。またところどころに、置き石や木々もあって、品の良い風情があった。

 印象的なのは大きな楓の木だ。どうやって持ち込んだのだろう。案外、仁子さん自身が植えたのかもしれない。この木が太陽の光を程よく遮って、心地よい木漏れ日を作り出していた。


 さてさて、では外風呂に入ろう!


「ああああぁぁぁ……」


 思わず、肺の底から息が上がってきた。あとは自然に口から吐き出すだけだった。

 もう、これは魂の呼吸だ。


 それにしても、この岩は見たことのない黒さをしているな。

 どこかでよく見るんだけど……。


「あっ。これはもしかして、ダンジョンの壁によく使われているものか」


 手で触った感じ、この色、この匂い、この味……間違いない。一般的なダンジョンの壁をくり抜いて、風呂を作ったのか!?


 やっぱり仁子さんはわかっている。いつでもダンジョンを忘れない心が大事だ。


 例の事件で、俺はダンジョン探索ができない状況が続いている。

 そんな心を癒してくれる場所があったなんて、感激だ!


 俺の溜まりに溜まったダンジョン熱が、この岩風呂に浸かることで、すっと体から溶け消えていくようだった。


「……素晴らしい風呂だ」


 俺はまたしても至福の時を味わった。いや内風呂以上だ。

 気がついたら、俺は1時間も風呂に入っていた。


「入りすぎた!」


 いくらなんでも長湯し過ぎた。外風呂から飛び出た俺は、脱衣場で新しい服に着替える。そして簡単に髪を乾かした。

 うん。さっぱりである。


 ツルツルピカピカになった俺はカバンを持って、リビングへ向かった。


「あっ、父さん、母さん!」


 すでに両親は仁子さん邸にやってきていた。ソファーに座って、仁子さんと談笑しているようだった。

 1時間も風呂に入っていれば、そうなってしまうだろう。

 仁子さんは、ほかほかに仕上がった俺を見ながら言う。


「気に入ってくれたみたいね」

「それはもうすごかったよ。あれは旅館だった」

「でしょ。力を入れたもの!」


 やっぱり仁子さんの力作だったみたいだ。

 それを聞いた父さんはすぐに反応した。なにせ、大の温泉好きだからだ。


「八雲がいうのなら、本当にすごいんだな。これは楽しみだ」

「あなた、人様の家なんだから、長湯はしないでよ」

「わかっているさ」


 父さんがうずうずしているのが側から見てもよくわかる。

 見かねた仁子さんが結局案内することになった。

 母さんは申し訳なさそうだった。


「ごめんね、仁子ちゃん。来て早々、お風呂を借りるなんて」

「大丈夫です。お母さんもどうぞ入ってください。雨で大変だったんですから」


 両親とも、家の泥出しなどをしてくたくただろう。服は着替えてきたみたいだけど、さっぱりしたいはずだ。


 仁子さんの後に付いて、東雲家一行は脱衣場の入り口へ。

 すでに両引き戸の面構えに、父さんのテンションは爆上がりだった。

 そして、脱衣場からお風呂へのドアを開けた時、父さんのびっくりする声はすごかった。いい大人の出す声ではない。まるでおもちゃをもらった子供のようだった。


 母さんはその横で父さんに呆れていたけど、やっぱり規格外のお風呂に興味がそそられたみたいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る