第2話 ドナドナの結果

 連れてこられた伯爵家では、有無を言わさず、風呂でざぶざぶ3回ほど洗われた後、さんざん髪をいじくりまわされ、これまで着たこともないような豪華なドレスを着せられた。コルセットを閉められた時には、口から内臓が飛び出すかと思った。ここまでエリンの意志などまるで無視だ。状況の説明すらなされないままに物のように扱われる。でも、耳に手を伸ばされた時にはさすがに黙っていられなかった。


「なんだよ!触るな!!」

「旦那様よりこちらを身に着けていただくようお預かりしております」


 メイドは慇懃な態度で、恭しく、大仰なトレーに乗せられたピアスを差し出してくる。


「あたしにはこれがある。そんなのはいらない!」


 片耳に飾られたピアスを触りながら、エリンは大声で叫ぶ。しかし、メイドの取り澄ました顔には全く変化が見られなかった。先ほどと一言一句違わぬ言葉を告げられる。


「旦那様よりこちらを身に着けていただくようお預かりしております」


 エリンがわめこうが意に介さずメイドは何度もエリンの耳に手を伸ばす。

 何を言っても引かないメイドにかっとなり、耳を守りながら、もう片方の手で側に置かれた水差しを取る。それを振り上げると少しだけメイドが怯んだ。いい気味だと思いながら、エリンは水差しを勢いよく地面にたたきつける。


「生憎育ちが良くないもんでね。あんたもこうなりたくなかったら、いい加減その手をどけな」


 ぎろりと睨みつけると、メイドは顔を真っ赤にして肩をいからせた。

 それでも、多少恐ろしかったらしく、早口で「旦那様に叱られても知りませんからね」と言うと、エリンを立たせた。

 そのまま、どこかに連れていかれる。


 ◆


「ふん、溝鼠どぶねずみはどれほど磨こうと溝鼠だな」


 連れていかれた先で待っていた、口ひげを蓄えた、当主と名乗るおっさんはふんと、鼻を鳴らす。

 エリンは腕組みをして、顎をしゃくり鼻で笑う。


「はっ、豚は何着ても豚だけどな」


 まさかエリンが言い返すと思わなかったのだろう、当主は目を丸くした後、顔を真っ赤に変化させ、怒鳴ってきた。


「その礼儀知らずを、さっさと送り出せ!」


 メイドは丁寧に頭を下げると、これ以上当主を怒らせてはならんとばかりに急いでエリンを引っ張っていき、馬車に乗せた。

 一人きりで馬車に放り込まれたエリンは、しかし、「もう、ここまでくれば何も驚かないぞ」と目を瞑って寝ることにした。貴族の馬車と言うのは、これまでのエリンの寝床より余程上等なものだったからだ。


 ◆


 馬車が止まる。馬車は宿泊しながら、およそ1週間走り続けた。

 ちなみに、伯爵家で着せられた服は初日の宿泊場ですでに脱いでいる。1週間以上もかかる旅程で、まさかあんな一人で脱ぎ着もできない物を着せられるとは思わなかった。多少もったいないとは思ったが、ナイフで裂き、端切れにして御者に売ってきてもらった。そして、その金で、粗末な服を買ってきてもらった。だから今のエリンは裾を絞ったズボンに白いシャツと言う少年のような成りをしている。


 もう今日の宿泊場所に着いたのかと、エリンが閉じていた目を開けると外から馬車が開けられた。


「遠いところ、ようこそお越しくださいました」


 馬車を開けた人物はエリンの姿に一瞬目を見張ったものの、丁寧に頭を下げた。


「……あんた誰?」


 頭を下げた人物に問いかけると、相手は、ピクリと少し肩をこわばらせた。ゆっくりと頭を上げると、エリンに名を問いかける。エリンが名を答えると、深くため息を吐かれる。


「私はこの屋敷で当主の側近を務めておりますリアムと申します。……まぁ、思うところはありますが、取り急ぎ主にご紹介いたしましょう」


 そう言って、屋敷の中に招き入れられる。

 エリンは貴族の家と言うのは、一瞬立ち寄った伯爵家しか知らないが、あの家に比べるとずいぶんと質素な家だった。と言うか、装飾の少ない、と言った方が正しいか。案内された主の部屋も、全く飾り気のない部屋だった。

 リアムに当主だと紹介された男は、エリンを見て目を顰めた。


「アイザックだ……お前はどこまで状況を把握している?」


 切れ長というには鋭すぎる一重の眼。しかも、片側には眼帯をしている。頬には傷もあり、髪も貴族だというのに短く刈り込んでいる。がっしりした体躯は、逞しいというよりも威圧感を感じさせるもので……。とにかく、普通の子女ならば裸足で逃げ出すような風体をしている、アイザックに問いかけられ、エリンは、胸を張った。


「なんにも分からない!」


 エリンは、破落戸に囲まれて育ったのでこの程度ではびくともしないのだ。堂々と言い返してきたエリンに心持ち目を見張ったアイザックは、フムと頷き、顎で椅子を指す。座れということだと気づき、エリンはアイザックの目の前の椅子に腰かけた。


「まずお前はここに嫁に来た」

「は?誰の?」

「俺だ」

「おっさんの!?」


 アイザックは頷くと単刀直入に話し始める。

 要約するとこうだ。

 アイザックは辺境の守りを固める辺境伯で、彼には幼い息子がいる。妻が産後の肥立ちが悪く、子供を産んですぐに死んでしまい、残された子供の世話をする人がいなくなってしまった。とりあえず、側近リアムの妹が子供を産んだばかりだったので、彼女が乳をやり、兄であるリアムが、その子供の面倒を見ていた。しかし、仕事をしながらの赤子の世話がもう限界なので、世話係として伯爵家から嫁を貰った。


 ちなみに、伯爵家には莫大な借金があったので、借金の肩代わりをする代わりに寄こされたのがエリンだそうだ。


 ――――人のことを犬か猫と勘違いしていないだろうか?


「って、ちょっと待て!子供の面倒なんか見れないぞ!!」

「何故だ?」

「そんなことやったこともない!」

「まぁ、でも俺は伯爵家の借金を肩代わりした。そして寄こされたのがお前だ。お前に拒否権はない」

「何でだよ!!!」


 こうして、エリンの巻き込まれ子育て奮闘の日々が始まったのである。

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