第139話 大掃除

 大きな欠伸を一つ。

 朝日が身に沁みるぜ!

 夜通しで川を見張っていたので、服はびしょ濡れだ。

 信じられないほどの土砂降りだったが、日の出と共にピタリとやんだ。


 不思議なこともあるものだ。なんて呑気には思えなかった。

 なにせ、公安の人たちが不意打ちにあって、負傷したからだ。


 この雨は何者かの仕業と考えていいかもしれない。


 それにしても、あの黒い影はなんだったんだろうか。人の気配ではなかった。

 というか、気配を全く感じなかった。


 見えるけど存在がないというべきか。

 他の人には見えていなかったし。俺は雨の中で、偶然に幻を見てしまったと思ったほうがしっくりくるほどだ。


 無意識に体がブルブルと震えた。体が冷えてきたな。

 鼻もムズムズするし……そう思った途端、大きなくしゃみが出た。

 家に帰ったら、温かいシャワーを浴びたい。

 まあ、家が無事であったらの話だけどさ。


 てくてくと家に向かって歩いていると、周りの家々は床上浸水して大騒ぎしていた。

 大きな被害は家と車くらいだったようだ。

 聞こえてくる話では、二階や屋根に逃げて、なんとか助かったらしい。


 おっ、家が見えてきた。ちなみに俺の後ろには公安の人たちがぴったりと貼り付けている。

 まだ、犯人が捕まっていないため、警戒体制中だ。


 めっちゃ目出つからとお断りしたけど、彼らは一歩も引くことはなかった。

 彼らの仕事だから、仕方ないよね……。


 おっ、家が見えてきたぞ。

 俺はほっと胸を撫で下ろした。ちゃんと形が残っているぞ。

 走って家の門を通ると、仁子さんと父さん、母さんがいた。

 仁子さんはすぐに俺に気がついて駆け寄ってきた。


「あっ、八雲くん!」

「仁子さん! みんな無事でよかった」

「うん。でも床上浸水で家の中がめちゃくちゃに」

「そっか……」


 命が助かっただけ、よしと考えるべきだろう。

 

「ログハウスも、すごいことになっているわ」

「あっ、仁子さんの荷物がっ!」

「いいのよ。綺麗にすれば大丈夫だから。それより、川の氾濫はどうにかできたみたいね」

「うん、ばっちりさ」


 とりあえず、仁子さんに良い報告をする。

 そして問題が発生したことについての話さないといけない。


 彼女はすでにわかっているだろう。なぜなら、後ろにずらりと並んだ黒服たちを見れば一目瞭然だからだ。

 仁子さんは目を細めて彼らを一瞥する。


「どのような問題が発生したのかな?」

「公安の人たちが雨に乗じて襲われたんだ」

「ええっ、それって例の犯人?」


 彼女の近くで話を聞いていた父さんと母さんは目を見開いて、驚いていた。

 俺に関係するダンジョンで犯人が暴れているくらいの遠い話だったけど、まさかこんなにもすぐに自分たちの近くで事件が起こるとは思っていなかったようだ。

 俺だって父さんと母さんと同じだ。


 鋼牙さんから情報をもらって、深夜に起こるなんて誰が予想できよう。


 その点で公安の護衛はちゃんとしていたと思う。それでもこの有様なのだ。


 俺の後ろにいた公安の一人が俺の両親と話をしたいと言って、二人を別の場所へ連れて行った。


「八雲くんはついて行かなくていいの?」

「いや、父さんたちに任せるよ。俺は家の片付けをするかな」


 俺がいないほうが客観的な話ができるはずだ。

 だから、公安の人から父さんと母さんに話をしてもらったほうがいい。

 その上で俺は二人と話をしたほうが、よりスムーズだろう。


「う〜ん、どこから手をつけようなか」


 1階の窓は割れて、カーテンはバリバリに破れている。その奥でソファーや椅子などの家具が泥だらけでひっくり返っていた。


「泥を吐き出そうか。水は使えるから、汲んでくるね。実は八雲くんが帰ってくる前に、みんなで掃除をしようって言っていたの」

「そうだったんだ。よしっ、やるか!」

「「おう!」」


 掃除道具はすでに父さんと母さんが準備していたようだ。運良く掃除道具を入れていた倉庫は少し移動しただけで、中身は流されなかったらしい。


 俺はまず、家具をすべて外に出すことにした。どうせ泥だらけだ。

 洗うにしても外でなければできない。


 よっこらせ! せっせと家具を出していく。

 仁子さんは出された家具に水をかけて、ブラシで洗う。


 それを繰り返しているうちに、父さんと母さんが戻ってきた。

 さきほどの驚いた様子はもうなかった。いつもの両親だ。

 あの顔なら公安の人から聞いた話は、後ですることになるだろう。


 父さんは俺たちを交互に見ながら言う。


「おおっ、もうやっているのか」

「私たちが戻ってきてからでよかったのに」

「力仕事は俺でしょ!」

「なら、八雲に任せて俺たちは家具をきれいにするか」

「仁子ちゃんは汚れるからしなくてもいいわよ」


 母さんが気にしていうけど、仁子さんは首を横に振った。


「これくらいなんともないです。探索者ならよく汚れますし」

「そうなの……なら一緒にお願いできるかしら」

「喜んで!」


 家が大変なことになっていると言うのに、母さんは状況を楽しむかのように仁子さんと作業していく。いざとなると、母さんは強いのだ。


「八雲、俺たちも負けてはいられないぞ」

「わかっているって。家具を片付けたら、泥出しだね」

「大仕事になるな」

「会社はどうするの?」

「休むに決まっているだろ!」


 ですよね。これで休むなという会社があったら、まさしくブラックだ。

 せっせと掃除を行なっていると、氷室さんが出勤してきた。

 いつもよりも時間が早い。


 どうやら、ニュースを聞いて駆けつけてくれたようだ。

 もう服装からしてやる気だ。

 トレーニングウェアを着て、長靴持参である。


「おはようございます、東雲さん。それに皆さん」

「氷室さん、おはようございます!」

「では早速、ログハウスの掃除をしますね」

「助かります。こっちが終わり次第、そっちに行きます」


 颯爽と氷室さんは、ログハウスへ入っていった。

 しばらくして、俺と同じようにオフィス家具をどんどん運び出し始めた。


 なんて手際がいいんだ。負けてはいられないぞ。


 氷室さんと競うように、せっせと掃除をしていった。昼頃になったところで、一階に溜まった泥を外へ出して、綺麗に洗うことができた。


 あとは外に出した家具と同じように乾かすだけだ。

 父さんと母さんは俺たちの働きっぷりにびっくりしていた。


「八雲と仁子ちゃんのおかげであっという間に終わったな。普通はもっとかかるぞ」

「力と体力はあるからね」

「まだまだできますよ」

「これが探索者の力か……氷室さんもすごいしな」


 父さんは頷きながら、感心していた。


「こちらもほぼ終わりました」


 後ろから氷室さんが俺に報告してきた。

 一人でログハウスをすべて綺麗にしてしまうとは……恐るべしだ。


「でも、衣服などの布地は厳しいですね。買い替えないと……。あと片桐さんの私物はどうされますか?」

「ちょっと見せてもらえますか?」

「では、こちらへ」


 仁子さんの部屋はどうなったのだろうか。心配である。

 本人は大丈夫だと言ったが、天空ダンジョンへ向けた装備が気になるところだ。


 俺と両親が一息ついていると、玄関がなにやら慌ただしい。


 警備をしてくれている公安の人たちと作業服を着た人たちが話をしているようだった。

 俺が顔を出すと、なんと鋼牙さんだった。


「おおっ、八雲くん! 昨日ぶり」

「鋼牙さん!?」

「仁子から話は聞いたぞ。大変だったな。でも儂が来たからにはもう安心だ」


 鋼牙さんは工具箱を持ち上げた。

 話を聞くに、水没して使えなくなった電気配線や、傷んだ床や壁の張り替えなどしてくれるという。


「いいんですか?」

「いつも八雲くんには、ご贔屓にしてもらっているからな。これくらいはしないと、バチが当たるってものだ。ご両親はどこかな。始める前に挨拶をしておきたい」

「奥にいます!」


 まさか、これを契機に東雲家の大改築が始まるとは思ってもみなかった。

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