第3話 死神卿

 リアムはエリンを部屋まで案内しながら内心のイライラを噛み殺すのに苦労していた。エリンの身なりのあまりのひどさに、もしも、辺境伯家の御者が連れてきたのでなければ即刻浮浪者としてたたき出していたところだった。

 そもそも、自分が子供の面倒を見きれなくなったことに端を発し、アイザックが嫁を取ったことは分かっていたが、敬愛する主人にこんな嫁を迎えさせるくらいなら、泣き言など言うのではなかったという自責の念がぐるぐると渦巻く。


 ―――― 一度ならず二度までも…!


 ちらりとエリンに視線を寄こすと、彼女は何か?と言わんばかりにリアムを睨みつけてくる。

 あぁ、とリアムは眩暈を感じ、軽く目を閉じた。寝不足で判断力が弱っていたのは確かだが、あの日に戻れるなら、全力で止める。必死に止める。


 ――――が嫁などと!絶対、絶対俺は認めないからな…!



 ◆


 なんだか始終不機嫌な顔をした側近に連れてこられたのは、全体的に淡い色調でまとめられた可愛らしいつくりの部屋だった。床にはふかふかの絨毯が引かれている。

 部屋の中には栗毛の女性が疲れた様子で幼子に乳をやっていた。


「ソフィア、夫人が到着した。引継ぎを頼む」


 リアムは部屋に入るなりぶっきらぼうに、女性に声をかけ、さっさと退出していった。


「何あれ?」


 女性は、リアムの態度に戸惑ったように目をぱちくりして、次にエリンに視線を移した。そしてゆっくりと首をかしげる。


「…夫人?」


 まじまじとエリンを見る女性に、エリンも同じように彼女を見つめる。アイザックはリアムの妹が息子の面倒を見ていると言っていた。と言うことは、この女性が、リアムの妹なのだろう。ふわふわの栗毛の髪質は兄妹でよく似ていた。何も言わないエリンに戸惑ったのだろう、彼女は瞳を彷徨わせながら、とりあえず自己紹介をしてくれた。


「あの、ソフィアと言います。先ほどの男性が兄で…えっと、あなた…お名前は?」

「エリン」

「あの…女性よね」

「あぁ」


 ソフィアはそっけないエリンの返答に少し怖気づいたように上目遣いでこちらを見つめてくる。


「あの、アクセル様のお世話を代わってくださるのよね?」

「承知してないけどな」

「それはどういう…」


 エリンは、急に伯爵家から迎えが来たこと、有無を言わさず連れてこられて、状況が何も分からないことをソフィアに伝える。

 ソフィアはエリンの話を聞きながら、口をポカンと開ける。


「何それ!ひどい!!」


 ソフィアの辺境伯夫人に対して多少遠慮していたらしい口調は、エリンの実情を知ったところで消え去っていた。憤るソフィアに、エリンは自嘲気味に笑みを浮かべる。自分の人生なんてずっと儘ならない物だった。理不尽に嬲られることに慣れ過ぎて、今更もはや何がひどいかよく分からなかった。


「急に貴族の嫁にと連れてこられて、嫁がされた先がなんて…」

「…何か問題でも?」

「大ありよ!!」


 ソフィアは鼻の穴を膨らませて、心持ちエリンの方に身を乗り出す。


「あなたも自分の旦那様になった方の評判くらい知っておいた方が良いわ」


 ソフィアが語るところによると、この地はずっと、隣国との睨み合いが続く地で、アイザックは13歳で初陣を済ませた後は何度も戦場に出ているそうだ。非常に残虐な性格で、戦を好むためだ。ピクリとも笑わない彼は、平気で味方を囮にし、敵であれば負傷兵であっても関係なく皆殺しにする。結果、彼の出た後には敵も味方も関係なく屍が積みあがる…。本来は三男であったが、現在当主であるのは、父や兄達を戦争で亡くしたから。しかし、それもどさくさに紛れて彼が殺したのではないかと言われているそうだ。


 ――――そんな彼を恐れて、ついた渾名が死神卿。

 「彼に手を出すなかれ、機嫌を損ねると殺される」と言う忠告とともに広がった。


「ほら、あの方、片目が無いでしょう?あれは戦場でお父上を弑そうとして、反撃にあった傷だっていう噂もあるのよ!」

「ふーん」

「あぁ、怖い!兄さんが働いてなきゃ、誰が死神卿の元になんか上がりますか!」


 ソフィアは自分で自分の話に興奮したのかどんどんと早口になっていく。そして、エリンはソフィアのそんな様子を冷静に観察した。実はエリンの中では、アイザックの第一印象はそれほど悪くはなかったが、ソフィアの話を聞き、とりあえず引いて様子を見てみるか、と心の中で頷く。長年の処世術で、危うきに近づかない、と言うのが彼女の信条だった。

 ソフィアは、もはやエリンが聞いていようが聞いていまいがお構いなく、ほぼ独り言のように言葉を吐き出していた。


「私だって、自分の子供の面倒見るのだって大変なのに、他所の子なんてとても見られないわ!でも、旦那様のあの顔!じろりとこっちを見る冷たい顔!!なんか粗相どころか一言でも発したら殺されるんじゃないかしらと思うと、無碍に断ることもできなくて…!」


 ソフィアが言い切った瞬間、腕の中の赤子が堪り兼ねたように泣き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る