第102話 新感覚

 仁子さんの家の中へ、一番乗りしたのは母さんだった。


「お邪魔します! 仁子さんの家に来るのは久しぶりね」

「そうですね」

「あの時は、謎の黒服たちに連行されて、恐ろしかったわ」


 母さんは職場に現れた公安の人たちに無言で連れ出されたことを、トラウマになっているようだった。こうやって、ふと思い出したようにいうのだ。


 この家の使用人たちが黒服を着て、公安の人たちの服装に似ているので、フラッシュバックしたのかもしれない。


「今日は公安の人たちはいないので安心してくださいね」

「ああ、良かった。ほら、八雲が重要人物になってしまったじゃない。だから夫と私にも、ひっそりと警護されているみたいなの。一日中、見張られている感じかして落ち着かないの」

「何かあってからでは遅いですし」

「なれないといけないと思いつつ……難しものね。でも、買い物をして荷物が多い時は、持ってもらったりしているのよ」


 意外にも、母さんは公安の人をうまく使っているようだった。

 怖い怖いと言いつつも、順応しつつある母さんの逞しさを知った。


「たしか……リビングはこっちよね」

「はい、そうです」

「父さんも八雲も早くいらっしゃい」


 俺と父さんはやれやれと後に続いた。鋼牙さんは、自慢の手料理をご馳走すると言って、奥のキッチンに行ってしまう。


「鋼牙さんは何を作ってくれるんだろう?」

「すごいな。俺たちはほとんど料理できないのに」


 父さんは感心していた。親子仲良く、調理が苦手なのだ。

 得意料理はカップラーメンである。

 キッチンがある方を眺めていると、仁子さんが苦笑いをしながら言う。


「うちのギルドは、上の者が料理をするという慣わしがあるのよ。だからパパはよく料理をするの」

「そっか、ダンジョン攻略は長期間になるから、後方で指揮する人が担当した方が効率的かも」

「でもね。パパの得意料理はカレーなのよ。しかもスパイスを自分で調合するこだわりっぷり」

「凄い! 本格カレーだ」

「それが問題なの!」

「えっ!?」

「考えてみて、ダンジョンという閉鎖的な空間で、スパイシーなカレーを作るのよ」

「もしかして……やばい!」

「うんうん。ダンジョンの階層中にカレーの匂いが充満して、モンスターの大群が押し寄せた時だってあるの。それでもパパは自慢のカレーを決して作ることをやめなかったわ」


 その一件はタルタロスギルドでは、ハーメルンのカレー使いと言われているそうだ。

 というか、頻繁に起こっているらしい。


「さっき、鋼牙さんは自慢の手料理を作ると言って、キッチンに歩いて行ったよ」

「えっ! それって」


 きっとスパイシーなカレーだろう。

 今からそのようなものを作っていたら、明日になってしまう。

 タルタロスのギルド長として最大の歓迎なのだろうが、俺たち親子には明日がある。

 ゆっくりとカレーを待てそうになかった。


「ちょっと待ってて、様子を見てくるから」


 仁子さんは急いで、キッチンへと消えて行った。

 そして、父親を必死で止める声が聞こえてきた。やはりスパイシーなカレーを作ろうとしていたようだった。

 それを聞いた父さんは残念そうな顔をした。


「残念だが、カレーは食べられそうもないな。ダンジョン仕込みのカレーを食べてみたかったな」

「そんなことをしたら、明日は有給だよ」

「あははっ、カレーを食べたいので休みますとはいかんだろうな」


 笑い事ではない。父さんは出張した際には、カレーの食べ歩きをするくらいマニアだ。

 おそらく、大手ギルド長が作る自家製カレーという謳い文句に惹かれてしまったのだろう。


 仁子さんが胸を撫で下ろしながら、戻ってきた。


「危なかったわ。スパイスの剪定をしているところで止めることができたわ。パパは本当にカレーを作ろうとしていたのよ」

「止められて良かったね。でもどうして?」

「八雲くんと二人でお話しできて、嬉しくなってしまったみたい。パパは調子に乗ったら、カレーを作る癖があるの」


 悪癖ではないが、凄い癖である。


「とりあえず、譲歩してもらってスパイスを使ったエスニック料理で手を打ったわ。すでにスパイスを手にしていたから、使わざる得なかったの」

「エスニック! 楽しみ!」

「パパは当分の間、料理に集中するから」


 父さんは大手ギルド長が作るエスニックと聞いて、悪くないと言っていた。

 実はエスニック料理もカレーの次に好きなのだ。

 仁子さんは父さんと母さんに声をかける。


「料理ができるまでリビングでくつろいでください」

「お言葉に甘えてゆっくりさせてもらうね」

「私も手伝いましょうか?」

「大丈夫です。使用人とパパでキッチンはいっぱいですから」

「あら、そう。なら、私もゆっくりさせてもらうわね」


 よっこらせと腰を下ろした母さんと父さんはソファーでくつろぎ始めた。

 では、俺もよっこらせとしようとした時、


「八雲くんはこっちにきて」

「えっ」


 仁子さんが手招きをしてきた。なんだろう?

 近寄ってみると、勉強道具が一式揃っていた。


「八雲くんはここに座って勉強してね。これで少しは睡眠に回せるでしょ」


 どうやら、寝ていない俺に仁子さんは気を遣ってくれたようだ。

 そうなれば、中級ポーションを1本飲んで、気合い一発を入れておこう。


「疲れがスッキリ。よしっ、やりますか!」

「その意気、その意気」


 料理ができあるまで、およそ1時間ほど。俺は勉強に集中した。

 キッチンからリビングまで、香ばしいスパイスの香りが漂ってきた。懇親会でたくさん食べたにも関わらず、その香りにお腹がなってしまうほどだった。


 父さんと母さんはすごく楽しみにしていた。仁子さんは得意げな顔になって、説明していた。


「パパが作る料理は、ギルドメンバーにも大好評なんです。香辛料の使い方においても、研究熱心で探索者の中でも、私が知る限り一番だと思います」

「この家にもその香辛料があるんだね」

「そうなんです。パパがたくさん送ってきて、置き場に困っているくらいです。ここを丁度いい保管庫だと思っているんですよ」

「そのおかげで、美味しい食事が食べられるわけだね」

「お口に合うかはわかりませんよ。パパが作るのは探索者用ですから」

「漁師飯みたいなものかな?」

「まあ、そんな感じですね」


 俺の両親は、今日の会合について仁子さんに聞いていた。

 天空ダンジョンの話には少し不安そうにしていた。それでも、国の全面的なバックアップがあることや、仁子さんがサポートしてくれるということで、安心したようだ。

 どうやら俺は両親から見れば、まだまだ探索者として未熟らしい。

 実際にデビューしてから、あまり月日が経っていないので両親が心配するのは良くわかる。


 さてさて俺は勉強に集中しよう。こう言った環境でも、できるようになれば、一人になった時にはさらに効率があがるはずだ。


 1時間が過ぎた頃、鋼牙さんと使用人たちが料理を持って、リビングにやってきた。


「待たせたね。さあ、どうぞ」

「おおっ、鋼牙さん! 凄いですね」

「はははっ、八雲くんやご両親のお口に会えばいいのだけどね」


 鋼牙さんがテーブルに置いた皿には揚げた大きな魚。

 嗅いだことない香りがする。香辛料の一種だとわかるけど、不思議な香りで一体なんだろうか。

 父さんも首を捻っているほどだ。


 牛肉と野菜の炒め物の皿も、これとは違った香辛料の香り。そして、食欲をそそる独特な香りだった。他の皿も見た目に反して、嗅いだことのない香りを醸し出していた。


「一体……なんて言う香辛料を使ったんですか?」

「それは食べてのお楽しみさ。まずは一口食べてみてくれ」


 鋼牙さんに促されるまま、大きな魚の身をほぐして口に運んだ。


「んっ!?」

「どうしたの、八雲!」

「八雲?」


 息を詰まらせた俺に、母さんと父さんが声をかけた。

 なんて言う味だ! 例えがない味だ。

 それほど新感覚だった。

 俺の反応に鋼牙さんは満足そうな顔をしていた。


「儂はこれをダンジョンの味と呼んでいる」

「まさか……この料理に使われている香辛料は」

「そう、ドロップ品から作られたものさ」


 俺の中で新たな扉が開かれたのを感じた。

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