冴えない人生を送っていた孤児ですが、死神辺境伯に溺愛されました。

胡暖

1章 死神辺境伯の嫁になりました

第1話 突然の転機

「痛い!ちょっと、痛いって言ってるだろうが!?」

「そのような事を申されましても、わたくし共も、あなたを何とか見られるように整えなければ叱られてしまいますので」


 つんと澄ました顔で、メイドがそっぽを向く。完全にこちらをなめたその態度に、エリンは苛立つ。


「誰が見られるようにしてくれって頼んだよ!」


 悪態をついたが、エリンの言葉は鮮やかに無視された。先ほどと同じ、いやむしろ少し力を入れて、髪を梳られ、鏡越しにメイドを睨みつける。そして、どうしてこんなことになったのかと、自分の真っ青な目を押さえてため息を吐いたのだった。


 ◆


 エリンの人生は冴えない。生きてきたのはたったの15年だが、もし自分が全く自分と関係ない他人であったなら、絶対にごめんこうむりたい人生を送っている。

 エリンの一番小さいころの記憶は、多分3,4歳頃だと思う。お腹が空いて空いて、大声で泣いているところを酒瓶を抱えて歩いてきた義父にこっぴどく折檻された記憶だ。とはいっても、いつもむしゃくしゃしていた義父は、しょっちゅうエリンに暴力を振るうので、本当に3、4歳の頃の記憶かは怪しい。

 義父は、いつも昼間から飲んだくれていて、仕事をしているんだかしていないんだか分からないありさまだったが、貧民街スラムにたくさん手下を抱えた破落戸だった。

 エリン自身は破落戸ジェイのことをこれっぽっちも親だとは思っていないが、育ててくれた人を親と言うのなら、あいつがエリンの親となる。本当の親には棄てられたらしい。いつだったか、義父がにやにやと笑って話してくれた。


「お前のその眼。真っ青で気味がわりぃが、それは貴族の証よ。お前はな、貴族の父と平民の女の間に生まれたんだ。子が出来て、捨てられた女が育てきれずに借金の形に売った。それがお前よ」


 そう言って、最後の締めくくりにとびっきり下卑た顔で「だから、お前は13になったら娼館に売る」と、言うのがお決まりだった。


 貧民街には沢山の親無し子がいて、義父の命令で、物乞いやをしていた。自分の食い扶持は自分で何とかするのだ。皆苛々していて、生きるのに必死だった。エリンも殴り、殴られ、何とか生き延びていた。そうするしかなかったから。

 義父は、自分の機嫌でエリンに暴力をふるったが、エリンが嫌だったのはそれよりも厭らしく撫でまわされることだった。下卑た顔で笑いながら、撫でまわされると虫唾が走るが、ここを出て生きていける当てもなかったエリンはじっと耐えた。


 それでも、限界は来る。11になったばかりの頃だ、酒に酔った義父に押し倒された。本能的な危険を察知したエリンは、死に物狂いで逃げ出した。おかげで何も持ち出せなかった。

 日の暮れた街で一人途方に暮れたエリンは、ふと、自分の唯一の持ち物を思い出した。生まれた時に耳に付けられたピアス。そのグリーンの石は恐らく宝石で、何度も他の孤児たちに狙われてきたが、何となく守ってきたものだった。

 売るなら今だろう、と決意して質屋に入る。それでも、何となく両方手放すのは惜しくて、外したピアスの片方をポケットに突っ込んだ。

 閉店間際に駆け込んできたエリンは、相当怪しかったのだろう。襲われた成りで飛び出したので服装はいつにもましてボロボロだった。結局、盗品と疑われ、二束三文になったが、それでも、当座は凌げるくらいの金になった。

 この金がある間に、何とか生きていく方法を考えないと…。その金で、生まれて初めて馬車に乗り、義父から逃げるために街から出た。こうして彷徨った先で、エリンは老婆に拾われた。街はずれで薬屋を営んでいる偏屈な老婆で、金はないが、手足が不自由になったので、安く使える働き手を欲していた。

 孤児で世間知らずのエリンはちょうど良い鴨だったのだろう。エリンとしても、雨露を凌げさえすれば、どこでも良かった。こうして、エリンは、老婆の世話になることになった。

 そこでもろくに食べられなかったが、殴られることもなかったし、何より、厭らしく撫でまわされることがなかったのでエリンは、満足だった。このまま老婆が死ぬまでここでいるのかな、と思っていた。その時には、老婆に拾われて、5年が経っていた。

 

 急に、来たのだ。迎えが。


 老婆はほくほく顔で金貨で膨らんだ袋を片手に、エリンを送り出した。売られる仔牛のように、馬車に乗せられ、エリンが連れてこられたのが、この伯爵家だった。

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