第137話 ライセンスカード

 ふぅ〜、よく勉強した!

 気がついたら、窓からは夕焼け空が見えた。

 おおっ、久しぶりにもくもくした雲が見える。おそらく入道雲ってやつか。


 こっちにくれば、恵みの雨になるかも。

 これで庭の芝生も生き返るかもしれない。しばらく、眺めていると雲の中で稲光が見えた。いいぞ! その調子だ!


 入道雲の応援をしていると、部屋のドアがノックされた。


「八雲くん! いる?」

「うん、どうぞ」


 そっと開けられたドアの向こうには、さっぱりとした顔の仁子さんが立っていた。

 わずかに髪が濡れているので、シャワーでも浴びたのだろう。


「八雲くんのお母さんに勧められて、シャワーを浴びさせてもらったの」

「そっか。荷解きは無事に済んだ?」

「まあね。八雲くんの方は順調?」

「ばっちりさ。不眠不休をしていた頃を思い出したよ」

「つい最近でしょ。それ」


 そうなのだ。期間が経っていないけど、ダンジョン探索を挟むと昔に感じてしまう。たぶん、非日常のオンパレードだから、情報密度が高くなっているせいかな。


 体感時間を長く感じているとか……。

 もしかしてダンジョン探索そのものに、体感時間に影響を与えてる!?

 いやいや、仁子さんはその影響を受けてなさそうだ。


「考え事?」

「最近時間の流れがゆっくりだなって思ってさ」

「なにそれ」

「仁子さんは感じないの?」

「別にないわね」

「そっか……じゃあダンジョン探索の影響ではないかも」


 やっぱり俺が平凡な日常から、非日常へと変わってまだ慣れていないことが原因なんだろう。

 ということにしておいて、仁子さんが部屋に来た理由を尋ねた。

 彼女はニヤニヤしながら、後ろにずっと回していた手を前に出した。


「はい、これ!」

「封筒!? えっ、もしかして……これって!?」


 俺は差出人の名前を見て、飛び上がった。

 探索者ランク認定機構からだった。


 仁子さんから有り難く受け取る。


「早かったね。明日だと思っていたよ」

「公安の人がさっき持ってきてくれたのよ。VIP待遇ね」

「もしかして、これも例の事件が関係している?」


 仁子さんは俺をまっすぐ見ながら深く頷いた。


「あの人たちも、神経を尖らせているみたいよ。ほら、わかるでしょ」

「ん!?」


 促されて、気配を探る。集中してずっと深く広く……ああ、なるほどね

 さすがはプロの仕事だ。

 僅かだけど500mと1Kmほど離れた場所に複数人の気配を感じる。

 魔力を持っているから、明らかに一般人のものではない。


「いつもより5人多いね。しかも、手練れ」

「当たり。わかりやすく気配をわずかに残しているでしょ。あれって牽制よ」

「容易に攻め込めないね」


 安心すると同時に、殺人犯が俺を狙っているかもしれないという現実味がどんどん帯びてきた。

 普通に生きていて、自分になんらかの危害が及ぶなんて、絶対に考えないことだ。

 ましてや殺人なんて、母さんが見ている古いサスペンスドラマくらいしか想像できない。


「どうしたの、八雲くん」


 仁子さんが俺の顔色を窺うように聞いてきた。

 俺が眉を寄せて小難しいそうな顔をしていたのだろう。


「その……なんでもない!」


 喉まで上がってきた言葉を飲み込んだ。口にしたところで、彼女を心配させるだけだ。

 俺は手に持っている封筒に眼を向ける。せっかくの俺の晴れの舞台というか、大事なお披露目だ。


 不穏なことはここまでだ!


「早速、開けてみようかな」

「最新のライセンスカードってかっこいいのよ」

「ええっ、楽しみ」


 封筒の上部をハサミで切って、下に振ってみた。

 ポトッ。

 一枚の金属製のカードが手のひらに落ちてきた。

 色はシルバー。表面には、俺の顔写真と名前と住所が記載されている

 そして、裏面にデカデカと『S』と言う文字が中央に刻印されていた。その文字を彩るように、日本を象徴する菊と桜があしらわれてあった。

 眼を近づけると、微細な加工がしてあり、お札のように偽造防止処理が施されていた。


「すごいね。これはただの金属じゃないね」

「確か……ミスリルとチタンなどを混ぜた合金だったはずよ。すごく高価で丈夫なんだって」

「素材だけでそう簡単には用意できなさそうだね」


 いざとなったら、ライセンスカードも武器に使えそうなくらいだ。


「再発行はとても大変だから、絶対に無くさないことね」

「うん。大事にするよ」

「ところで、八雲くん。私にも見せて」

「なんで?」

「どんな顔で写っているのか気になって」


 見せたところで減るものでもない。俺は仁子さんにライセンスカードを渡した。

 彼女は俺と写真を見比べながら、目線を行ったり来たりしていた。


「うん。すごく硬い表情をしているわ」

「き、緊張していたんだよ」

「写真を撮ってくれた人ってプロのカメラマンだったんでしょ」

「そうなんだけど、スタジオには結構人がいたからさ」

「ああ……ダンジョン神を一目見ようと、関係ない人までいたからね。撮影会みたいだったわ」

「それが原因だよ!」


 こんな石のような顔した……カチンコチンな俺と5年も付き合わないといけないとは、ちょっとした罰ゲームである。

 次に更新するときまで、スマイルの練習をしておこう。どんないかなる時も、笑顔を忘れない俺になりたい。


「よしよし、でもいい顔だよ。八雲くんらしいし」

「そうかな!?」


 仁子さんに褒められると、よく思えてきてしまうのは不思議だ。


「これは八雲くんのお母さんにも見てもらわないとっ!」

「ちょっと待ったあああぁ!!」


 笑いのタネにされるのがオチだ。腹を抱えて笑う母さんが容易に想像できる。

 仁子さんからライセンスカードを取り戻そうとしたが、さらりと躱されてしまった。

 運動神経では、彼女の方が一枚上手だ。


「じゃあね!」

「あっ、待って」


 軽やかに、足音すらも立てずに仁子さんは、廊下から階段へ。

 東雲家に住み慣れた俺が追いつけないほどのスピードだった。

 もう彼女はリビングに入って、母さんに接触しているはず。


 そう思うと、俺の足取りは次第にゆっくりとなった。階段を降りている頃には、母さんの大笑いが響いてきた。


 やれやれ、今度は母さんからライセンスカードを取り上げないといけなくなった。

 そうしないと、父さんが酒の肴のように楽しむことになるだろう。


 俺はリビングに入ると、大笑いする母さんに近づいて、手を出した。


「そろそろ、返してもらえるかな」

「もう少し笑わせて」

「笑うのは禁止!」

「ごめん、ごめん。八雲の努力の結晶だものね。はい、返すわ」


 ふぅ〜、やっと戻ってきた。

 おかえり俺のライセンスカード! もう手放さないよ!


 そんな俺の様子を見ながら、仁子さんはニヤリ顔でいう。


「お父さんには見せないの?」

「見せません!」

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