第94話 ドレスコード

 放課後、俺と仁子さんはのんびりと帰宅していた。

 今日はこれから東京で大手ギルドの会合に参加する予定だ。俺は周りが大人ばかりなので少々緊張していた。それを感じた仁子さんが気を利かせて、少々遠回りをして帰ろうと提案してくれたのだ。

 川沿いの土手を二人で並んで歩く。川には渡り鳥だろうか……ゆったりと泳ぎながら潜っては、魚を咥えて水面から顔を出していた。

 その様子を眺めながら、仁子さんは言う。


「ダンジョンとは違って、落ち着くわね」

「そうだね。最近はすぐに家に帰っていたから、こういうのもいいね」

「そう聞いて、ちょっとだけ安心したわ」

「どういうこと?」


 仁子さんは微笑みながら、俺を見つめた。


「八雲くんって、知り合ってからずっとダンジョンのことばかりだったでしょ。それ以外には興味がないのかなって、思っていた」

「そ、そんなことはないよ。でも、初めてダンジョン配信を見てから、憧れていたんだ。だから、探索者になってダンジョン探索ができるようになって……」

「夢中になっちゃったわけか」


 今度は彼女に笑われてしまった。


「私は父親がギルド長でしょ? しかも大手のね。生まれた私には探索者としての才能が備わっていたの。これって、もう運命って言えない?」

「……運命かもしれないし、会社で言うなら親の事業を継ぐ感じかな」

「そうかもね。普通の人よりも、力がありすぎて、普通に生きられそうにないから、これでよかったのかもね」

「仁子さんは、探索者以外になりたいの?」


 彼女は俺から視線を流れる川に移した。あの流れがこれから支流が加わって大きくなり、いずれは海原へ辿り着くことだろう。

 仁子さんは、この川と同じように自分の将来のことはよくわかっている。

 このまま順当に探索者としての経験を積んでいけば、タルタロスギルドの長になることだろう。

 それは生まれた時から決まっていること。


 再び、俺を見つめた彼女の目はそう言いたそうだった。でも仁子さんは言うのだ。


「将来のことなんて、誰もわからないわ。本人だってね。だから、今が大事なの」

「なら、今日はギルドの会合だね」

「そういうこと! 寄り道し過ぎたわね。急がないとっ!」


 スマホの時間をみれば、会合の時間まで1時間を切っていた。

 このまま呑気に川沿いの道を歩いていたら、家に帰って準備をしている余裕がなくなってしまう。

 俺たちは急いで各自の家に帰宅することにした。

 俺のログハウスには仁子さんの探索者としての装備は置いてある。

 しかし、会合用の服装はそこにはなかった。


 俺が家に帰ると、氷室さんが大きめの紙袋を持って、待っていてくれた。


「そろそろ帰宅される時間だと思っていました。これをどうぞ!」

「えっ、何ですか?」

「開けてみてのお楽しみです」


 紙袋から中身を取り出すと、高そうな服が出てきた。

 手にとってみると、肌触りから良い生地だとわかる。


「どうしたんですか、これ?」

「ギルドの会合とお聞きしましたので、見合った衣装を用意しました」

「いいんですか……こんなものをいただいてっ」


 かしこまる俺に氷室さんは満面の笑みで言う。


「安心して下さい。経費で購入しました」

「ですよね……」


 プレゼントということではなかった。事務員として、雇用主が会合に参加しても恥ずかしくない服装を考えてくれたみたいだ。

 まさかこの歳でスーツを着ることになるなんて思わなかった。


 ログハウスで着替えてみると、寸法がピッタリだった。


「すごいです! バッチリです。どうやって俺の寸法がわかったんですか?」

「簡単です。東雲さんのお母さんに、学生服の寸法を聞いただけです」


 うん。母さんはおしゃべり過ぎるだろっ。俺に黙って、そんなことを教えているとは……でも母さんなら気を許した相手には俺の個人情報など容易く話しそうだ。

 今日、仕事から帰ってきたら、氷室さんに他に伝えた情報があるかを聞いておいた方が良いだろう。


 はぁ~、母さんにも困ったものだと思っていると、氷室さんは俺の目の前まで近づいてきた。


「ネクタイが曲がっていますよ」

「そうですか?」

「はい、これでよしっ」


 そして彼女は俺を上から下まで見ていうのだ。


「馬子にも衣装ですね」

「俺も思いました」


 俺も着替えている時に姿見で思わずため息をついてしまったほどだった。

 テレビのニュースなどで観る新社会人の姿を、もっと幼くしたような感じだった。

 なんていうか、背伸びしてスーツ着てみました感がすごい。


「これで大丈夫だと思いますか?」

「たぶん問題なしです」


 何やら不安が残る言い方だった。

 絶対にこの姿を両親に見られたら笑われることは間違いなしだ。


「あとはこの靴も履いて下さいね。スニーカーではおかしいですから」

「高そうな靴ですね」

「足元は大事ですからね。スニーカーと比べて、少しだけヒールありますから気をつけて下さいね」

「そのくらい大丈夫ですね」


 俺はこのような革靴は初めてだったけど、渡してもらった靴べらを使うとすっと履くことができた。

 問題なし! と思って勢いよく立ち上がると、足首を捻ってバランスを崩してしまった。


「危ないっ!」


 咄嗟に氷室さんが前に動いて、俺を支えてくれた。


「言ったそばから、転けているじゃないですか」

「あはは……申し訳ないです」


 これで会合でも、すってんころりんしたら、本当に馬子にも衣装になってしまう。

 氷室さんの勧めで、靴を馴染ますために歩いていると、ログハウスのドアがノックされた。

 たぶん仁子さんだ。

 氷室さんが応対をするために、玄関の方へ歩いていった。

 果たして、俺の姿を見て仁子さんはどのような反応をするのだろうか……気になる。

 俺はもう一度、姿見で全身を確認した。

 う~ん、これはやはり……。


「似合っていないわね」

「仁子さんっ!?」


 もうこんな奥の部屋まで入ってきたのか!

 早すぎだ!

 俺がびっくりして、あわわしていると、


「八雲くんが姿見の前で、カッコつけていたから見守っておこうと思ったけど、声をかけずにいられなかったわ」

「うあああ」


 恥ずい……非常に居心地が悪かった。

 仁子さん後ろで、氷室さんが申し訳なさそうな顔をしていた。

 彼女が止めてくれたのだろうが、仁子さんが俺のいるところまで乗り込んできたのだろう。

 俺は改めて仁子さんの服装を見た。黒いフォーマルなドレスを着ていた。


「どう? 私は似合っているかな?」

「すごく綺麗だと思う! 角にも飾りを付けたんだね」

「そうなの! この角は私のトレードマークだし」

「うんうん、とても良い感じだよ」


 俺の感想に仁子さんは満足そうだった。そのこともあってなのか、今日の彼女は特に上機嫌だ。


「よしっ、八雲くん!」

「はい」

「エスコートをよろしくね」

「任されました」


 早速、俺は新宿ダンジョンへポータルを繋ぐ。

 黄金色に輝く円柱状の光が現れた。これでいつでも、新宿ダンジョンへ行ける準備が整った。

 俺と仁子さんはポータルへ飛び込もうとした時に氷室さんから声をかけられた。


「あの……個人的なお願いをしても良いですか?」

「どのようなことですか?」

「これを会合に参加しているミスティロストのギルド長へ渡してもらえますか? 借りたままずっと返せずにいましたから」


 そう言って、氷室さんはバッグから包みを取り出した。中身は短剣らしい。


「探索者だった頃に、ダンジョン内で持っていた武器が破損してしまい、困っていたところ、この短剣を借りたんです。その後、返そうと思っていましたけど、怪我で探索者を引退することになったり……いろいろありまして、返せずにいたんです」


 大手のギルド長となれば、おいそれと簡単に会える存在ではないようだ。

 今回の会合に参加すると知って、氷室さんはチャンスだと思ったみたいだった。

 渡すくらい何てことはない。俺は快諾をして彼女から短剣を受け取った。


「ありがとうございます。ずっと気になっていたんです」

「任せてください! それでは行ってきます!」

「氷室さん、またね!」

「はい! 東雲さん、片桐さん、いってらっしゃいませっ!」


 氷室さんに見送られながら、今度こそ俺たちはダンジョンポータルに飛び込んだ。

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