異次元別居 5

 その後、僕は二人の体をキャンプ用の寝袋に入れ、表に停めておいた車の後部座席に運び入れた。二人分の体はトランクには収まりきらないし、寝袋に入れておけば、万が一、他の車とすれ違っても怪しまれにくいだろう、と踏んだのだ。

 僕はギアを入れ、山道を突き進んだ。後部座席からは、義父とその妻の唸り声や啜り泣きが聞こえてくる。連中も、自分たちがどこかへ運ばれているらしいと気がついたのだろう。義父は必死でもがき、呻き声を上げ続けているようだが、すでに車は人気のない山中をひた走っており、誰かの耳にその声が入る望みはなかった。

 三十分ほど運転したのち、僕はある場所で車を止めた。そこには、借りておいたレンタカーが停めてあった。予め地元で手配しておいた、GPSのついていないレンタカーだ。

 僕はその車に重い寝袋を一つずつ移すと、ドアにロックをかけた。ドアを閉める際、二人は寝袋越しに最大ボリュームの呻き声をあげたが、ドアを閉めるとそれはくぐもった雑音にしか聞こえなくなった。

 よし、これでいい。――僕は自分の仕事に満足して、その場を離れた。これで二人がすぐに発見されることはないだろう。たとえ、誰かが二人の失踪に気がつき、通報したとしても、この場所が簡単に見つかることはあるまい。レンタカーは僕の名義で借りているので、数日以内に返さなくてはならないが、返さなくてもしばらくはどうということもないはずだ。

 とにかく、やれるだけのことはやった。男にタブレットを渡し終えた後、僕は部屋で一人、満足げな笑みを浮かべていた。あの動画の意味を、妻はすぐに理解するだろう。不仲な義父の家を、僕が理由もなく訪れるはずがない、と十二分に知っているのだから。

 その日は、いつもなら僕が大声で懇願をはじめる時間にやけに静かにしているものだから、同じマンションの住人たちはさぞ戸惑ったことだろう。僕はその時、ソファの上でニヤニヤしながら、誰もいない空間を眺めていたのだ。フェレンゲルシュターデンの猫のように。

 妻からの返事が来たのは、翌々日のことだった。

 返事は手紙にしたためられ、郵便で僕のもとに届いた。なぜビデオ・メッセージじゃないんだ? と一瞬眉をひそめたが、すぐに理解した。封書のほうが、組織の奴らに内容を知られにくいと考えたのだろう。やはり妻は頭がいい。

 封筒には『公益財団法人 Xハウジング』と印刷されており、中に妻からの手紙と組織からのメッセージが同封されていた。僕はまず、組織からのメッセージに目を通した。それは二つ折りにしたビジネス用の便箋で、書き手は例の男だった。

”拝啓 蒸し暑さが増してきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。野辺様におかれましては、益々ご健勝のことと存じます。さて、先日お預かりした奥様へのビデオ・メッセージに対し、お返事をいただきましたので同封いたします。奥様はあなた様のことを、大変気にかけていらっしゃる様子です――”

 僕はその文面を飛ばし読みすると、はやる気持ちで妻の手紙に手を伸ばした。封筒はピンクのレターセットで、便箋には縁に紫の蔦があしらわれていた。蔦の囲いの中に、妻の字が整然と並んでいた。

”お元気ですか? 動画でも言ったけど、わたしは元気です。でも、あなたはあの動画を全部は観てくれなかったそうですね。せっかく撮ったのに、がっかりです。

 でも、それはまあいいです。今更驚くようなことでもないから。色々言いたいことはあるけど、これまでと同じく、あなたの耳には届かないでしょう。

 送ってくれた動画を観ましたが、あれはあなたが父をこの件に巻き込もうとしているということでしょうか? それとも、何かよくないことを企んでいるのでしょうか? 何にせよ、意味はないのでやめてください。わたしは父の意見などどうでもいいし、あなたが父と揉めようが、何をしようが興味はありません。ただ、父の奥さんは他人なので、あまり巻き込まないであげてほしいです。

 何となくよくない予感がするので、こうして返事を書きました。あなたが思い詰めずに、現状をありのまま受け入れてくれることを祈ります。

 富美加”

 ――ふざけるな。

 僕はその手紙をビリビリに破き、床に撒き散らした。

 興味はない、だって? 僕が義父夫婦に対してしたことは、無意味だったって言うのか。

 その他の、思い詰めるな、だの、現状を受け入れろ、だのといった言葉は、僕の頭を素通りし、僕が義父にしたことについての妻の素っ気ない言い分だけが大きくクローズアップされた。

 くそ、なぜなんだ。なぜ、わかってくれない。

 僕がここまでやったのは、ひとえに妻のためなのだ。妻が家を出ていったりしなければ、こんなことにはならなかった。ぐらぐらと頭の中が煮えたぎっていくのを、僕は感じはじめていた。この怒りをどうにかしなければ。

 僕は車に飛び乗り、例のレンタカーを放置してある山を目指した。慣れない山道を夜中に走行するのは危険極まりなかったが、やむをえない。何度も道を逸れかけ、ひやりとしながらも、僕はなんとか目的の場所に辿り着いた。掌にびっしょりとかいた汗をズボンで拭い、車を降りる。

 レンタカーとその周囲は、最後に見たときと変わりなかった。誰もこの車を発見していないし、夫婦も脱出は叶わなかったらしい。懐中電灯で照らして中を覗くと、ぴくりともしない寝袋が二つ、折り重なっているのが見えた。死んでいるのか? いや、あれからまだ三日だから、息はあるに違いない。ただ、飢えと恐怖と不快な生理現象にひどく苦しめられてはいるだろう。その苦しみを、終わらせてやろう。

 僕はトランクからポリタンクを出し、レンタカーへ運んだ。中には、途中で買ってきた灯油がなみなみと入っている。

 僕はそれを半分ほど車内に撒くと、火を点けた。車はぱっと燃え上がり、真っ暗な森の中を明るく照らした。ぎゃっという短い悲鳴があがった気がしたが、作業に没頭していた僕の耳には入らなかった。僕はスマホで炎上する車を撮影していたのだ。

 撮影が終わると、僕は車に乗り込み、元来た道を引き返した。山火事になるかもしれないが、そんなの知ったことか。

 一刻も早く部屋に戻って、この動画を妻に見せるんだ。

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