第88話 異変
シルバーバックは大階段を前にして、急に暴れ出した。
「痛っ!」
俺は不意をつかれて、地面に尻餅をついてしまった。
ちょうど地面に氷が突き出たところに落ちてしまったので、悶絶である。
あまりの痛さに転がっている間に、シルバーバックはどこかに走り去ってしまった。
仁子さんはそんな俺を見て、呆れていた。
「所詮はモンスターよ。気をつけないと!」
「仁子さんが乗っていたシルバーバックは?」
「倒したわよ」
俺は苦笑いした。彼女は言葉の通り、最初からモンスターを信頼していなかったようだ。
まあ、俺と比べてあまり言うことを聞いていなかったし、当然かもしれない。
仁子さんは大階段をじっと見つめていた。
「あそこからすごい風が吹き出しているわね。それに嫌な感じがする」
禍々しいプレッシャーが大階段から溢れ出している。これを恐れて、シルバーバックが逃げ出したのかもな。
それにしても改めて大階段の間近まで来てみると、ここは暴風警報発令レベルである。
あまりに風が強すぎること、そして寒さも相まって、体感温度は一気に低下してしまうほどだ。
大階段を下りるたびに、第二階層の穏やかさが恋しくなりそうだった。
「仁子さんはいつも元気だね」
「私はこういうのに強いからね。ファフニールを倒して力を得て、更に強化された感じ?」
「羨ましい限りだよ」
「君も天使の輪より竜の角を生やしてみる?」
そう誘われたけど、こればかりは俺の意志でどうこうできるわけではない。
竜の力を身に宿したら、あらゆる属性への耐久力が得られる。だけど、常時頭に二本の角を生やさないといけない。
俺の天使の輪は出だし可能なので、日常生活に影響はないけど、果たして仁子さんはどうなのだろう。
「頭に角が生えていたら、寝るときとか邪魔になったりする?」
「う~ん、ちゃんと寝返りも打てるし……強いて言えば、枕を串刺しにしちゃうくらいかな」
「串刺し……」
朝起きて鏡を見たら、頭に枕がくっついているそうだ。
稀に目覚まし時計も貫くらしい。
「私って寝相悪いらしいの。だからギルドの遠征ではテントは個別にされるんだ」
「それは賢明な判断だね」
朝起きたら仲間を串刺しにしていました……なんて洒落にならない。
「寝ている間は力のコントロールは大丈夫なの?」
「それはちゃんとしているわ。じゃなきゃ、今住んでいるところが倒壊してしまうし」
「……ですよね」
さすがはS級探索者。頭の角以外はちゃんと管理できているらしい。
俺はステータスを全開であるギア6の状態で、眠れる自信がない。
もし、自宅でそんなことをしたら、跡形もない状態になってしまうかもしれない。朝起きたら両親が倒壊した家に生き埋め……なんて恐ろしい。
「私の寝相の話はこのくらいにして、寒いのなら君の自慢の魔剣を使ったら?」
「そうだね。なんか下に進むごとに暗くなっているし、一石二鳥かも」
俺は鞘からフランベルジュを抜く。
すぐさま魔剣は燃え上がり、温かくなる。更に、暗い大階段を照らしてくれた。
「大階段が暗いのは初めてかも」
「私もよ。普段は大階段自体が淡く光っているからね。電池切れかな?」
仁子さんは冗談交じりに言っているけど、この大階段が何らかの支障をきたしているのは間違いなさそうだ。
やはり試練が関係しているのだろうか。
身を切るような冷たい風を、フランベルジュで温めながら大階段を下っていく。
「あれ!? なんかおかしくない?」
俺は仁子さんの言葉をすぐに理解した。
なんとだんだんと暖かくなって来ているのだ。
「第3階層へ下りてみれば、わかるよ」
「マイナスの世界から、南国になった気分」
凍りついた壁は、岩肌を見せており、せっかく用意した防寒具を着ていると暑さを感じるくらいになってきた。
大階段を下りきった頃には、緑に覆われた湿地が広がっていた。
たくさんの小さな虫が飛んでおり、それを小さな爬虫類が一生懸命に食べている。
「あまりにも上の階層と下では環境が違いすぎるね」
「だから、シルバーバックは嫌がったのかも」
俺たちは厚めの上着を脱いで、アイテムボックスに収めた。
「アラスカダンジョンって、ずっと極寒の地だと思っていたよ」
「あまり情報はないけど、本来はそうだったはずよ。これも地球温暖化の影響かしら」
「まさか……ここはダンジョンだよ。地球環境は影響しないって聞いたことがあるよ」
「私は逆にダンジョンが地球環境に影響を与えていると聞いたことがあるわ」
そんなはずはないと思ったけど、最近起こったことを思い出した。
突如として現れた浮島だった。
今までは各地にゲートと呼ばれるダンジョンへの入り口が現れるだけだった。
それが、宙に浮いた大陸が現れたのだ。もしかしたら、それ以上の変化を地球に与える可能性だって起こりえる。
「モンスターがゲートを出てくることってあるのかな?」
「今のところ、聞いたことはないわ。だからといって、これからもそうとは限らないかも」
「探索者って、ダンジョンの外でもすごい力を使えるから……もしかしたら、なんて思ったりしているんだ」
「そんなことが起こったら、ダンジョンによっては都市が1つや2つ壊滅してもおかしくはないかもね。探索者って人口に対しての比率が少なすぎるし」
「ワシントンダンジョンでの一件が気になっているんだ」
「ボスモンスターが上の階層に登ってきたこと?」
「そうそれっ! あれって初めてなんだよね」
「まあね。私のギルドでも大騒ぎだったわよ。日本のダンジョンでも起きてもおかしくはないから、警戒するように注意喚起されているわよ」
仁子さんが言うように、ワシントンダンジョンではびっくりした。
同行していた西園寺さんも驚いていたくらいなので、ボスモンスターが上の階層まで闊歩するのは、相当なことなのだろう。
まだ、階層内でモンスターが行き来するくらいなら、一般人に影響はないだろう。
しかし、ゲートを超えて来たら大変なことである。
「ワシントンダンジョンでボスモンスターが上の階層へ進んでいたけど、もしゲートまでたどり着いていたら、どうなっていたんだろう?」
「もしかしたら、モンスターがゲートを通れるようにしていたかもね」
「恐ろしいって! そんなことが可能だったら過疎ダンジョンがとても危険だよね」
「ただの予想だけどね」
過疎ダンジョンでは探索者がほとんどいない。モンスターが強くて、ドロップ品の換金額が良くないダンジョンならなおさらだ。
そのようなダンジョンでゲートからモンスターが溢れ出したら、大変なことになるに決まっている。
西園寺さんはワシントンダンジョンでそれを感じ取って、対策に奔走しているのかもしれない。
そんなことを考えていると、仁子さんは元気良く言うのだ。
「私たちに今できることは、このダンジョンを攻略することね」
「このダンジョンもなにかおかしいし、ここからは慎重に進めたほうがいいよね」
「いいえ、こういうときこそ大胆にいきましょう!」
仁子さんらしい答えである。
そういった先から、沼地から巨大なワニが現れた。大きさは軽く10mを超えている。
鑑定すると、アシッドアリゲーターというモンスターみたいだ。
そしてステータスは、俺のギア5の力と同等だった。
硬度もかなり高くて、並の武器ではあの分厚い皮に傷をつけることは無理だろう。
「急にモンスターのランクが上がってきたみたいだよ」
「そうこないとね! 少しは骨がありそうなモンスターで楽しみ!」
「なら、アシッドアリゲーターは仁子さんに任せようかな。強酸攻撃してくるみたいだから気をつけてね」
「それって酸を浴びて裸にならないようにってこと? くもくものエッチ!」
「ち、違うよ! 心配しているんだよ!」
地上は仁子さんに任せて、俺は遠くから飛んでくる怪鳥の群れを相手しよう。
鑑定すると、スピリットレイブンというモンスターだ。
ステータスはアシッドアリゲーターと一緒くらいだ。魔法を多用してくるみたいなので、天使の翼を出して躱しながら空中戦だ。
「沼の中には、魔力からアシッドアリゲーターがたくさん潜んでいるのを感じるから気をつけてね」
「くもくもの方こそ、スピリットレイブンの増援が次から次へとやってきているから、油断したら駄目よ」
「「じゃあ、殲滅だ!」」
第三階層は、上の階層と打って変わって、モンスターの密度が高かった。
ゆっくり休めたことだし、ここは視聴者たちのためにも見せ場を作ってみせる!
俺たちは掛け声をかけ合ったあと、一斉にモンスターに飛びかかった。
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