第91話 雇用

 4階層への大階段を下りながら、今までの道のりを仁子さんと振り返っていた。


「やっぱりダンジョンの環境が不安定だよね」

「そうね。本来は氷のダンジョンって話だったし。何かが影響を与えているのかもね」

「ボスモンスターだったりして?」

「その線も捨てきれないと思う。ファフニールの件もあるし」


 モンスターも下に行くほど、格段に強くなっているので、四階層でも気を引き締めておくべきだろう。

 仁子さんはそんなことよりも、気になっていることがあるようだった。


「それよりも、帰宅時間は大丈夫?」

「あっ!!」

「やっぱり忘れていたか」

「えっと今の時間は……まずい!」


 ダンジョン探索に集中してしまっていた。

 すっかり夕食時間が迫っていることに気が付かなかった。開始時間まで、なんとあと5分!!


 一大事である。もし、遅れでもしたら今日の夕食は抜きになってしまう。

 東雲家の料理番である母さんの機嫌を損ねたら、気が済むまでお小言を言われてしまう。

 それに、母さんは探索者としての活動をあまり好ましく思っていないため、尚更だった。


「これは急いで帰らないと!」

「下の階層を見てみたかったけど、お預けね」


 乗りに乗っていたのに残念だ。

 しかし、ここで先行するわけにはいかない。

 楽しみは明日に取っておけばいい。

 俺は視聴者たちに動画配信が終わることをお知らせする。


「今日はここまでとなります! 明日は第四階層から引き続きアラスカダンジョンの攻略を進めたいと思います。良ければ、チャンネル登録、グッドボタンをお願いします!」

「バイバイ、また明日!」

「ありがとうございました! さようなら!!」


 まだ探索が続くと思っていた視聴者たちは、突然の終了に残念がっていたけど、明日も続くということで好意的な書き込みがたくさんあった。

 俺の新たな剣をクラフトするのも楽しみにしているようだった。明日には手に入れたいと思う。


 アプリの配信を停止して、俺はすぐに『帰還』を実行した。


 ログハウスに戻ってきた俺の耳に、奥の部屋から誰かの声が聞こえてきた。

 耳をすませば、母さんと氷室さんだった。


 ドアをノックして仁子さんと一緒に中に入る。


「あら、おかえりなさい。八雲」

「東雲さん、おかえりなさい。配信はうまくいきましたね」


 ソファーに迎えあって座った二人がいた。どうやら談笑していたようで、場の空気は和んでいた。

 そして二人の間にあるテーブルにはタブレットが置いてあった。

 画面には、くもくもチャンネルが開かれている。


「もしかして、観ていたの?」

「もちろんよ! ずっと気になっていたのよね」


 母さんはタブレットを手にしながら、そう言った。

 特に怒っているような雰囲気はないので、まずまずの評価といったところかな。


「ダンジョン探索は危ないと思っていたけど、楽しそうにしているから少し安心したわ。氷室さんの言う通りだったわね」

「東雲さんは、日本でも指折りの探索者だと思いますよ」

「信じられなかったけど、実際に見てみると本当に強いのね。自分の息子ながら信じられないわ」

「まだまだかな。氷室さんは俺を買いかぶり過ぎだよ」


 俺としてはそんなことよりも、この場に母さんがいることにびっくりしていた。


「ところで……どうして母さんがここに!?」

「何って、家に入ろうとしてログハウスを見たら、窓に見知らぬ人がいたから声をかけたのよ」

「はい、ご挨拶もせずにすみません」

「氷室さんが謝ることはないわ。何も言っていない八雲が全部悪いのよ」


 こればかりは勝手に事を進めていた俺が悪い。

 母さんの目はとても怒っているように見えた。確かに高校生の俺だけでことを進めていい話ではないな。

 氷室さんから聞いているかもしれないけど、改めて俺は事情を話す。


「探索者の活動で事務処理が大変になったんだ。俺にはその知識が乏しいから、その道のプロを西園寺さんに紹介してもらったんだ。氷室さんとは今日が初顔合わせなんだ」

「とても稼いでいるのは知っているから……そうね……事務ができる人が必要なのは母さんもわかるわ」

「今日は動画配信中の書き込みの管理もお願いしていたんだ。そういうことを含めて、仕事をお願いするかを決めようと思って」

「それでどうだったの?」


 母さん、氷室さん、仁子さんが俺を見つめていた。

 すでに仁子さんから、彼女を雇うことに賛成の意見をもらっている。

 あとは俺の判断を残すのみだ。


「今すぐでなくてもいいですよ。日を改めてお願いします」


 気を利かせた氷室さんがそう言って、俺に考える時間をくれた。

 さすがは大人の女性だ。仁子さんとは違って、落ち着いている。

 なんて思いつつ仁子さんを見ると、睨まれてしまった。どうやら俺の心はお見通しのようだ。


 苦笑いをしながら、やり過ごした俺は咳払いをして言う。


「氷室さんがよければ、ここで働いてもらえればと思っています。どうですか?」


 彼女は一呼吸おいて、淀みない声で返事をした。


「よろしくお願いします! 八雲さん!」

「こちらこそ、よろしくお願いします!」


 それを聞いた母さんは喜んでいた。

 どうやら、俺と仁子さんがダンジョン探索中に氷室さんと打ち解けていたようだった。


「不束者の息子ですが、お力添えをお願いしますね」

「はい、精一杯頑張らせていただきます!」

「氷室さんはしっかり者だから、安心して八雲をおまかせできるわ。さあ、今日は氷室さんの歓迎会よ!」


 母さんは先陣を切ってログハウスから出ていった。

 それに従う氷室さん。まるで母さんが雇用者のようだった。

 仁子さんはその様子を見て、微笑んでいた。


「良かったじゃん。トントン拍子で決まって、氷室さんは西園寺さんの紹介だけあってすごそうだし」

「事務やチャンネル管理はこれで安泰かな。給与について西園寺さんから提示されていたから、問題なしだし」

「それだけじゃないかな」

「どういうこと?」


 仁子さんは先を歩く氷室さんの身のこなしを見ながら言う。


「相当な手練れよ。きっと……」

「西園寺さんの知り合いで、元探索者なら強いのは間違いなそうだけど……」


 俺にはどれほど強いのかは推し量れなかった。

 アプリの鑑定を使おうにも、あれはモンスター専用の機能のため、人間には使えない。

 仁子さんはわかったようなので、俺も彼女のように鍛錬や経験を積めば、できるようになるのだろうか。


 とりあえず、じっと氷室さんの後ろ姿を見てみる。


「う~ん」

「八雲くん、見過ぎっ! 女性をそんな目で見つめたら、あらぬ疑いを駆けられるって」

「ごめん……うまくいかないものだね」

「ほら、八雲くんって探索者との実戦経験って少ないでしょ。それもあるのかも」

「それって手合わせとか? それならかなりやっているよ」

「違うわ。本気の戦いよ」

「えっ、そういうことってあるの?」

「あるわよ。ダンジョン内の無法地帯をいいことに、恐ろしいことをする人たちもいるの。大手ギルドのタルタロスは、そういった人を取り締まったりしているのよ。それで私もそれなりに経験を積んでいるの」

「今後、ダンジョン探索を続けていけば、そういう人と戦うこともあるのかな?」


 心配そうに言う俺を見て、仁子さんが笑いながら言う。


「八雲くんを襲おうっていう人がいるのなら、ぜひ見てみたいものね」

「どういうこと?」

「それほど君は強いってことよ」


 そして仁子さんは付け加えるように、「世界は広いから絶対ではないけどね」と言った。

 最近はよくわからないダンジョンが現れているので、何が起こっても不思議ではない。

 俺と仁子さんが話していると、母さんに呼ばれてしまう。


「早く二人とも、家に入って! 夕食の準備を手伝ってもらうわよ!」

「「はーい」」


 俺たちは話を止めて、氷室さんの歓迎会に集中することにした。

 父さんが帰ってきたら、絶対にびっくりすると思う俺だった。

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