第113話 契約
楽しかったカレーパーティーが終わり、仁子さんと氷室さんは帰宅していった。
仁子さんは三杯もおかわりしていたので、よほど美味しかったのだろう。氷室さんも負けないくらいおかわりしていた。見かけによらず、食いしん坊さんだった。
食器を洗っていると、テレビを見てまったりしていた母さんが声をかけてきた。
「八雲は天空ダンジョンへいくの?」
「まあね。でも、すぐには行かないよ。ある程度調査されてからかな」
「今日のニュースを見たわよ」
「天空ダンジョンで亡くなったんだよね」
「私が言ってもやめるつもりはないのはわかっているけど、危なくなったら絶対に逃げるのよ」
「わかっているよ」
俺は今までのダンジョン探索を振り返った。
とてもじゃないけど、母さんを安心させられるものではなかった。
それでも俺がダンジョンを諦めないことを母さんはわかってくれている。
昔なら、あんなニュースを見たら絶対に探索をしてはダメだと言うはずだ。
危なくなったら絶対に逃げるのよ……か。母さんに少しだけ認められたようで嬉しかった。
洗い物も終わったことだし、風呂に入ろうかな。
さっぱりした後に、今日のテストの自己採点だ!
リビングを出ようした俺に母さんが声をかける。
「八雲、期末試験を本当によくがんばったわね。あんな八雲は初めて見たわ」
「……母さん」
「結果がどうであれ、私たちはもう何も言わないわ」
「心配をかけないようにがんばるよ」
俺の不眠不休の戦いは終わりと告げた。今日は風呂にゆっくり入った後、ぐっすり寝よう。もちろん、中級ポーションは飲まない。
◇◆◇◆
期末テストの採点結果が返ってきた頃には、ダンジョン探索にも段々と力が入っていた。
ダンジョン産の香辛料集めもひと段落したことだし、そろそろ天空ダンジョンへ向けて動き出すべきだろう。
期末テストの結果は、全教科満点とはいかなかった。イージーミスで一問だけ、間違えてしまったからだ。
それでも自画自賛しても良い結果だと思う。
これがずっと継続できたなら、両親も喜ぶことだろう。
仁子さんの結果は、なんと俺と同点だった。彼女曰く、うっかりミスをしたと言っていたから、多分俺と同じミスだろう。
他の生徒で、俺たちを超える高得点を取った者はいなかった。
母親からは、期末テストの結果についてはもういいと言われている。父さんも同じ考えだった。両親は、俺がどれだけ本気で探索者になりたいのかを知りたかっただけだった。
だからあんな無茶を言って、どれだけ頑張れるのかという過程を見ていた。
初めから、結果はどうでも良かったのだった。
でも学生である以上は、本業の勉強も頑張っていくべきだろう。
そう思いながら、終業式の帰り道を歩いていた。
なんとなく見上げた坂道の終わりで、エンジンをかけたままの黒い車が止まっていた。
見覚えのある車だった。俺が近づくとよく知っている人が降りてきた。
「東雲さん、明日から夏休みですね」
「西園寺さん」
「お久しぶりです。もしかして、また身長が伸びました」
「ええ、5cmほど」
「体つきもさらに良くなっていますね。探索者らしくなられましたね」
「アラスカダンジョンではいろいろと手配をしていただき、ありがとうございました。おかげさまで、俺専用の武器も新しくできました」
「知っています。レーヴァテインですよね。お披露目を楽しみにしています」
炎天下の中では、ゆっくりと話もできないだろう。
「続きは俺のログハウスで話しますか? 氷室さんが西園寺さんに会いたがっていました
よ」
「そうですね。時間が余ればそうさせてもらいます。では、車にお乗りください」
「はい」
お言葉に甘えて、車に乗せてもらう。
クーラーがよくきいており、少し肌寒いくらいだった。
「涼しいですね」
「最近は異常気象ですから、車の中はとくに暑くなりやすいですから」
「お渡ししているミスリルの量は、あれで大丈夫でした?」
「はい、大変助かっています。販売ゴーレムはいつも大繁盛ですね」
「止まることをしらない感じで、僕も驚いています」
「他にもドロップ品を下ろしているとお聞きしました」
「信用できるところに少しだけです。次第に供給量を増やそうと思っています。氷室さんが最近、営業もしてくれているんです」
「彼女らしいですね。新規開拓は彼女の十八番ですから」
西園寺さんは昔を懐かしむように微笑んでいた。
「着いたようですね」
彼女の目線の先は、俺の家の入り口に立っている女性に向けられていた。
氷室さんだ。彼女は気配を探ることに長けており、西園寺さんと俺の接近に気がついたのだろう。
車から降りた俺たちに氷室さんが、話しかける。
「玲奈、来るなら言ってくれたら良かったのに」
「突然のことだったのよ。わかってちょうだい、紬希」
俺ははじめて西園寺さんの下の名前を知った。玲奈っていうのか……。
ちなみに氷室さんの下の名前は紬希だ。母さんはつむぎちゃんと言っている。
「暑いですから、中に入って話しましょう」
「すみません、東雲さん」
「申し訳ありません……私ったら、もう」
再会を喜び合う二人は我に返って、先払いを一つ。
俺の案内で、ログハウスに向かった。
西園寺さんは中へ入る前に、見回しながら言う。
「これがアイアントレントの木材で作ったログハウスですか……圧巻ですね」
「おそろしいほど丈夫で助かっています」
たとえトラックが全速力で衝突しても、傷一つできない。
大地震が起きても倒壊はしないだろう。
「探索者の事務所としては、これ以上のものはありませんね」
西園寺さんから太鼓判をもらってしまった。
苦労して建てた甲斐があったというものだ。仁子さんや協力してくれたタルタロスの関係会社の人たちも喜ぶだろう。
といっても、それは探索者目線だ。
昨日、母さんが夕食を知らせるため、ログハウスにやってきたときに悲劇が起こった。
アイアントレントの木材に、弁慶の泣き所を打ち付けてしまったのだ。
あまりの硬さに、悶絶して転げ回る母さん。
とても痛ましい姿だった。中級ポーションを飲んで事なきを得たが……。
それ以来、母さんは鉄のログハウスと呼んで、危険視していた。
「さあ、中へどうぞ。扉は重いですから、挟まれないようにしてください」
ちなみに母さんは、この扉のことをギロチンと呼んでいる。
何が起こりかけたのかは、話すまでもないだろう。ここでも、悲劇が起こりかけたとだけ言っておこう。
西園寺さんを応接室に案内している間に、氷室さんはお茶を用意してくれた。
彼女にソファーに座ってもらい、俺は向かいに腰を下ろす。
「今回はどのようなご用件ですか?」
「天空ダンジョンでご相談があります」
「あれはまだ探索できる時期ではないはずですが……」
まだ解禁予定日は、半月ほど先だった。
コウノトリさんが亡くなるという痛ましい事故によって、大手ギルドですらも解禁日まで大人しくしていた。フェアリードラゴンの大群が彼らの抜け駆けを阻んでいたからだ。
西園寺さんは何枚かの紙をバックから取り出した。
「これはなんですか?」
「今回の天空ダンジョンにおける探索提携契約書です」
「探索提携?」
「会合でお話した通り、ギルド間での協力をお願いしているんです。今のところ5つのギルドが契約を結んでくれました」
「俺にその契約を結んでほしいと?」
「はい。天空ダンジョンは未だかつてないほどの難度だと予想されます。東雲さんが加わってもらえると、大変助かります」
おそらく、俺が探索提携契約にサインをすれば、他のギルドも勧誘しやすくなるのだろう。会合であれだけ多くのギルドが集まっていたのに、たった5つしか集まっていないとは……西園寺さんも大変だな。
俺を誘ったのは苦肉の策だったのだろう。なぜなら俺を利用する気ならば、一番初めに勧誘していたはずだ。
どちらにせよ、俺にとってはどうでもいいことだった。
「面白そうですね。ぜひ、参加させてください」
大所帯でダンジョン探索は、一度やってみたかったからだ。
「あっ、それとダンジョン配信はさせてもらいますよ!」
俺は一番大事なことを聞くと、西園寺さんからすぐに了解をもらうことができた。
契約成立である!
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